第八話

 翌朝。

 昨日と同じように目を覚ますと、いつもより部屋が暗いことに気がついた。朝の7時だったがカーテンを開けると薄い霧のようなグレーの雲がうっすらと立ちこめいていて、日光を遮っていた。寝間着を外用のジャージに着替えて、

 「降るかもな……」

 独りごちながらも出かける準備してあった荷物に折り畳みの傘と雨具をつっこみ、机の上で充電してあったスマホを手に取る。

 すると、メッセージの着信を示す青いランプが光が明滅していた。

 パスを入力して確認してみると、

 『心配なんだけど』

 たったひと言。

 それだけが画面上に照らし出されていた。

 「ある意味怖い……」

 差出人を確認すると、都美羽みやこみわと出ている。

 それを目にした途端にいつものクラスメイトの何の中身もない電子媒体による情報交信とは違う、何かを感じた。

 都美羽は俺の高校の同級生だ。それだけならば特に何も思わないし、放っておくだけなのだがこいつに関しては訳が違う。というよりも年季が違うのだ。そこら辺の同級生とは。

 美羽が住んでいるのは俺の家があるのと同じ通り家二件挟んだところにあるふつうの一軒家。

 家がいくつも並んでいる通りで同い年の子どもの数もそれなりにいたのにもかかわらず、こいつとの付き合いだけが特別なのは野球があったからだった。

 俺が小学校のときに所属していたチームには先に美羽が入っていた。それがきっかけで俺たちはすぐに打ち解けた。

 はじめはセンスや経験の差から美羽には到底及ばなかった俺だが、体ができてくるにつれ俺が勝ってくると、よく嫌味を言われたものだ。

 『あたしの方が野球好きなのに』

 『いや俺の方が好きだね』

 『何だとー!』

 このやりとりはもはや定番でチーム内でもムードメーカーとしていつもチームを明るくしてくれた、そんな性格のやつだ。

 しかし中学にあがって美羽がマネージャーになり、二年になって俺がキャプテンに指名されたころからあいつの俺への態度が徐々にきつくなっていき、ついには同じ高校に進学、同じ野球部に入部したのに、ほとんど口も利かなくなってしまった。

 理由はわからない。

 なんでもかんでも思春期という言葉で片づけてしまうのは好きではないのだが、これがそうなのかも。

 とにかくそんな状態にあったはずの幼馴染からの連絡である。

 どう返すか、それとも返さないかでしばらく頭を悩ませていたが壁掛けの時計を見るとすでに30分を過ぎている。このまま悩んでいても答えは出まい。スマホをジャージのポケットに突っ込むと荷物をひっつかんで階段をおり、洗面所で顔を洗う。

 玄関へ急ぐ途中で母さんの朝食を勧める声が聞こえたが、いらない旨を伝え庭先の自転車を取りにいく。

 外はあいかわらず薄暗くひんやりとした空気が身を包むが、運動をするにはちょうどいい気温だろう。

 今日はどんな練習をしよう。どうすればゆいに上手く教えられるだろうか。

 あれこれ考えながら自転車をこぎ出そうとした。

 「待ちなさいよ」

 突然後ろからかけられた声に俺は聞き覚えがあった。

 おそるおそる振り向いてみると、そこにいたのは……

 「美羽……」

 「二週間ぶりね」

 高校の制服に身をつつみ小さめのエナメルバッグをななめがけにした、先ほど俺が確認したメッセージの差出人そのひと。すらりと健康的にのびた足。亜麻色がかったポニーテールがゆれる顔にはまなじりがつりあがった目が印象的な、都美羽がそこに立っていた。

 「…………」

 「ひ、久しぶりだな。どうしたんだ、こんな朝早く……」

 「こんな朝早くだぁ?」

 腹の底からとどろかせるような声色に思わず情けない悲鳴をあげてしまいそうになるのを堪え、強がってみせる。

 「……な、なんだよ。訊いただけだろ」

 「少し見ない間にずいぶんと府抜けたみたいね。あたしは練習よ。れ・ん・しゅ・う」

 「そうか……それはご苦労様」

 「あんたそれが二週間も無断で部活どころか学校休んでるやつの言うことなわけ? あたしは家が近いからいいけど、みんな心配してるんだよ? 無責任だと思わないの」

 その言葉は他のやつに言われたら堪えたのだろう。しかし長年の付き合いがある美羽に対してはいい意味でも悪い意味でも俺の沸点は低かったようだ。カチンと来て大人げなく反論する。

 「無責任って……俺の問題だろ! 俺が決めて何が悪い」

 つい先日もこんなやりとりをしたことを思い出した俺は、ついでにこうも言っておく。

 「お前らにはなにも押し付けてないし、迷惑もかけてないだろ」

 「迷惑はかけてないって……」

 怒り心頭といったようすの美羽はきっと俺をにらみつけると、まるで今まで話さずにため込んでいた不満のダムが決壊したかのように激高した。

 「あんたそれ本気で言ってんの!? なにも押し付けてない? ふざけないでよ。あんたがいなくなってみんながどれくらい心配したか考えたことあんの? あんたはいつもそうだよ。友達のこと考えてるふりして結局は自分が一番かわいいんだ。だから自分の好きなようにやろうって……」

 「うるせえよ」

 俺の声は決して大きくはなかったと思う。それでもそのひと言にこもったさまざまな感情の重さを美羽も感じたのか、うっと押し黙った。

 それでもまだ言い足りないのか、ぼそっとこぼした呟きが俺にも届いた。

 「……あんとき何があったのか知らないけどさ。戻ってきてよ」

 「…………」

 沈黙がその場を支配した。

 最後の言葉は美羽の純粋な気持ちだったのだろう。それは家族同様、小さな時間をひとつひとつ積み重ねてきたからこそ分かる。美羽のことだからこそ分かるのだ。しかしその関係をつくりあげることを俺に強いてくるような目には、もう遭いたくない。

 「心配とか……頼んでない」

 「…………」

 「それに、よく考えてみれば高校は義務教育じゃない。俺が行かなきゃならない理由は元からないんだ。入学式の日に校長も言ってたろ? 『やる気がなければ退学してもらって結構です』ってな」

 「まさかあんた……」

 「そこまで考えてるわけじゃない。今は他にやることがある。面倒なことはそのあとでじっくり考える」

 「……そう」

 うなだれる美羽にかけてやれる言葉を俺はもたない。こんなふうにしてしまったことについての罪悪感はもちろんある。けれど責任と言われればそれは違うとはっきりと言える。

 心配。それは一方のおせっかいだ。

 ひとは一人では生きていけない。舛田先生はそう言っていたけど、心配の押し売りをする空気に流された名もない集団には頼りも、頼られもしたくない。

 憤慨する俺をよそに最初の勢いはどこへやら、美羽が弱々し気に尋ねてくる。

 「……じゃあ慶はもう、野球やらないの?」

 顔は精いっぱい強がってはいるが、その寂しげな瞳と声色でなにを想っているのかは手に取るようにわかる。わかってしまう。

 けれど、俺自身よく理解できていない問題に答えを返すことはできなかった。

 「……わからん、としか」

 「……そっか」

 こいつとちゃんと話したのは本当に小学校以来かもしれない。それがこんなことになってしまったのは残念だけど、仕方ないことだ。

 見ての通り美羽は我が強くて意地っ張りで口も悪いけれど、決してひとを傷つけたいがために言葉を弄しているわけじゃない。

 その目はいつも周りに視線を巡らせて、誰にでも気を配ることができる。それは物事に集中してしまうと視界が狭くなってしまう俺にはないものだ。

 「おまえはマネージャー、続けろよ」

 「……うん」

 時間を確認すると約束の時間の5分前くらいだった。

 そのままスマホに少し遅れるとゆいに伝えてほしいと、この前教えてもらった花蓮さんのアドレスに送信する。

 住宅街を吹き抜ける冷たい風がほおをなでた。

 別れを告げ再び前を向くと、自転車をこぎだす。

 引き留める声はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

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