第十四話

「なぜ部活に顔を出さない」

 攻め立てるような口調ではなく、純粋に疑問を問うような顔の千田。 

 ストレートな質問に千田の隣で柄にもなくかしこまった様子の美羽が慌てたように嗜めている。

「千田君、それは……」

「それはも何も俺はこれを聞きにきたんだ。なぜ新川は部活に出ないのか。はっきりさせないことには皆練習に身が入らんからな」

 そうだ。千田はこんな奴だった。

 チームが勝つことを第一とし、そのためならどのような努力も厭わない。

 ときに同級生にも厳しい言葉を投げかけるが、こいつが自分にいっとう厳しいのを誰もが認めているから文句は言わない。言えない。

「美羽、別に俺は大丈夫だ」

 怯えたようにこちらを伺う美羽は俺の言葉で多少安堵したようだ。

 前に野球をやるかどうかわからないといったことにショックを受けていた美羽だが、それ以来俺に対する態度が軟化しているようだ。

「で、千田。俺が部活にいかない理由だが……」

「ああ」

 一呼吸おいて一気に言葉を紡ぐ。


「野球がつまらないからだ」


 ここまで憮然とした表情を崩さなかった千田の頬がぴくりと反応した。

 美羽も驚きに目を見開いている。

 暗い感情が夜の冷気のようにぞわぞわと這い上がってくる。

 それに支配されてしまう前に早くこの場を離れたかった。

「これで満足か」

 俺は再び自転車にまたがると、

「待って!」

 美羽が呼び止める声が、住宅街に響いた。

しぶしぶ振り返ると、わなわなと震える両手の拳を握りしめ、うつむいた美羽が俺ではなくアスファルトを睨み付けていた。

 「……野球がつまらないってどういうこと」

 ようやく絞り出した言葉は表情とは裏腹にか細く、今にも途切れてしまいそうだ。

 千田の視線、美羽の言葉、そして四月の夜風の冷たさを一挙に受けとめる。 

 それぞれの考え、想い、役割は違えど心を冷やすという点において、俺にとっては同義のものだった。

「説明不足だったな。俺が言いたかったのは、、ってことだ」

「そんな……」

「美羽、この前俺にもう野球はやらないのかって聞いたな。やるよ、野球。でもそれは今じゃないしお前らとでもない。高校野球は一足先に引退ってことだ」

 少なくない自嘲の意を孕んだ俺の言葉に美羽は口をつぐんでしまう。

 代わりに黙って聞いていた千田が口を開いた。

 そのときの千田の顔を俺は今でも忘れられない。

 侮蔑と軽蔑と嘲笑と哄笑と憐愍と哀憐と惻陰と。

 とにかくありとあらゆる見下した表情をその顔に見た。


「よう格好つけたもんだ」

「……なんだと」


 千田は最初に会ったときからの印象を根こそぎ改変してしまう表情と声色で迫ってくる。

「だってそうだろう。お前が野球をつまらなく思ったきっかけははっきりしている。お前も自覚しているだろう。それを俺らに明確に伝えることもできないやつが今じゃないだの、引退だの格好つけている。これがお笑い草以外の何だと言うんだ」

 自我を支えていた柱が感情という重石によって崩れ去っていく。

 自分が何を言いたいのかもわからないままに、俺は千田に詰め寄っていた。

「……ふざけるなよ」

「…………」

「ふざけるなって言ってんだよ!」

「ちょ、ちょっと慶!」

 焦ったように止めに入る美羽の声で俺はいつの間にか千田の胸ぐらを掴みあげていることに気がつく。  

 俺よりも身長の高い千田にとっては掴まれているだけのように感じるだろうが、それさえも今は胸糞悪さに拍車をかけているだけだ。

 手放した自転車は倒れ、籠に入っていた鞄から教科書やらノートやらが散乱してしまっている。

「お前が……お前が、もっと……」

「俺がもっとチームを上手く回せていれば、こんなことにはならなかったのか」

「…………」

「甘ったれるなよ」

 千田は自分の胸から俺の手を外す。その手はまめとたこをつくっては潰しての繰り返しによって、ゆいや俺なんかとは比べものにならないほど固かった。

 背を向けて歩きだした千田を呆然と見つめていると、後ろでがさがさと音がする。

 美羽が散らばった荷物をまとめて、自転車を立て直していた。

 ふと、「このノート……」と手をとめたように見えたが、すぐにこちらに向き直る。

「ごめんね、勝手に千田君連れてきて」

「……ああ」

「それにしてもあんなにストレートに聞くとは思ってなかったけど。それに慶の答えも……」

「だな」

「だよね。あっ、もうここだから。……じゃあ、またね」

 最後まで妙に取り繕ったような、らしくない態度だったが、今の俺にはどうでもいい。

 千田の言葉が延々と頭の中をループしている。

 停止した思考のまま、体だけが帰巣本能に従って家を目指している。

 道の両側に並び立つ家々を灯す光は、そこに住む人びとの心まで照らしているのだろうか。

 俺にとってのそんな灯火は家に帰ってもたぶんない。

 闇におおわれた春の夜。

 薄明かりに足元を照らされながら、自転車を押して家路をたどった。

 











 

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