八. 愛は永遠に
最近は、由美との時間がとても増えた。
何か特別なことをする訳でもなく、買い物に出かけたり、うちに来て映画を観て音楽を聴いたり、一緒に料理をしたり、何もしないでまったりしたり。
特別なことをしなくても、ただ一緒に居るだけで、楽しくて心地良くて幸せだった。
あけみは大学生もあって、勉強に友達との遊び、モデルの仕事もしていて、忙しそうにしていたが、充実してるようだった。
彼氏は、相変わらず居なくて好きな人もいないみたいだ。
作る気がないのか、ただ良い人がいないのか、よくわからなかった。
飲み会にも行ったりしてるみたいだが、必ず終電には帰ってくる。
暇なときは、電話をしてきて、日常の出来事を話してくれる。
友達との悩み、仕事の相談もしてくれて、頼られていた。
由美とも親子と言うより、姉妹のように仲が良かった。
とても良い親子関係を築いていた。
何でも話せて、日々感謝して、愛を伝えあっていた。
そんな二人が、僕にとって自慢だった。
今日中に、終わらせないといけない仕事があり、従業員が帰ったあとに一人で資料作りをしていた。
コーヒーを淹れるために、デスクを離れようとしたときに、スマートフォンが鳴った。
あけみからのメールだった。
「今日は新宿で飲み会だよ」
友達と撮った写真も付いていた。
どんな友達と遊んでいるのか心配になるが、あけみは、いつも友達と撮った写真を送ってくれるから安心できた。
返信はせずに、画面を閉じた。
デスクに戻り、音楽を流して、目の前のことに集中した。
考えて作業するときは、優しい曲があると捗る。
生活の中で、音楽は必要不可欠だった。
シチュエーション事に、合った曲を流す。
三人でソファーでまったりしながら聞くやつ、グアムの砂浜で聞いたやつ、由美と一緒に横になってるときに流したやつ、告白をした日に聞いたやつ、クリスマスの日に聞いたやつ。
曲を聴いた瞬間に、その時の気持ちが蘇ってくる。
資料を印刷しながら、時計を見ると23時を回っていた。
あけみに返信するために、スマートフォンを手に取ると、由美から電話が入ってきた。
「もしもし武志さん? いま電話大丈夫?」
「大丈夫だよ。どうした?」
「あけみの友達から電話があって、すごく酔っちゃったみたいで迎えに来れないかって言われて。武志さんのほうにも連絡きた?」
「友達と新宿で飲むってメールは入ってたけど……電話は来てないよ」
「一緒に来てくれる?」
「いま事務所で車もあるから俺だけで行こうか? その方が早く着けると思うし」
「それは……悪いよ」
「もう寝る準備しちゃったでしょ?」
「うん……」
「じゃあ家で待ってて。連れて帰ってくるから」
「ごめんなさい」
「いいんだよ。友達に僕が行くこと伝えてくれる?」
「うん。お店も聞いて、またすぐ連絡する」
資料の印刷も終わり、急いで駐車場に行き、新宿に向かった。
走り始めると、由美から電話がきて、スピーカーフォンモードにした。
「もしもし。お友達に武志さんが行くこと伝えたよ」
「わかった。僕のこと何て伝えたの?」
「仲良しの子で武志さんのこと知ってた、あけみが話してたみたい」
「そうなんだ。お店に着いたら、その子に電話すればいいのかな?」
「ううん、あけみに電話すれば出てくれる」
「もうちょっとで新宿で、お店の位置もだいたいわかったから」
「ごめんね。お願いします」
「ううん。あけみ乗せたら連絡するよ」
由美は、すごく心配していた。
お母さんだから当然のことで、こんなこと初めてだったから不安だったと思う。
僕は冷静だった。
本当に大変だったら、救急車を呼んでるはず、仲の良い子だから、あけみが終電までに帰るのを知ってて、このままだと帰れないと思って、連絡してくれたんだと思っていた。
お店の近くに着いて、状況がわからなかったから、とりあえずコインパーキングに停めた。
お店に向かいながら、あけみに電話をした。
「あっもしもし」
「すいません。お店の目の前に着きました」
「表に行きます」
店を見ると、大衆向けの居酒屋で、女の子だけの飲み会には思えなかった。
一人の女の子が出てきて、写真に写っている子だった。
「れいなちゃん? 連絡してくれてありがとう。あけみ大丈夫かな?」
「初めまして。あけみ寝ちゃって全然起きなくて。すいません」
「君が謝ることはないよ」
「大学の飲み会で、たくさん人がいるんですけど……連れて来ましょうか?」
「僕が行って、場の雰囲気が悪くなるなら、ここで待ってるよ」
「いえ、大丈夫です」
お店に入り大部屋に行くと、男女30人ぐらい居た。
奥で横になっているあけみの元に行き、そのまま抱きかかえた。
れいなちゃんは、あけみのバッグを持ってついてきてくれた。
「れいなちゃん帰りは大丈夫? 送ろうか?」
「大丈夫です。彼が迎えに来てくれるので」
「今日はありがとうね。あけみのことを想って連絡してくれて」
「いつも終電で帰るの知ってたので。けど、寝ちゃって全然起きなかったので、お母さんが心配すると思って」
「ありがとう。これからもあけみのことをよろしくね」
「いえ、こちらこそよろしくお願いします。今日はすいませんでした」
「謝らなくちゃいけないのはこっちだよ。本当ごめんね」
「あけみからよく話聞きますよ。本当に優しいですね」
あけみのバッグを渡しながら、れいなちゃんは言った。
どんな話をしてるのか、わからなかったが嬉しかった。
「そんなことないよ。れいなちゃんの彼も迎えに来てくれて優しいね」
「はい! じゃあお母さんにもよろしくお伝えください」
「伝えます。本当ごめんね、ありがとう」
れいなちゃんは、お店のほうに振り向き、歩き始めた。
「あっ! れいなちゃん、あけみ会費払ってる?」
「はい。いただいてます」
笑顔でお辞儀をして、お店に入っていった。
あけみの顔を見ると、気持ち良さそうに寝ていた。
後部座席に乗せて、持ってきたブランケットをかけた。
運転席に座り、由美に電話をかけた。
「もしもし。いま車に乗せたところ。これから帰るよ」
「ごめんね。ありがとう。待ってる」
「じゃあ後でね」
頼られていることが、すごく嬉しかった。
早く帰って、あけみの寝顔を見せて、由美を安心させてあげたかった。
抑える気持ちを落ち着かせて、あけみを起こさないように運転した。
マンションに着き、後部座席のあけみは寝息をたてていた。
鍵を手に持ち、抱きかかえた。
その瞬間、誕生日の日を思い出してしまった。
顔を見ると、本当に寝ているようだった。
エレベーターに乗っても声はかけずに、玄関ドアを開けると、由美がリビングから走ってきた。
あけみの顔を見て、ホッとしたように笑顔が溢れた。
ゆっくりベッドに降ろして、寝顔を見つめた。
由美のことを見て、肩に手をまわして、部屋を後にした。
明るいリビングで、由美の顔を見ると、具合が悪そうに見えた。
「なんか疲れてる? 大丈夫?」
「うん。ちょっと体調悪いみたい」
「じゃあベッド行こう」
また肩に手をまわしてベッドに連れて行き、由美を横にさせた。
ベッドに腰をかけて手を握り、おでこにキスをした。
「今日は帰る?」
「うん。明日仕事終わったら泊まりに来るよ」
「今日はごめんね。急なお願いして」
「ううん。頼られて嬉しかったよ」
「いつも頼りにしてるよ」
「目閉じな。寝るまでいるから」
頭を撫でながら、顔を見つめた。
そんな状態で1時間ぐらい経っていた。
朝起きたときに、寂しい気持ちにならないために、置き手紙を枕元に残した。
アラームが聞こえてきて、目を開いた。
昨日は寝るのが遅くなり、まだ眠気があったが、楽しかったときの曲を流して、目を覚まそうとした。
スマートフォンを見ると、あけみからメールが入っていた。
「おはよう。起きてるかな? たけたけ昨日はごめんなさい。酔って寝ちゃって全然覚えてなくて。迎えに来てくれたんだね、ありがとう。本当ごめんなさい。今日もお仕事がんばってね」
「おはよう。いま起きたところ。連絡してくれたれいなちゃんにお礼を言いな。お母さんも心配してたから、ちゃんと謝りなね。そして僕には美味しいご飯を作りなさい。今日、仕事終わったらマンションに行きます。また夜にね」
返事を送り、体調が気になり由美にもメールをした。
準備していても、由美から返信が届いてるか気になって、何度も見た。
事務所の駐車場に着いて、降りようとしたときにスマートフォンが鳴った。
「武志さんおはよう。寝たら少し良くなったよ。手紙のおかげで寂しくなかった、ありがとう。今日は、あけみが美味しい夜ご飯作るってよ。お仕事終わったら、うちに来てね」
メールが届いて安心した。
昨日の資料で、仕事も成功して新しい仕事も入り、最高の気分だった。
その気持ちのまま、マンションに向かった。
合鍵を渡されていたが、インターホンを鳴らした。
すると、由美さんの声が聞こえてきた。
「ただいま。武志です」
「あれ? はい」と言いと、ドアが開いた。
エレベーターを降りると、玄関を開けて、由美が立っていた。
「どうしたの? 鍵忘れちゃった?」
「ううん。インターホン押して、ただいまって言いたくなっちゃった」
「そうなんだ。おかえりなさい」
玄関で座りながら靴を脱いでいると、後ろから抱きしめて、顔を覗き込んできた。
「なんか良いことあった?」
「わかっちゃった? 仕事がうまく行ったんだ」
「おめでとう! 良かったね、お疲れさまでした」
由美の顔を見ると、疲れていた気持ちが一気に吹っ飛んだ。
「体調はどう?」
「うん。昨日より良いかな」
まだ本調子ではない顔をしていた。
「熱は?」
「ないよ」
心配に思いながら、リビングに行くと、あけみがキッチンで料理をしていた。
「たけたけおかえり。昨日は本当にごめんなさい。その代わり美味しい美味しいコロッケを作ってます」
キッチンに行き作ってる姿を見た。
「コロッケいいね! 久しぶりに食べるな。具合は大丈夫なの?」
「うん、全然大丈夫。お詫びに愛情を込めて作るから」
「ありがと。なにか手伝おうか?」
「ううん。ゆっくりして待ってて」
ソファーに座りテレビを見ながら、出来上がるのを待った。
由美も横に座り、今日の仕事の話を聞いてくれて嬉しそうにうなづいて、自分の出来事のように、一緒になって喜んでくれた。
僕からは仕事の話はほとんどしないが、由美は何かを感じ取ったときは、聞き出してくれる。
人を抱えて仕事をしていると、周りに話せないのも分かっていて、聞いてくれているのかもしれない。
何より僕の性格を理解してくれているから、できることだと思う。
話終わったあとは、スッキリして、もっと頑張ろうと感じさせてくれる。
「できたよ! 二人ともこっち座って」
僕と由美は振り返り、ダイニングテーブルに座った。
「美味しそうだなー」
「食べて食べて」
「あけみ、いただきます」
「どうぞどうぞ」
「美味しいわよ。お母さんのより美味しいよ」
「あけみ美味しいよ」
「お母さんのレシピ通り作ったから変わらないよ」
ご飯のときはテレビを消して、料理を味わいながら、会話を楽しみ食べるのが普通だった。
特に決めたわけでもなく、自然とそういう形になっていた。
そして食べ終わったあとは、三人でソファーに座り、テレビを見る流れがあった。
お風呂は、そのときの雰囲気で入る順番を決めていた。
今日は由美が最後になり、いつものようにあけみの髪を乾かしてあげた。
相変わらず、ロングヘアで大変だったが、乾かすのは好きだったから、苦とは思わなかった。
ソファーに移動して、由美が出てくるのを待った。
「あけみ卒業後はどんな仕事したいの? モデルの仕事?」
「うーん、まだわらない。モデルの仕事は、どこまでできるか挑戦してみたい気持ちがあるから頑張ってるけど」
「これから就活とかって話になると思うけど、色んなことを経験して、やりたい仕事を考えてみたらいいよ」
「うん。やりたいことやらないと後悔するもんね」
「そうだね」
「これ、たけたけが言ってた言葉ね」
「人生一度きりだからね。リハーサルはないから」
「また新しい名言」
「メモしたほうが良いじゃないの?」
「頭にインプットしたから」
冗談を言うと、あけみは同じように返してくる。そんなところも由美に似ていた。
頭にタオルを巻いて、由美がリビングに戻ってきた。
「明日撮影あるからもう寝るね。二人ともおやすみ」
ドライヤーを由美に渡して、部屋に入って行った。
「由美、乾かすよ」
「うん。ちょっとソファーで休んでから乾かして」
隣に座った由美は、どっと疲れたような顔をしていた。
「お水飲む?」
「うん。ありがとう」
キッチンに行きコップに水を入れながら、後ろ姿を見ても、いつもと違って見えた。
一口飲みテーブルにコップを置いた。
話しかける雰囲気じゃなく、黙ってテレビを消した。
由美は立ち上がり、「乾かしてくれる?」と言った顔は、なんだか不安そうな顔をしていた。
洗面台に移動して、鏡を通して目が合うことがなかった。
寝室に行き、いつものように身体を密着させて横になった。
由美は僕の指を持ち、胸に当てて、なぞるように動かした。
指先になんとなくじゃなく、明らかにシコリがあるのがわかった。
「検診は行ったことあるの?」
安心させるように、いつものトーンで聞いた。
黙ったまま、顔だけを横に振った。
「一緒に検診に行こう」と言い、肩を引き寄せ包み込むように、優しく抱きしめた。
由美は背中に手を回し強く抱きしめ、顔を僕の胸に押しつけた。
お風呂上りに、様子がおかしかった意味がわかった。
不安でたまらなかったと思う。
僕も指先で触れたときは、怖さを感じた。
由美は、その何百倍も怖くなったと思う。
乳がん検診をしてみないとわからないが、してあげられることは、これから僕は何ができるのか考えることしかできなかった。
5時に自然と目が覚めてしまった。
横を見ると、由美は寝ていて、寝顔を見て少し安心した。
起こさないようにゆっくり動き、リビングに向かった。
パソコンを立ち上げ、乳がん検診をしているところを探した。
いくつか出てきて、その中でも実績がある病院を選び印刷した。
印刷した用紙を持ち、部屋に戻り扉を開けると、起こしてしまったのか、眠そうな目で僕を見ていた。
ゆっくりベッドに入り、腕枕をしてあげた。
小さな声で、「何時?」と聞かれ、
「6時半だよ」と同じように小さな声で答えた。
そのまま由美は、僕の腕の中で眠りに入った。
僕も目をつぶったが全く寝れなかった。
そんな時間が1時間ぐらい経っていた。
由美は、ゆっくり起きて、全身を僕の身体に絡めた。
「さっきはトイレ行ってたの?」
「ううん、調べものしてた」
「……調べもの?」
「検診してくれる病院を調べてみたんだ」
「武志さん……ありがとう」
「印刷しておいたから」
顔を強く、僕の胸に寄せつけた。
「心臓の音が落ち着く」
「僕は由美と……こうしていると落ち着くよ」
由美は、鼻から息を出して笑った。
廊下から、扉が閉まる音がした。
あけみが起きたみたいだ。
「あけみ起きたみたいだね。先にリビング行くよ」
「あけみには、まだ言わないでね」
ゆっくりうなづいて、印刷した用紙をベッドの上に置いた。
「あけみおはよう。朝ごはん食べる?」
「おはよう。撮影だからいいや」
「コーヒー淹れるけど?」
「いらない。準備してもう出ないと」
お湯を沸かしながら、一点を見つめていた。
指先に、昨日の感触がまだ残っていた。
頭から不安が取れなかった。
由美には、なるべく普段通りに接するようにしないといけないと思った。
ソファーに座って、コーヒーを飲みながら、テレビをつけた。
「たけたけ行ってくるね」
振り向くと、着替え終わったあけみが立っていた。
玄関まで行き見送った。
「気をつけて行ってらっしゃい」
「夕方ぐらいに終わると思うから。また後で連絡する」
玄関ドアをゆっくり閉めて、由美の部屋の前に立った。
開けるか悩んで、一人にしてあげようと思い、リビングに戻った。
今日は、何をするか考えた。
家でゆっくりするよりも、外に出たほうがいいように思えた。
桜が咲いてる時期だから、散歩しながら見に行こうと提案してみることにした。
「武志さんおはよう」
テレビを消して、振り向いた。
「由美おはよう」
いつもと変わらない笑顔で言った。
同じように、いつもの笑顔を見せてくれた。
寝たおかげで、昨日よりか少し落ち着いたのかもしれない。
手には、印刷した紙を持っていた。
「朝ごはん作ろうか?」
「うん。いつものスクランブルエッグが食べたいな」
ダイニングテーブルに座った由美を見ながら、作り始めた。
印刷の紙をテーブルに置いて僕のことを見た。
「あとで病院に電話してみる」
何も言わずに、笑顔でうなづいた。
「今日はどうしようか? 外に出かける?」
由美は窓の外を見て、天気が良いのを確認してから、うなづいた。
「じゃあ桜でも見に行こうか?」
「うん、行こう! どこに見に行こうか?」
「どこか良いとこあるかなー」
いつもの雰囲気に戻った気がした。
二人だけの朝食を、見つめ合いながら時間を気にしないで食べた。
検査の日が決まり、車を出して病院に向かった。
まだ、あけみには話してなかった。
心配させたくないということもあり、結果次第で話すことになった。
待合室で、終わるのを待った。
どのくらいかかるか、わからないが、大きい病院だから、待つことを覚悟した。
由美のことを考えたら待つことは、何とも思わなかった。
本を読みながら待っていたが、読み終わってしまった。
時計を見てみると、2時間ぐらい経っていた。
周りを見渡していると、由美が歩いて向かってくるのが見えた。
椅子から立ち、その場に立っていると、目の前まできた。
「ごめんね。長かったでしょ?」
「ううん。由美、疲れちゃったでしょ?」
「うん。それよりも、お腹空いちゃった」
「築地が側だし、お寿司食べにいこうか?」
「もっとお腹空いてきちゃった」
由美は、笑っていた。
どんな顔をして、戻ってくるか考えて不安に思っていたが、イメージしてたより、明るくて安心した。
結果がわかった訳じゃないが、検査をしたことで、由美の中で少し前進したのかもしれない。
今は、後日の結果の連絡を待つことしかできない。
僕に、できることは、いつも通りに接し、変わらない愛を届けることしかできないと思った。
仕事中に、由美から電話が入っていた。
珍しいことだったから、結果の連絡が来たんだと、すぐわかった。
折り返すのが、怖かった。
駐車場に行き、電話をかけた。
「もしもし。武志さんお仕事中にごめんね」
「大丈夫だよ。どうしたの?」
「病院から連絡が来て、検査入院することになったの。でね、今日の夜にあけみに話そうと思うんだけど来れる?」
由美は、淡々と話していてびっくりした。
「武志さん?」
「今夜ね? わかった。じゃあ仕事終わったら連絡するね」
「ありがとう。それじゃあお仕事がんばってね。大好きだよ。じゃあね」
その場で、立ち尽くした。
結果が、悪かったのか良かったのか、よくわからなかった。
入院をするということは、良くはないはずだが、淡々と話されて混乱した。
そして“じゃあね”の言葉が寂しさを感じさせた。
マンションに着き、玄関で座り靴を脱ぐと、いつものように後ろから抱きしめて、由美は迎えてくれた。
笑顔を見せることしかできなかった。
「あけみ。ちょっとリビング来てくれる」
ダイニングテーブルに座って待ってると、あけみが来た。
「たけたけ、お帰りなさい」
「ただいま。ちょっと座って」
いつもと違う雰囲気に、あけみは不思議な顔をしていた。
僕は、由美の顔を見た。
「ちょっと二人に話があって。実はね……乳がん検査をして、病院から連絡があって検査入院するように言われて、入院しないといけないの」
「えっ? いつ検査してたの?」
「ちょっと前にね。その時は、結果もわからなかったから心配させたくなくて……話さなくてごめんね」
あけみは黙っていた。
「検査入院は、いつからなの?」
「2日後から。10日ぐらいかな」
「わかった。車で送るよ」
「ありがとう。入院してる間うちに泊まってくれる?」
あけみの顔を見たら、今にも泣きそうになっていた。
「大丈夫だよ」
「あけみ、そんな顔しないでよ。検査入院だから」
あけみは、ゆっくりうなづいた。
「武志さんに、ご飯作ってあげてね」
「二人でやるから大丈夫だよ」
由美は、僕の顔を見て、優しい笑顔を見せた。
「はい、この話は終わり。武志さんお腹空いたでしょ? ちょっと待っててね」
「うん。ありがとう」
あけみは、僕のことを見た。
かける言葉も見つからず、ゆっくりうなづくことしかできなかった。
由美のほうを見て、「お風呂入ってくる」と言い、廊下に向かった。
その姿を見つめた。
急に言われて、不安で大丈夫なのかと心配でたまらなかったと思う。
僕とは、違う感情があったと思う。
由美も娘のあけみの前だったから、心配させないように明るく話していた。
二人の気持ちが良く理解できる。
僕も、不安で心配で埋め尽くされている気持ちを押し堪えて、いつもの自分を見せた。
入院前だからといって、特別なことはしなかった。
いつものように朝食を作りながら、キッチンから二人を見た。
あけみなりに考えて、普段の自分を出すように、由美と話していた。
助手席に由美が座り、後部座席にあけみが座った。
特に会話はなく、気まずい雰囲気でもない。
三人で楽しかったときに聴いた曲を流した。
病室に着いて、入れる時間だけ側にいた。
帰りの車の中で、あけみは我慢してたかのように、一気に不安な顔に変わった。
「たけたけ……お母さん大丈夫だよね?」
「大丈夫だよ。なるべく行けるときは逢いにいこう」
「うん」
「僕は、毎日行くから」
あけみを見て、肩に手を置いてギュッと握った。
仕事の合間や早めに切り上げて、毎日、笑顔を見せに行った。
あけみも授業の合間をみて、逢いに行っていた。
夜ご飯は、あけみが毎日作ってくれた。
片付けは、僕が担当した。
今日の由美の様子、明日は何時に行くか、話して、時間が過ぎて行った。
僕なりに考えてることがあった。
由美に、婚姻届を渡そうと思っていた。
これから、なにがあっても一緒にいるから安心してという気持ちを込めて、プロポーズをしようと思っていた。
もし結婚となれば、あけみにも関わってくることだから、今夜、相談してみることにした。
病院に行き、鞄の中にある婚姻届を渡したい気持ちを抑えて、面会時間の7時まで、色んな話をしながら由美と手を繋いでいた。
唇ではなく、おでこにキスをして、病室を後にした。
あけみに帰ることをメールで伝えて、車を走らせた。
入院して5日が経っていた。
毎日逢いに行って顔を見せた。
僕の顔を見ると、安心した笑顔で見つめる。
なるべく不安な気持ちにならないように、手を握り、言葉も選びながら会話をした。
由美の手は冷たく、少し痩せたように感じた。
入院疲れもあると思う。
毎日通っても病院の雰囲気には慣れなく、僕自身も疲れていた。
マンションに着いて、車の中で深呼吸をした。
玄関を開けると、おいしそうな匂いがした。
温かい手作り料理は、疲れを癒してくれた。
「ただいま」
「おかえりなさい。もうできるから座って待ってて」
婚姻届が入った鞄を足元に置いて座った。
テーブルには、唐揚げから、サラダにお味噌汁に炊きたてのごはん。
あけみは実家暮らしで、まだ若いのに、料理が得意で優しい味付けで、完璧だった。
「じゃあ食べよう。いただきます」
「いただきます。今日も作ってくれてありがとう」
「作りすぎたから、お弁当のおかずも唐揚げね」
普段からお弁当も作っていたから、泊まるようになってから、僕の分も作って渡してくれていた。
「今日お母さん様子はどうだった?」
「大きな変化はないけど、少し痩せたかな。入院疲れもあると思うんだよね」
「そっか。明日2時ぐらいに行ってくる」
「わかった。ちょっと相談したいことがあるんだけど……」
「相談? なに?」
「由美さんに婚姻届を渡して、プロポーズしたいと思ってるんだけど」
「結婚するってこと?」
「うん。由美さんがオッケーしてくれたらの話だけど」
あけみの顔を見ると、視線を下にして、箸で唐揚げを取ろうとしていた。
「これからも一緒にいるから安心してっていう意味を込めて渡そうかなって思って。あけみにも関わることだから相談したくて」
視線を戻して、僕の目を見た。
「婚姻届渡さなくても言葉だけで、お母さん喜ぶと思うよ」
「そっか。わかった」
それ以上、なにも言えなかった。
思っていた反応と違かったが、あけみの言う通りに言葉だけで伝えてみることにした。
皿洗いは、僕がやることを決めていた。
お皿を洗いながら、ソファーに座るあけみを見た。
本当なら隣に由美がいて、テレビを観ながら、笑ったり驚いたり、感動して泣いたり、流れる曲を二人で歌ったりする姿を見て、微笑ましくて幸せと実感していたが――今はあけみが一人で、寂しそうにしている姿しか見えなかった。
急いで洗って、隣に座って一緒に観た。
「明日一限からだから、もう寝るね」
「うん。何時に起きるの?」
「お弁当もあるから6時ぐらいかな」
「わかった。おやすみ」
「たけたけおやすみ」
朝もあけみが寂しい気持ちにならないために、リビングに来るときには起きているようにしていた。
あけみにしてあげられることは、そんなことしかなかった。
お風呂に入って、由美の部屋に行った。
ベッドの背もたれのところに、今までにあげた手紙をファイルして置いてあった。
渡した順番で、綺麗に入っていた。
横になりながら、一枚一枚読んだ。
寂しいとき、僕を感じたいときに見ていたんだろうなと思った。
一緒に写真も挟んであって、二人だけで行ったときのものしかなかった。
明日持って行ってあげようと思い、鞄に入れて、由美のことを想いながら、目をつぶった。
アラームが鳴り、まだ眠かったが、無理やり起きた。
リビングを見ると、あけみはいなかった。
目を覚ませるために、水で顔を洗った。
コーヒーを飲もうとお湯を沸かしていると、あけみが起きてきた。
「あけみ、おはよう」
「おはよう。起きてたんだね」
「うん。お弁当手伝うよ」
「ううん。コーヒー飲みならがテレビでも見てて」
「ありがとう」
「コーヒーのいい香り」
前に由美も、まったく同じことを言っていた。
親子だから感じて言うことが同じで、僕も同じように感じていた。
家を出る時間じゃなかったが、あけみと駅まで一緒に歩いた。
「お弁当ありがとう。気をつけて行ってらっしゃい」
「たけたけもお仕事がんばってね。行ってきます」
見えなくなるまで、その場で立っていると、あけみは振り返り大きく手を振った。
その姿を見て安心して、僕も歩きはじめた。
お昼になり、お弁当を開けると可愛く詰められていて食べるのが恥ずかしかった。
唐揚げをいっぱい作ったからと職場の人に渡せるように、お弁当と別に用意してくれていた。
みんなに配って、美味しいと食べてくれて、あけみのことを褒めていた。
伝えたら喜ぶだろうと思い、メールしようとデスクにスマートフォンを取りに行くと、あけみから電話が3件入っていて、メールも届いていた。
「病院に来て」
いつもなら絵文字が付いているのに、5文字だけだった。
すぐに返信をして、急いで病院に向かった。
向かう途中は、嫌な想像しか出てこなかった。
病室に入ると、あけみだけが座っていた。
ゆっくり近寄ると、下を向きながら泣いていた。何も聞かなくてもわかった。
呆然と立ち尽くし、あけみの背中に触れることしかできなかった。
不思議と涙が出てこなかった――まだ状況を受け入れられなかった。
一言も会話を交わすこともなく、ずっと泣いているあけみを横目に、車を走らせた。
二人でマンションに戻ったが、あけみを一人にできなかった。
ホットココアを入れて、あけみに飲ました。
ベッドに連れて行き、横になるように伝えた。
廊下を歩き、由美の部屋の前で立ち止まった。
扉をゆっくり開けた。
その瞬間、涙が自然と出てきた。
扉に寄りかかり、そのまま落ちるように座った。
今まで出なかった涙が、一気にこぼれ落ちた。
部屋に残っている香りが、目の前にいるかのように思えたが――もうそこには、由美はいない。
現実に起きていることだと感じ――涙が止まらなかった。
嘘であってほしい、夢であってほしい、心が痛くてたまらなかった。
由美の温もりを求めて、病室で着ていたお揃いのパジャマを取り出し、顔にくっつけて抱きしめた。
ポケットに何かが入ってることに気づき、手をいれてみると――そこには手紙が入っていた。
僕宛、あけみ宛、二人で見るように、3つあった。
“大好きな武志さんへ
私ね、もう先が長くないと思うの。
自分のことだから私が一番わかってる。
心配なのは、あけみのこと。私が居なくなったら一人になっちゃうから。
今までお願いしたことないけど、これからもあけみの側に居てあげてほしいな。
決めるのは武志さんの気持ちだから、私に言われたからじゃなく、自分の考えを一番に答えを出して欲しい。よろしくお願いします。
これが最後の手紙になっちゃうかな。
字が汚くてごめんね。
この手紙は読み終わったら捨ててください。
残しておくと、武志さんはずっと引きずってしまうから。
なのに、こんなこと言ってごめんね。
武志さんと出逢えて、たくさんの愛をくれて、世界中の誰よりも幸せだったよ。
私の人生は武志さんなしに語れない。
側に居てくれるだけで幸せだった。
たくさんの想い出、愛の言葉、笑顔をありがとう……なんて言葉で伝えきれないほど、感謝でいっぱいです。由美”
涙が止まらなかった。
泣きたくて泣いてるわけじゃない。
自然と涙が出て、止めることが出来なかった。
“なんでだよ”と何度も言いながら、何もできない、もどかしさが感情をおかしくさせた。
優しい笑顔……
嬉しいときの顔……
照れ笑いの顔……
作ったご飯を美味しそうに食べる顔……
はじめてこのベッドで寝たときの寝顔……
鏡越しに見つめ合ったときの顔……
いろんな由美の顔が出てきた。
ベッドの上には、悲しさしかなかった。
夜に帰ってきて、気づけば夕方になっていた。
あけみ宛の手紙を渡そうと重い身体を動かし、部屋に向かった。
ノックをしても返事がなかった。
ゆっくり扉を開けると、寝ていた。
ベッドに近寄り、顔を見ると、昨日たくさん泣いた顔をしていた。
その顔を見たら、心が苦しくなった。
手紙を枕元に置いて部屋を出た。
洗面台で鏡を見ると、あけみと同じような顔をしていた。
水で顔を洗い、もう一度鏡を見ると首元のネックレスが光って見えた。
チャームの部分を手に置き見つめた。
由美に気付かされたように思えた。
リビングで、あけみが起きてくるのを待った。
二人宛の手紙をテーブルに置いて、内容が気になりながら見つめた。
何も物音がしない中で、廊下から扉が閉まる音がした。
あけみも泣きすぎて疲れている様子だった。
黙って手紙を渡した。
隣に座り、僕の顔を見た。
「二人で見てだって」
あけみは丁寧に開けて、確認するように顔を見て、僕はうなづいた。
手紙を僕にも読めるように広げた。
内容は遺書だった。
お葬式のこと、お願い事、大切なものが置いてある場所、今後あけみが困らないように必要なことが、すべて書かれていた。
手紙を広げたまま、僕に寄りかかり顔を胸に押し付けて、泣いていた。
肩に手を回して優しくさすった。
僕も泣きたかった。
あけみが居たことで、僕はしっかりしないといけないと思った。
手紙に書いてあった内容は、由美の願いだから、すべて叶えないといけない。
僕が、最後に由美にしてあげられる、唯一のことだった。
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