*7*バカ弟子を破門する

 朝起きて、バイトして、学校に行って、夜中布団にもぐり込む。

 ただ繰り返すだけのあたしの日常に、ちょっとした変化が訪れた。


「……おいそこの不審者、通報するぞ」

「へっ? あっユキさん、待ってた!」


 日付が変わり、校舎の明かりだけが頼りの校門。ひょろ長い影があるなと思えば、楓である。

 にまっと、今となっては見慣れた笑顔をきらめかせ、あたしに向かって右手を挙げた。


「なんでいんの」

「ユキさん、いつも帰り遅いんだろ? 俺もどーせヒマだし、時間を有効活用しようと思ってさ」

「で、このくそ寒い中待ちぼうけ? ドMなの?」

「違うって! そんな待ってないしっ!」


 たわけ。防寒したつもりだろうがな、トナカイ顔負けの赤い鼻見りゃ、どんだけいたかなんて一目瞭然だ。


「ふぅん……好きにしたら?」


 却下されるとでも思ったんだろうか。ぱぁっと瞳を輝かせた楓は、先に歩き始めたあたしに駆け寄ってきた。

 肩を並べられると……うん、意外と。セツにはないものがあるな。


「楓は、彼女作らないの」

「えっ、かっ、彼女!? なんで!?」

「ひょろ長……背ぇ高いし、よくよく見ればイケメンに見えなくもないから」

「俺、女性恐怖症なんだってばぁ……」

「その前に健全な思春期男子だろうがよ」


 ひとり暮らしの男子大学生ってこう……不摂生の塊みたいな偏見があったからか。楓はイレギュラーだった。

 スラリとした長身――聞けば186cmはあるという――を際立たせる、深緑のフィールドジャケットとジーンズ。差し色として、足元はマンゴーオレンジのスニーカー。うん、あたしは嫌いじゃない。

 顔よしファッションセンスよし、背も高くて明朗な性格。ちょっとおバカなのを除けば文句なしの楓に、唯一疑問があるとすれば。


「その髪は、生まれつき?」

「……あぁ。地毛、なんだよね」


 楓が苦笑しつつふれた、焦げ茶色の短髪くらいか。


「変なこと聞いたね。悪かった」

「……信じてくれんだ」

「染めてる人に聞く? そうかそうでない区別くらい、何となくつくわ」

「そっか……」


 曖昧にうつむく楓は、もしかしなくともそのレベルに達しない連中に、何やら言われてきたんだろう。

 ふと現れた曇り顔が、整った横顔に影を落とす。


「俺さ、こんなナリしてる上に、昔結構ヤンチャしてたんだ」

「楓の分際で?」

「うぐっ……」

「だってあんた、ヘタレじゃんね」

「ユキさんキッツ……事実だけど!」

「まぁおおよそ、ナメられないように猫被ってたってところか」

「……うん、そう」


 楓が立ち止まる。

 ヒュウと夜風がすり抜け、焦げ茶色の髪に吹きつけた。


「張れない意地は張るもんじゃないなぁ……ろくな高校生活送れなかったし、大切な人にも、いっぱい迷惑かけた」

「女の人? それがトラウマの理由とか?」

「いや、違くて。家族だよ。ひとりになるとね、その偉大さが痛いほどわかる」


 からからと、楓は笑い飛ばした。

 ひとり暮らしあるあるだな。親すらいないあたしじゃあ、共感してあげられないけど。


「今夜も寒いな」

「冬だからね」

「人っ子ひとり歩いてない」

「冬だからね」

「だからさ、張れない意地張るのはよしたら?」

「……っ」


 唇を引き結ぶ楓。ジリジリと情けない街灯の下、振り向いた拍子に水の膜がキラリと光る。

 見てない……あたしは、何も見てない。


「出迎えの褒美じゃ。今宵はひとつ、うぬの願いを叶えてやろうぞ」

「……だったら」


 遥か夜空、オリオン座辺りを見上げたあたしの両肩をつかむ。

 やがて楓は、白い吐息とともに、かすれた声を吐き出した。


「ちょっとだけ、貸してください……」


 左の肩口を、楓の額がかすめる。近いようで、すぐに離れてしまいそう。


 バカだね。


 しびれを切らし、1歩。スペースの空きまくった両脇の下から、腕を回し込んでやる。

 さぁ、ムダな距離は埋めてやったぞ。どうするかはあんた次第だ、楓。

 そば立てた左耳に、震える吐息がふれた。

 ユキさん、という呼び声に答える間もなく、引き寄せられて。

 今度はあたしを抱き込むように腕を回されて、まぶたを閉じる。


 ヒマ潰しなんて口実で、ホントは吐き出し口を探して長い間さまよってた、タダの迷子。

 幸い、あたしは気づけたから。せっかくひょろ長い身体折ってまで、すがりついて来てるんだから、背中さするくらいはするさ。

 だって、こんなに温かいじゃないか。楓は、ちゃんとここにいるよ。


「……ユキさん」

「何だ」

「やばいっす。ユキさんやわらかいっす。俺、なんか気分がぽわぽわしてきた……」

「即刻離せ、ケダモノォッ!」

「ちょっ、そんなつれないこと言わないで! もーちょっとだけ胸貸してっ?」

「ひゃあああさわんな 変態ぃいいい!!」

「いっでぇっ!?」


 女性恐怖症とかウソだ、でっち上げだ。しおらしいから優しくすればいい気になりやがって、あたしの心配返せ!


「破門! 破門だからっ!!」

「そんなお師匠様ぁあああ!!!」


 問答無用で、絡みついてくる野郎を蹴り飛ばす。おかげでなかなか家路を急げやしない。

 カァカァと、姿の見えないカラスに笑われた気がした。

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