第23話 社会不適合者

「ひっ、はっ、はっ……」


 泥沼に浸かったかのような倦怠感。

 それでもなお迫り来る恐怖と嫌悪感から逃れるために、張り裂けそうな肺で更に呼吸しながら走る。


 どうしてやつらは平気な顔をしていられるんだ?

 なんであいつらはなんともない風を装っているんだ?


 どうして皆、聞くに耐えない汚言を撒き散らしながら働いているんだ?


「くっ、来るな! 来るなよぉッ!」


 いや、その前に、俺は何から逃げているんだ?

 決まってる、奴らだ。

 当然のような顔で人間を使い捨てる悪魔たちからだ。

 自然だという顔で奴隷へ引きずり込む亡者たちからだ。


「はぁ、はぁ……ぐうっ!?」


 足が何かに引っかかり、つんのめる。

 恐る恐る、視線を下におろすと、足首には絡みつくように何本もの手が這っていた。


「ひっ……!」


 それは見紛うことはない。

 憎き醜き三次元の体だ。

 おぞましい亡者らは何かを口ずさんでいる。

 聞きたくもないのに、どうしてか耳が声を拾う。


「働け」

「ひっ!」

「現実を見ろ」

「や、やめろっ……!」

「この社会不適合者め、犯罪者予備軍め。死ね、死ねッ」

「うあああああ!! 離せ、離せよ!」


 怖い、怖い、怖い!

 なんで今更こいつらが出てくるんだ!?

 もう俺は二次元に至ったはずだ。もう三次元に足を取られるようなことはないはずだ。


「お前らは好きで諦めたんだろうが! 俺は違う! 俺はお前らみたいに諦めなかった! 夢から目を逸らさなかった! 俺は……ぐあっ!?」


 ひどい力で足を引っ張られたせいで引きずり倒される。


「なんで今更……離せっつってんだろうがぁ!」

「彩人さん!」


 ふと気付くと、群れる亡者達とは反対側にマナが立っていた。


「マナ! 頼む、手を貸してくれ!」


 藁にも縋る思いで伸ばした手を、マナの手が握る……

 寸前、亡者に引きずられて空振りする。


「クソッ! いい加減にしろ! 俺はもう二次元世界で満喫するんだ! 三次元がしゃしゃり出……ぐぅおおお!!」


 やばいやばい。もう本気で堪えても徐々に後ろに持っていかれ始めてる。

 もう手を伸ばす余裕も無い。


 いやもう本当にキツいっす。俺は散々三次元の魔の手から逃れようとありとあらゆるものを投げ捨ててきた。

 言うなれば命かけた。人生かけたんだよ。

 それを今更になってこんなのに引きずり込まれるなんて冗談じゃない。


「彩人さん! 手を!」

「ぐうおおおおお!!!」


 渾身の力で留まり、手を伸ばす。

 マナもこちらに手を伸ばしてくれている。

 あと、もう少しで届く……


「えっ?」


 それは、壁だった。

 忌々しい、そして絶対的な、透明の壁。


「嘘だ……嘘だ、嫌だ、なんで、なんでこんな!」


 絶望の闇が下り始め、視界が持たない。

 そう認識した時には、俺はすでに強い力で後ろに引きずられていた。




「しっかりしてください、彩人さん!」

「っあああぁぁぁッ!!……だっ!?」


 額が強い衝撃に襲われ、頭を枕に落とした。

 空いている左手だけで額を押さえ、悶える。


「ぐぅおおお……」

「つぅ……あっ、彩人さん! 大丈夫ですか!?」


 見ると、マナが俺の手を握っていた。

 夢で聞こえてたのは、本当に呼んでくれてたのか?


「えっ、ああ。大丈夫……」


 嘘だ。全然大丈夫じゃない。

 気付けば全身汗だく。傍目から見て大丈夫じゃないのは明白だった。


「なんで、あんな夢……」


 数日前からそれっぽい夢を見るようになったが、それにしても今回のは度が過ぎる。

 三次元嫌いの俺に対する何かしらの暗示か……?


「とりあえず、お水持ってきます」

「ああ、悪い……」


 そう言うマナだが、動く気配が無い。

 どうしたのだろう。もしかしてこのまま俺を慰めて一緒に汗だくになってくれるとでもいうのだろうか。


「あ、あの、手を離してもらってもいいですか?」

「あっ、ごめん。ちょっと、夜風に当たる……前に着替えないとな」


 俺はぐっしょりと濡れた服を脱ぐ。


「……マナ?」

「はひ、ふぁい!? あっ、お水! お水持ってきます! あとタオル!」





 街灯がない場所なら、三次元にもあった。

 そういう場所では、本当に星が綺麗に見える。


 俺は馬車の荷台の上に乗って寝転がり、マナはと隣に座っている。


「すごいうなされてましたよ」

「ごめん、起こしちゃって」

「いえいえ」


 神田が加わってからは見張りの必要もなくなったから、焚き火の明かりもない。

 それにしても、酷い夢だった。

 なんだ。これからの戦いに関連する予知夢か何かか。

 もしかして異世界の使者は三次元の住人で、とか在り得ないとは言い切れないからな。


 途方も無い不安に溜息を吐くと、マナが恐る恐る訪ねてきた。


「あの、思い出したくないかもですけど、どんな夢だったんですか?」


 俺は躊躇った。

 三次元に対する嫌悪、それを晒すことを躊躇った。


 端的に言うと、嫌われそうで怖い。

 ここで前世のことをボロクソにこき下ろして言っても引かれないほどの信頼感を得ているかどうかは不安なところだ。

 でもこのまま溜め込んでいると俺のメンタルがもたない。

 よし、言おう。ここは意を決する時。


「前世の夢だよ」


 そういえば二次元とか三次元ってのは説明してない。どうやってボカそう。


「前世は、俺にとっちゃ地獄だったからな。トラウマにでもなってんのかな」

「そんなにですか……」


 こんな情け無い男が救世主? などと思われて無いだろうか。

 いや、思われてるだろうな。思われていないはずが無い。

 被害妄想が先走っている俺に、マナはまっすぐこちらを見た。


「彩人さん、私は貴方に救われました。言わば恩人です。私の命と心を巣救ってくれた……私、彩人さんの力になりたいんです」


 暗いながらも、彼女の瞳からは力強さを感じさせる。

 まるでマナも意を決したかのような。


「だから、もっと私を頼ってください。至らないところは、なんとかします。頑張りますから」


 マナが何を言っているのか、すぐには理解できなかった。

 だが、やがて理解した。

 彼女は本気だということを。


「じゃあ、俺からの最初の頼みを聞いてほしい」

「あっ、はい!」


 気合の込められた良い返事だった。

 寝静まった夜にはちょっとミスマッチだ。


「友達はやめて、相棒になってほしい」

「えと、相棒?」

「そう、相棒。背中を預けたり、一緒に肩を並べて戦ったり、人には言えないようなことを相談したり出来る、そういうの」


 思えば三次元では相棒どころか友人さえいなかった。

 いや、これでも幼少の頃は居たんだ。

 成長する度に、誰もが変わっていく中で、俺だけが変わらなかった。

 ただそれだけのことだ。


「わ、私なんかでいいんですか? そんな大役……」

「恩人といえば、あの胸糞の悪い夢から救ってくれたマナも恩人だな。出来れば相棒として、これからも頼らせてほしい」


 あれは冗談抜きでやばかった。あのままだったら間違いなく漏らしてたね。間違いない。


「俺も頼りがいのある救世主になれるよう頑張ってみる」

「はい! 一緒にがんばりましょう!」


 嬉しそうな声でマナは応える。

 夜だしもう少し静かにしてほしい。


「さて、それじゃあ、もう一眠りしようかな」

「はい。添い寝とかしたほうがいいですか?」


 悪戯っぽい笑みに誘惑の言葉。

 思わずマナをまじまじと見てしまう。


 そう裕福な暮らしは出来なかっただろうに、それでも彼女の体は逞しく、女性らしく育っている。

 順調に成長している様子の胸に、引き締まった筋肉の上にうっすらと肉の乗った太腿。

 顔だって間違いなく可愛い。


 いくら孤児が差別されているとはいえ、こんな可愛い子を虐げるというのも不思議な話だ。


「あの、冗談のつもりだったんですけど……」


 気付けばマナは淫魔の微笑から苦笑へと変わっていた。

 それでさえ、頬を赤らめる照れ笑いは愛くるしい。


「えっ、あいや、だ、大丈夫、です」

「その、私……」


 夢の恐怖などどこへやら、一気に妙な気分に引き込まれる。


「そ、それじゃあ、おやすみ」


 情け無いことに、俺はその場から逃げ出した。

 どちらにしろ、俺はまだマナと釣りあうような存在ではないから。





 彩人さんが行ってしまった。

 ふと顔を触ってみると、すごく熱い。

 ぼーっとして、あと一歩のところで踏み込めなかった。


「どうして、言えなかったんだろ」


 彩人さんとなら、いいですよ。

 なんて恥ずかしすぎる台詞を思い浮かべて顔を覆う。

 でも、きっとそれが言えたら良かった。


 戦闘なら、誰よりも素早く飛び出して、誰よりも深く踏み込んで、必殺の一撃を放ったと思う。

 あの化け猫さんには通用しなかったけど、少なくとも戦闘なら躊躇無く踏み込める。


 でも、こういうのは私は初めて。これはいわばデビュー戦だった。

 そして、呆気なく黒星。


「でも、一歩前進、だよね?」


 これがそういう感情だと気付いたのは、彩人さんが神崎ちゃんを連れて来た時。

 二人の姿がまるで父と娘みたいに見えて、そのときに思ったんだ。


 その隣に居たい、と。





 それ以降、悪夢に苛まれることがなくなり、そのまま順調に進んで自国へと戻ってきた。


「うわぁ、久しぶりですね」

「本当にな」


 久々の自国にマナは感慨に浸っている。

 アルトリカや羽々斗はそこまで思い入れが無いようで、いつもどおり。

 ではなかった。


「妙に騒がしいですわね」

「ええ。その上、どこか物々しい」

「そうか?」


 俺が自国にいたのは短い間だ。

 彼らほど長い時間を過ごしていると、些細な違いもよく分かるのだろう。


「私もよくわかんないですね」

「なんでもいいから、さっさと報告終わらせない?」


 マナとレーナは全く気付いていないようだ。

 というかレーナは自警団だろうに、もう少し町の雰囲気を察知してもいい気がする。


 さて、全員を引き連れ、玉座の間にまで辿り着く。

 そしてここに来る途中、城の兵士らから聞かされた話が真実であることを確かめる。


 王の前に跪いている四人の姿。

 その質感は、どこかこの世界の住人とは違う。

 そしてとても残念なことに、それは俺の前世とかなり酷似した質感だった。


「おお、救世主殿」


 王の沈鬱な表情が、一筋の希望を見たかのように晴れる。

 それに気付き、四人のうち右の右内側の一人が振り返る。


「ああ、初めまして。救世主殿」

「え、ええ。どうも」


 茶髪の青年はにこやかに、こちらに歩み寄る。

 自らの腰に手を回し、何かを取り出しこちらに向けた。


「では早速」


 それは前世で稀によく見る武器が一つ。

 向けられた時点で、逃れられないと知る。

 次の瞬間、それは火を吹いた。


「ぐあっ、がぁああああ!!」


 三度の発砲。その狙いはあまりに正確だった。


 目の前にいる全裸の化け猫が防いでくれなかったら、俺はもう生きていなかっただろう。


「ぐぬぅっ、猫にこの大音量は酷だぞ!」


 一糸纏わぬ姿でありながら、蹲って押さえるのは耳。

 対し、発砲した青年は唖然とした表情で見ていた。


「えっ、なんで、生きて……」

「おい! 何を勝手にはじめてやがる!?」


 残りの三人が慌てて青年に駆け寄る。

 全員が男で、何かしらの銃器を持っていた。

 すると最も長身の男が風を切る音を立てながら頭を下げた。


「も、申し訳ない! 違うんだ! 今のは……」

「いいや違わない」


 あれは宣戦布告だ。そうとしか受け取れない。

 そう受け取らなければ、損だ。


「ちょ、まっ……」

「待たない」


 方術によって強化された四肢を使い、一瞬にして距離を詰める。

 完全な間合い、剣で茶髪の青年を両断する。


 方術の強化によるものか、筋も骨もあるはずの人体、まるで豆腐でも切るかのようにするりと刃が通った。


「これが方術……妄想みたいだ」


 相手の方も何が起こったのか分からないようで、呆然としていた。

 が、気付くと即座に自動小銃や散弾銃を構える。

 次の瞬間、いかに方術で強化されたとはいえ、銃弾を回避するほど人間やめてない俺は蜂の巣に……ならない。


「ひっ、ひぃいいいいい!!」


 右の男はグレネードランチャーを持っていた……が、その両腕は無惨にも切り落とされ、赤い絨毯に転がっている。


「な、なんだこいつらぁ!?」


 いつの間にか両脇に現れた異形を前に驚く青年だが、俺としてはもう見慣れている。


「ファンタジー系見たこと無いのか? ゴブリンだよそれは」


 俺の言葉など聞く暇もないだろう。

 悲鳴を上げながら、ゴブリンやコボルトの集団に弄ばれている。


「ぎゃぁああああ腕がぁあああ!!」


 左からも悲鳴が聞こえた。

 見ると、散弾銃を取り落とし、腕が悪戯に折られた爪楊枝のようにされている男がいた。

 しかし腕がと叫ぶ割には、腕のことなどどうでも良いという風に逃げようとする男は足をもつれさせて倒れる。


「た、助けてくれ! 蛇が、蛇がぁああああああ!!」


 しかし、男の周囲には蛇など居ない。

 地面に転がりじたばたと暴れる男に、一人の巫女……神田が歩み寄る。


 なるほど、これがいわゆる祟りと言う奴か。

 なんて見ていると、男の足がゴキゴキと音を立てて変形していく。


「いだぁああああああああああ!!」

「な、なんなんだ、こいつら……」


 俺は残る一人に目を向けた。


「なんだとは失礼だな」


 最後の一人は、銃を構えることも忘れて尻餅をついていた。


「い、いくらなんでもこんな、こんな……」

「そういえば、お前らはなんで使者になんてなったんだ?」

「お、俺たちは、神様って奴になんでも願いを叶えて貰えるって聞いただけなんだ。その代わりに、異世界の奴を殺せって……」


 あー、なるほど。異世界っていってもファンタジーに限らないのか。

 魔法も無い、神も居なけりゃ悪魔も居ない。

 そういう世界の人間が銃の一丁や二丁持っていったところで、野生のモンスターの一匹や二匹狩れたとしても……


「祟り神や妖怪は相手に出来ないわな」

「く、狂ってやがる、なんでこんな……」


 恐らく、向こうも俺の前世ほどではないにしろ、つまらない世界だったのだろう。

 こっちが買ったら向こうの世界は自由に出来ると聞いてはいるものの、これでは観光しようとも思えない。


「なんで、お前、そんな平然としてられるんだ……」

「平然、ねぇ。全然、平然なんかじゃない」


 俺は刃を彼の首筋に当てる。


「本当ならさっさと殺してしまいたい。俺の愛しい世界を脅かす奴。俺から二次元を奪おうとする奴なんて、一秒だって生かしたくない」


 だが、初めての異世界の使者。色々と聞いておかなければならない。

 それがどんなに、前世と酷似した外観だとしても。

 それがどんなに、俺から二次元を奪いかねない、憎き相手だとしても。


「だからさっさと答えろ。お前の世界には何がある? 全員がその見た目なのか?」

「そ、そうだ。俺達の世界は……」


 散々聞いた挙句、結局は前世と大して変わりない世界だということが分かった。

 今回は、ハズレだ。


「そうか、ありがとう」

「な、なぁ頼む。命だけは、命だけは助けてくれ。負けは認める。俺の負けだから……」


 残念ながらそれは出来ない。

 いや、俺の意思は関係なく、そういうルールらしい。機密保持のためだろうか。

 俺は方術によって増強された膂力で、突きつけた刃で強引に首を切り裂いた。


「……これで、一先ず終わりか」


 やけに呆気ないものだった。

 初戦。俺は救世主としての役割を果たした。

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