*3*小動物とあたし

「ユキさん、こんにちは~」


 絶対に来てやるものか――ふにゃふにゃした笑顔を前に、それは無駄な意地に過ぎなかった。

 そういや家路だったわ、とも気づいて早数日。今日もバイト帰りに、セツという小動物の相手をしてやっている。


「真冬ですねぇ」

「ソダネ」


 空は茜。場所は変わらず噴水広場。

 この極寒で、何が悲しくて巨大オブジェをバックに並び座るのか。理由は簡単。あたしがお礼を断ったから。傘返しただけで大げさだし。

 けどセツは違った。それっきりになることを妙に拒んだ。おしゃべりのかたわら真意を探ってみたものの、何もわかりゃしない。


「寒いですねぇ」

「真冬だからね」

「……ユキさん、ぎゅってしましょうか」

「やろう、あたしの体温強奪する気か」

「そんなつもりは! 冬は人肌が恋しくなるって言うじゃないですかぁ……」

「つまりは自分がぬくぬくしたいだけだろ、慢性冷え症患者」


 セツは、極度の冷え症である。マフラーや手袋、ダッフルコートは必需品。

 だからかもしれない、スキンシップを求める言動がやたら多い。やつが小動物たる所以だ。

 中学生坊主のたわむれと、受け流してきたが……。


「もう歳かなぁ」

「ジジくさいこと言うな」

「あはは。人間って、20歳過ぎると老化する一方ですからねぇ」

「そんなのんきな……ハタチ?」

「ぼくの脳細胞なんか、あとは死滅するだけです」

「ちょ、セツ……」

「若いころに、もっと頭使ってればなぁ~」

「ちょっと待て、セツ!」

「はいっ! なんですかユキさん?」


 くりくりっと丸いチョコレート色の瞳が、やけに輝いてあたしを映す。


「あんたさ、何歳?」

「今年ですか? う――――ん……」

「そこ即答! 自分のことでしょ!?」

「でもぼく、忘れっぽいし…………あ、大学は卒業できたような気がします」


 ……大学、だと。マジで。じゃあ。


「大丈夫。ぼくと違ってまだ2年は余裕があります。今のうちに元気な脳細胞をたくさん作ってくださいね、ユキさん!」


 この男が、歳上……だって……?


「ないわー……」

「え、ユキさん?」

「あの……?」

「さん付けやめて。あと敬語も」

「そんなっ! おこがまし」

「くない! 歳上ならそれなりに威張れや! まぎらわしい!!」


 童顔だし、背も高くないし……大人って、子供とあれば担任みたいに小言垂れるやつらだと思ってたから……こんなの、反則だ。


「ユキさん、怒らないでくださいぃ……」

「…………」

「ユキさーん……」

「…………」

「……ユキ」

「っ!」

「ちゃん」

「……何だそれ」

「う、すみませ……ごめ、ん。女の子とこんな風に話すの、慣れてない、です、はい」


 おい待て、それが散々ハグだの何だの要求してきたやつのセリフか。

 振り返ると、セツは足元に視線を落としていた。ココアカラーのシューズを見つめる瞳が、泳いでいる。

 いっつもぽわぽわ花畑浮かべてるくせに……シャイにもほどがあんだろ。こっちが恥ずかしくなるわ……!


「よし決めた。セツ、歳上らしくもっと堂々として。あたしも子供扱いやめるから」

「あ、ぼく子供扱いされてたんだ」

「歳上はそれなりに敬う主義なの」

「っはは!」

「……何」

「ユキちゃんは、真っ直ぐだなぁと思って」

「歳上敬うのは、相手選ぶけど」

「でも、その中にぼくは入れてくれてるんでしょ?」


 ああ言えばこう言う。そうだ、セツは揚げ足取りのスペシャリストだった。


「舞い上がりたくもなるよ」


 ……挙句、頭をなでる、とか。


「とりゃっ」

「あたっ!」

「たかだか小娘ひとりに持ち上げられて、バッカじゃないの?」


 歳上らしくしてとは言ったが、子供扱いを許可した覚えはない。

 抗議の意味でデコピンしてやった。……のだが。


「そうだね。おめでたいって、よく言われる」

「あんたねぇ……」

「ユキちゃんだからだよ?」

「……なっ」

「ユキちゃんだから。素っ気ない言葉でも、ちゃんと聞いてればわかる。すごく真っ直ぐな女の子なんだって」


 あたしが、真っ直ぐ? どんなフィルターかかってんのよ、あんたの目は……。


「ユキちゃんは、すごく優しい。ぼくにはわかるのです」


 ……ああ、これは末期だわ。


「あっそ。……学校行こっかな」

「あれ、もうそんな時間? 行ってらっしゃーい」

「……セツ、あたし学校に行くんだよ?」


 期待してるわけじゃない。セツのことだから、いつもみたく「そんなー!」って泣きついてくるはずだったんだ。


「ふふっ、引きとめないよ。また会えるから」

「言うようになったな」

「オトナの余裕というやつです」

「にわか仕込みが。明日寒いらしいから、あたし来ないからね」

「うん、お待ちしております」

「お願いだから、言葉のボールをキャッチして」

「待ってる。優しいユキちゃんのことだから、きっと来てくれるんだよね?」


 有頂天にもほどがあるんじゃなかろうか。

 いや調子に乗っているからこそ、今のセツに何を言っても無駄なのか。


「……気が向けばね」


 ほぼ敗北宣言を置き土産に、背中を向ける。


「行ってらっしゃい!」


 冬風に乗ってきた言葉は、あたしの髪を舞い上げ、耳朶をかすめた。

 妙なくすぐったさに空を仰げば、宵の空が茜を染めつくす直前。

 髪をなびかせる夜気に、しばし耳の熱を冷ます。

 やがて灯りをともした街灯のシルエットへ、1歩、影を溶け込ませた。

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