*34*陽だまりの淡雪

 黙っていたことがいくつかある、と、楓は切り出した。


「紗倉のことだけど。あいつ……死んでたよ」

「まぁ……屋上から落ちたし……ね」

「そうだけど、そうじゃなくて。死んでたんだ……5年前に」

「……は?」

「全身強打による、即死だったそうですよ。聞けば、ビルを訪れた人々がろくな目に遭っていなかったようですし、地縛霊にでもなって、怨念をまき散らしてたんですかねぇ」

「笹原さんって……理解あるんだね」

「言ったろ? 事情知ってるって」

「はは。この仕事に就いて長いですからね。ちょっとやそっとのことじゃ、動じなくなりましたよ」


 廊下に出て、数分経たず。早くもリアクションに困る話題とご対面とは。


「楓は……どこでそれ聞いたの?」

「ややこしくなるから、今は保留にしとく」

「あれ、言わないんですか? 佐藤さんとも無関係じゃあないでしょう?」

「できるだけ混乱させたくないんだってば! 後で必ず言うから!」


 茶々を入れるのは、あたしを気張らせないため。さりげない気遣いが嬉しい。

 でも、ちょっと不思議だ。なんだか笹原さん……楓の弄り方が、上手すぎるというか。


「楓と笹原さんって……付き合い長い?」


 あたしの言葉に、半歩先を行く楓は無言でうなずき、半歩後ろを来る笹原さんは苦笑。


「そりゃあねぇ。重傷の楓くんを見つけたの、僕ですからね」

「え……笹原さんが、ですか?」


 笹原さんが話すには、こうだ。

 5年前のクリスマス。当時、搬送する時間も惜しいほど切迫した状況だったらしい。

 救命救急の心得があった笹原さんは医師と共に駆り出され、倒れた楓を発見したのだと。

 そんな経緯もあり、楓の担当看護師を務め上げたという笹原さん。親しくないわけがない。


「中学卒業から大学生に至るまで、楓くんのことは知っていますよ。半分パパみたいなもんです」

「……今そういうのいいから、ホント」


 そうは言うけど、満更でもないんでしょ? じゃなきゃ、最初から呼んだりしないはずだもん。

 ――沙倉に刻まれたトラウマのせいで、ことに女性へ過敏になっていたという事件直後。

 たった独り取り残され、絶望のふちに追いやられた楓が、笹原さんにだけ心を許した理由、なんとなくわかる気がする。

 同性っていう絶対条件もあるけど、その上さらに、のほほんとしていて、でも人をよく見ていて、包容力がある。

 雰囲気似てるもんね……雪に。


(何かいいな……そういうの)


 正面の気恥ずかしそうな背中に、視線を戻したときだった。

 ふいに射し込む光に、目が眩む。

 南中した太陽光がガラス越しに降り注ぐ。

 やっと明順応した視界に、飛び込んできた光景は。


「佐藤さんの病室だと、見えなかったですよね。綺麗でしょう?」


 背の高い建物のすきまからのぞく、氷のオブジェ。

 白銀に染まった街で、キラキラと輝くそれを、何度目にしたことか。


「ねぇ……この病院って」


 笹原さんがいることからもわかる。

 ほぼ確信を得て見上げたあたしに、楓はうなずく。


「あぁ。5年前、俺たちが運び込まれた病院だよ」


 ――ドクン。


 胸が、高鳴った。


「集中治療を受けて、俺は何とか回復した。けど雪兄さんはダメで……」


 どこに向かっているのか、何をしようとしているのか、いい加減悟った。


「目を覚まさない兄さんに、何度泣きついたことか」


 とある部屋の前で、言葉を切る楓。

 そこで初めて笹原さんが先頭に立つ。

 ピッピッと高い電子音の後に、ロックの外れる音。


「どうぞ」


 入口を譲る笹原さん。楓の後に引っ付いて恐る恐る足を踏み入れる。

 床のあちこちに電気コードが這って、重厚な医療機器が鎮座してる――そんな予想とはまったくかけ離れた別世界が、そこにはあった。

 陽だまりに包まれた真っ白な部屋に、ひとつだけあるベッド。

 そこに、横たわっていたのは。


 ――目眩がした。

 フラつくあたしを、楓が抱きとめる。


「ウソ……でしょ」

「夢じゃないよ。ユキさん」


 ドクドクと、血の巡りが異常だ。

 言葉を忘れ、1歩、また1歩と前に進む。

 まばゆい日光なんて、もう目に入らなかった。


 艶のある墨黒色のクセ毛。

 淡雪色の肌。

 長いまつ毛が影を落とす、歳のわりに幼い顔立ち。

 まるで5年前で時が止まったかのように、変わらない姿。


「雪ッ!!」


 夢にまで見た彼は、まだ世界にいてくれた。

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