第21話 神無月の猫

 俺たちは一旦城に戻り、この黒い毛玉……つまり黒猫に事情聴取を行うこととなった。

 黒猫は現在、俺の胡坐の股にすっぽりと収まっている。

 視線が集中するので少し興奮する


「と、いうわけで、私が神無月タマクローである」


 しかもこの猫、人語を解す。

 まさか二人目の神の名を持つ者が猫の妖怪だったとは


「あの、彩人さんにもお話を聞きたいです。あのあと、何があったんですか?」

「あー、そうだな」


 簡単に言えば、割と立派な神社に招かれ、九尾の狐と名乗る菊とやらに、この黒猫を紹介してもらったわけだ。


「ほ、本当にこの黒猫さんが神に選ばれた者、なんですか?」

「まあ、マイゴッドも人間限定とは言ってなかったような気がするし」


 そのあたりは適当だろう。あの神様のことだ。


「それに、神無月はかなり強いらしい。なんでも九尾の妖術と天狗の方術を仕込まれた天才らしい」

「へぇ……」


 それはすごい、とまた全員の視線が俺の股座に、正確には猫のほうに注がれる。

 特に強いと聞いてからマナの眼はキラキラと輝いている。


「まあ、今日は遅いから、やるなら明日にしような」

「まだ何も言ってないです……」




 翌朝、俺は羽々斗と共に再び王に謁見する。

 部屋が和室で床も畳なので、王というよりは殿様っぽい。


「救世主殿、見つけたぞ。彼女が神の名を持つ者だ」

「えっ?」


 俺は予想外の展開に声を漏らした。

 神の名を持つ者が、もう一人居るという。

 そしてそれが王の隣に居るのが、一人の年端も行かない巫女であった。


「妖怪の神々蛇螺かんかんだら様だ」

「えぇ……」


 名前が物騒すぎる。

 字は違うが、姦姦蛇螺という名には聞き覚えがある。

 確か都市伝説の、上半身が巫女、下半身が蛇の、お化け?

 しかし外見は名前やイメージに反して可愛らしい。

 まさに可憐な少女である。


「初めまして、救世主様。不束者ですが、何卒よろしくお願い申し上げます」

「あ、いえ、こちらこそ」


 驚くほどに礼儀が正しい。

 まあこちらとしては戦力が増えるのに越したことはないし、受け入れても良い。

 なんてことを考えていると、俺の服の中に潜り込んでいた神無月がもぞもぞと動き始めた。


「寄るな蛇娘。唾液の匂いが鼻につく」


 容赦ない言葉を投げつけながら、襟のところから顔を出した。

 真黒で深い毛玉に、青い鋭い瞳が二つ。

 一見すれば毛虫のようで、しかし猫なので滑稽な可愛らしさもある。


 が、少女のような声を出す猫は、なおも冷たく言い続けた。


「貴様、こいつを食うつもりだったな?」


 一瞬、こいつというのが誰を指しているのか分からなかった。

 流れからして、俺のことだ。

 問われた神々蛇螺は驚きに目を見開く。


「そんな、どうしてそのようなことを仰るのです、猫さん」

「唾液の匂いが臭いと言っているであろう。お前の匂いはひどく不快だ」


 神無月はもぞもぞと動いては、やがて俺の元から離れて床に降り立った。

 見た目がこうも可愛らしいのに、口調があまりにかっこいいので余計に滑稽に見える。


「あなたは、もしかして九尾のところの……」

「そうだよ間抜け。行儀の悪い祟り神が救世主を駄目にしないように、こうして私が遣わされた。分かったらさっさと去れ」


 言われ、神々蛇螺は沈黙する。

 ふと上げたその表情は、悪鬼羅刹そのものだった。


「雌猫風情が、この神々蛇螺に向かってなんという口をきいているッ!」


 巫女の豹変。思わず俺は後ずさる。

 だが猫は自分よりも遥かに大きい巫女を見上げながら、不遜な口調を続ける。


「大きすぎる獲物を飲み込んで、結果死んでしまうような間抜けな生物を間抜け以外になんと呼ぶのが相応しいかな?」

「タダでは置かんぞ、無礼者めッ!」


 巫女の足が捻れ、肥大し、見る見るうちに巨大な蛇の身体となる。

 加えて、元の腕に加え四本の腕が、巫女装束を突き破って生えてくる。

 そのそれぞれが細長い腕であるが、それに掴まれれば紙くずのようにぐしゃぐしゃにされることを直感する。


「や、やばっ……」

「彩人さん!」


 マナがすぐさま俺の前に出て、剣を抜いた。羽々斗もレーナも、アルトリカさえすでに己の得物を構えている。

 神崎は俺の後ろに隠れながらも、魔本を開いてすぐに召喚できるようにしている。


 というか、あれはヤバイ。

 あまりの禍々しさに、人間が太刀打ちできるとは思えない。


「安心するがよい、彩人よ。丁度よい機会、この神無月タマクロの力を示すとしよう。とくと見よ」

「ほざけェッ!!」


 激昂と共に、六本の腕が神無月へと伸びる。

 しかし、黒い毛玉の姿が忽然と姿を消し、腕は床……ではなく畳を砕いて突き刺さった。


「鈍すぎるわ、馬鹿め」

「なっ……」


 神無月はすとん、と腕の隙間に鎮座していた。


「ほれ、もっと攻撃してこい。せっかくの私の見せ場なのだから」

「図に乗るなッ!」


 神々蛇螺は腕を引き抜き、神無月に向かって連打する。

 一打ごとに畳に穴が開く。

 しかし猫は機敏にして軽快な足取りで跳ね、それらを難なく回避していく。


 ふと、六本腕の連打が止まる。


「むっ、もうお終いか?」

「このままでは埒があかん……この妖力をもって押しつぶしてくれる!」


 途端、神々蛇螺の放つ威圧感が増した。

 そう感じた時には、すでに体は自由を奪われていた。

 いつの間にか体中を大量の髪の毛が這っていたのだ。


「……粗末な」


 神無月はそれを容易に引き千切った。

 小さな黒猫の身体で、だ。


「ば、馬鹿な!?」

「妖術とは……妖力とは力任せに振るうものではない。こう用いるのだ」


 その言葉に咄嗟に反応した神々蛇螺は、先手を打たんと六本腕を叩き込む。

 が、神々蛇螺は耳を劈く悲鳴を上げた。

 打ち込んだ腕の計六本、その手首から先が失せていた。


 いや、それらはちゃんと六個あった。神無月の前足の元に。


「私もあまり上手くはないのだがな、夜長はイヌ科だから、私への教え方が悪い。相性が悪い」

「この……た、祟ってやるっ!」

「祟り。通常の呪いや妖術とは一線を画する神威の顕現……良かろう、来い」


 それは圧倒的恐怖。

 人知の及ばぬ恐るべき不条理。


「……なに?」


 だが、神無月には何の異変も見られない。

 それどころか、小ばかにしたような余裕の笑みすら伺える。

 猫なので表情は読み取れないが。


「神がお前だけだと思ったか?」


 神無月は、その名前をしていながら神の名を口にした。


「私の育ての親の一人に大天狗が居てね。祟り神にして方術使いとは訳がわからない。そんな私も化け猫にして方術使いとなったわけだが」

「な、なにを言って……」

「仏の加護は素晴らしいということだ。さて、ぼちぼち終わらせるとしようか」


 もはや完全に弄んでいた。

 そしてそれも佳境である。


「彩人よ、瞬きせずに目を凝らすが良い。これが化け猫マタクロのもう一つの姿! 変化の術!」


 突然、神無月の体が煙球のごとく白煙を発し、玉座の間を埋め尽くした。

 もくもくと煙が立ちこめ、神々蛇螺どころかすぐそこにいるマナの姿さえ見えなくなった。


「目を凝らしても見えないじゃないか!」

「まぁそう慌てるな」

「うおっ……!?」


 ヌッと視界遮る白煙から姿を現した、美白な肌を持つ黒髪の少女。

 あまりにも濃い白煙なので、近づくどころか互いに身体を押し付けるような形になって、やっと互いの顔が視認できる。


「なにをして、ってか、えっ?」


 変化前の真黒な体から一変。

 真黒なのは髪の毛と瞳くらいしか残っておらず、美白肌は一切の穢れのない潔白さをイメージさせてくれる。

 が、今の状態はそのイメージを見事にぶち壊してくれている。


 首から下にあるべき衣服はなく、柔らかで豊満な二つの果実はこちらの身体に押し当てられ、極上の感触を主張している。


「視線が胸に行っているのが分かるぞ。猫は目線に敏感なのだ」

「あの、なんで服着てないんですかね」

「彩人よ、逆に考えよ。猫が服を着たらおかしかろう?」


 ごもっともである。


「いや、それでなにをなさっているんですかね?」

「ん、いや、私の爪ではいささか斬りづらいので剣を貸して貰おうと……これか?」

「ちょっ……」

「おっと失敬、抜くといってもそういう意味ではないのだ。別にやぶさかではないが」


 なんてことするんだこの痴女。最高かよ。

 ではない。この雌猫、かなりやりたい放題だ。


「こっちだな。では借りるぞ」


 剣が鞘から抜かれる音がして、神無月は再び煙の中へと姿を消した。

 あまりに俊敏な動きだったために、記憶に残っているはずの脳内映像は出来の悪いパラパラ漫画並みのコマしか残ってない。


「彩人さん、大丈夫ですか! 返事をしてください!」

「あー、大丈夫。まだ生きて、うごっ!?」


 再び俺の体は何かにぶつかる。しかも今度は勢いが強い。

 煙の中、見えるのは赤髪。

 自分の知っている中で赤髪の人間はただ一人しかいない。


「やっと……良かった」

「な、なんだ? どうした。おい?」


 なぜかマナは俺の体に腕を回している。


「また護れなかったのかと思いました……もう絶対守りきりますから!」

「この状態だと俺もお前もどっちも危ない。少なくとも自分の身だけは護れるように構えておいてくれ」

「あっ、すいません!」


 マナは慌てて俺の前で剣を構えなおす。

 とはいってもこの煙の中じゃ、どこから攻撃た来るものか……ってこれは神無月がやったんだよな。


「安心するがいい。もう終わった」


 ふと、カチリと剣が鞘に収められる音がしたかと思うと、煙は霧散した。

 その瞬間、俺は神無月のあられもない姿が晒されるのかと声を出しかけたが、そこには彼女の姿はなく、黒猫の姿でそこにいた。

 神無月の前には、のたうつ蛇の体と、畳を這う六つ腕の巫女。


「私の、私の体がぁああ!?」

「祟り神ゆえ死ぬことはなかろう。だがここまで損傷を受ければしばらくは回復に徹せねばなるまいよ。さらばな」


 神無月は踵を返してこちらに戻ってくる。


「まっ、ごほっ、待って、待ってったら! ねぇ!!」

「なんだ」


 神々蛇螺の必死の懇願に、神無月はかなり迷惑そうな表情で振り向いた。

 いや、猫の表情は分からないが、そんな気がする。


「お願い、なんでもするから私を仲間に入れてください!」

「なにゆえそこまで。仮にも祟り神が、人間に感謝されたいとでも思うようになったか?」

「…………」


 苦渋の表情で俯く彼女から、神無月は再び視線を外した。

 が、神無月とすれ違い、満身創痍の神々蛇螺に近づく一人の少女の姿があった。

 思わず神無月も振り返り、俺も呼び止める。


「なに?」

「こ、神崎!?」


 だが神崎は止まらずに、神々蛇螺の前で膝をつく。


「き、聞くから」

「えっ?」


 神崎の言葉に、神々蛇螺が驚きに目を見開く。


「おい黒髪の、早く下がった方がいいぞ」

「分からないけど……この人、悪い人じゃない、と思う」

「それは人ではないぞ」

「……この魔本のせいかな。この人、じゃなくて神様が悪い神様じゃないって、なんとなくそう思うの、です」


 そういえば、魔本の効力に、あらゆる魔物と意思疎通が出来るというのがあったはずだ。もしかしたらそれのおかげかもしれない。

 もしそうであるならば、神崎を信じてみるか?


「神崎ちゃん……」

「きゅ、救世主様は、あんなに汚れた私を抱き締めて、あそこから連れ出してくれた。今度は、私の番」


 神崎は、六つ手の巫女のすぐ傍で、こちらを見た。

 しかし、あの腕は危険だ。手がなくとも、切断された腕から露出した骨で、神崎一人串刺しに出来るかもしれない。

 そして神崎はその距離に居る。そのときに助けようとしても、誰も間に合わない。


「彩人、さん」


 が、神崎はまったく怯えていない。といえば嘘になる。

 表情は強張っているし、傍目から見てもかなり無理をしているのが分かる。

 それでもなお、彼女は必死免れぬ祟り神の制空権に足を踏み入れた。

 その崇高にも感じてしまう意思を、俺は尊重した。


「好きなようにするといいよ」


 神崎は頷いた。

 そして再び、瀕死の六つ腕の巫女と視線を合わせる。


「お、お話、聞きます」


 傍から見たら化物以外の何物でもない六つ腕の巫女。

 その瞳から零れる涙と共に、心中を吐露し始めた。




 神々蛇螺かんかんだら。これは偽名というか、文字を変えただけのものだ。

 本来は姦姦蛇螺かんかんだら。俺が知っているのは都市伝説の話。

 かつて村を苦しめた大蛇を撃退するため、村で最強の巫女と戦った。

 しかし巫女はあと一歩のところで不覚をとり、下半身を食い千切られる。

 誰が見ても、そこから逆転劇など不可能だ。

 ならばと村人はこう提案したという。


「この巫女を喰らえば強力な神通力を得られる。この巫女を献上するから、以後村人には危害を加えないでほしい」


 下半身を失い満身創痍の巫女が、すぐ横でそんな提案をされてどんな気分だったか、想像するだけで胸糞が悪くなる話だ。

 で、大蛇はそれを受け入れる代わりに、ある条件を提示した。


「ならば私が食いやすいようにこの巫女の腕を切り落とし、達磨にせよ」


 絶望してるところに容赦なく更なる絶望を叩き込む大蛇。

 やがて村人の一人が鋸を手に取った。

 続いて、一人が斧を、一人が出刃を、一人が太刀を……




「私だって、好きで祟り神なんかになったわけじゃないのに!」


 悲痛だった。聞くに耐えない。

 耳を塞いで、目を逸らしたくなるほどの、それはまるで悲鳴だった。

 しかし神崎はそれを誰よりも近いところで、真正面から受け止めていた。


「私は、みんなのために戦ったのに、どうして……」


 かつて巫女だった者の嗚咽が響く。

 例えば、もし村人のうち誰かが、彼女のことを護ろうとしたならば。

 村人たちの持ち寄った凶器を向ける相手が巫女でなく大蛇であったなら。

 彼女が祟り神となってまで人間を恨むことなどなかったかもしれない。


 嘆きの声を漏らす巫女の頭を、優しい感触が撫でる。


「辛かったね、もう大丈夫」

「大丈夫……?」

「もう一人じゃない。私達が一緒、だから」


 そして、神崎は俺の方を振り返る。

 彼女の欲している答えを俺は贈った。


「見くびってもらっちゃ困る。俺は戦況で仲間を裏切るようなつまらない人間じゃない」


 神崎は満足げに笑み、神々蛇螺を見る。


「だから、私達と一緒に行こう」

「うぅ……あ、ありがどうございますぅ!!」


 六本腕が虫の足のように開いたかと思うと、タコの触手のように神崎を抱き締めた。

 咄嗟に反応するマナたちであったが、どうやら普通に抱き締めているようだ。


「ありがとう! ありがとう! えっと、そういえば名前を聞いてなかった」

「く、苦しい……こ、神崎です。神崎……」

「神崎様! 私、神崎様に一生懸命お仕え致します! 祟り神なんで死にませんけど!」


 どうやら和解が成立したようだ。

 ほっと一息、俺は活躍してくれた神無月に歩み寄る。


「見事なもんだなぁ。いや、ほとんど見えなかったけど」

「方術を使って身体能力を上げたのだ。仏の加護という奴だな。ところで彩人、私を褒め称えるならば少しそこに座ってくれ」

「うん? ああ」


 俺はとりあえず胡坐の形で座る。

 すると神無月はするりと股座に収まった。


「うむ、うむ……やはりこれだな。なにをしている、はよう撫でてくれ」

「えっ、あ、はい」


 適当に頭や背中を撫でていると、やや艶かしい声を上げる神無月。


「うーん……これよ、これこれ」

「お気に召していただけてなにより」

「うむ。祟り神を斬るなど本来不可能なのだが、奴が混ざり物であったのと、方術でなんやかんやすることでぶった切ることが出来たのだ」


 随分といい加減な説明だが、あれも自分の学習能力でなんとか会得できるのだろうか。

 出来れば詳しく知りたいところだが。


「なんやかんやとは?」

「知らぬ。感覚で覚えたからな。理屈は天狗がなんだかんだ言っていたが、覚えては居ない。すまんな」


 神無月は意外と脳筋だった。

 こうして俺達は二人の神の名を持つ者を仲間にすることが出来た。

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