第7話 三次元に未練無し

 さて、ここでメンバーを改めて紹介しておこう。

 まずはこの世で最も世界一、二次元を愛好する男。

 その名は雨上 彩人。

 外見は至って普通。少々伸ばしすぎなセミショートの黒髪と、黒目。

 だが生粋の二次元愛好者で、二次元にしか興味が無い。

 特技は二次元愛好、趣味は二次元愛好、長所は二次元愛好だ。

 俺はあの糞ったれな三次元世界からマイゴッドに救い出され、念願の二次元世界にたどり着けた。

 マイゴッドから与えられた加護<成長促進>で自らの能力を最大限に伸ばし、この二次元世界を異世界の神々の使者から護りきることが、救世主たる俺の使命である。

 とはいえ俺は三次元を嫌悪し続けただけの、二次元愛好しか取り得の無い男である。しかしそんな俺に最初に優しくしてくれた少女がマナであった。


 マナ・ソードベル。

 赤のミディアムヘアー、元気な橙の瞳の溌剌な乙女。

 この世界に来たばかりの俺に優しく接してくれた女神だ。

 この国の偵察部隊。鷹の目部隊の最強剣士トップエースである。

 独学で剣術を会得し、日々鍛錬を欠かさない頑張り屋。

 孤児院の出身であるためか時々馬鹿にされたり、試合では殺気をむきだしにするため、ほとんどの人間が二度と彼女とは試合したくないという。

 だが、それも彼女の生真面目さゆえのものである。

 俺はあの真剣な表情に一目惚れしてしまった。

 そんな彼女も食堂のコック長とは意気投合し、生粋の肉好きミートジャンキーであるマナは新作メニューの開発を手伝っている。

 とはいえ彼女を見下す者は多く、主に格式の高い家系の人間は見下すのが当然という感じさえする。

 アルトリカもその一人である。


 アルトリカ・蘭・プラチナム。

 ふわふわ金髪のロングヘア。品の良いお嬢様じみた口調の乙女剣士。

 国内最強とうたわれる部隊、<黄金の剣>の最強剣士トップエース

 だが黄金の剣には一軍と二軍があり、アルトリカは二軍であることが発覚した。

 代々剣術を極めるプラチナム家の一人娘。なのだが、アルトリカはどちらかといえば我流の剣術開発に心酔しているため、プラチナムの剣術はあまり使えない。

 しかし剣術の才能は確かで、二軍とはいえ最強剣士トップエースの座に君臨している。

 確かにあまり性格が良い方ではないが、しかし彼女には誇りがあるように思える。

 誇り高いその立ち振る舞いが、妙に俺の心をひきつける。

 孤児院出身のマナが実力者というのが鼻につくようで、隙を見てはちょっかいをかけたりしている。普段は左右に御付のセイブ・ア・リルとアンシア・スティングがいる。

 育ちの良さそうな喋り方をしていながら自信家であるため、マナにバトルを挑むも初手で敗北した。

 だがレーナとは激しい接戦の末に引き分ける。相性の悪い相手でも柔軟に対応してみせる才覚は本物だ。


 レーナ・イルゥト・ルナ・シルファニオン。

 セミロングの銀髪に青い瞳の少女。

 まだ幼いながら、可憐さと美しさはもはや完成されている。成長したらきっと絶世の美女となることだろう。

 まだあまり詳しいことは分かっていないが、レーナ自警団という部隊を率いているらしい。もちろん最強剣士……と思いきや、彼女は自分を剣士ではなく刀剣使いと自称し、俺にもそう呼ぶように強く言ってくる。

 どうやら刀剣使いというのは、剣術に縛られないフリースタイルな戦い方であるらしい。

 どうでもいいことだが、彼女からはどこか懐かしい香りがする。


 天霧 羽々斗。

 銀髪短髪の青年。落ち着いた性格。

 <白銀の刃>に所属している部隊長にして最強騎士トップエースである。

 博識で、物事の説明や戦闘の解説までこなしてくれる上に礼儀正しく、そのうえ気が利いて親切。俺が女だったら確実に抱いてもらっているところだ。

 マナの話では、国内最強とうたわれる者のうちの一人であるという。


 さて、一通りの紹介が終わった。そして今は、これから旅の準備を整えようというところである。

 が、その矢先、マナが思い切った様子であることを言い放った。


「あの、親睦会とか、やりませんか?」


 親睦会などと言い出すマナに、全員の視線が集中する。

 俺としては二次元美少女と親睦を深められるのならまったく持って問題ない。むしろウェルカムなのだ。

 しかし我の強いアルトリカとレーナがそれに乗り気になるかどうかは不安なところであった。が、それはどうやら杞憂だったようだ。


「マナにしては、よい事を思いつきますわね」

「まあ、このレーナ様と仲良くしたいって言う気持ちは分からなくないけどね」


 思いのほかに食いついていた。

 だが羽々斗はどうだろうか。彼はどこか生真面目さが匂う青年だ。やたら博識な上に、現状を把握し、最善の手を最高のタイミングで最速で打つような印象がある。


「よいと思われます。これからしばらくは共に旅をする仲です、親睦会で互いを知り合うのも、チームワークも必要になってくることでしょう」


 と、予想外の満場一致で親睦会を行うことになった。

 場所はもちろん城の食堂。

 各々、今日の予定があるので日の入りの頃合に現地集合ということになった。

 俺とマナはひたすらに剣を振って、目いっぱいに腹をすかせて向かったが、一番乗りだったので先に食い始めてしまった。

 本日の照明は橙色のオシャレな雰囲気をかもし出そうとしているが、食堂は食堂である。オシャレもクソもない。


 マナは自分の大好きな肉料理をじゃんじゃん頼み、遅れてきた他の者にも振舞っている。


「このホイコーロ、コック長と考えたんですよ!」

「マナの考えた料理が美味しいとは思えませんけど。少なくとも私の高貴な舌には」

「逃げるんですか?」

「頂きましょう」


 マナはどうやらアルトリカの扱い方を会得し始めたようだ。

 レーナと羽々斗は一口食べると、うんと唸って絶賛する。


「美味しいじゃない!」

「作り手の力量が伺えますね。マナはコック長とは仲がよろしいので?」


 孤児院出身はなにかと差別されるらしいが、関係ない人間にとっては本当に関係が無いようだった。

 ましてや救世主の護衛を任された同じ仲間となれば、親しくなれる可能性も高い。

 俺はそれを新しい料理をコック長から受け取りながら眺めていた。


「ありがとうな、救世主さんよ」


 俺が首をかしげていると、持っている盆の上に料理の盛られた皿を一枚ずつ乗せていく。


「あんたのおかげで、あのマナに友達が三人も出来た。あんたは本物の救世主なんだな」

「俺は大したことは別に」

「謙遜すんなよ。あんたがマナを推薦したってのは、とっくに城中の噂になってる」

「俺は友人に旅のお供をして欲しいと思っただけだ」

「はっはっは! そうかいそうかい! あのいけすかねえ隊長殿の悔しそうな顔を見せてやりたかったぜ」

「隊長って、鷹の目の?」

「ああ。あいつは性格悪いからなぁ。偵察部隊だからって、自分はふんぞりかえるだけであとは手下にまかせっきりだ」


 二次元でもそういう胸糞の悪い人間というのはいるものか。

 世界が二次元というだけで、この世界は理想郷というわけではないらしい。


「あんた、丁度具合の良い年頃なんじゃないか? 結婚とか考えてないのか?」

「俺が、結婚?」


 二次元美少女との結婚。ああ、なんて素敵なことだろう。夢のような話だ。

 いや、そもそも二次元世界に来れたことがすでに夢のようなことだろう。

 だが……


「似合ってると思うが、どうだ? マナは可愛いほうだと思うぞ」

「勘弁してくれコック長。俺じゃマナの相手は勤まらない。もっといい男がいるよ」


 そう、あんな素敵な顔をしてくれる彼女に匹敵するものなど、今の俺は持っていない。俺は二次元を愛好することしか出来ない二次元愛好者なのだから。


「謙遜も過ぎると嫌味だぞ。まあ、お前が世界を救ったその時は」


 ふと、マナと目が合った。

 すると嬉しそうな笑みで大きく手を振る。


「彩人さーん! どうかしましたかー?」


 子供のような仕草の彼女に思わず微笑まされて、俺は料理を運んだ。


「何の話をしてたんですか?」

「いや、ちょっと縁談」

「えんだん?」


 よく分からないようで、マナは首を傾げる。

 対してアルトリカは察したようで、驚いたような表情。


「あら、彩人。結婚願望がありますの?」

「け、けっこん!?」

「まあ、英雄色を好むといいますし。一夫多妻はNGですけれど、私なんかいかが?」


 アルトリカは<救世主との結婚>を目論んでいるだけなのではなかろうか。

 いや、そもそもその気は無いし、やんわりと断ることにしよう。


「まだ俺には結婚は早い」

「そうですわね。その年齢ならもっと楽しみたいでしょうし」

「人を遊び人みたいに言うな」

「殿方ならそれくらい聞き流す度量が必要ですわよ。童貞じゃあるまいし」


 アルトリカの言葉に、俺は応えることができなかった。

 するとアルトリカも察したらしい。


「えっ? その歳で?」

「俺の実年齢しらないだろうが! じゃあお前はどうなんだアルトリカ」


 十分セクハラ事案になる気がするが、ここで退いてはむしろ童貞が廃る。

 だが彼女は勝ち誇った笑みを浮かべている。


「乙女を殿方と一緒にしてはいけませんわよ。私は純真無垢な乙女ですわ」

「マナにさんざんちょっかい出してきた奴がよく言う」

「これは手厳しい」


 くすくすと笑うアルトリカ。まるで暖簾に腕押しといった感じで、どうにも弄ばれている感じがする。


「彩人さん、実は私はそんなに気にしてないんですよ」

「ほう」

「私たちは、剣士は剣で語るものですから」


 それがアルトリカに、実際に勝利したことを意識した発言だと察するのは容易だった。

 現に、アルトリカの表情からは先ほどの笑みがどこにも残っていない。

 常に見下していた相手から、遠まわしに見下されるその心境たるや、想像するのがあまりに容易く、心地よい。


「あ、あれはマグレですわ!」

「実戦ならあれで終わりです」

「実戦じゃないからちょっと油断しただけですわ! 大体あなたはいっつもそうやって本気にするから、手合いの相手にも事欠いていると自覚してらして!?」

「手合いの相手なら間に合ってます。ねっ、彩人さん?」


 首を傾げて求めるマナ。まるで擦り寄る猫のようで、愛らしすぎる。


「ぐぬぬ……次は絶対に負けませんわ!」


 あのアルトリカがまるで子供のようだ。

 だがそれよりも、あのマナが少々大人びて見えるほどにアルトリカを翻弄しているのが意外だった。アルトリカに勝利したことで自信がついたのか?


「ふふ……精々技巧を磨いて私を楽しませなさい。いずれ最強の刀剣使いとなる、このレーナ・イルゥト・ルナ・シルファニオンをね」


 レーナは自信家というより誇大妄想の持ち主のようだ。


「でもマナに負けたアルトリカと互角ってことは」

「だからあれは油断しただけですわ!」

「そりゃ今はね。でも明日は分からないでしょ」


 そのレーナの言葉はやけに俺の耳に入ってきた。


「明日が駄目なら明後日あさって、駄目なら明々後日しあさって弥明後日やのあさって五明後日ごのあさって。それでも駄目なら1年後、駄目なら10年後。それでも駄目なら、死ぬまでやればいいじゃない」


 誰もが絶句していた。俺もまたそうだった。


「何よ、当たり前でしょ。私は最強を目指しているの。最強っていうのは誰よりも強くないといけないの。なら、最低限、誰よりも長く続ければいいじゃないの」


 それは常軌を逸していた。いっそ異常と言っても良かった。だからこそ誰もが言葉を失っているのだろう。

 だが俺はそういう意味で声が出なかったのではない。至極、共感してしまったのだ。


「そう、だよな。誰よりも長く続ける。それが最低限、払うべき努力だ」

「へぇ、皆この話をするとドン引きするんだけど、あなたは話が分かりそうね」


 と、レーナは碧眼をこちらに向ける。


「継続は力なり、とも言うしな」

「聞いたこと無いけど、意味は大体分かるわ」

「俺も似たようなことをしていたからな」

「へぇ、何を?」


 問われるが、答えられるわけが無い。

 二次元愛好者である俺が、二次元への入り口を諦めず探していたなどと。


「狂ってますわ、そんなの」

「狂人で結構。人になんて思われようと、強くなれば捻じ伏せられるし問題ないわよ」


 その他者を置いてけぼりにするその姿勢ですら、まるで三次元での俺のようだった。

 否、それは身の程を弁えない考え方だ。三次元の俺が目指していた有り方だ。

 三次元の頃の俺は、ことあるごとに膝を着き、挫折していたものだ。


「二次元……いや、異世界」

「なに?」

「俺は異世界に憧れてたんだ。誰も彼もが俺を嘲笑った。でも俺は、諦められなくて、だから、ずっと探してきた」


 込み上げてくる熱が顔を火照らせ、湧き上がる高揚が、驚くほど口を軽くする。

 レーナは驚いた表情を浮かべると、ふーんと興味深そうな目で見る。

 その笑みには、自分に対する何かしらの期待がこめられているように感じる。


「いいじゃない。素敵よ」

「っ……!」

「私も最強の刀剣使いになるって言うと、よく笑われるの。ほんと人を舐めてるわよね」


 嬉しいとか、喜ばしいとか、そういうレベルの感情では収まっていなかった。

 胸の奥を強く押さえつけられたような衝撃と、抱き締められるような安心感。

 理解合わかりあっている。それが実感できる。

 三次元で味わえなかった、共感を二次元で出来ている。

 このレーナは、自分とどこか似通った部分がある。それがとても、嬉しかった。


「この話はまた今度ね。余計な茶々がはいると興が冷めるわ」


 見た目一番最年少っぽいのに、口調といい、価値観といい、どうしてこう、大人びているのだろう。


 さて、わいわいと騒いでいると、いつの間にか料理も無くなり、時間もそこそこ。

 俺が肉の最後の一切れをマナと譲り合っていると、羽々斗が言う。


「明日から遠征の準備です。今日は早めに身体を休めましょう」

「それもそうだな。寝坊したらマナに怒られる」

「剣は一日にして成らず、ですから」

「その訓練、私も見てみたいわ。何時くらいにやってるの?」

「私は朝は弱いからパスですわ」

「聞いてないわよあんたには」


 宴の熱が冷めないままに、食堂から散り散り去る。

 俺とマナは同じ通路を歩いていた。


「なんだか、本当に夢みたいだ」

「え?」

「三次……いや、前の世界では、こんな世界があるなんて思わなかったから」

「でも、異世界を探していたんじゃ?」


 確かに、異世界を探していた。だが、きっとそれは俺の望む形の者ではないだろうと、内心は妙な諦めを抱えたままだった。

 まるで年老いて全てを悟った気になっているように。だがしかし、諦めきれないという思いだけで続けていた。


「だから、レーナが眩しく見えたんだろうな。あの強さには憧れてしまうな」

「彩人さんだって強いですよ」

「光栄だな」


 そして分かれ道、マナとも今日のところはお別れだ。


「それじゃあマナ、また明日」

「明日もちゃんと起こしに来ますから、安心して寝ちゃってください!」

「ははっ。ああ、それじゃあお言葉に甘えるとしよう。おやすみ」

「はい、おやすみなさい」


 俺はマナと別れ、自分の部屋へと帰る。


「彩人さん」


 声に振り返ると、そこには羽々斗がいた。


「もう少し、お話いたしませんか」

「ああ、別に構わないけど……」


 そういえば羽々斗とはあまり話していない。

 というよりも、羽々斗は基本的に無口だった。何かしらの話題において、物事の解説や豆知識の披露で物知りであることは分かったのだが。


「とりあえず俺の部屋でいい?」

「ありがとうございます。どうしても貴方に聞きたいことがありまして」


 羽々斗が俺に聞きたいこと?

 まったく見当がつかないが、とりあえず部屋に通し、俺はベッドに腰かけ、向かいの机の椅子を勧めた。


「どうぞ」

「ありがとう御座います。失礼します」


 妙に堅苦しい羽々斗は椅子に座る。


「それで、俺に聞きたいことって?」

「では、救世主様は異世界から来られたのでしたね」

「ああ、確かに。異世界から来た。この世界とは比べ物にならないくらい醜い世界からな」

「醜い……では、元の世界に帰る予定はない?」


 それを聞いて、俺は思わず身震いする。なんて恐ろしいことを言うんだこの騎士は。


「ああ、戻る気は無い。むしろここに永住したい」

「ですが、救世主様にも親族の方や、友人などがおられたのでは。親しい方々を置いてきてしまったのでは?」

「要領を得ないな。つまり何が言いたいんだ?」

「……元の世界に、未練は無かったのですか?」


 ああ、そういうことか。


「私はあなたがもしかして、戦いに巻き込まれただけなのでは、と思っています。あなたがもし自分の世界に戻りたいと願い、戦いから遠ざかりたいと望むなら、私は……救世主様?」


 俺は堪えきれずに噴出してしまった。

 せめてクツクツと笑いを殺そうとする。


「ぷっく、クフフ……くははっ!」


 が、結局はそれも無駄となり、腹がよじれんばかりに笑った。

 喉が張り裂けんばかりに嗤い、胸がひり付くほどに哂った。


「はーっ、いやぁ悪い。優しいんだな羽々斗は」

「は、はぁ」

「無いよ。そんなもの」


 俺はきっぱりと言い切った。これだけは断言しておきたかった。


「元の世界に戻りたいとか、帰りたいとか、ママに会いたいとか、友人ダチの顔が見たいとか、そんなのは一切ない」


 もしあるとすれば、他の二次元を見ることが出来ないということか。

 二次元は数多く、俺の心を掴んで離さない美少女たちも、それはたくさんいた。

 彼女たちの姿を見ることが出来ないことだけは、唯一の心残りかもしれない。

 だが、三次元そのものに対しての未練など粉微塵ほどにもなかった。というかそれが何も無いような世界だからこそ、二次元世界に憧れたのだろう。


「俺にとっては、今あるこの(二次元)世界だけが本物で、この世界の人々が愛すべきものだ。だから変に哀れまないでくれ。妙に気を使わないでくれ。前の世界など気にせず、俺の友人でいてくれ」


 羽々斗は呆気に取られていた。

 しかし俺の言葉を認識すると、深々と頭を下げた。


「失礼致しました、救世主様。しかし怖れながら、私が救世主様の友人とは」

「その救世主っていうのも今日限りで終わりだ。せっかく旅をする仲間だっていうんだ。もうそういうのは要らないだろ。俺とお前なら」

「貴方がそう仰られるなら。よろしく、彩人」


 そう、未練なんてない。ましてや後悔などするはずもない。

 この手に届いた二次元を、どこまでも大切にしていきたい。

 そう思いを馳せていると、羽々斗が立ち上がる。


「私の我侭につき合わせてしまって、申し訳ありませんでした」

「いや、むしろ助かった。なんだか吹っ切れた感じだ。礼を言うよ」

「いえ、こちらこそ。私の不安は杞憂だと分かった。これからは貴方の身を守るため、剣を振るわせていただく」


 堅苦しい感じから柔らかくしようとしているのが端々から伝わってくる。


「そろそろ寝ないと本格的に明日起きられなくなる」

「失礼、では私はこれで、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」


 羽々斗が部屋を後にし、俺はベッドに寝転んだ。


「三次元も、もう過去の場所なんだな。今の俺は、二次元にいる」


 考えるまでも無い、当たり前のことだ。

 しかしその事実がどうにも不思議で、現実感が伴ってくれなかった。

 だが、今回ではっきりした。眼前の霧が一気に吹き飛ぶようだ。

 そう、あのっくき三次元から逃れ出でて、この二次元世界へと辿り着けた。

 そう考えると、三次元への圧倒的な優越感が、どうしようもなくこみ上げてきてしまう。

 とうとう俺は、再び哄笑をあげた。


「くははっ、くっはっはっ! ハァアアッ!! ざまァ見ろ! ざまぁ見さらせッ! 俺の勝ちだ! 俺のッ、勝ちだぁっ!!」


 笑った、哂った、嗤った。

 三次元に抑圧されていたあらゆる願望を吐き出すように。遠き三次元に己を誇示するかのように。

 大声で、疲れ果てる、気絶するような寝入りまで……。

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