*12*ごめん……好き

 遠くで、小鳥がさえずっている……。

 寒い……いや、熱い?

 わからない……何もわからない。

 この上ない倦怠感が、全身を襲っていること以外。


「……う……」


 息苦しい。

 首を伸ばす。冴えた外気にふれた瞬間、ぷるりと震えがひとつ。

 そりゃあ、肩剥き出しなんだから凍えるわ……あれ。そういやあたし、なんで上着てないんだっけ――?


「――ッ!!」


 声にならない悲鳴が出た。当然だ。見知らぬ部屋のベッドに横たわってたんだから。

 目前には、あたしを抱き込むようにして寝息を立てている、楓。お互い衣服らしい衣服を身につけていない素肌を、ピタリとくっつけていて。


「……ん……ゆき、さん」


 とっさに毛布をたぐり寄せた。その拍子に楓が目を覚ます。


 何で何で何で。


 絶句したままベッド端へ後ずさるあたしに、焦げ茶色の瞳が細まる。


「身体は、もういいの?」

「……から、だ……?」

「熱、あっただろ?」


 全身がダルい……けど、楓が言うように悪寒を伴う熱はないような。


「ユキさん倒れちゃったから。家までは行ったことなかったし、連れて来た。ここ、俺んち」

「楓の……」

「……そんな警戒しなくても、何もしないって。はい、ひとまず着て。寒いでしょ」


 あたしに服を渡し、楓はベッドを抜け出す。まざまざと見せつけられることになった裸体は、細身なのに筋肉質で。

 茹で上がった頭の熱は、さらけ出された胸元を目にしたとたん、急降下した。


(……何、あれ……)


 冷や汗がにじみ出てきて、振り払うように綺麗に畳まれたキャミソールを引っつかむ。

 ニットソーを頭から被るころには、ゆるゆるクローゼットを漁っていた楓もスウェットに着替えていた。

 もういい? とひとつ断ってから振り向き、毛布にくるまったあたしに苦笑。


「すごい汗だったし、上だけだよ」

「あんたも脱ぐ意味が激しくわかんない」

「あっためなきゃって思って。ほら俺、子供体温だからさ」

「……何も、してないよね」

「した、かも」

「っ……」

「……ユキさんが、苦しそうにうなされてなかったら」


 遠慮がちにベッドへ腰掛けた楓は、普段通りのようで、違う。


「弱ってる子に好き勝手したら、終わりだと思ったんだ。俺、ヘタレだしさ。ユキさんに嫌われるのが怖い、腰抜け野郎。……強引にキスしたやつが、今さら紳士ぶるなよって感じだけど」


 そうだよ……キスされたことは、ホントなんだ。近すぎる息づかいも、熱い唇の感触も……全部、夢じゃない。

 無意識だったんだろう、いつの間にか自分の唇を噛んでいた。

 そんなあたしを前に、楓が長いまつげを伏せ、整った顔に影が落ちる。


「初めて……だったよな。ごめん。気づいたのに俺、途中で止めらんなくて」

「謝って、どうするの。なかったことになんて出来ない」


 ならばどうしてほしい? 逆に問われて返せるのか。

 答えは否だ。解決できないもどかしさが、楓を咎めてしまう。


「…………あたしはね、心底嫌いなやつと、帰ったりしないよ」


 やっと紡ぎ出した言葉に、うなだれた楓の肩が跳ねる。

 おもむろに顔を上げては、くしゃっと笑って――


「でもそれは、俺の〝好き〟とは違う」


 ――悲しげな微笑みを浮かべた。


「愛してるんだ……じゃなきゃ、こんな苦しい気持ち、説明つかない」


〝好き〟にも色んなレベルがあって、あたしのそれは、楓が欲しているものには到底満たない。返って楓を傷つけるだけだと……心臓が、突き刺された。


「今まで通りには……なれない?」

「半端な気持ちじゃないから、戻れない」


 トン、と壁についた左手。

 あたしの腕をつかんだ、震える右手。

 肩にもたれた楓の、悲痛な想い。


 知ってしまったあたしに、もう知らぬ存ぜぬは許されない。


「……ごめん……ホントに好き。だから俺……このままだと……気が狂いそうだ……ごめん……っ」


 爪が手のひらに食い込むほど、押し殺した慟哭。

 返す感情も、言葉すら持たない空っぽなあたしは、楓の嗚咽を、ただただ、目の当たりにすることしか出来ずにいた――……。

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