第三部 回想

第十五話

 野球を始めたのは小学校四年生のときだった。

 誰に言われるでもなく、仲の良い友達がやっていたからというごく平凡なきっかけだ。

 周りに比べると始めたのは遅かったが、美羽へのライバル心や身体の成長もあり、ぐんぐんと上達した。

 中学入学後はチーム唯一の左投げで投手として期待されていた。

 同じ一年生が声だしなどをやらされているなか、ひとりだけブルペンに入るのは気が引けたが、それでも優越感を感じなかったと言えば嘘になる。

 先輩たちが引退してからはキャプテンを任された。

 謙遜ではなく、キャプテン気質ではなかったと思う。

 ただ、目立ちたがりやな性格や中学生特有のノリがそうさせたのだろう。

 しかし、中学二年の夏。

 キャプテン就任直後に、太ももを肉離れしてしまった。

 これだけならまだしも、なんとか新人戦に間に合わせようとした俺は、無理をして怪我を長引かせてしまった。

 その結果、俺はフォームを崩し、投手どころか外野からセカンドまでの送球すらままならなくなってしまった。いわゆるイップスだ。

 冬があけてもまったく改善されず、監督は俺に投手を諦めてバッティングに専念するようにいった。そうでなければレギュラーもない、と。

 試合で負けたとき以外に涙を流したのはあれが最初で最後だ。

 当時マネージャーだった美羽の態度がおかしくなっていったのもこの頃からだったと記憶している。

 それでもできなくなったのは送球だけだと割りきり、バッティングの強化はもちろん、持ち前の足の速さを生かした守備範囲でチームに貢献しようとした。

 また、このときから声で貢献しようと守備やベンチにいるときには最大のボリュームで発声するようになった。

 そして三年生の夏、最後の地区大会では準決勝まで進んだ。

 ゆいが父親と見たというこの試合は俺にとっても思い出深いものだ。

 何せ決勝点はセンターを守っていた俺のところに飛来したフライによるタッチアップだったのだから。

 そのときの記憶はあまり鮮明ではない。

 けれど最後まで声を枯らさなかったこと、試合が終わったあとに悔しさと、申し訳なさから泣いたことは覚えている。

 小学校でも、中学校でも傑出して上手かったわけではないものの、結局はレギュラーを外されることもなく、自分はそれなりにやれるのだと思っていた。投げられずとも守備やバッティングで何とかなると勘違いしていた。

 高校であいつと出会うまでは。




 

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