*36*おまじないの呪縛

 ――おまじないのように、言い聞かせられた言葉がある。


「優しさは人を救う。だから雪、常に優しくありなさい」


 お母さんは病気がちで、よくお父さんに辛く当たっていた。

 投げた物が当たって、おでこから血が出たりもしてたけど、お父さんは優しく笑っていた。

 そうすれば、お母さんもつられて笑うことがあったから。


(ぼくだったら、いたくてないちゃうのに。すごいなぁ)


 幼心に、お父さんを尊敬した。



 やがて思春期になると、言いつけが痛いくらい身に沁みた。

 気に入らないから殴っただの。

 好きな人を盗ったから仲間外れにするだの。

 個性よりも、集団が先行するイヤな風潮。

 陽だまりみたいなお父さんのそばとは、まるで別世界だった。


(どうしてみんなは、誰かを傷つけるの? 自分がされたら、イヤでしょ?)


 訴えるぼくへ、お父さんは静かに答える。


「だからおまえは、笑顔でいなさい。人を悪魔にする空気も綺麗にするくらい、優しくありなさい」


 その言葉はストンと胸に落ちて……中学に上がった年の冬の日、ぼくは怒ることも泣くことも、やめた。



 そのうちに、お母さんが悪い魔物に連れて行かれちゃって。

 悲しかったけど、お母さんを心配させるだろう? ってお父さんが言うから、泣かなかった。一生懸命笑ったんだよ。

 そんなぼくたちを、お葬式で、親戚のおじさんやおばさんたちは冷たい目で見てた。

 ……優しく笑っていればいいってことに、いけない疑問を抱いた瞬間。




  *  *  *




 ぼくがまだ高校生の、寒い寒い12月のことだったっけ。

 久しぶりにお父さんが一緒に帰ろうと誘ってくれたので、喜んで家路についたぼく。

 数十分後にはなぜか、来たことのないオシャレな喫茶店にいて……

 なぜか、スラリと背の高い、綺麗な女の人(もしかしたら、お父さんより高いかもしれない)と、よく似た小学生くらいの男の子が、目の前にいた。


「ほら、よろしくお願いします?」


 テーブルに頬杖をつき、むすぅっ、と無言でそっぽを向く男の子。

 その横っ面を、ばちこーん! と平手打ちが襲った……って、え!?


「ってぇなぁ!!」

「お父さんとお兄ちゃんに何、その可愛くない態度は」

「そっちが勝手にきめたんだろ!」

「ぐずるのもいい加減にしな、楓。アンタの母親は私。子供は親の言うことを聞くもんでしょうが」

「ツバキちゃん……その辺りにしてあげようか」

「でもねアキさん、最近の子供は、甘やかしたらろくなことしでかさないのよ」

「突然家族だって言われたら、誰だって戸惑うさ。これから少しずつ打ち解けていけばいい。ね?」


 目の前で展開される会話について行けてないのは、きっとぼくだけ。


「雪、前に話しただろう?お父さん、再婚するんだって」

「うん……じゃあ」

「お母さんになってくれる、椿さんだよ。そっちの子は、楓くん。雪の弟だ」

「おとうとっ!」


 一緒に遊んだり、勉強を教えてあげたり。

 学校から帰っても、ひとりで宿題や読書をしていたぼくが、ひそかに憧れていたこと。それが、現実になるという。

 弟――今のぼくにとって、最高の魔法の言葉。


「ぼく、雪っていうんだ。よろしくね、楓くん!」

「……なに、ヘラヘラしてんの」

「うん?」

「…………ムカつく」


 弟ができるって、浮足立ったのも束の間。

 会って早々、厳しい言葉を浴びせられることになるなんて。

 これが結構ヘコんだんだよ……。


 ぼくのどこが悪かったのか、気になって仕方なくて。

 なかなか相手にしてくれなかった楓くんは、しつこいくらい付きまとうぼくに、白旗を挙げる。

 ぼくは、人間らしくないんだって。

 確かに楓くんを見てると、怒ったり、悲しんだり、自分の本音、包み隠さず話してた。

 笑うだけなら、人形にだってできる。

 喜怒哀楽があるのは、人間だけだ……って。

 戸惑いながらも、少しずつ、前へ踏み出せているような気がした。


 ――そんなとある休日。楓くんがフラッと出かけたまま、帰ってこなかった。

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