第十六話

 高校で野球をやるつもりはそんなになかったと思う。

 けれど、見学と称された体験入部はいつのまにか本入部に変わっており、内心騙された気分だった。

 それでも公立の、しかも進学校であればそれほど厳しくもないだろうとたかをくくっていた。

 端的に言えば舐めていたのだ。高校野球も、自分の野球に対する気持ちも。

 結果から言ってしまえば高校野球は甘くなかった。

 まずボールが飛ばない。軟球と硬球でこうも違うものなのか。筋力がない新入生たちはバットの先や根本に当たると、手を抑え唸る。芯に当てない限りは前に転がすことすらままならない。

 先輩投手の投げる球は球速でいえば130km前後。しかし、人が投げる生きたボールというのは数字以上に見える。

 入部してからの一、二か月は基本的なことすら先輩に追いつけず、悔しさを噛み締める日々が続いた。

 何年か前に新しく就任したという若い監督はコーチングに関しては頼れる人だった。

 入部したての頃に投げられない旨を伝えると守備練習の際には別メニューを用意してくれ、投球の指導も行ってくれた。

 ようやく硬球にもなれてきた頃になって、一度目の夏が到来した。

 足の速さを買われた俺は、代走要因として最後の背番号20番をもらい、初のベンチ入りを果たした。

 本来なら喜ぶべきことだ。

 同級生は言わずもがな、二年生ですらほとんどがあぶれるなか、背番号を獲得したことを喜ばないはずがない。

 千田という男がいなければ、だが。

 千田は一年生ながらその体格に違わない豪快なバッティングを入部当初から披露していた。しかも、ただ豪快なだけではない。捕手であることもあり、試合の局面に応じた柔軟な打撃ができる。

 狙うべきところは狙い、確実さを求められればより繊細に。洗練された豪快さとでも言うのだろうか。

 とにかく一年生の、いや、野球部全体で見ても頭ひとつ抜けていたと言っていい。

 加えてキャッチャーである千田は肩も強く、俺には俺にないものを持っている選手をそのまま具現化した存在に思えてならなかった。

 夏の大会では四番を任された千田。一回戦から大会注目の投手擁するチームと当たり、見るからに意気消沈といった面持ちで試合に臨む先輩らと異なり、この男は動揺したそぶりを全く見せず、一打席目に150kmに迫る剛球に対し、数えきれないファールで粘ったのちにフルスイングの三振を喫した。

 俺が驚愕したのは、動揺しないメンタルでも、ましてや150kmにいきなり合わせたことでもない。

 俺は確信している。あのフルスイングは計算だったのだと。

 いつもの千田であれば、あそこまでの球に対して長打を狙っていこうなんて考えるはずがない。あのときあいつは、俺たちの、勝てるわけないと思っている先輩らの士気を上げようと意図的に大きく振ったのだ。

 結果としては三振だったが、そのある意味驕りともいえる、強者に対する不遜な態度が、負けてしまったとはいえ、一点差の接戦にまで持ち込ませたのだ。

 初めての公式戦、初めての高校野球の夏でここまで冷静に自分の役割と、チームの状態を観察できるほどの自信をこいつは有している。

 その自信の源を知るのはもう少し後になってからだ。 

 

 

 


 

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