*21*襲い来る刃

「美しい愛情ですこと。一途で、健気で……つくづく出来損ないの弟ね」


 瞬間、楓が身を反転させる。

 闇の中からゆらり、ゆらりと現れた彼女は、1歩ごとに恐怖であたしたちを嬲るよう。

 大きな背があたしを庇う。広げた両腕は震え、それでも頑として、楓は悪魔をねめつけている。

 終始弓なりに口端を曲げていた沙倉だったが、このとき初めて、面白くなさげに柳眉をしかめた。


「……生意気な目をするようになったのね。そんなに愛しているなら、奪えばよかったじゃない」

「俺は、おまえとは違う。私利私欲のために、彼女を傷つける真似はしない」

「ふふっ……本当に可愛げのない子! 私がせっかく手助けをしてあげたのに、どうして自ら茨の道を進もうとするのかしら! ねぇ楓、あなたが幸さんをモノにしてさえいれば、全部上手く行ったのよ……?」


 事情を知り、言葉の意味が少しでも理解できる今、紗倉がどんなに狂っているのかも、わかる。


「あなたがいたから、彼はうなずいてくれなかった。あなたが中途半端だから、幸さんは未だに彼を想っている。あなたがいたから、あなたがいたから……!」

「……ざけんな。あんたの人間性に欠陥があったから、ふたりとも拒否したんでしょ。責任転嫁すんのはお門違いだろうが……!」

「あら、ひがみかしら? そうよねぇ、私に彼を盗られてしまいそうなんですものね」


 ……言葉が通じない。この人に何を言っても無駄だ。

 楓も同感のようで、息を殺し、隙をうかがう。


「ただ困ったことに、彼の澄んだ瞳も曇らされたようなの。兄弟そろって同じ人を愛す……なんて悲劇なんでしょうね! バッドエンドは悲しいわ……ですから、私が正気に戻してさしあげるの」


 ――ギラリ。


 鈍い銀の光源は……ナイフ。

 艶めかしい笑みで刀身の冷たさを確認する姿は、まさに凶器へ頬ずりする犯罪者だ。


「今度はちゃあんと受け取ってね、楓?」

「逃げて楓! ……楓っ!?」


 楓は動かない。あたしがいるから。

 血の気が引く。

 声にならない悲鳴が口内で消える。

 のどが切り裂かれるまさに寸前だった。

 楓は身体をひねり、紗倉の右手首をつかむ。


「俺は、おまえが嫌ってる〝男〟だ。ナメんじゃねぇ」


 思わず二の腕をさするほど、ドスの効いた低音だった。

 初めて目にする楓の激昂……。

 ギリギリと容赦なく手首を締め付けられ、ついに紗倉がナイフを取り落とす。

 楓は鼻を鳴らし、床に転がったそれをかかとで踏みつけた。

 形勢逆転。敗因は、楓を見下したその慢心。


「ずいぶんと……お利口になったじゃないの」

「悪あがきはよせよ。今度こそ警察に突き出してやる」

「ふふ、あはははっ!」

「……何がおかしい」

「あなたに私が貶められると? あり得ないわ! 考え違いも甚だしい! あはははっ!」


 狂っているがゆえに、常人の危機感も欠如しているのか。

 何にせよ、丸腰なら怖いことはない。あとは人数の利だ。


「こんなとこに長居したくない。行こ、楓。見張るの手伝う」


 あたしも楓も、油断したつもりは毛頭なかった。

 それでも、壁に手を付き慎重に立ち上がったあたしを、紗倉は嗤う。


「――隙ありよ」


 甘美な艷声が耳に届いた直後、息が詰まる。


「…………ユキ、さ……ユキさんッ!!」


 なんだよ楓、顔真っ青にして。

 口にしたつもりが、上手くお腹に力が入らなくて、声にはならない。


「な……んだコレ……」


 楓の視線を辿り、目を見張る。

 違和感を覚えた腹部に、深々と、銀の刃が突き刺さっていたのだ――……

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