*25*あいつが彼で
「ぼくは、月森 雪です」
姿形はもちろん、声帯だって楓のもの。
一方で口調や仕草は、鮮やかに記憶の中の雪を思い起こさせた。
(雪が楓に…………憑依、した……?)
その瞬間、ストンと腑に落ちた。すんなり受け入れる自分が怖い。
こうも超常現象が立て続いては、不可抗力なんだろうけど……。
「かえくんね、幸ちゃんのこと必死になって探してたよ」
「……楓が?」
「うん。ここに来るのだって怖かっただろうに……ほんとにきみが大好きなんだね。ぼくも負けられないなって思いました」
ふにゃっとあたしを振り返ったはにかみは、確かに。
「雪ッ!」
「おっと!?」
不意討ちなのに抱きとめられた。
反射神経がいいのは、楓の身体だからなのか……ってか。
「ややこしいんだよ! 殴るに殴れないじゃん、顔見せろばかぁ!」
「うっ……それ言われるとつらい……」
「いっそ楓ごと殴ってやろうか!」
「わあっ、やめてやめて! かえくんは悪くないです、ぼくが悪いですごめんなさい!」
「うっせ黙れ、歯ぁ食いしばれぇっ!!」
散々泣かされたんだ、ブン殴ってやるって息巻いてたのに……ぎゅうぎゅう抱きついてるあたしってやつは、もう。
「楓……ちゃんと生きてる……雪だってここにいる……っ!」
「……うん、いるよ。独りにしてごめんね。巻き込んで、ごめんね。きちんとカタをつけるから」
名残惜しげに身体を離され、いつもよりずっと高い視線が、凛然と前を向く。
「…………そういう、ことですか。ふふ……雪さんったら、なんてお人が悪いのかしら。あなたが一緒なら、私は楓に手出しができませんものね」
薄ら笑いを受けて、身にまとう空気ごと、広い背がピンと張った。
「率直に申し上げます。いかなる理由を挙げようとも、沙倉さん、あなたとお付き合いすることはできません」
「どうして……? こんなにお慕いしているのに……」
「それ以前の問題なんです。あなたが想いを寄せる月森 雪は、5年前に消えました。ここにいるのは、未練がましくさまよう、ちっぽけな幽霊だけです」
「雪……」
忘れっぽいフリして、自分のことを話したがらなかった……何となく、わかってたよ。
でも、もしかしたらってすがってた可能性も、たった今打ち砕かれた。
「そんな……嘘だわ」
「事実です」
「嘘です! だってその子にふれられていたわ。生身の人間と干渉できるはずがない!」
「彼女は、特別なんです」
「一体どこが? 世界に見放された、惨めな娘ではないですか!」
紗倉が言を荒げた直後だった。
ビュオッと突風が吹き下ろし、漆黒の夜空に白雪を舞い上げる。
「――これ以上彼女を侮辱すること、まかりなりません」
静かな声音に包まれた並々ならぬ怒りが、たった一言で紗倉を黙らせた。
「ぼくは兄として、月森 楓を愛しています。ひとりの男として、佐藤 幸を愛しています。もう決して、奪わせはしない」
ヒュオオオ――……
静かに、めまぐるしく舞う白雪は、雪自身の怒りを具現化したよう。
広い背に記憶の彼が重なる。
ああ……小柄なあの背は、こんなにも逞しいものだったっけ。
「…………見捨てられていたのは、私のほうだったというわけですね」
物悲しく啼く風に、すべてを悟ったようなつぶやきが消え入る。
紗倉は静かに歩み出す。
視線を伏せ、肩を落とし、雪のそばを通り過ぎる。
身を強張らせたあたしさえもすり抜け、向かった先は。
「ちょっと……何するつもり!」
「愚問ではなくて? 私の存在意義は、無きに等しいのよ。いくら奪っても、あなたたちが雪さんの中に居続けるのだから」
転落防止の鉄柵、その一部が錆びた綻びへ淡々と近づく。
彼女が何をするつもりかは、もう一目瞭然だった。
「ダメだ」
駆け出すより早くつかまれる腕。
行ってはいけないと、言外に雪は訴える。
「雪はこのままでもいいの!」
「違う。聞いて幸ちゃん、彼女はもう……」
「こんな終わり方、あたしやだからっ!」
「幸ちゃんっ!」
楓の力で引き止められれば、抵抗する術はない。
でも伸ばされた手は何故かふれることなく、宙を掻く。
あたしはここぞとばかりに飛び出した。
「待って……待ちなさいってばッ!」
「どうして止めるの? 私がいなくなれば、万々歳なんでしょう」
「自分は必要とされてない? じゃあ死のう? ガキかっつの! あんたには、いなくなったら泣いてくれる家族とか友達が、ホントにひとりもいないの!?」
柵の手前で立ち止まった紗倉は、ゆらりと振り返る。
「大体ねぇ、雪と楓にごめんなさいの一言もないってどういうわけ!? バカなことするヒマあったら、それこそ死ぬ気で償えっての! それがあんたの生きる意味でしょ!」
追い着いた――だからよく見えるよ。ゆらゆら揺らめく瞳が。
「簡単に死のうとすんな。生きたかった雪に失礼って思うでしょ普通。思ってなかったら今思え!」
「……何だか、小憎たらしくなってきたわ。雪さんと楓が、どうしてあなたを大切に想うのか……今になって思い知るなんて」
「悪いと思ってるなら生きるんだよ、ほら」
微かな笑みへ手を伸ばした刹那、フラつく身体。
こんなところに土……?
違和感を覚えた足元を見下ろせば、そこはふやけたコンクリート。
深く走った亀裂に、周りの雪溶け水が吸い込まれていく。
〝天井から雪溶け水が滲み出してるみたいだ〟
〝ああいうところは脆くなってるから、別の方面で階段探そう〟
――我に返ったところで、時すでに遅し。
「世界は不条理ね……お別れは言わないわ」
形のいい唇が、やけにゆっくり動く。
伸ばした手は、宙を泳ぐだけ。
美しい憂い顔は重力にさらわれ、後を追うように、グラリと傾ぐ身体。
「幸ちゃんッ!!」
叫びに応える間もなく――地球の中心に、吸い込まれる。
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