*33*まんまるチョコレート

 自分の嗚咽で、目を覚ました。


「雪……雪……っ」


 どれだけ守られていたか。どれだけ愛してくれていたか。

 彼がいなくなった後、何度も夢に見る。

 関節の痛みや、腕の擦り傷が完治しようとも、心にぽっかり空いた穴は埋まらない。


「会いたい……声が聞きたい……あたし、雪と生きたかったよ……っ」


 何度夜を越しても、忘れることはない。

 雪、早いとこ戻ってきてよ。今ならあたし、怒んないから……。


「ユキさん、起きてる?」


 目元を袖でゴシゴシぬぐい、病室のスライドドアとは反対側に寝返りを打つ。

 狸寝入りできれば万々歳なんだけど、遅かった。


「おはよう! 駅で美味しそうなチョコレート見つけたんだー。もー買いすぎちゃった」

「……さすがスイーツ男子」

「チョコは正義だと思います」

「真顔やめて」

「ユキさん、そっち向いてんのによく見えてんね」

「後頭部に第3の目があるんで」

「マジか、お師匠様すげぇ……!」


 いやいや、乗っかってくんなよバカ。

 とか何とか思ってるうちに、できたバカ弟子は着々と用意を進めるんだ。


「緑茶でいい? なんかどっかの偉いショコラティエが、チョコと一番食べ合わせいいの緑茶って言ってたらしいから」

「熱いのはイヤ」

「あっ、そーいやユキさん、猫舌だったっけ? かわいいな」

「やかましいわ」

「愛を込めてふーふーします。何ならいっそ、あーんまでしちゃいませんか」

「しちゃいません」

「1個! チョコ1個だけでいいから!」

「必死やめろバカ!」


 らちが明かない。

 サイドテーブルの雑誌を投擲したら、スパコーンと頭にクリーンヒット。

 ところが楓のやつは、「ユキさんが構ってくれた……!」と、あろうことか拾い上げた雑誌をぎゅうぎゅうしやがるではないか。


(……もうどうとでも解釈してくれ)


 盛大にため息をつき、起き上がる。

 全部あげますとばかりに用意されたチョコは、18個入りの、色も形も違うやつで。

 ボーッと眺め、華やかな色彩の隅でちょこんと座ってる小振りのシルエットに、ギクリとした。

 まんまるくて、ツヤツヤしてて、余計な装飾は一切ないチョコレート。

 ……あたしにヘラヘラ笑いかけてくる、あの瞳みたいだった。


「ユキさん? どうかした?」

「あ……なんかちょっと、思い出し泣きっていうか……」

「もしかしなくても……雪兄さん?」


 チョコレートを一瞥した楓は、緑茶が湯気を立てる湯のみをサイドテーブルに置くと、あたしのそばに椅子を引っ張ってくる。


「ごめん……楓が励ましてくれてるのに、情緒不安定で」

「…………」

「わかってるよ! 雪はいないって……わかってる、けど……」

「もういいよ」


 楓のにおいが、ふわりと香る。

 こうして励まされるのは、何度目だろう……。


「俺が代わりに、めいっぱい愛そうって思ってたけど……やっぱダメだ。ユキさんには、雪兄さんがいなくちゃダメなんだ」


 ぎゅううっと苦しいくらいに抱き締めて、身体を離す楓。

 ハッとした。

 目前の表情に、見覚えがあったからだ。この間、何かを言おうとしたときの……。


「この先どんなことがあっても、きみは雪兄さんを好きでいるって言ってくれた。俺は、その言葉を信じるよ」


 言うが早いか、楓は立ち上がってナースコールへ手を伸ばす。


「3人で行くよ。事情知ってるの、笹原さんくらいだからさ」

「……話がよく、見えないんだけど」

「行きながら話す。さ、準備してユキさん」

「ちょっと楓!」


 ベッドから連れ出され、かと思えば病衣の上からカーディガンを羽織らされ。


「はいはーい、お呼びの笹原で~す」

「ちょ……気が抜けるんですけど」

「肩に余計な力が入ってると、五十肩になっちゃいそうでねぇ」

「それ笹原さんだけだから!」

「あ、歳はそこまで行かないんだけどね、医学的に四十肩っていう疾患はないので、五十肩」

「そんなプチ情報いらない!」


 そうこうしてるうちに笹原さんがおいでなすって。状況がわかってないのは、当事者であるはずのあたしだけってか。


「佐藤さん、ビックリたまげて心肺停止に陥っても大丈夫ですよ。僕がいますからねぇ」

「いや笹原さんはあくまで付き添いなんで。救命措置なら俺だってできるし!」

「一次は、ね?」

「う……」

「僕は二次救命措置までできます。どやぁ」

「~~~っ、もう行こユキさんっ!」


 相変わらずサッパリなんだけど……ひとつだけ、わかることがあるとすれば。


「大丈夫。何が起きても、俺の人工呼吸と心臓マッサージでユキさん救ってみせる!」


 ……下手したらブッ倒れかねない何かが、あたしを待ち受けているということ。

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