第十話
車窓の外に流れる景色をぼんやりと眺めていた。前から後ろへ、次々に移り変わっていく景色を見ているだけの行為なのに、俺はそれが嫌いじゃない。
どこにでもあるような地方都市の風景。
昼過ぎの日射しは雲にさえぎられ気味ではあるが、朝ほどのひんやりとした空気は感じない。
ただ、寒くないという一点に関していえば、理由はそれだけではないようにも思う。
俺の隣にぴったりとくっついている小さな女の子——ゆいにも起因しているのはまちがいない。
さらさらとした長い黒髪に人形のようなつくりの顔。
意志の強そうな瞳が今は甘えている猫のように細められている。
「ゆい、暑くないか?」
「はい! 全然大丈夫です」
「そうか……」
遠回しに俺が恥ずかしいということを伝えたかったのだが、小学生にそこまでの読解能力を求めるのは酷だったかもしれない。
それにけして嫌ではないのだ。
誰かに慕われる、信頼されるということをこれほどすんなり自分が受け入れることができるとは思っていなかった。
まあ、ゆいと俺との関係がそこまでのものかどうかは疑問ではあるが……。
そうこうしているうちに目的の場所に到着したようだ。
まっすぐ前を見ているので表情はうかがえないけど、きっとあのにこにこした笑顔を浮かべているであろう花蓮さんが、
「さあ、着いたわよー」
駐車場に停車した車から降りると、まず最初に目に飛び込んできたのは大きな直方体型をしたショッピングモールと思しき建物。
こちら側に突き出している角の部分だけ四角柱になっており、有名総合スーパーのロゴが入っている。
「うわあ……。おおきいところですね……」
「あれ、ゆいはここ来たことないの?」
「はい。はじめてなので楽しみです!」
「そっか。そういえば俺も久しぶりな気がするなあ……」
そもそも今の状況で外出すること自体が稀なんだけど。
ゆいと出会ってから一週間。
外に出たのは数えるほどだけど、なぜか自分がいま部活も学校すらも行ってないということを実感することが少なくなった。
もちろん今朝美羽に会ったこともあるんだろうけど……。
「行きましょうか」
花蓮さんが先頭に立って歩きだす。
「俺たちも行こう」
もう小学校も高学年なので大丈夫だとは思っても、ゆいのその小柄な身長もあって一応声をかける。
するとゆいは頬をほんのり赤らめて面はゆそうにしていた。どうしたんだろうか。
「あ、あの…………」
「どうした?」
もしかして気分でも悪いのだろうか。けっこう長い間車に揺られていらから酔ってしまったのかもしれない。
しかしそれとなく訊いてみるが首をぶんぶんと振られてしまう。
しばらく俺も花蓮さんも立ち止まって様子を見ていたが、やがて顔をあげると、
「新川さん! 手をつないでもらえないでしょうか……!」
「え。手?」
「は、はい……。だめ、でしょうか……?」
「い、いや全然だめじゃないよ! ほ、ほら」
瞳に涙をためてこちらを見あげるゆいのお願いを断ることなんてできるはずもなく、俺はぎこちなく手を差し伸べる。
「……!」
ぱっと表情を明るくしたゆいは俺の手をとると離さないといった意思の表れか、ぎゅっと手に力をこめてきた。
というかゆいは意志の強そうな目をしている割にはすぐに泣きそうになるな……。
もしかしてわざとなのだろうか……?
「それじゃあ、あらためて行きましょうか」
そんな俺たちのやりとりも顔つきで眺めていた花蓮さんの再号令で再出発とあいなった。
ショッピングモールのなかは意外に混雑していた。
いや、以外も何も今日は日曜日だ。どうも週末にこういう場所に来るのが久しぶりだったために勘が薄れているらしい。
「さて、なにを食べましょうか」
俺たちがいるのは一階のフードコート。
ここにはラーメン屋や牛丼の有名チェーン、たこ焼きにハンバーガーかつ丼などなど……。
高カロリーなお食事がよりどりみどりだ。
「わあ! いっぱいお店がありますね! どれにするか迷っちゃいますね……」
「俺はなんでも大丈夫だから。ゆいが好きなの選んでいいぞ」
「ほんとですか!? うーんと……」
「新川くんも遠慮しなくていいのに」
「いえ、遠慮とかじゃなく……。割と何でもおいしいと感じるくらいのいい加減な味覚なんで」
「そう? 悪いわね、気を遣わせちゃったみたいで」
そんなことを話していると、
「新川さん、あのお店がいいと思います!」
ゆいが俺の服の裾をくいくい引きながらあるお店を指さしている。
近づいて看板に書かれたメニューを見てみると……なるほど、定食屋っぽいメニューがそろってるな。
腹ごしらえをするにはちょうどよさそうだ。
了承をもらい、「わたしはいいから」といって譲らない花蓮さんからお金を受け取るとレジで注文をすませる。
「いっぱいバット振ったのでおなかペコペコです……」
「なら午後のためにたくさん食べて力つけとかないとな」
空いている席をさがしてようやく三人で座れる場所を確保すると、ほどなくして注文番号を呼び出される。
ふたりには待っててもらい注文の品を受け取りに行く。俺は一番安かったさばの定食。ゆいは生姜焼きだ。
「「いただきまーす」」
「はいはい、めしあがれ」
さばも、ゆいに分けてもらった生姜焼きもなかなかの味だった。
ゆいは大盛りで注文していたのだが、結局食べきれず俺と花蓮さんで残飯処理をする羽目になったのは想定外だったが。
トイレと自分の買い物をすませて、ふたりの待つベンチへ。
(……うっ、自分が運動してないとこうも食べられないのか……)
自身の自己管理能力の低下を嘆くも、食べてしまったものはどうにもなるまい。
「昼ご飯も食べたし、少し休憩したら行きましょうか」
「えー、せっかく来たんだからもっといろんなとこ見たいのにー」
「ゆい、お母さんの言うことは聞いとけよ。それに午後はなるべく早く練習を終わらせないと」
また駄々をこねそうになるゆいをいさめる。
「新川さんが言うなら…………」
それでも残念そうに口をとがらせるゆい。そんなに行きたいお店があったのだろうか……?
まあ、とりあえず今日はお預けだな。情けないけど俺も体調悪いし。
いまだに人混みが解消されることはないなか、ゆいの手をひいて花蓮さんの後についていく。
駐車場にもどってくると花蓮さんが、
「あ、家のお醤油きらしてたの忘れてた……。悪いんだけどふたりとも車の中で待っててくれる?」
「わかりました。気にせず行ってきてください」
花蓮さんはもう一度手刀をきると小走りにショッピングモールのほうへと向かっていった。
「それじゃあ俺たちはなかで待ってようか」
行きたかったところに行けなかった不満がまだ残っているのか、ほっぺたを膨らませたままのゆいは不承不承と言った感じでうなずいてくれる。
俺は苦笑いして、
「そんなに怒んなくてもいいだろ?」
「怒ってません……」
さらにふくれっ面になってしまった。これはどうしたものか……。
悩んでいると、そういえばと思い当たるものがあった。
帰ってから渡そうかとも思ったが、機嫌を直してもらうには今渡してしまうのがいいだろう。
俺はゆいとつないでいるのとは反対側の手にさげていたビニール袋をゆいに見せる。
「……なんですか」
「これはな…………」
ふくろからがさがさやって取り出したのは……。
「じゃーん」
「…………?」
少しテンションをあげつつ登場させてみせたのだが思いのほか効果は上がらなかった。というか恥ずかしい……。サプライズが失敗したときってこんな気持ちなのだろうか……。
はてな顔のゆいに説明する。
「これはバッ手だ」
「ばって? ばってってなんですか。ばったのなかま?」
「違う違う。バッ手はバッティンググローブのことだよ。打つときにつける手袋みたいなやつ。よくプロ野球選手とかが手につけてるだろ?」
「ああ! しってます!」
ようやくゆいにもご理解いただけたようだ。
基本的に野球の人口は男子の比率が圧倒的に高いので、女の子に合うようなサイズと色を探すのに苦労した。
が店員さんに訊いてみるとなんとか見つけることができ、無事購入に至った。
まあ、あげる理由についてはいおいろあるけど、それを言葉にする必要はないだろう。
さっそく箱から取り出したゆいが嬉しそうに手にはめてくれてるだけで報われた気持ちになれる。
「ゆい、今朝の練習でけがしたろ? それですこしでもそれが気にならなければと思って……」
「ありがとうございます! 大切に使います!」
「普段使ってくれればそれでいいよ。バッ手は消耗品だしね」
「そうなんですか……。それでも長く使えるように大事にします」
おお、ゆいよ。
君はスポーツ選手の鑑だ。
なれてくると忘れがちなことだけど、道具を大切にするのは基本中の基本だからな。
心の底からうれしそうに箱をほっぺたにすりすりし始めたゆいを半ば無理やり車に乗せて、あとから俺も乗り込む。
例のごとくゆいはぴたっとくっついてきたが、そこには羞恥というより安堵感のほうが勝っている気がした。それでも恥ずかしいことは恥ずかしいのだけど……。
いっしょにいて疲れないくらいまでには俺とゆいの距離は縮まったのだろうか?
つらつらとそんなことを考えていると、
「お待たせしちゃってごめんねー」
そう言いながら花蓮さんが戻ってきた。
「あら、ゆい。新川くんにプレゼントもらったの? よかったじゃない」
「えへへー」
ゆいは照れくさそうにしながらも花蓮さんにバッティンググローブを見せる。
「新川くん、ごめんね」
「いえ、ゆいにはこっちがお世話になってるようなもんで……。そのうち花蓮さんにも」
「あら私なんかいいのよー。ゆいとこうしてくれてるだけで助かってるんだから」
そういいながら花蓮さんは車のエンジンをかける。
俺たちを乗せてゆっくりと走り出した車はさきほどと同じ道を逆戻りしていく。
どこかへ行くというときに、帰りの道は行きよりも短く感じるのだという。それは風景が一度見たものだから。
しかし今、俺の目に映る風景はたった一時間前のそれよりも、ほのかに色づいているように思えた。
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