第十九話

 年が明けた。とはいえ何か特別変わったことがあるわけでもなく、三が日明けの四日に初詣とグラウンド開きが済むと通常通りの練習に戻った。対外試合禁止期間は三月まであるので、練習試合などもない。ただ、二月に入ると徐々にトレーニング中心のメニューが実践を意識したそれに変わっていった。

 冬の間、俺は目標を掲げてそれに向けて練習を重ねてきた。すなわちセンターのレギュラー奪取。そのためのイップスの克服と打撃の強化。もともと足が速かったこともあり、この二つを鍛えることでレギュラーは見えてくると信じていた。いや、そんなことは考えていなかったのかもしれない。たしかにレギュラーは魅力的な目標であり、努力の対価として受け取るに値するものだった。けれど、そんなことよりも段々とスイングが速くなっていく実感、それを裏付ける飛距離の増大。自分が上手くなっているという結果が如実に現れていくことが楽しくてしょうがなかった。

 それを決定付けたのが二月に入ったころのとある一日。その日、俺はこの冬の練習で初めてシートノックでセンターのポジションに入った。中学二年生のときより、セカンドへの返球すらツーバウンド、スリーバウンド、ときにはゴロになってしまうような状態だった俺が、冬の間に投球練習を行っていたのはもちろんイップスを治すためもあった。

 でも、それ以上に自分がそこにいることで周りのチームメイトに迷惑がかかってしまうことがとても怖かった。全員がノーミスになるまで終われないパーフェクトノックでは、ミスをする度にみんなから責められるんじゃないか、俺なんかいない方がいいんじゃないかという恐怖が体を締めつけた。そして、その場から逃げるように別メニューに没頭した。一日400球などという数はまともな精神をしていたら投げられない。そうでなくても怪我を危惧して途中で切り上げるだろう。それを可能にしたのは紛れもなく恐怖心や羞恥心だったと思う。

 そんな負の感情と戦い続けた一年目の冬の集大成。ここでダメだったら自分たちの代ですらレギュラーはない、なんてことさえも頭から抜け落ちていた。

 今でも覚えている。ノックバットから発せられるボールを叩く鈍い音。キャッチャーからかかるバックホームの声。土を飛ばして目前に迫る白球。身体の横で捕球する。

 

 そして、気づいたときにはボールは一直線にキャッチャーミットをめがけて放たれていた。


 何も聞こえなかった。世界から音が消えたようだった。何を考えて、何を実行したのか自分でも把握しきれていなかった。それでも三年ぶりに掴んだボールに力が伝わっていく感覚は、時間を経た今でも手のひらに、指先に残っている。

 ボールを収めたミットをこちらへ掲げて見せながらキャッチャー――千田が声を張り上げた。

「ナイスボール、センター!」

 

 ノックが終わるとたくさんのチームメイトが声をかけてくれた。その多くは「よかったな」とか「よくやった」とかそんなありきたりな言葉だった。それでも彼らは俺のことを見ていてくれていたんだと思った。俺が努力していることを知っていてくれたんだと思った。それは今まで味わってきた辛い思い全てを忘れさせた。そしてそれは、仲間が自分のことを認めてくれたことを感じられる最高の瞬間だった。

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青春では終わらせない ichi @ichi

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