第14話 貴族剣士アルトリカ

 夜だ。

 夜といっても、一同全員が一斉に寝てしまっては深夜徘徊のモンスターの胃袋に納まってしまったり、夜盗に貴重品から食糧まで根こそぎ持っていかれることになる。

 なので、夜は必ず二人以上の見張りを要する。

 現在は俺とマナ、そしてアルトリカが見張りをしている。

 テントの中、羽々斗は見張りをいつでも交代できるようにと早めに就寝し、レーナも歳相応に睡魔にやられた。最強を目指す刀剣使いも睡魔には勝てなかったのだ。


 俺たちは焚き火を絶やすことなく、しかし見張りだけでは退屈なので、とりあえず何か話すことにした。


「月が綺麗だな」


 満月より少しかけている程度の大きな月が、星空がよく見える暗さでも強く存在を主張していた。

 ところでこの世界の月は前の世界よりでかい。

 だいたい両手の人差し指と親指で輪を作ったときの大きさと同じくらいだ。


「そうですね」


 アルトリカは仮眠するといって馬車の方に行った。

 アルトリカはどうか知らないが、仮眠のつもりが本眠になるので、恐らく俺には出来ない。


「彩人さん、今日はすいませんでした。私のせいで」

「夕飯に白米が食べられなかったのはレーナのせいだよ」

「そっちじゃないです!」


 と、抑え気味の声で叫ぶマナ。


「お昼前の、盗賊の襲撃の時ですよ」

「ああ、あれか。あれこそ別にマナのせいじゃないだろ」

「彩人さんは本当にお優しいですね」


 優しい? 違う。俺はそんなんじゃない。

 俺は二次元愛好者だ。二次元が好きで、愛しているからマナを気遣える。

 それとも、三次元のことはもはや完全に忘れ去るべきなのだろうか。俺はいつまでも三次元を引きずっているだけなのだろうか。俺は……


「彩人さん?」

「えっ? ああ、ごめん。なんだっけ」

「どうしてあの時、私を引き渡さずに、あんな無茶を?」


 思わぬ問いに、俺はマナをまじまじと見てしまった。

 どうして、と問われれば、それはマナだから、としか言いようが無い。

 マナはこの世界に来て初めての友人で、剣を教えてくれる面倒見の良い先生で、共に戦ってくれる頼もしい仲間で、なによりも俺の愛すべき二次元美少女だ。


「私が孤児だから、サモハンに目を付けられて、あんなことになって……」

「別に大したことじゃない。それに俺はもうマナのご主人様なんだから、大事な従者くらい護れないようじゃ、相応しくない」

「相応しく、ない?」

「もっと強くならないとなぁ。マナを護れるくらいに」


 そう。それはマイゴッドに言われたことと同じ。

 この世界を護ること。それが俺の究極の使命だ。




 私は彩人さんの言うことが、あまりにもおかしくて、でも優しくて、胸が苦しくなった。

 正直、こういう扱いは慣れていないので苦手だ。

 彩人さんは私に好意を持ってくれている。それはこの上なく光栄だし、私も彩人さんのことは好きだ。

 でも私にはそういった経験がない。友人だって孤児院からの彼一人だけだったし、彼が死んでしまってからはコック長と。だがそれは、この感覚とは違う。

 初めての感覚。私はこの妙に胸を締め付けられるような感覚に、なす術もなく苦しめられていた。


「私を、護る? 私が、彩人さんに護ってもらえる……」


 繰り返し、反芻するように口にする。

 だっておかしいじゃないか。私は救世主様の護衛であり、彩人さんの近衛兵士、その精鋭。

 本来は逆だ。私が彩人さんを護るのだ。

 なのに彼ときたら、私を護ろうだなんて。護ってくれる相手を護ろうだなんて。

 そんなことを言われた経験は一度としてなかった。

 どうして彼はここまでしてくれるのだろう。

 私が彼の求めていた異世界の住人だから? もしそうだとしても、私以外にもたくさんの人が居るのにもかかわらず、自分を危険に晒してまで助けようとするのは不思議でならない。

 いや、まさか彩人さんにとっては、自分の従者は自分で護るべき存在なのかもしれない。

 だとしたら、彼は誰かの主になるのには向いていないだろう。私のような、個人的に敬愛していて、自分から従者になりたがるような存在がいなければ、彼は誰かの主にはなれない。

 良い人というのは、短命なのだ。

 だからこそ、やはり私はこの人を護りたいと思う。





「そんなわけありませんでしょうが!」


 と、思わず声を張り上げそうになるのをどうにか押し殺す。


「ふぅ……まったく。どっちも色々問題ありですわ」


 いくら異世界の住人で、マナが始めての友人であろうと、彼がマナに対して特別な感情を抱いていることくらい、簡単に分かる。

 そしてマナもまた、彩人に対して同様であることも。

 いくら異世界に好意を抱いていたとして、彼の愛好は無差別なものではない。

 ただいかんせん、彩人は奥手なのかマナに手を出すことはない。マナにいたってはその感情を自覚できてすらいない。


 では実際、彩人がマナを胴思っているのか問い正してみたい。

 立ち上がり、馬車の荷台から降りる。

 両手を挙げ、くんっと背伸びをして身体をほぐす。寝起きの演技だ。


「ん~っ!」

「あっ、起きたかアルトリカ」


 わざとらしいほどの声量で彩人に気付かせる。


「ええ、回復しましたわ。マナ、交代しましょう」

「えっ、でも私はまだ……」

「今日は災難でしたわね。いまさら鷹の目部隊には戻れないでしょうけど、後々のことは置いといて、今はしっかり休んでくださいな」


 畳み掛けるように言うと、マナは途惑いながらも頷いた。


「お気遣いありがとうございます。それじゃあ彩人さん」

「ああ、おやすみ」


 マナは焚き火から離れ、馬車の荷台に戻るのを確認し、先ほどマナが座っていた椅子に腰掛ける。


「さて……彩人、やっと二人きりになれましたわね」

「ははっ、もう慣れたぞそういうのは」

「あら、からかい甲斐がなくて残念ですわ」


 くすくすと笑う。

 音が焚き火の音だけになった頃合、私は本題に入る。


「マナのこと、好きでしょう?」

「ああ、好きだよ」


 と、思いのほかあっさりと認めた。


「なにせ夢にまで見た異世界、その最初の友人だ」

「いえ、そうではなくて、異性としてですわ」


 途端、彩人は押し黙る。これはやはり黒だ。

 微妙な沈黙の後、彩人は再び口を開いた。


「どうしてそんなことを?」

「ちょっとした好奇心ですわ。それで、どうなんですの?」

「そりゃマナは可愛い。強くて凛々しくて可憐だ。だが……」


 再び沈黙し、躊躇いながらも言葉を続けた。


「まだ駄目だ。まだ、俺はその段階には進めない」

「どういう意味ですの?」

「俺は、前の世界が嫌いだったけど、俺も所詮は前の世界の人間だ。そんな俺に、この世界はあまりにも、高価すぎる」


 彩人の言うことは、なんとなくだが理解できた。


「つまり、自分はまだ、マナに相応しくないと? なぜそう思いますの? 何か罪深い所業でもなさったの?」

「いや、そういうわけではないんだけど。なんて言ったらいいか……自分には、マナと釣りあう価値なんてない」


 なるほど。彩人は自分をかなり過小評価している。というより、マナを過大評価しているようだ。

 夢にまで見た異世界とはいえ、そこまで思ってもらえるマナは、おそらく至上最幸しじょうさいこうの孤児だ。

 孤児……その立ち居地から護られているマナ。


「もう一つ、たずねてもよろしいかしら」





 アルトリカの声は、これまでとは違う、哀しさを含んでいたように思えた。

 俺はアルトリカが色恋沙汰をからかっているのかと思っていたが、急に雰囲気を変えてくるものだからやはり途惑ってしまった。

 微妙な間が空きながらも、促す。


「なんでもどうぞ」

「貴方はマナを、ひいては孤児という立場を守ることになる。そして、多くの貴族を敵にするでしょう。その覚悟はありますの?」

「もちろん」


 それは言うまでもないことだった。

 彼女がそれを望むなら、マナの望みを叶えてあげたい。

 それが俺の二次元愛好の在り方であり、それだけが俺の生きる意味、命を賭して行う価値のあることだからだ。


「じゃあ……」


 アルトリカは、やはり低いトーンで、もう一つ質問してきた。


「私が敵になっても?」


 もちろん。と口が紡ごうとしたが、声がでなかった。

 俺はアルトリカを見ると、彼女もこちらを見ていた。

 焚き火の灯に照らされる彼女はやはり美しい。

 少女らしい顔立ちのなかに、貴族としての強かさが見られる。

 照らされた金色の髪は艶やかに輝いていて、瞳は琥珀のように鮮やかだ。

 だが、彼女の表情は、一人のか弱い、不安を胸に抱える少女のようだった。

 そんな彼女の問いの意味を、不甲斐ない事に察することが出来ない。


「冗談ですわ」


 俺が答えに詰まっていると、くすくすと笑いながらそう言った。


「ごめんあそばせ。ちょっとからかい過ぎましたわね」


 それが本当に冗談なのか、やはり俺には分からなかった。

 ただ、仮にアルトリカがマナの敵となるならば、きっと俺はアルトリカの敵になるだろう。それだけはおそらく避けられない。


「彩人、交代しましょう」


 ふと背後から声をかけられ、振り返ると、背後に羽々斗が立っていた。


「今日は旅の初日、襲撃もあった。今更だが、ゆっくり身体を休めたほうがいい」

「それもそうだな、ありがとう。俺は寝る」


 俺は羽々斗と交代し、テントに入った。

 中ではすやすやとレーナが寝息を立てている。

 身体を横に向け、身を丸めて眠るさまはまことに可愛らしい。

 こんな美少女と同じ空間で寝られるなんて、どう足掻いても昂ぶってしまう。

 寝れるだろうか不安になってきた。


「では失礼しますよ……」


 レーナを起こさないようにゆっくりと、静かに布団に入る。


「んっ……」


 レーナが小さく声を漏らしたかと思うと、咄嗟に腕にしがみつかれる。


「っ!?」

「寒いだけよ。ちょっとあったまらせて」


 俺としてはレーナのほうが暖かくて柔らかいので、俺としては歓喜なのだが。


「あんたは、あんたの信じることだけを貫いてればいいのよ。余計な気遣いは無用よ」

「レーナ、聞いてたのか」

「そりゃ辛いでしょうけど、躊躇う必要なんてないのよ。自分は自分。敵は敵なんだから」


 どうやらレーナは俺を励ましてくれているらしい。


「ありがとう、レーナ」

「さっさと寝なさい」


 言われるまでもなく、レーナの温もりに誘われて、俺は眠りに引き込まれた。





 翌朝、俺はレーナの声に起こされた。


「さっさと起きなさい!」

「……あっ、おはよう」

「マナが練習するって! 一緒にやるわよ!」


 機能は出発のためお休みだったが、今日からはいつものように朝稽古を行うらしい。

 そしてレーナは初参加となる。


「さすがに飲み込みが早いですね」

「当然!」


 レーナは元々が天才肌なので、見る見るうちにマナの技を吸収していった。

 俺はというと、神の加護をもってしても、ある程度練習を重ねなければ完成度は低い。助けてマイゴッド。


「ふふん、情け無いわね彩人? 私の親友ならこれくらいささっとこなしなさいよ! そんなんじゃレーナ自警団には入れないわ!」

「初耳だよ、なんだその話は」


 技を習った後は適当に手合いだ。今回はレーナと戦うことになった。

 レーナは最初は先ほど習った技の練習をし、ある程度しっくり来たら球に切り替えて乱れ斬の強化に入った。

 次第に斬撃の一つ一つが重くなり、両手持ちの自分の剣が左右に揺さぶられるほどになる。


「ぐっ、おっ!」

「はぁあああ!!!」


 常に全力投球のレーナ。これはさすがにどうにもならない。そう思った途端、急に攻撃が止んだ。

 見れば、レーナは肩を上下させ、双剣持つ両手はだらんと下がっている。


「…………」

「はぁ、はぁ」


 俺は構えながらも恐る恐る近づき、剣を振りかぶった。


「しょ、勝負ありです」

「ええ……」

「や、やるじゃない……」


 勝因、レーナのスタミナ切れ。


「朝食が出来ました」


 朝食は簡単に厚切りのベーコンとサラダ、そして大量の白米。

 マナはマナで肉を食い、レーナはレーナで切れたスタミナを補給するためにがっつり白米を食べている。

 二人とは対照的に、アルトリカと羽々斗は落ち着いて静かに食事をしている。

 さて、食事をしていると、匂いに誘われたか大型犬のようなモンスターがこちらに向かってくるのが見える。


「あっ、野犬ですね」

「野犬?」

「はい。旅の際にもっともよく遭遇する相手で、朝食の後には必ずと言っていいほど湧きます。なので、彼らを昼食、夕食の材料にすれば食糧は基本的に心配しなくても大丈夫です」

「食えるのか、あれは」


 寄生虫とか、得体の知れないウィルスとかないのか心配なのだが、マナは大丈夫だと断言した。


「火を通せばまず大丈夫です」

「本当かよ……」


 さて、戦闘の準備を済ませ、5匹程度の野犬の群れを迎え撃つ。


「獣系は人型の相手と勝手が異なりますから、注意してくださいね」

「簡単じゃない。こうよ」


 レーナが前に出る。すると警戒していた野犬の数匹が襲い掛かる。

 飛び掛り、その顎がレーナの首筋を狙った。

 瞬間、レーナは即座に二本の剣を振るう。

 左から迫る一匹は右手で頭部を両断し、くるりと回転して右側からの犬を紙一重で回避しながら、首を落とした。


「勝手に飛び掛ってくるんだからぶった斬ればいいのよ」

「いやまあ、それはそうなんですけど……」

「か、かっこいいな」


 が、とても真似できるとは思えない。


「私はほとんど同じですけど、すれ違い様に切り込みます。あとはこうして……」


 マナは飛び掛る野犬をひらりとかわしていく。

 すると野犬を隙を突いてマナの剣に噛み付いた。


「かかった!」


 そのまま強引に振り回し、型に則った素振りで地面に叩きつける。

 衝撃で顎から外れた剣。マナは即座に野犬の顔を踏みつけ、首に突き刺した。


「一匹一匹確実に仕留めます」


 残り二匹、どちらも俺の前で唸っている。


「じゃあ俺は……」


 俺は自ら犬二匹に突っ込んだ。

 すると犬はある程度の距離を取るため離れる。


「なるほど」


 当然ながら、犬は人間と比べて機動力が高い。なので距離やタイミングを自分の好きなように出来る。

 だからこそ人間側は相手のタイミングに合わせて斬り込む必要があるわけだ。

 だが、それではこちらのリスクが高い。それなら……


「こう、かなっ!」


 俺は思い切り地面を切りつけた。

 草は切れ、土は抉れ、細かい飛礫つぶてが犬の目に混じり、視界を奪った。

 その怯みを、俺は好機と見て一気に踏み込んだ。

 真上から振り下ろす斬撃。犬の頭部は両断される。


「彩人さん! 後ろです!」


 振り返ると、犬が飛び掛る寸前。

 ここしかない。そう思った途端に、俺は剣を突き出した。

 飛び掛ってきた犬の口に切っ先をねじ込ませると、見事に串刺しになった。


「お、おおっ……」


 苦しそうな声を上げる犬に、少し怖気を感じながらも、なんとか倒すことが出来た。

 そうやって二日目もなんとか無事に切り抜ける。

 そして三日目の朝。


「……食材の消費が激しい」


 馬車の中、羽々斗が呟いた。身体が跳ねたのは運転席のマナと、隣のレーナだ。


「彩人、このペースだと食糧がいずれ枯渇する。出来れば道中で補給したい」

「犬肉じゃ足りないのか?」

「肉は足りるが野菜が足りない。もっといえば飲み水も足りない。そこで、この近辺にちょうど村がある。そこで飲食物の補給を提案する」


 急遽、食糧問題のために村に立ち寄ることになった。

 到着したのは昼食時をやや過ぎた頃合。昼食も村で済ませようということで、一同、特にマナとレーナは腹ペコだった。


「ごはん!」

「昼食よ!」

「どうどう、分かった分かった」

「犬を宥める飼い主のようですわ。私は水浴びをしたいところですわね」


 広大な草原の中、川沿いに建つ風車が目立つこの村は、非常にのどかな村で、犬猫や鳥がそこかしこでじゃれあっていたりする。

 民家は基本的に石造り、あるいは木造のコテージで、隠居するにはなかなか理想的だと思われる。


 羽々斗に案内され、大きな木造の宿屋に泊まることになった。

 一階が飯屋、飲み屋になっており、建物の左右と二階の部屋全てが宿スペースだ。

 ふと耳を澄ませば、ダンジョンだなんだと冒険家の話し声がする。


「ダンジョンかぁ」

「興味がありますの?」


 と、注文したものが到着すると同時に、マナとレーナが「待て」を解禁された犬のようにがっつき始める。


「辞めておきなさいな。冒険者はろくでもないですわよ。がらは悪い、品性も下劣」

「また貴族の偏見かな」

「貴族というよりは、私見。私の見解ですわ。貴族は冒険者の恩恵は少なからず受けていますもの。でも私は冒険者は好きませんわね」

「またどうして?」

「覚えてらっしゃるかしら。先日の襲撃」


 アルトリカに問われ、俺は頷いた。

 そこまで記憶力は悪くない。マナを攫おうとした一団のことだ。


「ああいう盗賊というのは、冒険、つまりダンジョンやら未開の地への探索で稼げなくなった。あるいは怖気づいた人間たちのなれの果てですわ」


 恐らく冒険者が多く集まっているであろうこの場所で、堂々とそう言ってのけるその胆力。憧れる、見習いたい。

 俺の視線に気付いたか、貴族は肩をすくめ、困ったような微笑を返す。


「臆病な貴族なんて、様にならないでしょう?」


 かっこいい。アルトリカかっこいい。


「聞き捨てならねえな姉ちゃん」

「おい! やめとけって!」


 と、振り返ると、そこにはハゲの巨漢がこちらを見下ろしていた。


「貴族だかなんだか知らんが、てめぇらこんなとこで言いたい放題言いやがって、覚悟できてんだろうな? あっ?」

「あっ……」


 やっば、と俺は咄嗟に謝ろうとするが、アルトリカが手で制す。


「私がどこでなにを言おうと、私の勝手ですわ。人の会話で不快になるくらいなら家に閉じこもっていたらいかが?」

「こいつ……発育の悪いガキだと思ってりゃ調子に乗りやがる」

「あなた、今なんておっしゃいました?」


 アルトリカの声音が、変わった。

 それは高貴さと引き換えに、地獄の鬼でも乗り移ったかのような、響く声のような気がした。


「やるなら表でやれよ」


 と、カウンターのマスターが慣れた風に言う。


「彩人、少し行ってきますわ」

「俺も行くよ。さすがに放っておけない」

「優しいんですのね。マナの言うとおり……」


 そして巨漢を先頭に、アルトリカと俺は店の外に出た。

 巨漢の装備はでかい鋼の盾一枚と、棘の付いた鉄製の棍棒メイスだった。


「その小さな胸と同じように叩き潰してやるよ、ガキ」

「ご存知? 私の胸について口を出した人間は、全員もうこの世にはおりませんのよ?」


 それは怖ろしい。俺も気をつけるとしよう。

 あの巨漢に比べて、アルトリカの装備は薄い防具と細身の剣一本だ。

 状況は圧倒的不利に見える。


「アルトリカ、俺なんかじゃ足手まといだろうが……」

「ご心配には及びませんわ。こいつは私の手で始末しますから」


 完全に殺すことが確定しているような物言いだ。というか目が本気だ。マナの真剣な表情とは違う。殺意そのものの表情だ。


「さあ来なさい巨漢トロール。醜い身体を土に返して差し上げますわ」


 戦いは始まった。

 が、意外なことに、巨漢は突っ込んでくるようなことはなかった。

 俺のイメージでは、巨漢が力押しで来ると思ったのだが。


「驚いたか坊主。冒険者のイメージがこれ以上崩れると仕事がなくなるからな。最近は人手不足なんだ」


 思いのほか切実な理由だった。


「どうだ坊主。俺のとこで見習いやってみ……」


 瞬間、アルトリカが動いた。

 ぐんと迫った彼女は剣を振るう。巨漢は大きな盾で防ぐ。

 鉄と鉄がぶつかり合う音が虚しく響く。


「どうしたガキ、貴族ってのはそんなもんかァッ!?」


 大きく振り下ろされた棍棒を、アルトリカはリラックスされた軽やかなステップで回避する。

 横に回りながら切りつけるが、即座に盾が攻撃を防ぐ。

 巨漢は図体の割りにかなり機敏に動けるようだった。


「ヌガァ!!」


 力任せの横薙ぎ。アルトリカはあえて踏み込み、横薙ぎの出始めを潜った。

 完全に背後を取ったアルトリカががら空きの背に刃を叩き込む。

 だが、それは紙一重で避けられる。

 代わりに鉄の盾がアルトリカの身体に衝突し、アルトリカの身体が吹っ飛んだ。


「アルトリカッ!?」

「安心しろ、峰打ちだ」

「いや確かに刃ではないが!」


 俺は急いでアルトリカに駆け寄る。小刻みに身体を震わせながらも、彼女は立ち上がろうとしている。


「だ、大丈夫だアルトリカ! 俺は小さいのも好きだぞ!」


 いかん。気が動転してあまり良くないことを言ってしまってる気がする。後で殺されそうだ。

 だが今はアルトリカをこれ以上戦わせるわけにはいかない。

 あんなのは乗用車に跳ねられたようなものだ。


「宿屋でゆっくり休ませてやれ。まあ、良い薬になったろ」

「くっ、くくっ……」


 巨漢は踵を返して宿屋に戻ろうとする。

 が、アルトリカの含み笑いがその歩みを止めた。


「おい嬢ちゃん、何が可笑しいんだ? 負けたのがそんなにショックだったか?」

「いいえ、貴方の、くっ……能天気さにですわ、よ?」

「ああ? ……こいつ、そういうことかよ」


 巨漢は自分の右手首を見ると、こちらを鋭く睨みつける。

 その頃には、アルトリカはなんとかグロッキーから復帰していた。


「それは警告ですわ。私はそこらの貴族とは格が違いますの。だから貴方に慈悲を与えてあげますわ。大人しく降参するなら、冒険者を続けられるよう、五体満足のままでいさせてあげましょう」

「…………」


 巨漢はじっと睨みつけた後、舌打ち一つ、両手を挙げた。


「貴族だっていうなら、さぞ高名なんだろうな」

「ええ。私はアルトリカ。アルトリカ・蘭・プラチナム。プラチナム家が一人娘にして、プラチナム流剣術の門下ですわ」

「ったく、今日はツイてねぇな」


 アルトリカと巨漢の勝負は、アルトリカの勝利に終わった。

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