【完結】ユキイロノセカイ

＊2＊再会と初めまして

　氷点下のすきま風に、否応なく叩き起こされる。

　しばらくボーッと呆け、数秒かけて、ボロっちい天井の木目を見上げていることに気づいた。

　いつもの朝……のはずが、胸に居座る違和感。その正体は、枕元に置いた携帯を目にしたとたん判明。

　布団を跳ねのけ、飛びついたディスプレイへ釘付けになる。

「12月、1日……おいおいおい、ちょっと待って……？」

　ホント待ってよマジ。あたし、トラックに跳ねられなかったっけ？　アレは夢？

　仮に壊滅的な疲労が溜まっていたとして、何日か丸々寝過ごすとかならわかるよ。

　けどさ、どこをどうしたら、あの夜――23日より3週間以上も遡るわけ？

　さっきからつねってる頬は痛いし、右手のガラケーはこのスマホ時代、なけなしの貯金をはたいて巡り逢った相棒である。1ヶ月と経たずお役御免なんざ、あってたまるか。

　おまけにだよ、枕元に大事に大事に置いてあった相棒の隣に、悠々と寝そべっていたものは。

「――っ！？」

　弾かれたようにカーテンを開く。

　朝陽が射し込むそこは、一面の銀世界。

「……大雪。確かに、1日は降ってたな」

　そうだ、この日はあいにくの積雪で、バイト先の喫茶店が臨時休業になった。

　店長からメールをもらい、喜んで二度寝にふけったものだけど……。

　ピロリン。

　携帯が光り、開くまでもなく立ち上がる。

　あの日は出掛けなかった。だから、今度は出掛けてみよう。

　根拠などない期待を胸に、あたしは枕元に寝かされていたもの――クリスマスカラーの傘を拾い上げるのだった。

　　＊　　＊　　＊

　淡青色に広がる低い空のもと、轍（わだち）を探しながら、純白の道をすり足で行く。

　コートやマフラーで防備しても、呼気を凍らせる冷気が肌を突き刺す。

　電光掲示板の前で人の大群がため息をつく駅を通りすぎ、ビルが林立する中央街へとやってきた。

「……やっぱり」

　あたしが跳ねられたはずの横断歩道。

　通行止めになっていなければ、脇の電柱に花束が手向けられた様子もない。

　それは何の変哲もない、〝12月1日〟だった。

　首を巡らせても、やはり一面銀世界。闇雲に歩いたって意味なんてない、と高をくくっていたけど。

「…………ウソ」

　……いた。あの少年が。

　さすがに都合が良すぎでしょ、と首を振ったものの、今一度まばたきをして愕然とする。

　雪にまみれた歩道の先、ちょうど拓けた広場の中央に、氷の巨大オブジェと化した噴水が鎮座している。

　そのレンガ造りのへりに腰かけるのは、ひとりの少年。

　猫のように背中を丸め、マフラーに鼻までうずめていれば、わかりにくいったらありゃしない。

　だけどおあいにくさま、黒いクセッ毛とチョコレート色の瞳には、見覚えがありましてね。

「ねぇ、ちょっといい？」

「はい？」

　確信を胸に、ひと声かけてみた。

　返ってきたのは、「えっと……？」と傾げられたキョトン顔だ。

「これ、あんたのでしょ」

「え……あっ、ほんとだ！　わざわざすみません、ありがとうございます！」

　傘を受け取るなり、慌てて立ち上がる。そうして直角にお辞儀したそいつを、まじまじと観察。

　オレンジのマフラー。ミルクティー色のダッフルコート。バニラホワイトのスリムジーンズに、締めはココアカラーのシューズと来た。

　甘い。甘すぎる。でも、愛嬌のある顔立ちで笑いかけられたら、なぜか許せてしまうという不思議。

　目線が近いから？　平均行くか行かないかのあたしが、ちょっと上目で見るくらいだ。成長期に片足突っ込んだ男子中学生がこのくらいの背丈だろう。

「失くしてて困ってたんですよねぇ。ほんと助かりました」

「……失くしてた？　あたし、あんたから貸してもらったんだけど」

「あれ、ぼくたち、会ったことありましたっけ……？」

　ちょっと待ってよ……あたしのセリフだっつの。

　あの夜、見ず知らずのあんたが傘を差し出してきて、それから……目が覚めたらこんなことになってて。

「どうもぼく、忘れっぽくて。申し訳ない……」

「…………」

　嘘をついているようには見えない。

　釈然としないけど、仕方ない……か。

「いや、いい。傘貸してもらって助かったの、事実だから」

「ほんとですか？　よかったぁ！」

「っ……」

　いきなりふにゃっと笑うな。小動物か。

「とにかく、そういうことだから」

「あ、待ってください！」

　何だ、用は済んだのだが。

　無言の訴えを知ってか知らずか、そいつはおずおずと口を開く。

「あの……お名前を、聞いてもいいですか？」

「赤の他人にホイホイ名乗る名前なんぞ、持ち合わせとらん」

「わぁあっ、待って！　わかりました、わかりましたからお願いです、待ってください！」

　何がわかったんだよ、と問うより先に、腕にしがみついてきたそいつが声を上げる。

「セツです！」

「……何がです？」

「ぼくの名前です、セツって言います！」

　だからあたしの名前も教えろと、言外の要求か。

　何だこいつ、あたしごときに必死になりおって。

「はぁ……ユキ」

「ハーユキ、さん？」

「ため息までカウントすんな！　あたしは、ユキ！　1回しか名乗らんから、忘れっぽいっちゅうその頭に叩き込んどけ！」

「ユキさん……ユキさん……うん、覚えました。もう忘れません」

　あたしの名前を連呼して、何が嬉しいのやら。やけにニコニコなそいつ――セツに、見事肩透かしを食らった。

「……一応聞くけど、あたしの名前控えてどうするつもり？」

「あ、わざわざ傘を届けていただいたので、お礼がしたくて」

「TPO考えて」

「そうですねぇ、今日は一段と寒いですもんねぇ……じゃあ、こうしましょう！」

　ポンッと手を叩くセツ。嫌な予感しかしない。

「明日以降、ユキさんの都合がいいときで結構です。またこの広場で会いませんか」

「アバウト……」

「大丈夫です。ぼく、人を待つのが好きなので！」

「あたし寒いのやだし、来ないかもしれないよ？」

　待ちぼうけを食らう割合のほうが明らかに大きい。

　なのに、セツは言ってのけた。

「〝かもしれない〟んですよね？」

　――と。

　くっそう……揚げ足取りやがって。こうなったら意地でも来てやるもんか。

　妙な張り合いを胸に、きびすを返す。

　2度目の12月1日――こうしてあたしの運命は、新たに音を立てて回り始めたのだ。