第4話 桶狭間
いつもの大広間には家臣が集まっていた
菊も犬千代の近くに座る
犬千代は近々小姓から武士になることが決定している
よって最近では菊に当たる事もなく仲良くしていた
「菊よ・・・今川は4万らしいぞ・・・」
犬千代は焦りを隠せなかった
「そうね、まぁ普通に戦っても勝てないわね」
「でも信長様を天下人に押し上げるには避けては通れない・・・と言っても美濃を平定してからが一番助かるのだが・・・」
「今川も一番いい時期と思っての攻め込みでしょう・・・」
その時、信長が入って来た
信長が座ると家臣は一斉に籠城するか野戦の為に城から出るか自分の意見を言い合った
どうもどちらも半々であり意見が一致することはなさそうだ
すると信長はすっと立ち上がった
今から発する信長の言葉で織田家の命運がかかっているのだ
さっきまで自分の意見を言っていた家臣一同は一斉に口を閉ざしてその信長を見つめる
「解散」
家臣一同、耳を疑った
この織田家の大事な運命のかかった戦の会議をしない?
それははなから降参してるようにすら感じた
そして本当に自室に戻ってしまった信長
菊もついて行って意図を聞きたかったが今宵は信長と寝室に再び入る事は出来ない
「もう・・・織田家はおわりじゃ・・・」
などとつぶやく家臣までいる
家臣は顔を曇らせながら自室に戻り始めた
菊も自室に戻ろうとする
ちょうど足軽軍団も解散するところだったようだ
「菊様!きくさまー!!」
と大きな声で菊の名前を呼び近づいて来てひれ伏す男がいた
藤吉郎だった
「菊様、足軽に解散命令が出ましたが戦の準備はしないのですか?」
菊は会議の事を話した
「信長様が解散とおっしゃられましたのでしないのかもしれません・・・」
「ふむ・・・御屋形様がそうおっしゃられたと・・・」
少し考える藤吉郎
そしてすぐに顔をあげ
「菊様。今宵は起きていらっしゃたほうが良いかと存じます」
と訳の分からない事を言い出した
「何故ですか?」
「いくら御屋形様と言えど、戦の準備もせず4万の大軍に勝つことは難しいでしょう。既に今川に攻められている今、信長様はすぐ戦の準備をなさるかと」
藤吉郎はわずかの時間でそこまで考えてた
菊は思った
この人は足軽で終わる人ではないかもしれないと
「分かりました。藤吉郎殿、ご忠告感謝いたします」
菊は藤吉郎に頭を下げる
「菊様!!面をお上げください」
菊が頭を下げたことに驚く藤吉郎
「ではこの猿めも御屋形様の馬の準備をしてまいりまする」
そう言って藤吉郎は走っていった
本当に信長に良く尽くす男だ
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菊は湯漬けと鼓を持って待っていた
必ず信長が必要になる事を知っていたからだ
そして丑三つ時
「誰か!!誰かおるか!湯漬けと鼓をもて!!」
襖をあけて信長が叫ぶ
襖の前に菊がいる事に驚く信長
「既にご用意できております!」
「菊か。大儀である」
信長は小さくそうつぶやいた
菊はその一言で分かっていた
信長は喜んでいると
信長は菊の鼓の音で敦盛を舞った
---人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか---
舞うのはこの1節のみである
「菊、具足をもて」
「はい、ただいま!」
菊は既に緩めて着せやすくした鎧をてきぱきと信長に着けていく
信長は菊に鎧を着けさせながら湯漬けを食べていた
「ほう、鮭の湯漬けか」
「はい、鮭は産まれた川に必ず帰ります。今度は織田家の命運がかかった大事な戦、清州に必ず帰れるようにとの願掛けでございます」
信長は願掛けをしない武将だった
神も信じず自分を信じる男、それが信長だった
菊はこの願掛けは余計な物だと知っていた
しかしせずにはいられなかったのだ
「ほう。願掛けは信じないがそのおかげで美味い湯漬けが食えた。願掛けも悪くないかもしれないな」
信長は余計な事をした小姓を叱る訳でもなく湯漬けを食べきった
もしかしたら信長自身もそんな願掛けにすら頼りたかったのかもしれない
それ位、危機に陥っている状況なのだから
そこに藤吉郎が信長の馬を連れてやってきた
「御屋形様!馬の準備は出来ております!餌も十分与えております故一晩は走れるかと存じます!!」
この状況になると予想をしていたのは菊だけでは無かった事に驚く信長
しかもたかが農民出の足軽に
信長はニヤリと笑って
「藤吉郎、大儀であった。」
「はっ」
猿ではなく、藤吉郎と呼んだ信長
藤吉郎は顔をほころばせ
「一生ついていきまする!!!」
なんて言っている
信長は馬に乗り城を飛び出した
菊はおなごの武装をして馬でついていく
信長と共に城を出れたのはわずか5騎
その中には菊、犬千代の他に馬に乗ったわずかな小姓と、足軽の藤吉郎とその近くにいたものだけである
信長は一晩馬を走らせ続けた
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信長はある神社で馬を降りた
既に朝になっていた
「ここで必勝祈願をする。猿、馬をつないで水をやれ」
普段願掛けすらしない信長が必勝祈願をするとは思えなかった
「兵が集まるのを待つのですね?」
菊には信長の気持ちを理解していた
「そうじゃ、今頃城から慌てて飛び出しているだろうな」
信長はニヤリとした
菊は思った
こんな絶望的な時に笑えるこの信長という男はやはり天下の器だと
この男の天下を見たい
ついていきたい
菊は心からそう思ったのであった
時刻はそれから進み朝10時になりようやく3000の兵が集まった
5000の内2000名は逃げ出していた
3000名の前で重役たちの会議が始まった
「今から今川に戦を仕掛ける皆の者、意見を言え」
「ここは正面から叩きつぶして織田家の力を見せましょうぞ!」
そういうは柴田勝家
菊は分かっていたそれでは勝てないと
しかし小姓という身分からそれをいう事が出来なかった
その時
「恐れながら申し上げます!!」
足軽軍団の中から聞こえる大きな声
藤吉郎が足軽軍団の中から飛び出して信長の前にひれ伏した
勝家は怒鳴った
「足軽の分際で御屋形様に意見すると申すか!控えろ下郎!!」
「はっ、申し訳ございm・・・」
「構わん、続けろ」
藤吉郎の謝罪を遮り続けさせる信長
勝家は目を丸くした
もしや家老の私ではなく足軽の意見を聞くと言うのか・・・
「この猿めは御屋形様に仕える前に今川の家臣の小者をしておりました。そこでの情報によると今川義元は肥えており足も短く馬の胴を絞める事が出来ず常に
藤吉郎は菊と同じことを考えていたようだ
家臣は皆息を呑んだ
1兵の足軽がそこまで考え3000名の前、しかも信長の前で堂々とその策を出せる
やはりこの人はただの足軽ではない
「猿よ。出過ぎた真似だぞ。しかし大儀だ」
信長は顔に笑みを浮かべながら藤吉郎に言った
「はっ、ありがたき幸せ!!」
藤吉郎はずっと信長の勝利を信じて疑わなかった
「では、今川が休憩に入った時こそ我が軍の勝機!信長様、そのときは我が柴田の強さをお見せ致しまする!」
柴田勝家は息巻いていた
その時、ポツッ、ポツッと雨が降り始めた
「なんじゃ・・・せっかくわしの熱気を冷ましよってからに・・・」
勝家はそう言って曇天の空を見上げた
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雨は夜になっても止む様子は無かった
それどころかますます強くなっている位だ
信長が神社に構えた本陣に今川に放っていた忍びが帰ってきた
「申し上げます!現在、今川軍は桶狭間にて酒宴を開いております!」
この報告に織田家臣達は歓喜の唸りをあげる
酒宴を開いているとなれば夜戦に対処するのはかなり難しいはずだ
このままいけば勝つ可能性は十分ある
しかし菊はこの方法では絶対とは言い切れないと感じていた
「菊、どうした。浮かない顔をしているが」
それに気付いた信長が菊に尋ねる
基本的に小姓の菊から信長に何かを発言するのは許されていない
発言できるのはこの様に尋ねられたときだけだった
「はい。相手はあの大国を持つ今川。夜襲に対処してないとは思えません・・・」
「ほう、ではどのように考える?」
「桶狭間は山に囲まれた場所、そこに陣を構えれば天然の砦になり守るべき場所は三河から尾張に向かう道の部分のみで済みます。よって少ない見張りで済み酒宴する余裕があると考えます。ですので、夜戦は相手が守っていないと考える場所から攻めるのが得策かと存じます」
菊はそう進言した
その発言に反発したのは柴田勝家
この男は藤吉郎や菊の様な農民出の新参者を嫌うらしい
「では、どこから攻めるのだ!もう、攻める場所はないではないか!」
菊は冷静に返答する
「はい。今川方もその様に考えているはずです。ですが、あちらをご覧ください」
菊が指差す場所には鹿が顔を覗かせていた
「ただの鹿ではないか!それがなんだと言うのだ!」
墓穴を掘ったなとばかりのにやけ顔になる勝家
その顔を無視して菊は話を続ける
「はい。あれは鹿でございます。ですが大事なのは鹿自体ではございません。鹿がどうやってそこに来たかと言うことです。」
勝家は全く分からないと言う顔をしていた。
信長はうすら笑みを浮かべている
「鹿が通れるなら馬も通れる。これはかつて源義経公が行った奇襲戦法でございます」
ここまで言って勝家は話を理解した
「何を!武士が奇襲ばかりではなく勝てる見込みがあるのにわざわざ鹿道を通って敵を攻めろと申すか!それが武士のやり方か!これだから農民出の者は・・・」
「死ぬ必要がない足軽が死ぬ戦をするのが武士のやり方ですか?後ろをご覧ください」
菊は静かに返答する
勝家は後ろを振り返ると明らかに勝家に対して苦い顔をしている足軽の者達
そこで勝家は自分の置かれている空気に気付いた
「貴様ら、命を捨ててでも信長様の勝利に導こうとはしないのか!!」
勝家は唾を飛ばして足軽達にわめき散らす
「柴田様。捨てなくても勝てる戦にわざわざ捨てに行く者は足軽にはいません。皆、生きて戦果をあげ昇進したい者達ばかり。その考えでは足軽はついてまいりません。ここは私のお話を聞いてはいただけませんでしょうか?」
勝家は顔を真っ赤にして菊に飛びかかろうとひた
菊は焦った
自分は見た目は女と全く変わらない
勝家の様な大男に飛びかかられたら勝ち目がない
「小姓の分際でわしに物を申すとは!身をわきまえろ!」
その時
「待て、勝家」
誰かの声が勝家の動きを遮った
その声の主は信長だった
勝家は動きを止め信長を見た
「今度は菊の意見を採用する。勝家、桶狭間の今川陣に行ける獣道を探せ」
「しかし、新参者の菊の意見を聞くのは・・・」
信長は怒鳴った
「黙れ!!勝家よ、お前は武士の誇りを大事にしすぎておる。そんなもの討たれてしまえば何の役にも立たぬ。勝てる見込みがあるなら確実かつ少ない損害で勝て、他の戦にも足軽を動員しやすいことが大事である。よって菊の意見を採用する。よいな?」
「はっ・・・」
勝家は信長に叱られ項垂れて今川陣に向かう獣道を探しに行った
「よいな。皆の者。こたびは織田家の命運を握る大事な戦となる。負けたらお主たちだけではない、家族の命もないと思え。必ず勝つのだ」
「「「「おーーー!!!!!」」」」
織田軍の士気は一気にあがる
足軽の者達も信長が自分達の命を考えてくれていることに喜んでいるようだった
雄叫びの中に「この猿めも絶対生き残って御館様に喜んで貰うぞーー!!」なんて混じってるのに気付いたのは菊だけだった
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今川義元は完全に安心していて織田信長を舐めていた
腰が痛くなり桶狭間にて休息を命じ前祝いに酒宴も催した
家臣に
「織田家に今攻められたら損害が出てしまいます」
と忠告されるが
「織田は尾張の田舎大名。兵の数も精々5000
。こちらは40000。数だけでも織田が野戦に割ける兵数など持ってはおらん。間違いなく籠城であろう。それにここは山に囲まれた天然の要塞。入り口と出口をしっかり守れば他の兵の士気を高めるために酒宴を行うことも出来よう。京までは遠い道のりじゃ。しっかり兵に英気を養わせるのじゃ」
とその忠告を採用はしなかった
5月なのにとても冷える桶狭間。
雨も降っていて辺り一面濃い霧になっていた
「ふふっ。視界は霧がかかっているが、京までの道筋は見えておる。わたしの天下に霧など一切かかっておらぬわ」
と肥えた体を撫でながら義元は酒をあおったのであった
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勝家の見つけた獣道で今川陣のすぐ近くまで来た織田軍
雨の音で今川には一切近くに居ることは気付かれて居ないようだ
「よし、あそこが今川の陣じゃ。皆の者、配置につけ」
信長の名ですぐ配置の場所に向かう3000名の足軽達
その時濃い霧が出てきた
「信長様。霧が出て参りました!相手は松明で場所が丸分かりですが我が軍の姿は今川には一切見つからないでしょう!」
興奮気味に伝える菊
信長はそれを合図に
「皆の者、狙うは今川義元の首ただ1つ!それ以外の首は捨て置け!末代までの手柄にしようぞ!!」
「「「「おーーー!!!!!」」」」
織田軍の唸り声があがり一斉に今川軍の真裏からの奇襲を始めたのだった
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義元は眠っていたが、後ろから聞こえる大勢の男どもの唸り声に飛び起きた
「殿、一大事です!!」
「どうしたのじゃ!!」
あわてて義元の前にひれ伏し説明する足軽
「我が軍、現在夜襲を受けております!」
「なに!?どこの者じゃ!?野伏か!?」
ここまで来ても義元は余裕があった
野伏位なら簡単に制圧出来る
「はっ・・・それが・・・」
足軽は一呼吸おいて夜襲の相手を告げる
「あの旗印は瓜の紋!織田軍の夜襲でございます!」
「なっ・・・なんじゃと・・・」
義元の見ていた霧のない天下への道に不吉な霧が立ち込めたのであった
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織田軍は農民ではなく足軽専門の部隊を作るいわば職業「足軽」の者たちで構成された軍隊であり、それは全国で見てもあまり例がないものであった
そして実際に織田軍はかなり訓練されており足軽同士の戦いではかなり有利に戦うことが出来ていた
だが狙うは今川義元の首ただ1つ
菊は信長の命を守るために警護しながら戦況を見ていた
すると良く聞き覚えのある足軽の声がした
藤吉郎だった
「義元がいたぞーー!!」
そちらを確認すると体格が肥えた男が輿を家臣に担がせて逃げようとしていた
すぐに勝家の部隊の足軽が輿を担いでいた内の一人を切り殺した
4人で担ぐ輿は1人でもかけると総崩れになる
輿はバランスを崩し倒れ、中から義元が転がるように出てきた
這いずりながら逃げる義元
それを追いかける織田軍の足軽
身分は違えど戦況は明らかだった
今川義元は1560年5月、桶狭間にて織田信長の夜襲にあい討ち死にした
この大金星の勝利が信長が歴史の表舞台に出る最初の出来事であった
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