*40*大事な寄り道

「長い間、大変お世話になりました」

「こちらこそ、お役に立てて嬉しいです。どうぞお身体に気をつけて」


 病院のロビーにて。

 淡いスカイブルーのセーター、バニラホワイトのスリムジーンズ、ココアカラーのシューズ。

 右手にミルクティー色のダッフルコートと、オレンジのマフラーを抱え、最後に笹原さんへ深々とお辞儀をする。

 そうして振り返った雪へ、手を挙げる。


「よ。全快おめでと」

「来てくれたんだ、幸ちゃんっ!」


 ふわっと鼻をくすぐる黒髪。

 すりすり甘えられた首元で、すん、と鳴る鼻。

 呆れ半分、雪のにおいに安心半分。

 背中をなでるあたしもとしても、感慨深いったら。

 今日は、待ちに待った退院の日だ。




  *  *  *




「ひとりで平気なの?」

「うん。急に走ったり、重労働はまだ怪しいけど、日常生活なら問題なくこなせるよ」


 松葉杖ともバイバイして、自分の足で歩く雪は誇らしげ。

 目標通り退院できたことも、ふにゃあっと頬をゆるませる理由のひとつだ。

 まだまだ寒い1月の昼下がり。

 クリスマスカラーの傘の下、肩を寄せ合うように白銀の街を並び歩く。

 噴水広場でおしゃべりするだけだったあたしたちだから、ひとつひとつのことが新鮮。


「そっちのほうは、最近どうですかー?」

「楓、焦ってたよ。〝兄さん退院するから、今のうちにスーツ仕立てなきゃ!〟って」

「ふふ、知ってるよぉ。幸ちゃんのほうは、どうなのかなぁって」


 にっこりと頬をゆるませる雪は、知ったような口振りだ。

 どうと言われましても……ねぇ。


「……ぼちぼち、かな」

「ほんとに?」

「ウソだったりします……」


 なんで今、こんな話を振るのか。

 嫌でもわかってしまう。耳にタコできてるしね。


「ねぇ幸ちゃん、うちにおいでよ」


 案の定、次の言葉は楓にも再三言われていたこと。遊びにおいで、とは、もちろん意味が違う。

 バイト先を追い出されたあたしにとって、まさに天から降ってきた幸運。

 だけどこんな小娘にもね、一応プライドってもんがありましてね。


「あたしが就職すればいい話でしょ? 蓄えがないわけじゃないし、あと1、2ヶ月凌げば何とかなるって」


 もう、あたしに時間を割かなくていい。雪は、雪のやりたいことをやってほしい。

 だからお願い、心配しないでと、予防線を張るつもりだった。


「……そっか」


 寂しげな影を帯びた顔。

 納得してくれたのに、雪の前だと何もかもを見透かされているようで落ち着かない。

 念押しのように、雪はあたしの手を握る。


「今日は、絶対に来てね?」

「そこは大丈夫だって」


 あたしと雪の退院祝い。前倒しで楓の成人祝い。

 3人でパーッと美味しいもの食べようねって、前々からの約束だ。

 あたしの返事を受けて、雪は満足げに傘をくるりと回した。


「じゃあ買い出ししなきゃだね。ぼく、荷物持ちする!」

「重労働はダメじゃなかったの?」

「買い物袋のひとつやふたつ、持てるよぉ」

「やる気満々だな」

「だってふたりで晩ご飯のお買いものとか、新婚さんみたいでいいなぁって憧れるんだ」

「しっ……!」


 サラッと爆弾落とすなよ。

 雪は素直だから、下心とかないんだろうし、動揺してるあたしがバカみたい……。


「……あ。でも、その前に行きたいところがあったんだ」

「どこ」

「んー……ちょっと寄りたいだけだし、幸ちゃんは先に買いものしてていいよ?」

「すぐ終わる用事だったら、あたしが行っても同じでしょ」

「幸ちゃん……」


 妙に雪が同行を渋る理由。

 行き先を聞いて、ため息がおさえられない。


「あたしだからよかったものの……楓だったら〝勘弁してくれ!〟っておかんむりだよ」

「一緒に来ても、平気?」

「全然大丈夫、ってわけじゃないでしょ? あんたも」


 色々言われる前に、雪の手を引く。


「雪が転んでケガしないとも限らないしね。お目付け役ってことにしといて」


 素直になりゃいいのにって、我ながら苦笑もんだったけど。

 ありがとうって吐息に溶けた粉雪が、じんわり胸にしみ入った。

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