第10話 みなしごのマナ

 レーナについてきただけで、彼女の部屋から自分の部屋へと戻るための道が完全に分からなかった。

 襲い来る睡魔と格闘しながら徘徊していると、偶然マナと出くわす。


「あっ、やっと見つけた」

「さ、彩人さん!? ここは男子禁制区域ですよ!」

「レーナからもその冗談言われたよ」

「いえ、あの、本当なんです……」


 俺はマナが何を言っているのか分からなかった。

 いや、分かろうとしたくなかったので、とりあえず用件を済ませてとっとと部屋に戻ろうと思った。


「ところで、マナ。明日の練習についてなんだけど、明日もやるの?」

「あー、いえ。明日はたぶん、それどころじゃないと思います」


 マナの意味深な言い方に、俺は首を傾げるほかなかった。


「早朝は皆と一緒に最後の準備をして、そのまま出発しましょう。」

「分かった。さて、レーナのところに報告、を……」


 右を見て、左を見て、続く廊下は入り組んで。

 さて、レーナの部屋はどこだったか。


「良かったら案内しましょうか?」

「あ、頼めるか? 悪いな」

「いえいえ。その代わり、ちょっとお付き合いいただけませんか?」

「うん? 何に?」


 マナは非常にどぎまぎとうろたえた、迷った後に、躊躇いがちに言う。


「いえ、その……ちょっと居てくれるだけでいいんですけど、やっぱり明日早いから」

「いいよ。まだそこまで眠くないし」


 実のところかなりきついのだが、レーナとの約束を破るわけには行かない。

 泥濘のような眠気に耐えながら、俺はマナに案内してもらう。

 曲がり角を2、3回曲がると、すぐに辿り着いた。

 扉をノックすると、レーナが扉を開ける。


「意外と早かったわね。どうだった?」

「明朝はそのまま準備、出発らしい。なんだか、練習どころではないって言ってたな」

「そう。やっぱりね」

「やっぱり?」


 俺が首をかしげていると、レーナはくすくすと笑って、不敵に笑む。

 しょうがないわね! と嬉しそうに言う。


「分からない? じゃあヒントをあげるわ。私たちは、明日でこの国を後にする。これがヒント」

「うーん……よく分からないな」

「ふふっ、まあ明日になればいやでも分かるわ。退屈な世界にいた貴方には、刺激が強すぎるかもね?」


 それは楽しみだ。いったいどんなイベントが待ち受けているのやら。


「どうする? 私はもうちょっとおしゃべりしていても構わないけど」

「いや、俺はそろそろ」

「そう。それじゃあおやすみ」

「ああ、おやすみ」


 互いに手を振り合い、扉は閉じられる。

 俺もとうとう二次元美少女と手を振って別れるような仲になったのかと思うと非常に感慨深い。


「さて」


 曲がり角で待っていたマナと合流する

 が、マナは妙な視線をこちらに向ける。

 

「……」

「どうした」

「いえ、いつの間にあんなに仲良くなったのかなと、思いまして」


 割と初見から印象は良かったと思う。

 いや、それにしても出会って数日もしないうちに部屋に呼ぶレーナが積極的すぎるのでは。


「そうそう、レーナがマナの特訓を一緒に受けたいっていうんだけど。どうだろう」

「レーナさんがですか? うーん……」


 マナは少々悩んでいるようだ。

 やはりレーナほどの才覚ある剣士に手の内を見せるのはあまり気が進まないのだろう。

 しばらくして、マナは意を決したように顔を上げた。


「分かりました。それじゃあ、次回からはレーナさんも一緒に」

「……なんか」

「その代わりに、今夜はとことん付き合ってもらいます!」


 マナを悩ませてしまった罪悪感。俺はなんとなく謝りかけたのだが、それを遮って強引に手を引っ張っていく。

 そしてレーナの部屋とは格段に差が見受けられる四畳一間といった感じの部屋へと誘われるのであった。




 とりあえず座らせられ、マナは冷蔵庫から水を取り出す。


「すいません、水しかないです……」

「水は好きだよ」


 水を頂いて、マナは向かいに座る。


「ふぅ……」

「ところで、用事ってなんだったんだ?」

「それは……いえ、大したことじゃなかったので」


 どうやらマナは嘘をつけないタイプらしい。水の入ったコップをずっと見つめている姿は見事に、憂う乙女のそれであった。。


「話しにくいことなら、いいんだが。俺でよければ力になる」

「大丈夫ですよ。もう終わったことですから」

「それにしては随分と暗い表情をしている。可愛いが、マナにはあまり似合わないな」


 それくらい分かる。

 長らく二次元を眺めてきたのだから、彼女の表情が何か憂いを抱えていることなど、それがかなり重いことだというくらい。


「この世界に来て、未だに救世主らしいことが出来てないんだ。俺を助けると思って、話してみないか?」

「でも、本当に終わった話ですよ。ただちょっと……」


 そうして、彼女がぽつりぽつりと語り始めた。




 それは孤児院でも割と孤立していた頃のお話。

 幼いマナはいつものように、庭で剣術の教本を食い入るように読み漁っては、鍛錬と素振りを繰り返していた。

 すると数人の男子が木の棒を持ってマナを取り囲んだ。


「おまえずっとひとりでいるよな。なかまにいれてやるよ!」

「チャンバラがすきなのか? じゃあいっしょにやろうぜ!」


 チャンバラなどというが、要するにマナを相手に多勢に無勢で棒で殴ろうということだった。

 一人の男子が手始めに棒を振り上げた。

 と思えば、途端に男子は身を縮ませて地面に這い蹲った。


「がら空きです。もっとちゃんとしないと」

「こ、こいつなまいきだ!」


 仲間がやられたことに憤慨した男子たちは、一斉に襲い掛かる。

 しかし真剣に鍛錬を続けていたマナには何人寄ろうとたいした脅威ではなかった。

 とはいえ子供体力には限界がある。ペース配分すら知らないマナは、間も無く息を切らし始めた。


「はっ、はっ……」

「うごきがとまったぞ!」


 背後、大きく振り上げられた棒に気付き、しかしマナは動けない。

 観念して、瞼をぎゅっと閉じた。


「っ!」


 殴打の音が響く。

 だが、身体のどこも痛まない。

 マナは恐る恐る瞼を開けた。


「お前たち、恥ずかしくないのか。よってたかって女の子一人に」

「せっかくかてそうだったのに!」


 マナの目には、黒髪の男子の背が映る。


「おまえら、男じゃないな。ケモノだ」

「ひっ!」


 少年の瞳に、やや年上の子ですら慄く。

 たまらず彼らが泣き出しながら逃げ出すと、少年はマナの方を向き直る。


「だいじょうぶか?」

「あ、ありがと……ございます」

「マナ、強いんだな。良かったら俺にも剣じゅつをおしえてくれ」


 颯爽と現れ、視線だけで彼らを撃退し、自分に教えを請う少年は、あまりに不思議で魅力的だった。


「う、うん!」


 それからは毎日、庭にはマナと少年が剣の鍛錬をするようになった。

 雨の日も風の日も、嵐の日はさすがに控えたが、ほぼ毎日。


 そうして成長し、二人はその技術を売りに、城の兵士に志願した。


 二人とも一緒に、鷹の目部隊へと配属された。

 孤児院出身はひどい差別を受けていたため、まず最初に危険地帯へと赴き、情報を収集する偵察部隊へと配属されることが多かった。


 それでも二人は鍛え上げられた実力で、数々の任務を達成してきた。

 この勢いで、孤児院出身者への評価が変わりはじめるほどに。


 それをよく思わなかった鷹の目の隊長は、少年に休む暇を与えなかった。

 やがて任務でミスを犯し、仲間を逃がして自分たった一人で敵勢に立ち向かった。




「それが、私の見た彼の最後だったんです。私は、助けを呼びに言って、でも隊長は駄目だって……」


 懐かしそうに、楽しげに語るマナの頬は、途中から雫が伝っていた。


「わ、私がもっと、もっと強ければ……」


 震える声で、マナは悔しそうに、叫びを押し殺しながら呟く。

 そして俺はというと、情け無いことに、何も出来なかった。

 それはもう本当に、どうしようもなく終わったことだからだ。


「でも……でも、もういいんです」

「いい、とは?」

「さっき、隊長の口からそれを聞かされました。全てが隊長の謀略だったと。でも、今はもう……だから、感謝しているんです。彩人さん。あなたが私を推薦してくれたこと。彼が成し遂げられなかった夢を、私が代わりに果たせるかもしれないから」


 孤児院出身者への偏見。それを打ち破るための手段を、はからずも俺が用意したことになる。


「最初は、貴方に彼の影を重ねていたのかもしれません。でも、あなたはやっぱり、私に機会を与えてくれた救世主様です。だから……だからお願いします!」


 俺は、急に卓上に身を乗り出し迫ってきたマナに驚き、身を後ろに引いた。


「お、お願い?」

「私はもう、鷹の目部隊ではなく、貴方の身を守る精鋭部隊の一人です。でも、それもきっといつか……だから、私を雇ってください」

「ちょ、ちょっと待て。何がどうしたらそんな話になるんだ!?」

「私に貴方を護らせてください。私の救世主あるじ様になってください! お願いです! 私、なんでもしますから!」


 怒涛の攻めはレーナにも引けを取らない。否、それ以上の必死さが込められたものだと分かる。

 そして、彼女の悲しそうな、決意の表情があまりにも美しくて愛おしい。

 だが安易に答えてよいものか。


「マナがそれを望むなら」

「本当ですか!?」


 そんなのイエスに決まっている。欲する二次元美少女には与えよ。二次元愛好者ならば基本中の基本である。


「というか、それはいったいどういう意味なんだ。俺がマナのご主人様にでもなるってことか?」

「まあ、そんな感じですかね。私もよく分からないですけど」

「ええ……」

「と、とにかく、これから改めてよろしくお願いします!」


 やはりマナは笑顔がよく似合う。


「こちらこそ、よろしく」





 サモハン・ジムニールは苛立っていた。


「糞ッ、孤児風情が調子に乗りやがって。あのメスガキがッ!」


 彼はコップに安酒を注いで一気に飲み干し、深く息を吐く。


「マナ・ソードベル。貴様は後悔することになる。いや、絶対に後悔させてやる。くっくっく……」

「なんて醜い」

「だ、誰だ!?」


 答えは返ってこない。返って来る筈が無い。


「気のせい、か?」


 なにせ、それは僕の声だからね。

 僕はこの白い箱の中から、この世界を常に眺めている。暇つぶしのようなものだ。

 それにしても、なんて醜い様だ。ごめんよ彩人。僕は君に謝らねばならない。

 でもその世界には、君の求めた物がある。どうか、君の忌む物を打ち砕ける力を身に付けてくれ。

 輝く水晶が違う場面を映し出す。

 彩人と、一人の乙女剣士が座卓を挟んでイチャコラしているのがよく見える。プライベートなど神の前では護られないのだ。


「君ならきっと出来る。なにせ、この僕が目をつけた男の子だ。君の内に宿る者が、きっと僕を救ってくれるだろう。頼んだよ」





 ふと目が覚めると、いつもの見慣れた天井ではなく、座卓が視界を支配していた。


「あれ、私、寝ちゃった……?」


 もやのかかった様な目を擦ろうとすると、右手が何かを握っていることに気付く。


「なんだろ、これ……」


 よくよく見れば、それは手だった。

 男性にしてはやや頼りない手で、女性にしては少々不恰好な手。

 ふと横を見る。そこには、仕えるべき主の姿があった。


「え、なんで私、彩人さんの掴んで……」


 私は現状を視認するためきょろきょろと見回す。

 肩までかけられた毛布は、彩人さんも一緒に入っている。寒かったのだろうか。

 そして私は、彩人さんの手を握り締めていた。

 私が彩人さんに毛布をかけた覚えは無い。ということは……


「……す、すみません。ありがとうございます!」


 私がわがままでつき合わせてしまったというのに、こともあろうに彩人さんは、先に眠りこけてしまった私に毛布をかけ、しかもどういうわけか私が握ってしまった手を振り払わずに一緒に居てくれた。

 この人の優しさに感謝しながらも、私は同時に、この人をご主人様に選んでよかった、と心底思った。


「ほんと、私なんかにはもったいないくらい」


 きっと、寂しかったのだ。孤独で、不安で、ひたすらに辛くて……だから、拠り所を求めていたのだ。

 かつての友人の代わりを。私を孤独から救ってくれる人を。

 頑張っている私を、それはまるで小鳥の止まり木のように休ませてくれて、癒してくれる。そんな人を……


「絶対、絶対に御守りします」


 もう逃げない。あの時の過ちを繰り返さない。

 この命に代えても、この人だけは守り抜いて見せよう。





「やぁ、いい感じだね。そのうちしっぽりむふふとなれればいいね」

「お戯れを、マイゴッド。意外と卑猥ですね」


 最初の時と同じ、白い空間の中で俺はマイゴッドと対峙している。

 

「出来る限り急いだつもりなんだが、間に合いそうですかね、マイゴッド」

「うん、まあそこそこってとこだね。でも気を緩めてはいけないよ」


 なんだか知らないがやたら真面目なやり取りになっている気がする。マイゴッドらしからぬ。


「それにしても、可愛娘かわいこちゃん三人もはべらせちゃって、この色男目、このこの~」

「そんなんじゃありませんよ」

「じゃあマナのあれは? 随分と君を慕っていたじゃないか?」

「あれは……そういうのじゃないでしょう」


 あれは過去になくした友人の穴埋めだ。どうしようもなく寂しい彼女は、自分の身を預けられる存在が欲しかったのだ。

 それが偶然、救世主として来訪した自分だったというだけのことだ。


「なかなかお堅い考えをなさるなぁ。じゃあレーナはどう?」

「あれこそ、本当にただの友人でしょう。まあ同好の士というか、戦友と言うか?」

「ただの友人を夜、しかも異性を部屋に招きいれようなんてしないと思うけど?」

「レーナもあまり友人が多いほうでは無さそうでしたし、珍しく気の合う友人が出来て浮かれているのでしょう」


 するとマイゴッドは少し沈黙し、じゃあ、と続けた。


「じゃあアルトリカは?」

「アルトリカは……人にちょっかいを出すのが好きなだけでしょう。悪戯好きの小悪魔のようなものです」

「彩人、そんな鈍感系主人公になりきらなくても。ムッツリスケベ主人公でも僕は大丈夫だと思うよ」


 どうやらマイゴッドは勘違いをしているようだ。

 真の二次元愛好とは、そういうものではない。


「マイゴッド、私の二次元愛好は、ひたすらに異性として意識する……というわけではないのです」

「ふーん? と言うと?」

「私にとって二次元美少女は愛でるもの。愛すべき者たちです。確かにそういった劣情を抱かないこともありません。しかし、私にとっては、彼女たちが幸せでいることこそ、俺にとっての至上の憩いとなるのです」

「ほう、それは感心だ。そこまでの気高い思想、神様でも稀だよ」


 愛するということは与えるということ。恋することは、欲するということ。欲するには、まず与えなければならない。

 だから俺は彼女たちが満たされるほどに、与えなければならない。


「と、いうわけで、私にとっては自分の愛欲劣情を満たすことより、彼女たち自信が笑顔でいられるような、存分に振るえるようになることが最優先なのです」

「そうか。とことん優しいんだね君は」

「欲望に忠実なだけですよ。マイゴッド」

「ふふっ、それでいいよ」


 くすくすと笑うマイゴッド。

 そして一息おく。


「さて、いよいよ旅立ちの時だ。幸運を祈っているよ」

「はい、必ずや強者を集め、この世界を救いましょう」

「……うん、頑張ってね」


 最後のその言葉が、やはりどこか憂いを帯びているような気がした。

 それを問うことも叶わず、視界は白みがかって、やがて暗転した。

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