【完結】ユキイロノセカイ

＊1＊粉雪と傘

セカイに見捨てられたあたしの前で

どうしてきみは微笑むの……？

きみと出逢い

恋し恋され

悩み惑う。

あたしもやっと

人間くさく生きてみたくなったかな。

　　＊　　＊　　＊

　ちらちら――……

　ひたいをかすめる何か。

　鉛みたいに重いまぶたを押し上げる。

　世界は、結露した窓ガラスのよう。

（寒い……）

　どうやらあたしは、この期に及んで生にしがみついているらしい。

　だからといって、放り出されたマフラーに手を伸ばそうとは思わないけど。

　もういいや、眠くなってきた。休ませてよ……。

「お疲れさま」

　……やわらかい響きが、冷えきった耳を鳴らす。

　まさかねって思ったのに、そばに立つ人の気配は顕著で。

　ゆらりとかかる影。

　ついまぶたを押し上げる。

　今度は、ひとりの少年がたたずんでいた。

　白銀の世界に映える、墨色の髪。

　艷やかなクセ毛のそいつは、チョコレート色の瞳を細める。

「だけどね、まだダメ。もうちょっとの辛抱です」

　知らないのに、会ったこともないはずなのに、するりと心の中に入り込んでくる少年。

　腰をかがめ、仰向けのあたしをのぞき込む。

　そうして垢抜けた微笑みのまま、肩にもたれさせていた傘を差し出した。

　クリスマスカラーのタータンチェックが、あたしを覆う。

「帰ろっか」

　――白銀の結晶が舞う12月の夜、こんなあたしにも、サンタが訪れたようだ。

　どんなクリスマスキャロルよりも優しい響きと、微笑みを携えて。

　　＊　　＊　　＊

　出来る人だけいれば、世の中平和におさまるんじゃね？　とつくづく思う。

「その髪はなんだ」

「〝甘いヘアカラーで、気になるカレもイ・チ・コ・ロ♪〟新発売キャラメルブラウンでーっす」

「なるほど。残念だったな」

「大丈夫、妻子持ちのアラフォー男子とか狙ってないから安心して、先生」

　職員室に呼び出されたと思えば、ほらため息。お次は小言が降ってくんでしょ。

「あのな佐藤（さとう）、おまえももう3年の冬だぞ」

「らしいですねー」

「通信課程の単位もしっかり取って、最短の卒業じゃないか。なのに、そのなりじゃあ就職できるもんも……」

「はいはーい、今度ヒマなときに染め直しときまーす。じゃ、あたし帰るんで」

　疑わしそうな担任の視線を背に、とっとときびすを返す。

　薄暗い廊下へ出たとき、掛け時計がちょうど午前0時を指し示した。

　あたしがちっさい頃だ、父親が蒸発した。母親は病気に負けた。

　一時期養護施設に入ったりもしたけど、周りになじめず定時制高校に進学。もちろん、友達なんてシャレたものはナッシング。

　何をしても冷めてるのは、そもそもあたしが、生きること自体に執着してないから。

　痛いのやだし、進んで死のうとは思わないけど。

「あたしは、何のために生まれてきたんだろうねぇ……」

　意味もなくのうのうと息をするくらいなら、頭キレッキレの誰かさんと取り替えてほしい。

　能力のある人間が、この世界を構成していく。そしたら何でも丸くおさまるじゃん、ねぇ？

「はぁぁ？　こんだけで遊べってゆーの？　マジないんですけどー！」

　こういう人間見るとね、うん、余計に。

　夜遊びもいいところの深夜。まだ活気が冷めやらぬ街の一角で、制服ギャルがお札片手にぷりぷり腹を立てている。

　相手は大学生くらいの男。なんとなく悟った。

　そそくさ立ち去ろうと踏み出した矢先、男と目が合う。マジかよ。

「黙ってちゃわかんないんだけど。何か言えよ！」

「え……あ、夜遊びはやめたほうが……」

「あァ！？」

「ひッ……！」

　援交的なアレかと思えば、どうやら違ったらしい。

　通りすがりのギャルに、金を絞り取られるひ弱な男の図。はぁ……めんどくさ。ったく。

「やっほー、あたしも混ぜてよ！」

「あ？」

　ギャルが振り返った隙に、あ、逃げた。

　メチャクチャ顔引きつってたね？

　え、助け求められたと思ったけど、勘違いされた？　仲間だって？　あれっ？？

「な、にやってんだよ！　逃げられたじゃん！」

「知り合いかと思ったら違った。ゴメンネ」

「ふっざけんなよこのアマッ！！」

「っとぉ！？」

　蹴りが飛んできた。怖っ、最近のギャル怖っ。

　いやあたしも人のこと言えないっちゃ言えないが、あんなケバケバしてないし。

　化粧品買うくらいなら腹の足しにしたほうが……ってそれどころじゃなかった。

　蹴っては避け、蹴っては避け。その繰り返し。

「ちょこまかしやがって！！」

　下手に逃げ回ったのがいけなかったのか。

　つけま取れかけてるのにも気づかず目ぇカッ開いたギャルに、胸倉をつかまれてしまった。

　次の瞬間には、馬鹿力でドンッ。冷たい冷たい冬のアスファルトと、コンニチハのお時間だ。

「ったいなぁもう……」

　なおもボロクソに罵声が降っていたが、身を起こしたときだ、ギャルの顔からスーッと血の気が引く。

　それもそうか。赤信号の向こうから、猛スピードでトラックが迫って来るんだもん。

　まばゆいヘッドライトに包まれるほど、頭が真っ白になった。

　あたしの両足は、動いてはくれない。

　やっぱり……こんなもんなんだよ。

　たまたま人助けに入ったあたしは、たまたま突き飛ばされて、たまたま信号無視のトラックに跳ねられる。

　善い行いをしたからって、神様が幸せをくれるわけじゃない。

　世界はいつだって、不条理だ。

（……こんな最期は、やだかも）

　嗤いが漏れた。

　甲高い悲鳴とブレーキ音で、頭がかち割れそう。

　それでも、あたしに死ねと突きつける世界を睨みつけようと、仰いだ空。

　錆びついたねずみ色を、純白の花びらが舞う。

「……ゆ、き……？」

　イヴにすらお目にかかれないあたしへの、皮肉なのか。

「きれい……だな……」

　乾いた笑いの一方で、涙が頬を潤す。

　どうしてかはわからない。静かにまぶたを閉じれば、もう何も聞こえなくて。

　――心配なんです。

　……何も聞こえないはずなのに、声が聞こえたんだ。

　少女のような、少年のような。垢抜けているようで穏やかな、澄んだ声が。

　――あの子を独りにはできません。

　聞き慣れないそれは、やわらかい響きで不思議と鼓膜に溶け込む。

　――お願いします。

　その心地よさにひどく安堵した直後、鈍い衝撃が身体を襲った……気がした。……なのに。

　ちらちら――……

　なぜ今も変わらず、世界に粉雪は降り注いでいるのか。

「お疲れさま」

　そしてなぜ、そこにいるきみは、あたしに微笑みかけているの……？

「だけどね、まだダメ。もうちょっとの辛抱です」

　五感すべてが曖昧なまま、世界に粉雪だけが舞う。

「帰ろっか」

　差し出されたクリスマスカラーの傘。艷やかな黒髪、チョコレート色の瞳。

　どんなイルミネーションよりも鮮やかに、脳裏へ焼き付いた。

「さぁ、起きる時間だ――ユキちゃん」