*38*ぼくの居場所へ

 喜怒哀楽と家族愛を知ったぼくは、愚かにも一人前になったようなつもりでいた。

 そこへ、青天の霹靂のごとく襲った事件。〝生きること〟は当たり前ではないのだと、知った夜。

 笑って、泣いて、怒って。

 愛する人のために、不条理な世界に立ち向かう。

 それが、〝生きる〟ってこと。

 独りでは到底成し得ない。人は、誰かと補い合うものだから。


 ひとつだけ欠けていた感情のピースを、きみが埋めてくれた。

 きみを愛せたから、ぼくは最後に、人間になれた。

 ぼくが命を賭けるには、充分すぎるほどの理由なんだよ、幸ちゃん。伝えることは、もう叶わないけれど――


 ――行かないで。


 愛しい女の子の声が、後ろ髪を引く。


「……ダメだよ幸ちゃん。ぼくが戻ったら、きみが死ぬことになる」


 ――あたしは平気だから、戻ってきてよ!


「きみの頼みでも聞けない」


 ――ふっざけんなよバカ雪! 勝手に自己完結しやがって!!


 ふふっ、やけにリアルな声だね。

 こんな風に、カンカンに怒ってるんだろうなぁ……。


 ――泣き虫のクセに強がんな! 生きたいんだろうが!


「そりゃ生きたいよ……まだかえくんのお兄ちゃんやってたい……幸ちゃんのこと、お嫁さんにもらいたいのに……心残りばっかだよ」


 ――あたしたちが諦めてないんだから、あんたも諦めんなよ!!


「どうしてきみたちは諦めないの? いくら足掻いても、0は1になり得ないのに……」


――ああもうッ! いい加減勘違いに気づけ、このスットコドッコイ!!


 勘違い? ぼくは、何か思い違いをしてるの?

 ……わからない。

 きみのために死ぬことしか、わからないよ。


 ――0は1になり得ないって、あんたが言ったんでしょうが!


 そうだよ。未来は、ひとつしかないんだ。


 ――だからっ、むざむざ命投げ捨てる必要ないって言ってんの!


 ……ねぇ、意味がわからないよ。

 命を捨てなくてもいい? もともとぼくに、そんなものないのに? それじゃまるで、ぼくが……。


 ――戻りたいって願え。


「……っ」


 ――あんたの居場所は、ちゃんとあるの。


「……ゆき……ちゃ……」


 ――楓も待ってる。


「かえ、く……っ」


 ――待ってる。シカトしたら殴るぞ!


「……っはは、痛いのは、勘弁かなぁ……」


 人知れず消えようって、5年越しの決意を、一瞬で翻す。

 こんなぼくは、カッコ悪いですか?

 傲慢で意地汚い願いでも、またきみたちに会いたいと思う。

 振り返って、手を伸ばしても、いいんですか……?


 暗い暗い闇の中で、見えるものなど何ひとつない。

 それでも、ぼくを呼ぶ人があるから。


 ――雪!

 ――雪兄さん!


「幸ちゃん……かえくん……」


 最後に人間らしく、ジタバタさせてください。


「きみたちと、生きたいよ……っ!」


 嗚咽混じりの情けない懇願。

 刹那、真っ暗闇を鋭い閃光が走る。

 あまりの眩しさにまぶたを固くつむり……

 突如として頬を撫ぜた人工的な温風に、引き戻される。



「おいふざけんな、いい加減起きろ雪…… っとぉ!? いきなり目ぇ開けるな、ビックリするだろが!!」

「うわぁっ、マジだビビったぁ……! ん? ユキさん、兄さん起きてるよ?」

「ホントだ起きてる。んだよ余計な労力使わせやがって…………って」

「起き、てる…………?」


 やっと目が慣れて、ぼくを見下ろしているのが幸ちゃんとかえくんだとわかった頃。


「「起きたぁあああッ!!」」


 耳元での絶叫に、危うく意識を持って行かれそうになった……。


「雪雪雪雪ッ!!」

「兄さん兄さん兄さん兄さんッ!!」


 ごめん、せっかくだけど耳痛いです……って、いた、い……?


「何あんたまで泣きついてんのよ楓! 笹原さんに連絡しろボケェッ!!」

「ハッ、そうだ忘れてた! 笹原さんッ! ヤバイッすマジでヤバイからとにかく来てぇッ!!」


 まだぼんやりしてるぼくの前で、大慌てで動き回るふたりは、大好きな。


「幸、ちゃん……かえ、くん……」

「きゃあああ! 雪がしゃべったぁあああ!!」

「うわぁああそうです! 俺たちは幸ちゃんとかえくんですぅうううう!!」

「むぐっ……」


 右から左から、ボスッとふたり分の体重がのしかかる。

 苦しい……これも、夢世界ではあり得ないこと。

 夢じゃ、ないの……?

 ぼく、どうしてここに……?


「雪!」

「兄さん!」


 腑に落ちないことだらけだけど。


「「お帰りなさい!」」


 眩しい笑顔があるから、どうでもよくなっちゃった……。

 言いたいことは数え切れないほどあるのに、5年も怠けてたからかな? 久々に使うのどはかすかすで。


「……ふぇっ……!」


 辛うじて漏れた声は、へなちょこ。

 ぎゅってしたくて、でも動かなくって。

 ちいさな手、おっきな手が、そんな両手を握ってくれたよ。

 だから余計、泣けちゃうんです。


 ありがとう――ただいまです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る