第22話 蛇巫女・神田
神々蛇螺は少々長いし言いにくいということで、彼女には神田という名を新しく授けることとなった。
「ということで、神田です。過去のことは水に流していただき、何卒よしなに……」
「…………」
彼女は現在、ラミアのような状態で神崎に絡み付いている。
しゅるしゅると身体の上を移動する神田は、挨拶を終えるとすぐに神崎に両腕で抱き締める。
力加減を誤って、絞め殺しちゃったりしないだろうか。
「神崎ちゃん、蛇の感触はどんな感じ?」
「……気持ち悪い」
神田がショックを受けているが、まあこうもべたべたされたら誰だって。
よほど仲の良いバカップルなら平気だろう。
「そんなことを仰らないで神崎ちゃん。私の体はすごく頑丈なの。盾にでも鎧にでも、何でも使ってくださいな♪」
とはいえ、かなり上機嫌である。
どうやら神崎を命の恩人という風に思っているらしい。
さて、俺たちは現在、再び馬車で移動している。
ここでの目的も終了。あとは自国に戻るのみ。
ただ、マイゴッドの言葉が確かならば、もうすでに異界の使者が動き出しているだろう。
「そういえば、皆の衆、そのザマで異界の奴らとやりあうつもりか?」
俺の股座を占領している神無月は、誰にとも無く問う。
反応は様々で、運転席のマナは気まずそうに俯き、レーナはぐっ、と身を前に屈める。アルトリカは紅茶を飲む手が止まる。
羽々斗は、微動だにしない。
「祟り神一匹狩れぬようでは、神が選定したという使者に勝てるとは思えないが」
俺には基準が分からないが、実際に戦って敗北した彼らが異論を挟まない。
その通りだと思っているのか、それとも敗者が何を言ったところで意味なんてないということか。
馬車に乗り込む前、小手調べしたいということで、神無月は変化してマナたち全員を相手に、圧倒した。
森の中、山林の国・門前。
俺も一応参加することとなり、剣を両手で構えている。
俺たちは神無月を囲むように並んでいる。
にも拘らず、神無月といえばあくびを一つかましている。
ちなみに、変化すると全裸になるので白い着物を用意してもらった。
綺麗な黒髪もあって、滝で修行とかしそう。
「では行くぞ。誰から……」
開始の合図とも取れなくもないその一声で、マナは飛び出した。
抉るような踏み込みと、下からの斬り上げ。
誰もが予想はすれど、反応できない初撃。
「遅い」
「なっ、ぐあっ!?」
ギュルリと回転した神無月の体はマナの右側に流れるように移動し、体の右背面をマナにぶつけ、吹き飛ばした。
転がるマナを見ながら、神無月は肩を震わせる。
「シッシッシ、人間相手ならともかく、猫の、しかも化け猫の反応速度からしてみれば、圧倒的に遅いわ!」
得意げに笑う神無月の背後に、影が忍び寄る……
即座に身を翻す神無月、同時にバックステップで眼前を横切る切っ先を目で追う。
「勢いは良いが、殺意が強すぎて見え見えだな」
「うらぁあああああ!!」
乱れ斬の猛襲。
しかし神無月は軽やかにステップを踏んで回避する。
どれほどの激しい斬撃も、飛び跳ねて距離を取っていれば何の問題も無いということだ。
ステップと言っても神無月の跳躍力はアルトリカの比ではない。
その跳躍の度に白い着物の隙間から引き締まった太腿や膨らんだ胸元が見えるのがとても眼福である。
「乱れ斬……なるほど、しかし!」
神無月のサイドステップがその速度を増す。
やがてくるくると、レーナの身動きを封じるように周囲を動く。
「はっ、はっ、こ、これは……」
レーナは息を切らして乱れ斬を止めてしまう。
神無月の残像がレーナの周囲を取り囲んでいた。
その現実離れした移動速度、そして俊敏さは、我武者羅に振るうだけの乱れ斬など当たるはずもない。
ふと、風が横切り、銀髪が揺れる。
「っ!?」
いや、風ではない。
分かってはいるものの、すばしっこい動きの神無月は、まるで飛んでいたハエが突如その姿を消すかのように、目で追いきれない。
気が付いたときには、残像どころか姿さえ見失っていた。
「どこにっ…後ろ!?」
草を踏む音に釣られ振り返るが、その先に居るのは俺だ。
そして俺は神無月がどこに居るのかが分かる。
「上、じゃない後ろだ!」
「だらぁッ!」
振り返ると同時に剣を一閃。
しかし、その刃は容易く指先で止められた。
「えっ」
少なくとも、人よりは鍛えてきた剣速。少なくとも、生身の人間が受け止められるようなものではない。
「そりゃそうだろう。私は妖怪なのだから」
「しまっ……」
失念していたことへの呟く間も無く、カンッ、という音と共にレーナの体はふわりと浮き上がり、頭から地面に落ちた。
「っ
「さて、次は」
踵を返す神無月に相対するは、俺と、右のアルトリカ、左の羽々斗。
「三人同時か」
神無月は右手を背に回すと、むき出しの日本刀を取り出す。
俺は思わず尋ねてしまった。
「えっ、どっから出したの?」
「そりゃほら、私、妖怪だから」
答えになってない答えを貰う。と、右半身を前に、右手だけの正眼で構える。
「申し分ない。いつでも来い」
という言葉を待つまでも無く、すでに俺は踏み込んでいた。
マナと同じ、渾身の踏み込みと会心の斬り上げ。
「これはっ!」
マナのときと同じように回避される者の、ほぼ同じ身のこなしに驚いたか、声を上げる神無月。
しかし今回は三人がかり。横に回り込んだ神無月に対し、アルトリカが刺突を繰り出す。
「おっとと」
咄嗟に刃を掴み、アルトリカは止まる。
そこに俺が反対側から剣を振り下ろすと、その刃を鷲掴みして止める神無月。
間髪入れず羽々斗が正面から、がら空きの神無月に振りかぶる。
「見事だ!」
瞬間、神無月の左足が空を斬り上げる。
強烈な風圧と凄まじい音とともに、羽々斗は大きく吹っ飛ばされる。
「ええ!?」
「どういう……」
驚く俺と、目を疑うアルトリカ。
その緩みを見た神無月は互いの剣を交差させるように引っ張る。
そして交差する剣は互いの眼前で止まった。
という結果になったため、神無月以外の人間は落ち込んでいる。
かくいう俺も、落ち込むほどではないが、これからに不安を抱き始めたのも確かだ。
「時に彩人、お前、もしかして方術を扱えるのか?」
「えっ、何をいきなり」
人語を解する猫であるが、俺は彼女の言っていることがよく分からなかった。
「とぼけなくとも良い。マナの踏み込みを真似できたのも方術で脚力を強化したからだ」
「とぼけるもなにも、身に覚えがない」
すると神無月はすっと股座から出て、こちらに向き直って座る。
「それは本当か」
「そもそも方術ってなんだ」
黒猫は沈黙する。
やはり猫は可愛い。三次元の世界でも猫は可愛かった。
ただし猫を駆除したり、餌をやってはならないという輩は大抵人間なので、余計に人間嫌いが加速してしまう結果となった。
猫は尊い。全人類が神として崇め奉るべき獣は、やはり猫だけだ。
静かだし、吼えないし……
そうこうしているうちに、再び神無月は語りだした。
「方術とは、まあ分かりやすく言えば、体内に巡る気を使う術のことだ。仙人の使う仙術、
「具体的に何が出来る?」
「先ほど言ったとおり、基本的には身体強化だ。私はややこしいことは苦手だし、妖怪の身の上なのであまり大したことは知らない」
早い話が、気を使って強くなるというわけだ。
なら三次元でさんざん人に対して気を使ってきた俺なら確実に最強を目指せる。
「彩人が良ければ、私が稽古をつけよう。その筋なら、数日のうちにそこらの中堅妖怪程度は軽く叩きのめせるくらいにはなろう」
「えっ、マジか!」
神無月は俺から視線を逸らして毛づくろいを始める。
「すまん、雑魚妖怪程度だ」
「あっ、すいません、私も稽古つけてほしいです!」
「駄目だ」
右手を上げて主張するマナ。
しかし神無月は毛づくろいをしながら拒否った。
「そ、そんな、どストレートに言わなくても……」
「というか、お前には方術の才能が無い」
「そんなっ!?」
さすがにマナも口を噤むほどに落ち込んでしまったらしい。
見かねた神無月はごろごろと身をくねらせる。
「魔法」
「……えっ?」
「魔法を学べば良い。魔術ではなく、魔法をな」
「魔法、ですか? でも魔法は……」
そういえば、この世界に来てから魔法使いというのをあまり見かけなかった。
異世界というと剣と魔法だが、この世界では魔法はマイナーなのか。
「魔法は、私達の国では禁忌なんです。」
「えっ、そうなの?」
初耳だ。いや、聞いたことあったか?
あーもう忘れた。復習ってことでもう一回聞かせて貰おう。
「魔法って物理法則ガン無視するじゃないですか。だからヤバすぎってことで禁止されたんです、確か。関係する書物もほとんど残ってなかったような……」
「例外がありますわ。魔石を装着する武器を使うことで、魔法を扱うことが出来ますわ」
「あっ、知ってます。それ魔道具ってやつですよね。確かかなりの高級品……」
どうやら魔道具というのはかなり貴重で高価らしい。
アルトリカの話によると、この世の中は魔石によって生活が成り立っているらしい。
青色の水魔石は水に入れると浄化され、赤色の火魔石は加工することで燃料になる。
茶色の土魔石がある場所は土の状態がよく、緑の風魔石は空気が澄んでいるという。
そして、それらは使うと消える。消費物である。
これが、魔石と共に稀に採掘される魔道具に用いると、魔石は半永久的に残り、尚且つ通常の使い方よりも効果が増幅されるという。
「それってもしかしてこれでしょうかね」
そんな魔道具を、なんと神田が持っていた。
神崎にまき付く神田は自分の口の中に腕を一本突っ込む。
その有様に俺を含めた全員がドン引きしながら見ていると、なんと彼女は一本の剣を抜き出した。
「キツイなこれ」
「ツライです」
「ヤバイですわ」
「マズイですね」
寝ているレーナが羨ましい。
こんなサイコでグロテスクな場面を見ずに済んで。
「もうちょっとなんとかならなかったのか……」
「宝剣。大分前に人間から奉納されたですけど」
そういって差し出された宝剣に神無月が歩み寄る。
「ほう」
俺は遠巻きにそれを見ている。
それは、なんというか、ありきたりな剣だった。
幅広な剣身に直線的な刃。
その鍔となる部分は筒状になっていて、魔石を埋め込むための穴がぐるりと並んでいる。
「このくぼみに魔石を埋め込むことで魔法を発現できるぞ」
「私が持っていても仕方ないので、これはマナさんにあげましょう」
「ふぇ? いいんですか?」
「お近づきの印ということで。私じゃ使えませんし、巫女ですし」
四本の腕から、その剣をマナは受け取る。
纏わりついている粘液に苦笑しながらも、傍らに置いておく。
気を利かせて神崎がスライムで剣に付着した粘液を綺麗なものへと変えている。
「何はともあれ、これからよろしくお願いします」
さて、神無月と神田を仲間にしたからといって、特に何か変わったことがあるというわけでもない。
と思っていたのだが、山を出たところで昼食をとっているところでふと気付いた。
「山林の国を出てから魔物に一回も遭遇してないな」
「あ、そういえばそうですね」
「当然だ。私はともかく、姦姦蛇螺は祟り神。これほどの力を持つ存在に襲い掛かろうとする者など、そうはいないからな」
野生の勘というやつだろうか。やはり強者の匂いを嗅ぎ取っているのか。
「まあ、私はむやみやたらにオーラを撒き散らすようなことはしないが」
「おー、よしよし」
神無月はやたら頭を足にぶつけてくる。
これはべったべたに褒め称えて撫でろということだ。
彼女の要求に応え、頭をこれでもかと撫でてやると、更に頭をこすり付ける。
やはり猫は良い。
人間と違って面倒じゃない。
撫でれば愛くるしくせがんでくれるし、愛でれば可愛らしい鳴き声を聞かせてくれる。
シンプルで、それで雑念のないコミュニケーション。
イヤな撫で方や、撫でる場所が気に食わないときは容赦なく抗議の声を上げるから分かりやすい。
とはいえ抗議の声も可愛いのである。
まったく猫というのはどうしてこうも愛らしいのか。
「彩人さん、本当に猫が好きなんですね」
「ああ、こんなに可愛い生き物、他に居ない」
「口説かれてるのだろうか。彩人、次は横腹」
サラサラの毛が心地よい。
撫でられている神無月も心地よいのか目を細めている。
「彩人さん、私もっと強くなります」
「えっ?」
なんか唐突に始まった。なんだ。なにかあったのか。
「私、もっと強くなりますから。足手まといにならないように」
「あー、分かった。神田との力量の差を気にしているんだな? 大丈夫、マナならもっと強くなれるさ」
「うーん、惜しい……」
マナはさも俺が的外れなことを言ったような、微妙な表情をしてくれる。
とはいえ、マナが落ち込む要素はその辺りにしかない。
「とにかく、彩人さんを色んなことから護れるように、強くなります!」
「お、おう。ありがとうマナ」
救世主が護られるっていうのも変な話だと思うが。
まあマナがこんなにやる気を出してくれているのだから、ありがたい。
というより、二次元美少女が自分のために何かしてくれるなんてこと自体が夢のようなことなのだ。
さらさらな赤髪に溶鉱炉のような瞳。
やや大人びた綺麗な顔立ちから、少女のような無垢の笑み。
悩みなんてありませんと主張するような快活な性格。
前世では、ただの妄想や空想でしかない存在である彼女と、こうして会話し、親しい仲でいることが俺にとっては十分に幸せなのだ。
だが、間も無くこの幸福な世界は存亡の危機に晒される。
救世主と呼ばれる俺が、この世界を護らなければならない。
「強くならないといけないのは、俺の方なのでは」
「じゃあ、一緒に強くなりましょう!」
マナはいつもの笑みで、新しく貰った剣を持って見せてくる。
「そうだな。どんな相手か知らないけど、俺もせっかく来たこの世界を譲る気は無いよ」
だが、もし万が一負けたら?
ふと、そんな想像が過ぎる。
いや大丈夫。きっと大丈夫だ。大丈夫……
「たぶん、大丈夫だよな」
誰にも聞こえないように、俺は小さく呟いた。
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