*37*人間らしく
冷たい雪が、顔に吹きつける。
「楓くんっ!」
やっとの思いで見つけたその子は、通学路でもある道路沿いの河川敷にいた。
白い芝生で膝を抱え、雪だるまみたいに微動だにしなくて。
「よかったぁ、心配したよ~!」
そばにしゃがみ込んだぼくから、ふい、と顔を背ける楓くん。
「帰れよ」
「そだね、お家帰ろっか!」
「……なにがおかしいの」
「えー? いつも通りでしょ〜?」
「っざけんな!!」
甲高い叫びを、木枯らしが舞い上げる。
静まり返った夜の闇。
弧を描いて、白雪とともに落ちてきたのは、ぼくの傘だ。
差し出したままの右の手の甲が、じわりとむなしい熱を持つ。
「なんで怒んないの? なんで全部許すの?」
「やだなぁ! だってきみは、ぼくの……」
「かわいい弟? 家族って、好き勝手しても、なんでも許してくれるもんなの?」
それは違うよ、とは、言えない。
言えるはずがないんだ……〝怒り方〟を、とうの昔に忘れてしまいました……なんて。
「あんたのそういうとこ、大ッキライ」
氷点下の夜風に吐き捨てられた言葉は、暗に「叱ってほしかった」と、言っているようで……。
「か……えでくん、は、何を……してたの?」
……すると、一瞬、ほんの一瞬だけ、焦げ茶色の大きな瞳が見開かれた。
すぐにフンと鼻を鳴らして、そっぽを向くけれど。
「…………別に。いつものヤツらと、遊んでやっただけ」
――ぼくは、なんてバカなんだろう。
遊んでやっただけ。この子がやけに顔を背ける日は、決まって起こることが、あるじゃないか。
思い出したとたん、驚くほど頭の熱がスーッと引いていった。
「……楓くん、ちょっとこっちにおいで」
「はぁ? イヤだし」
「来なさい!」
今にも離れていきそうな肩を引き戻す。
……案の定、グッとのぞき込んだ顔には、すり傷、切り傷、青ジミが、そこかしこにあって。
寄せては返す波のように、引いた熱が芯からこみ上げる。
「なんで言わなかったの!」
「……なこと、言っても……おれに、逃げ出せって言うのかよ……」
「そう! だってきみは、何も悪いことしてないんでしょ!?」
生まれつき、普通の人より髪と瞳の色が明るい。
……ほかとは違うことが、集団にとって格好の餌食になるんだって、ぼくは知ってるはずなのに……。
「あんたには……カンケーない」
「あるよ!」
もどかしくなり、両手を使って正面を向かせる。
「喧嘩はダメです! 死んじゃったりしたらどうするの! こんなに傷だらけで……!」
ぼくの鈍さが、この子に意地を張らせてしまった。悲しい言葉を言わせてしまった……。
謝るのはぼくのはずなのに、楓くんを咎める言葉が、あふれて止まらなくて。
「…………ウソ」
「え……?」
「やり返すとか………ガキのすることじゃん」
ストン。
力が抜けたときに、腕からこぼれ落ちたきみは、見つけたときみたいに、芝生へ座り込む。
「……さっき……やっと…………終わったんだ」
両膝を抱えた手は、綺麗だった。
喧嘩を買ったにしては、あまりにも。
あぁ……そっか。
この子は…………ほんとは、優しいんだ。
「……いきなりごめんね。よく我慢したね、えらいね」
頭をなでると、ハッとしたように楓くんがぼくを見上げた。
ほんとにごめんね……向き合えてなかったのは、ぼくのほうだったね。
「手当てしなきゃ。さぁ、お家に帰ろう?」
自分のマフラーをほどいて、楓くんに巻いてあげる。
イヤだって言うかな?
いらないって言うかな?
楓くんは口をひん曲げたまま、無言で立ち尽くすだけ。
沈黙が、つらかった。
「えっと…………あっ、そうだ! お腹空いてない? ぼくお菓子持ってるよ、はい!」
キャンディ型に包まれたそれを差し出すと、焦げ茶色の瞳をぱちくりする楓くん。
それから、ぼくの目をじぃっと見つめるものだから、なんだか焦ってきちゃった。
「えと、キライ、だった?」
「…………いや。チョコは、すき」
肯定的な言葉を初めて聞いたこのとき、楓くんが、ぼくの手からお菓子を受け取ってくれたんだ。
驚き半分、くすぐったさ半分。
……チョコが、すきなんだ。
なんでもない会話が、こんなにほっこりするものだなんて。
「また、笑ってる」
「あ、ごめんっ……」
「別に、悪くないけど。……さっきと、別人みたいだ」
さっきのことなんて、すっかり忘れてた。
心の奥底に押し込めた怒りや悲しみが、いつの間にか顔を出していた、なのに、昔感じたような不快感は、まったくなかったから。
「人形じゃなくて……人間、らしかったよ。……ありがと……雪、兄さん」
くしゃっとなった笑顔。
どうしようもない熱が込み上げる。
かける言葉が見つからないから、ぎゅって抱き締めた。
そしたら、ね。ぎゅって、抱き締め返してくれたんだよ。
楓くんが、兄さんって呼んでくれるようになった。
ぼくも、かえくんって呼ばせてもらえるようになった。
頭で考えるより先に、笑顔が零れて止まらなかった。
――凍える雪の夜。
ぼくはきみが教えてくれたぬくもりを、絶対に忘れない。
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