第三話
あたたかな日差しが降りそそぎ、比較的温暖な天気が続いていた。
快晴とはいかないまでも、充分に青く澄みわたっている空は天候が不安定な季節である春とは思えないほどにどこまでも広がっているような気がした。
街外れのとあるバッティングセンター、「花城ベースボール」
それはどこにでもあるような田園風景の中にぽつんと取り残されたように建っていた。
トタン屋根の小屋のような建物に覆いかぶせたようなネット。
その建物と向かい合うかのようにネットの中に納まっているのは、きれいに横一列に並んだピッチングマシンを雨風から防ぐための、これまた手作り感溢れる屋根だ。
つまり「花城バッティングセンター」は最近の主流であるピッチャーの映像を流すマシンもなければ、お客さんが雨でも使用できるような屋内型でもない。
昔ながらのバッティングセンターといったところだ。
ここは俺が昔から親父によく連れてこられていた場所でもある。
まだ野球を始めて間もないころ、野球は小学校のときにかじっただけの初心者である親父はよく俺にこう言ったものだ。
『いいか、慶。打席に立ったらバットは思いっきり振れよ? バントなんかしても面白くないからな。ヒットやホームランを打ってこそ野球の醍醐味ってもんよ』
心底楽しそうな父親の顔は今でも忘れられない。
中学でキャプテンを任されてからも、チームの方針で俺が勝負の行方を左右する局面でスクイズを自らやったときには夜通し文句を言われたこともあった。
『なんであそこで打つ以外の選択肢が出てくるんだ! それだからお前は……』
そのときは父親も酔っていたし、俺も俺でキャプテンとしての責任感からか何なのか反抗したのだが結局言い負かされてしまった。
翌日親父は母さんに死ぬほど怒られたという笑い話付きだ。
本当に呆れたものである。
打つことだけが野球の楽しさではないし、打てないことよりも試合に勝てないときの方が悔しいということを今は知っている。
ただそのときは父親として息子に活躍してほしいという親心の表れだったのだと思う。
単純にその方が楽しいんだということを伝えたかったんだと思う。
こんな言い方をしてはいるが父親は健在だ。
ただ真面目一徹のあのひとは俺の現状をよく思っているはずがなく絶賛仲違い中だが……。
そんな回想にふけっていると、バッティングセンターの受付兼事務所のようなところに案内された俺の隣に座る花城さんが俯きながら、小さなこぶしを行儀よくそろえた脚の上でぎゅっと握っているのが目に入った。
「……花城さん?」
「…………」
反応がないな……。もう一度問いかけてみる。
「花城さん? どうかした?」
「…………っ! はい、なんでしょうか!」
はっと気がついたように顔をあげこちらを向く花城さん。
いや、特に大した用事はなかったんだけど……。
「ごめん、驚かせちゃったかな?」
「い、いえ。とんでもないです! ただ……」
「ただ?」
「あ、あの。その……お母さん遅いですね!」
「う、うん」
確かに遅い。先ほどここに案内されてから花城さんのお母さんはお茶を入れに行くと言ってどこかに行ってしまった。
事務所の隅にも簡易的なキッチンは備え付けられていてお茶を入れるだけならそこでも用は足りると思うのだが。
「花城さんは……」
「あ、あの!」
「は、はい!」
気負いこんで上半身をこちらに乗り出してくる花城さんにびっくりして体をのけぞらせてしまう。ついでに敬語になってしまった。
しかしここで立ち上がってしまうわけにはいくまい。
なぜなら勢い余った小学生の両手が俺の太ももにしっかりとつかれてしまっているからである。
ちなみに花城さんは興奮しているのかその事実には気がついていない様子。
子どもを危ない目にあわせまいという俺のとっさの判断はさすがだと自画自賛したい。
それで……
「それで、なにかな?」
花城さんが家に来た時と同じようにできるだけ言葉尻を柔らかく尋ねてみる。
このくらいの年齢だと言われたことを一生気にしてしまうかもしれないからな。そんな重い罪は背負えないし、積極的にそうしたいとも思わない。
花城さんはさっきと同様、俯いていた。
だが今回は思い詰めているというより、恥ずかしがっているようにも見えるな。
小学生くらいの子は表情がころころと変わって、見ていてすごく楽しい。長いストレートの黒髪に、儚げながらも意志の強そうな目が特徴的な可愛らしいつくりの顔。
人形のような容姿の子が次々に感情をあらわにしていく様は心が洗われるようだ。
こんなことを考えるようになるなんて俺ももう年かな……?
「……さん。新川さんってば!」
「はっ!」
いかんいかん。
ぼうっと見つめていたせいか怒っているせいか、俺の目の前で少し頬を膨らませた花城さんがまっすぐに俺を見つめている。かわいい。
「ごめんごめん。で、なんだっけ?」
「だから、名前で呼んでほしいんです!」
へ? 名前?
「それって……」
「花城さん、だとお母さんのことなのかもって思っちゃうんです。だからわたしのことはゆいって呼んでください」
「えー……」
ゆい、かあ……。
いや、そりゃあ本人の許可というか命令なら呼ぶのはやぶさかじゃないけど。こちらも小学生とは違う意味でお年頃。
いくら相手が年下だとはいえ、女の子を名前で呼ぶのはかなりの勇気を要するんだ。
そのことを一生懸命説明したのだが、最初の神妙な態度はどこへやら、当人は呼んで呼んでと駄々をこね始める始末。
仕方がないのであまり人が多いところでは名字でという要求を渋る彼女に無理矢理飲ませて、交渉成立と相成った。
と、そこへお盆に二つの湯飲みとジュースのらしきものが入ったコップを乗せた花城さんのお母さんがタイミングよく戻ってきた。
「あらあら、二人とも仲良くなったみたいねー。まるで兄妹みたい」
お盆を脇にあるテーブルに置くと、にこにこ顔のお母さんは片手を口に当ててふふっとほほ笑んだ。
そこで俺はゆい(やっぱり恥ずかしい……)が俺の方に身を乗り出しており、それを受け入れている形になっていることに改めて気づかされる。
紳士であるところの俺はこんなことで動揺するほど肝が細いわけではないが、確かにずっと取っていて良い態勢でもないだろう。
ゆいを見ても指摘されて初めて自分の態勢に気がついたのか、顔を真っ赤にして下をじっと見つめている。
「ご、ごめんな。俺が気がついてやれば……」
「いえ、わたしのせいです……」
き、きまずい……。
その空気を作り出した張本人のお母さんは青春ねぇなどと言いながら湯飲みを俺の前に置いてくれた。娘の身の危険を案じなくていいのか母親よ。
「……んんっ! それで、何かお話しがあるんですよね」
いつまでも石のように固まって動かないゆいを隣の椅子に座らせて、さっそく本題に入るように促す。
それを聞いたお母さんは先ほどまでのほんわかとした雰囲気から一辺、険しいとはいかないまでも怒りと困惑がない交ぜになったような表情になった。
口に当てていた手をゆっくりと両ひざの上で組み直し、声を荒げまいとしているのかやけに静かでゆったりとした口調で話し始めた。
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