九. 密かな愛

あれから、毎日マンションに泊まるようになっていた。


あけみが心配で一人にさせられなかったし、僕も一人で居られなかった。


由美のベッドでは寝られなくなって、ソファーで休むようになった。


お葬式も由美のお願い通りにやった。

今まであげた手紙とプレゼントを棺に入れるように書いてあった。

僕の想いと一緒に火葬してほしいということだった。


さらに薔薇365本を用意して、あけみと二人で綺麗に引き詰めた。

“毎日君を想う”という意味を込めた。


そして、手を合わして、あけみの側に居ることを約束した。


僕たちは、由美が居ないことが受け入れられなかった。


マンションに帰ったら、由美が笑顔で迎えてくれるんじゃないかと思って、玄関を開けてもいない。

あの日から、由美の部屋を開けることができなくなった。


ソファーに座っていると、あけみが部屋から出てきて隣に座った。

あけみは、ネックレスのチャームの部分を手に置いて見ていた。


「たけたけ、このネックレスくれた日のこと覚えてる?」

「うん。覚えてるよ」

「三人で鏡の前に立って、つけた姿を見たよね」

「そうだね」

「たけたけが言ったんだよね……悲しいときや辛いときはネックレスを見るといいって。そしたら今日のことを想い出して元気が出るって」


僕も同じように、チャームの部分を手に取った。

あけみは、前を向こうと努力していた。

お互い顔を合わせて、笑顔を見せた。


はじめて心から笑顔が出た瞬間だった。


由美のことは忘れることはできないが、後ろばかり見てはいけないんだと、あけみの姿を見て思った。

僕も前を向かないと、せっかく前を見て頑張っているあけみに可哀想だ。


天国にいる由美も、こんな僕を見たくないと思うし、悲しい顔をしてるかもしれない。

僕が、一番好きだった笑顔になってもらうためにも、前を見ようと強く思った。


マンションから仕事に行き、家に帰って着替えを持って、またマンションに帰る日々が続いた。


夜ご飯は、あけみが作ってくれた。

由美が書いたレシピノートを見ながら、頑張って美味しいご飯を出してくれる。

僕は片付けに、休日に洗濯や掃除をして、あけみの負担を減らした。


そして、なるべく一緒に居るようにした。

休みの日は、買い物に付き合ってあげたり、外でご飯を食べたり、行きたがっていた場所に連れていった。

少しでも楽しい時間、笑顔になれることをしてあげたかった。


あけみの前では、いつもの自分で接するように頑張っていたが、どうしても一人でいると、由美とのことを振り返って、寂しい気持ちになって後ろ向きになってしまう。

これをずっと繰り返していくものなのかもしれない。

寂しくなって乗り越えて、また寂しくなり乗り越える。

ずっと繰り返していたら、自分がだめになって行くのが、わかっていた。


この気持ちを良くするためにも、環境を大きく変える必要があると思った。


今日は、あけみは帰りが遅くなるみたいで、帰りを待った。


大事な話をしようと思っていた。


あけみからメールが届いた。

「いま駅に着いたから、もうちょっと待っててね」


話の内容をどう感じるか不安で、緊張していた。


玄関が開く音がしたが、そのままリビングで待ち、テレビを消した。


「ただいま」

「おかえり」

「ごめんね、遅くなって。大事な話ってなに?」

「ここに座ってくれる?」

「どうしたの?」


少し不安な顔をしていた。

僕も顔が強張っていたと思う。


「ちょっと自分なりに考えたことがあって、あけみの意見を聞きたくて」


目を離さず、うなづいた。


「引越しして、一緒に住もうか?」


「……どうしてそう思ったの?」


「気づいてたかもしれないけど、マンションに来ると想い出がでてきちゃって……忘れちゃいけないけど、前を向けない自分がいるんだ」


あけみは黙って考えていた。


「今すぐにってことじゃないし、あけみの住み慣れた家だし。決めるのはあけみだから、考えてみてもらえるかな?」


「引越ししてもいいよ。私はついていくよ。側に居てくれる人は、たけたけしかいないし」


「別にいま答えを出さなくてもいいよ。ゆっくり考えてくれていいんだよ」


「ううん。考えても今の気持ちは変わらないから」


「わかった。ありがとう」


「ううん。たけたけも側に居てくれてありがとう」


「今と同じような2LDKがいいかな」

「たけたけ! 思ったら、即行動でしょ」


顔を合わせて笑い合った。


由美が天国に行ってから、一年が経っていた。


考えない日は、一日もなかった。

あけみがいなかったら、僕はどうなってたか、わからなかった。

あけみが居てくれて、少しだけでも前を向けてたし、引越しも了承してくれて、さらに前を見れる気がした。


最近は、マンションに行くと、荷物がどんどん減っていった。


あけみの考えで、家具類は新しい家には持っていかないことになった。

僕が思い出してしまうから、変えようと考えてくれたんだと思う。

休みの日は、引越しするために片付けをして、夜にマンションに行き、ご飯を一緒に食べる過ごし方に変わっていた。


「すごい片付いてきたね」

「たけたけもちゃっとやってる?」

「僕は荷物が少ないからね」

「そうだった。ちょっとこっち来て」


手を引っ張り、由美の部屋の前に、僕を立たせた。


「開けてみて」


あの日から怖くて開けれなかったから、躊躇していると、あけみが僕の手を取り、ドアノブを握らせ――ゆっくり開けてみた。


「片付いたでしょ?」


物がなくなって、ベッドだけが置かれていた。

もう由美の部屋ではなかった。

辛い気持ちが、少し和らいだのを感じた。


「がんばったね」

「ご褒美ちょうだいね」


笑いに変えて言ってくれた。


由美の部屋を開けられなかったことを、克服させるためにやってくれたんだと思うと、感謝でしかなかった。


部屋の前まで行き、何度も開けようと試みたが怖くてできなかった。

部屋での想い出は、素敵なことばかりで忘れることはないが、由美がいない現実を一番感じてしまう場所だった。


物件も決め、住む街も変えて、新しい環境に変わる。


あけみは引越しで片付けはもちろん、気持ち的にもすごく頑張ったと思う。

さらに僕の克服のために色々考えさせちゃって、申し訳ないと思った。

早く新しい場所に慣れて、気持ちを楽にさせてあげたかった。


引越し日も来週に決まり、鍵も受け取った。


駅で待ち合わせをして、新しいマンションに行く約束をしていた。

いつものように先に駅に着いて待っていた。

少し遅れて、あけみが来た。


電車に乗りながら、家具の話や買い足す物について話して向かった。

駅からマンションに向かう途中に、商店街があり、楽しそうに見ていた。

マンションまでの道も、あけみ一人でも安心して歩かせられるところだった。


マンションの前に着いて、鍵を渡した。


6階建てで、部屋は5階だった。

あけみが鍵を開けて、僕の顔を見た。


「たけたけも持って」


一緒にドアノブを持ち、勢いよく開けた。


リビングから、廊下、玄関まで太陽の光が明るく照らしていて、新しい道が開いたように思えた。


見たのは二度目だったが、改めて良い部屋だと思った。


「たけたけ! やっぱりここで良かったね」

「うん! 良かった良かった」

「ここにテレビで、ソファーはここで。ダイニングテーブルは、この辺かな?」

「そうだね。そこにあったサイズの物を買わないとね」

「ジャーン! メジャー持ってきたんだ。そっち持って」

「用意周到だね」

「出来る子でしょ」


太陽の光で、笑顔が輝いて見えた。


部屋中の長さを図り、メモをした。

あとは部屋をどっちにするかだった。


「あけみ、部屋どっちがいい?」

「うーん。こっちがいいかな」

「そっちの方が狭いよ」

「うん。物を増やさないためにもこっちにする」

「増えても、僕の部屋には置かせないよ」

「いいよ。勝手に置いちゃうから」

「増やす気じゃん」


あけみは、ケラケラと笑い、本当に楽しそうだった。


僕はその度に安心して、由美も笑ってくれているように感じた。

前よりも、前向きに考えられていることに気づいた。

由美のことを考えても、笑顔になれる数が増えていった。


二人の生活にも、だいぶ慣れてきた。


料理は変わらず、あけみがしてくれていた。

あけみは大学を卒業し、モデルの仕事は辞めて旅行会社に勤め始めた。

覚えることで大変そうだが、頑張っていた。

モデルの仕事で得た、向上心を持って努力していた。

仕事の悩みを聞いてあげて、アドバイスをして励ましていた。

由美だったら、どんなアドバイスをするのか考えて、話せるようにもなっていた。


何より、あけみは僕と一緒に住めて、寂しくなく安心しているように見えた。


僕も同じ気持ちだった。

由美のことを、笑顔で考えられるようになっていた。

もし、まだ前のマンションに居たら、何も変わらなかったと思う。

由美も心配な顔をして見ていたかもしれない。

そんなことも気づけずに、思い悩んでいたと思う。


僕の心の中で、由美は笑顔で生きている。


引越ししてから、1年が経とうとしていた。


今日は休みだったが、朝早くに目覚めてしまった。


リビングに行くと、ダイニングテーブルに、ノートが置いてあった。

あけみが、夜中に勉強してそのままにしたんだと思い、片そうと見ると――メモが置いてあった。


「右の手紙から順番に読んでください」


見覚えのある手紙だった。


由美が亡くなったときに、あけみ宛に書いたやつだった。


綺麗に切られたところから、中身を取り出した。


あけみの部屋のほうを見て、椅子に座った。


「あけみへ

この事、初めて話すね。

武志さんに初めて逢ったときにあけみが“お父さんになってください”と言ったところから、三人の関係が始まったんだよね。

あの時は驚いたし、お父さんの存在を求めてたんだなって、その時は思ってた。

二十歳の誕生日のときに、気づいたんだ。

あけみは、出逢ったときから武志さんのことを男性として好きになったんだと分かったの。

振り返って考えてみたら、そう思う事がたくさんあった。

あけみ気づけなくてごめんね。

私も武志さんのことが好きになって愛してたから、その時は全然気づかなかった。

この手紙を読むときには、私はもういないから、ちゃんと気持ちを伝えなさい。

変な話だけど、誰だかわからない他の女性と付き合うより、愛した娘のあけみと一緒になってほしい。可愛くて明るくて優しくて心配りができて、前向きで一途に想うあけみは娘としても一人の女性としても完璧だよ。今すぐじゃなくていいから、気持ちが落ち着いて、言える自信がついたときに想いを伝えなさい。じゃないと、いつか後悔する日が来ると思う。天国から応援して見てるからね。

大好きだよ、あけみ。私の娘に産まれきてくれてありがとう」


どういうことなのか、理解ができなかった。


よくわからないまま、隣にあるノートを見ると、10冊くらい並んで置いてあった。


一番右のノートを開いた。


見ると、出逢った日の日にちが書いてあった。その時は、あけみは小学6年生だった。


「2015年11月25日

今日、好きな人ができました。目が合ったときは名前も年も性格もなにもわからなかったけど、そのときこの人と結婚したいと思った。

お母さんにお兄さんを呼んでもらい話してみると、やっぱり優しくていい人だった。

お父さんになってほしいと言っちゃったけど、本当はそうじゃなかった。

クリスマス会を一緒にしてくれると言ってくれてうれしかった。

いまから、楽しみだな。お母さんのケータイで明日メールする。なんて送ろうかな?」


ノートから目が離せなかった。


僕を驚かす、何かの冗談なのかと思った。


めくっていくと、出逢った日から毎日のように僕との出来事が書いてあった。


「今日はクリスマス。お兄さんのためにたくさん料理を作った。

クリスマスプレゼントにお母さんとお揃いのパジャマをもらった。

かわいくて、とてもうれしかった。やっぱりお兄さんはカッコよくて優しくてもっと好きになった。もっとたくさん話したい。色んなところにお出かけしたい。お兄さんの好きなことを知りたい」


「今日はピアノ発表会でお兄さんが来てくれる。

おじいちゃんとおばあちゃんとお母さんとお兄さんとごはんを食べた。あけみが食べたいものを聞いてくれてうれしかった。お店も選んでくれてカッコよかった。

家についてから、お兄さんとお母さんから大事な話があった。

二人はお付き合いすることになった。

クリスマスの次の日からお母さんが幸せそうにしてたから、なんとなくわかってた。

心配だったのは、結婚するかどうか気になって聞いたら、結婚はしないと言われて安心した。

本当のお父さんになっちゃったら、あけみが結婚できなくなる。

お母さんが幸せなのはうれしいけど、結婚はぜったいにしてほしくない。

だってお兄さんは私が見つけたんだもん」


まだまだ信じれなかった。


子供のときに思って書いたことだから、気持ちは変わるし、面白がって書いてたのかもしれない。


他のノートを見て、めくってみた。


中学生、高校生のときも毎日のように書いてあった。

大学生に入っても書いていた。


些細なできごとから、メールの内容、してもらって嬉しかったこと、その時の気持ち、僕が言っていた言葉、色んなことが書いてあった。

膨大の量だった。


全部読んでいると、あけみが起きて来ると思い、気になるところを読んでいった。


20歳のときの出来事が気になり、めくって探した。


「今日は20歳の誕生日。

はじめてたけたけと二人っきりでデート。

ずっと待っていた日だった。

お母さんには悪いけど、私の夢叶いさせてね。

思った通りの素敵なお店で、たけたけもオシャレに決まっていた。生演奏も素敵だった。

たけたけは、忙しい中で探して考えて祝ってくれて嬉しかった。

だけど、一つ謝らないといけないことがある。

いつ言えるかわからないけど、あの時は起きてました。ごめんなさい。

言い訳させて、酔ってたのは確かだと思う。

普段なら絶対できないから。

あの日はたくさんの夢を叶えてくれてありがとう」


「お母さん

まだ信じられません。

帰りの車で泣いて家でもずっと泣きました。

目覚めたら手紙が枕元にありました。

気づいていたの?こうなっちゃったの私のせいだよね?

お母さんがいなくなって、たけたけは私から離れるかもしれません。

そしたら私はどうしたらいいかわからない」


出逢った瞬間から、こうなることを、すべて分かっていたような内容ばかりだった。


怖さとあけみの好きな想いを知り、 気持ちの整理がつかなかった。


あけみが起きてきたら、どんな言葉をかけるべきなのか、わからなかった。


ノートの最後のページを見ると、今日の日にちが書いてあった。


「たけたけ。

急にごめんね。気持ちを伝えたくてノート置きました。

昨日読み返したときに、出逢った頃の部分を見て、自分でも怖いと思ったし、こんな内容読ませて、嫌われないかな、気持ち悪いと思われて、いなくなっちゃうんじゃないかと不安になって、どうするか悩んだけど、あの日から今日まで気持ちは変わってないよ。

あの時があって、今があるから、全部見せないと意味がないと思った。

たけたけは、出逢ったあの日から変わらず、カッコ良くて優しくて、心配りに、いつも感動してた。

記念日の日も大切にしてくれてサプライズをしてくれて、私を喜ばせるためにいつも考えてやってくれてたよね。

20歳になるまでは、寂しい思いさせないために、お母さんと二人でデートしたり、お泊りに行ったり、記念日も二人だけで祝いたいはずなのに、必ず私もまぜてくれて本当に嬉しかった。

ぐれたり悪いこともしないで終電には帰ってたのも、たけたけが家にいてくれて逢いたかったからなんだよ。

みんなにノリが悪いと、遊びに誘われなくなったこともあったけど、友達失うよりも、たけたけに逢えないほうがよっぽど寂しいと思ってた。

たけたけに、彼氏いないの、好きな人はいないのって聞かれてたけど、いるわけないじゃん、たけたけが好きなんだからって言いたかったけど、いつも我慢してた。

たけたけ以上の男性は、私にとってはいない。

一番悩んでたことは、お母さんがあんな形で突然亡くなっちゃって、私のせいだと思ってた。

お母さんが亡くなちゃって、同時にたけたけも私の側からいなくなるんだって考えてたけど、側にいてくれて嬉しかった。一緒に住もうと言われたときは、もっと嬉しかった。

たけたけはお母さんがいなくなってから、私の前ではいつも通り接してくれてたけど、ちゃんと全部わかってたよ。

泣きたくて、辛くて、寂しくて、一人になりたい状態だったのに、私が寂しくならないように側にいて、優しくしてくれてありがとう。

毎日ソファーで寝てる姿を見て、私もたまらなく辛かった。

朝早く起きて、ソファーで寝てることを私に知られないようにしてたのも知ってたよ。

それを知ったときは涙が止まらなかった。

私になんでこんなに優しくできるのって思ってた。

今までしてくれたことを考えると、次は私がたけたけを支えたい。もっと頼りされて必要とされたい。

たけたけが嫌にならない限り、私は側にずっといるよ。

出逢った日から今日まで、そしてこれからも、ずっとずっとずっと大好きだよ」


読み終わって、最後のページを開いたまま、ノートを見つめた。


涙が出てきてしまった。


あの時、本当にあけみに支えられていた。


ごまかしていたことが、全部知られているとは思わなかった。

何も言わず、少しずつ僕が克服するように、色々考えて行動に移してやってくれていたことが知れて、涙が止まらなかった。


もう一度、色んなページをめくり読んでいると……


扉の開く音が聞こえて、あけみが起きてきたのがわかったが、振り向けなかった。


廊下を歩く音が聞こえて、リビングに向かってきている。


足音が止まり、リビングの入り口に立っているのが、気配でわかった。


ゆっくり――振り返った。


あけみは、下を向き目を合わせなかった。


その姿を見つめていると、ゆっくり顔を上げた。


目を見ると――出逢ったときと同じ瞳をしていた。


そのまま、見つめ合った。


時が止まったかのように……


ずっと……ずっと……見つめ合った。





〜END〜

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見つめ愛 會津 宣哉 @nedwardn

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