第18話 神裂く悪魔道士

「……ください。私に力をください」


 私は神に乞う。きっと、これが私にとって、最後の神への信仰だと思う。

 神は満足そうに、いやらしい笑みで私の宣言を迎え入れた。


「君ならきっとそう言うと思っていたよ」

「……?」


 意味が分からず、思わず彩人を見る。彼は首を傾げていた。頼りない救世主様だ。

 でも、私を助けてくれた、頼りがいのある救世主様だ。そして私の望みを叶えてくれる大切な人でもある。


「神崎は『かんざき』とも読めるのは知ってるよね」


 名前の話かと思ったが、神崎の読み方なんて私は『こうざき』しか知らない。


「ああ、最初はそうだと思った。っていうか皆そう呼んでた」

「神崎、字を弄ると、神を裂く、となる」

「えっ、駄洒落?」

「神に選ばれし、神を裂き殺す者。悪魔を使役する悪魔道士。その名は神崎魔深こうざきまみ。僕の期待通りだ」


 なんてことだろう。私がこの選択をすることまで、あの神様は掌の上だったなんて……さっきまでの意思が若干揺らぎそうになったが、不意に彩人が私の手を握った。


「気にするな、他人の考えなんて関係ない。自分がしたいことをするのが一番だ。そしてありがとう、これからよろしく神崎」


 救世主様はすごく喜んでくれた。それがとても嬉しくて、はにかんでしまう。

 ふと、横合いから何かが差し出される。


「じゃあはいこれ」


 神から急に分厚い本を突き出され、咄嗟に受け取ってしまった。


「これは……?」


 分厚い、すごく分厚いし重い。デザインは黒川に魔法陣が描かれている。かっこいい。


「それに名前を書いて。後ろの表紙めくれば名前書くところあるから」


 続けて手渡されたマジックを手に、言われたとおりに後ろから一枚めくり、下側にある大きな枠に自分の名を書く。


「神崎魔深っと。これでいいん、ですか?」


 神の方を見ると、相変わらず嫌な笑みを浮かべながら頷いた。


「それはいわゆる魔本。その本に書かれている悪魔は言うことを聞くよ。ただしコミュニケーションをとって友好レベルを上げないと、たまに協力を断られたりするから。注意書きは3ページ目にあるからよく読んでね」


 ちょっとイメージと違うが、仕方ない。ともかく、これからはがんばらないといけない。

 救世主様の足手まといにならないように、英雄として恥じないように、彼の力になれるようにがんばっていこう。




 なんとか神崎が仲間になるという形になってくれた。

 俺は安堵のあまり脱力する。


「それじゃあお二人とも、ゆっくり休んで明日に備えてね」


 ふと神崎がかくんとこちらに身を預けた。


「さて、彼女の方はこれでいいとして……無事、神の名を持つ者を見つけ出せたね。おめでとう彩人くん」

「俺は居残りか」


 どうやらまだ話があるようだ。


「クエストをクリアしたから次のヒントを授けよう。神のお導きという奴さ」

「なるほどな」

「次の神の名を持つ者は、南の国だ。山の方だね」


 南の山林の奥深く。そこは確か妖怪と人が共存している国だと聞く。

 どんなところか想像するだけで浮き足立ってしまう。


「それじゃあ、彩人くんもそろそろお休み……」

「一つよろしいですかマイゴッド」

「うん?」

「神崎のことは、本当にマイゴッドは関係ないのですか? 単なる好奇心なんですけど」


 マイゴッドはそういう暗躍キャラには見えないものの、一応の確認をしておきたい。


「もちろんだよ彩人。僕はもともと干渉するタイプじゃない。今回の干渉は、この世界の外側が絡んでいるからだよ」

「異界、ですか」

「そう。あいつら勝手に始めちゃうんだもんな。僕としても参ってるんだ」

「不参加ってわけにはいかなかったんですか?」


 神々というグループはそれほど拘束力の強いものなのだろうか。

 痛いのが嫌いという理由で屋外の遊びを徹底的に回避していた幼少の記憶がある俺としては、そこらへんが気になるところだ。


「君が元居た世界みたいに、神がその世界の所有権を放棄すれば可能だよ。でも僕だって一応この世界には愛着があるんだ」


 なるほど。そのあたりは意外と良心的な神様らしい。

 それにしてもマイゴッドがこの世界に愛着を持ってくれていたおかげで俺が二次元世界に来れたのは、本当に神に感謝するしかない。


「マイゴッド、本当にありがとう」

「うーん、神崎ちゃんに嫌われちゃった後だからか、君の感謝が沁みるよ。僕こそありがとね」

「マイゴッド、あんなに悪役ヒールに徹しなくても良かったんじゃないですか?」

「あ、あれは単純に私が好きでそういうことにしただけだよ。神に反抗心を抱くキャラってわくわくしない?」


 確かに。強大な相手に対して反抗心を抱くキャラというのは、少し魅力を感じる。

 政府に疑問を抱く一人の軍人とか、帝国に反感を覚える青年とか。


「マイゴッドも物好きだなぁ」

「それでね、あの、本題なんだけど……」


 途端にマイゴッドはすごく申し訳無さそうな様子で、玉座の上で正座して畏まる。

 神に畏まれるってすごいな。


「ちょぉ~っと、間に合わなそうなんだよね」

「間に合わないというのは、まさか……」

「うん。たぶん、彩人が山で二人目の神の名を持つ者を見つけ出すくらいには、始まっちゃうかもしれないんだ」


 まさか、そんなことが……

 ついに俺が夢にまで見たこの二次元世界が侵略されてしまうのか。

 それは不味い。なぜだ。何が悪かったのか。

 やはり年端も行かない幼女に興奮したのが……?


 絶望にくれる俺をみてさすがに危機感を覚えたのか、マイゴッドは慰めの言葉をかけてくれた。


「ごめんね。もう少しスムーズにさせてあげられれば良かったんだけど……でも勝てる見込みはちゃんとあるから」


 勝てる見込みがある。そう聞いた俺は首を振ってネガティブ思考を振り払う。

 せっかくの二次元世界だ。楽しまなくてどうする。


「大丈夫ですマイゴッド。念願のこの世界、ちゃんと護りきりますよ」

「辛い戦いになると思うけど、君が諦めなければきっと勝てる。それは保障するから、どうか頑張って」


 もちろんだとも。そう返す前に、強い睡魔が強制的に俺の意識を奪う。

 最後に見たマイゴッドの表情はやはり、どこか憂いの色を帯びていた。





 目覚めると、やはり目の前には神崎の寝顔が最初に見えた。

 ああ、愛しい娘を持った父親の心境は、きっとこんな感じなのだろうか。

 いや、きっと違うな。もし同じだとすれば、そいつはとんでもない変態親父になってしまう。


 俺は神崎を起こさないように、ゆっくりと起き上がる。

 外れた毛布をかけてやり、傍らに置いた剣を手にして部屋を後にする。

 その際、マナもレーナもすでにベッドから消えていたので、外にいるはずだ。


 しかしここは平原でも城の敷地内でもない。民家や宿泊施設、店が並ぶ街中だ。

 マナと一緒に行っている修練が出来る場所などないはずだが、二人ともどこでやるつもりなんだ。

 もしかして、外までランニングするのか。あいつらならやりかねない。


「二人なら城の方に行ったようだ。おそらくこの国の兵士たちとまざって修練するつもりなんだろう」


 振り返ると、そこには羽々斗の姿があった。


「おはようございます、彩人」

「おはよう羽々斗……早いな」

「彩人がスムーズにその娘の家に辿り着けるように、家を調べていた。あとは準備を終えるだけなのだが……すまない」


 俺は何を謝られているのか理解できなかった。

 羽々斗の活躍は騎士としては十分に過剰だ。

 騎士が旅のお供をするとなれば、せいぜい要人警護くらいのもの。

 それが旅の準備、道中の炊事、そしてまさか情報収集までこなす。


「あんまり無理しないで、休んだ方がいいんじゃないか?」


 あまり働くのは好きではないが、こうも頑張って貰っていると、さすがに申し訳なくなってくる。


「いや、大丈夫だ。彩人の力になれるなら、この程度の労はなんら負担ではない」

「どうしてそこまで」


 いや、世界が異界の神に乗っ取られるとなれば、それくらい本気になるのが普通なのだろうか。


「私の心配は不要。彩人は救世主としてできることに専念してほしい」


 なるほど、適材適所というわけだ。

 なら遠慮なく任せることにしよう。


「そこまで言うなら。でも無理は禁物だぞ」

「お気遣い痛み入る」


 俺は羽々斗と別れ、城へと向かう。

 その頃には街の人々も目覚め、活動を始めた音があちこちから聞こえ始める。

 しかし、城に到着した頃にはそれを掻き消してしまうような声が響き渡っていた。


「ていうかこれ、歓声だよな。あの二人は一体何を……」


 門を警備している兵士は俺の顔を見たとたんに敬礼し、門を開いてくれた。

 顔パスだ。初めて経験した。

 そして城壁の内側にある広い庭に足を踏み入れると、そこには多くの兵士に囲われた二人の姿があった。

 すると鋭くもマナがこちらを察知し、目が合う。


「あっ、彩人さん!」

「なにやってんのマナ」

「いやぁ、朝練に混ぜてもらおうと思ったら、隣国の人間に場所を貸す義理はないって言われちゃって……」

「そこで私が決闘で決めようって言ったのよ。でもさすがにガチの決闘だとそれはそれで問題になるから、異国間の交流試合ってことにして……」


 異国の交流試合でこの人だかりと盛り上がり。

 そして二人の様子を見るに、順調に勝ち続けているようだ。


「で、今は朝食をご馳走してもらえる権利を獲得したところです!」


 この短時間でよくもそこまで進展してしまったものだ。


「これで朝食は作らなくて大丈夫ですよ」

「あっ、そうなるのか」


 となると、羽々斗が朝食を作りはじめる前に伝えなければならない。


「じゃあ俺は羽々斗たちを呼んでくる」

「あっ、はい。じゃあ暇つぶしにもう少しバトっときますね!」


 狂戦士と化したマナに見送られ、俺は来た道を戻ることになった。




 城での朝食を終えたので、俺たちは神崎の家に向かうことになった。

 大通りを歩く中、マナとレーナは神崎をかまっていた。


「ちっちゃくて可愛いですね。おいでー」


 神崎は器用にマナの手をするりと掻い潜る。


「本読んでばっかりだと健康に悪いわよ? 私と一緒に体動かさない?」

「い、いえ、大丈夫です」


 レーナの勧誘もやんわりと断る。

 近づく二人を避けるように、神崎は俺の背後に隠れる。


「彩人さんがお気に入りなんですね」

「強くならないとまた捕まっちゃうんじゃない?」

「あっ! レーナ、それは……」

「だ、大丈夫……です」


 そう言いながら、かなり強めにしがみつかれて、中々歩きづらい。


「心配ない、神崎。もう神崎には力があるだろ?」


 とはいえ、神崎は起きてから必死に魔本を呼んでいる。しかし内容が難しいのか苦戦しているようだ。使いこなすにはまだかかる。


「はい、一応、一柱は召喚できるようになったんですけど」

「ほう」


 すると彼女は魔本を開く。

 見開きから僅かに紫色の光が発せられたかと思うと、小さな悪魔が現れた。

 攻撃的で苛烈な赤色と、


「なーにが一柱は召喚できるようになった、よ。私はただの案内役でしょーが!」

「ひっ、ごめんなさい……」


 どうやら使いこなすにはまだ時間がかかるようだ。

 とはいえ、小うるさい小悪魔を横に置きながらも、必死に魔本に食いつき、読み耽っている。

 歩き読みは褒められたものではないだろうが、世界を救うという目的もあることだし、特別に俺が補助することで障害物を回避していく。

 そうしてようやっと、神崎の家に辿り着いた。




 家の中はあまりに簡素だった。

 空家だと言われればすんなり納得してしまうほど。


「なんというか……すっきりしてるな」

「お父さんが死んじゃったので、必要最低限のものを残して全部お金に換えたんです。出来るだけ、辛いことを思い出さないように……」


 なんとも言えない。コメントに困る。

 ともかく、大所帯で押しかけるのはあれなので、俺だけが神崎についていく。

 廊下を抜け、居間を抜け、扉の前で立ち止まる。


「お母さん、ただいま。ちょっと話があるの。お客様も来てて」

「……ええ、どうぞ」


 扉を開けて入ると、あまり広くない部屋にポツンと置かれた白いベッド。

 その上で上半身を起こしている彼女こそが母親だろう。

 神崎と同じ長い黒髪は美しいが、顔はやつれて生気が乏しい。蒼白さが黒髪のせいでより際立ってしまっている。


「そちらの方は……?」

「お母さん、この人は彩人さん。あの御伽噺に出てきた救世主様なの」

「あら、それはそれは……初めまして、魔深の母です」

「は、初めまして」


 もはや生気の乏しい神崎の母は、なおも慈愛の女神のような笑みでこちらを歓迎する。


「あの、俺、じゃなくて私は今、異界の使者に対抗するための、神に選ばれし人を探して旅をしています。その一人が、この魔深ちゃんなんです」

「あら、そんだったの。やっぱり……」

「やっぱり?」


 神崎の母の言葉が気になった。そして、もう一つの疑問が浮かんだ。


「そういえば、母の姓は……」

「ああ魔深、教えていなかったのね。救世主様、神崎の姓は、魔深が自分でつけたものなんです」

「えっ、そっちですか?」


 俺は思わず魔深のほうかと思っていた。魔が深いだなんて明らかにアレなノリで付けられる名前だと思っていた。


「私の姓は上野、夫の姓は柴崎」

「上野、柴崎……ああ、上崎?」


 上とはカミとも読める。ごちゃまぜにした結果神埼にしたのか。


「魔深は昔から御伽噺や夢物語が大好きで、よく頭の中で自分が活躍するお話をノートに書いては……」

「お、お母さん、なんでそんなことを!?」


 顔を赤くし動揺する魔深とは対照的に、母はくすくすと笑う。


「ふふ、まだお父さんが生きていた頃に、あなたの部屋を掃除していたら……将来は作家さんねって話していたのよ?」

「っ……!!」


 恥ずかしさのあまり、魔深は顔を伏せる。横から見ると頬から耳たぶまで赤くなっているのがよく分かる。

 それにしてもこの母親は只者じゃない。先ほどまでの沈鬱な空気をがらりと変えてしまったのだから。


「お話は分かりました。娘が必要なのですね?」

「まあ早い話がそうですね」


 こちらも緊張を解いてしまうほどに、神崎母はフレンドリーだった。


「分かりました、そういうことなら。娘も念願の救世主様と一緒にいられて幸せでしょうから。どうぞ娘をよろしくお願いします」

「いえいえこちらこそ……うん?」


 受け取りようによっては違う意味に聞こえなくもない。

 いやまさか、試しに神崎母の顔を見るが、微笑を浮かべるだけで裏が読めない。

 いやいや、きっと昨日のムラムラが残っているだけだ。妙な思い込みは控えよう。


「救世主様になら、私の娘を預けられますわ。だって、こんなにも楽しそうな魔深を見るのはしばらくぶりですもの」

「そう、ですか?」

「ええ、私がこうなってしまってからは、遊び相手にもなってあげられなかったから……でも、救世主様。いえ、彩人さんだったかしら。あなたになら娘を任せられる」


 旅の同伴としての話、彼女の保護者としての話のはずだ。そうに違いない。


「ふふ、それに、あの地下牢から救い出されるなんて、なんだかお姫様みたいで素敵よね?」


 その言葉は俺のみならず、むしろ神崎を硬直させた。


「お、お母さっ、ど、どうしてそれを……」

「当たり前じゃない。私はあなたの母親よ?」


 考えてみれば当たり前の話だ。

 扶養者が何かやらかしたら、当然その保護者に連絡が行く。

 どうやら神崎は何も知らせないつもりだったようだが。


「魔深、お母さんのことは心配しないで。あなたはあなたの夢を叶えなさい?」

「お母さん、でも……」


 神崎母は、その細い腕を伸ばして神崎の頭を撫でる。

 少し力を加えただけで折れてしまいそうな、枯れ枝のような手で。


「私は十分に幸せだったわ。あの人が居て、あなたが居て。とても短い時間だったけど、私の人生で確かにあった時間よ」

「おかあ、さん?」


 その言葉の裏にある意味を、神崎は感じ取ったようだった。


「だから、次はあなたの番よ。この旅で、あなたはきっと幸せになれると思うわ」

「っ……」


 優しく語り掛けてくる神崎母に、神崎は強く頷ずき、抱きついた。

 なんて良い母親だろうか。娘のやることを否定せず、自分があんなにも弱っていながら、なおも娘の幸せと意思を最優先させてくれる。


 俺は微かにそれを羨ましく思った。


 やがて、神崎は袖で目元をこすってから立ち上がる。


「じゃあお母さん。行ってきます」

「ええ、いってらっしゃい。気をつけてね。彩人さん、娘をよろしくお願いします」

「えっ、あっ! はい。こ、こちらこそ?」


 俺は慌てて立ち上がり、頭を下げて返す。


「ふふっ、やたらと腰が低いところがあの人そっくり。やっぱり良い人なのね。どうかご武運を」

「あー、えっと。お母さん? もお元気で」


 穏やかな笑みを浮かべる神崎母に見送られ、俺と神崎は部屋を後にする。


「あ、そうそう」


 何かと俺たちは振り向く。

 彼女は屈託のない笑みをたたえながら、首を傾げた。


「挙式の際は前もって知らせてくださいね。祝辞を考えておきますから」





 そして俺たちは、この隣国を出発することになった。

 もう少し神崎にこの街を堪能してもらおうと思ったが、彼女はそれを拒否した。


「別に、この街に思い入れはありませんから。それに、もう十分味わいましたよ」


 彼女にとっては家族が全てだったのだろう。

 こうして俺たちは、次の神の名を持つ者を探すため、この大陸を南下する。

 目的地はあやかしの山林。その奥地にある山林の国。

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