窓辺にて

第5話 窓辺にて その1

 猿沢池をすこし南下した場所に、一軒の古風なカフェがある。



 その趣のなる和風な内装を、彼女は心底気に入っており、出張仕事を終え、奈良の街へと帰ってきた時には、このカフェに立ち寄り、和食定食とすももスカッシュを嗜むのが、彼女の密かな楽しみだった。



 16時を回り、客が落ち着いたころを見計らって、彼女はそのカフェへと入った。



 「はい、いらっしゃい……って、せりちゃんじゃないか!遅いよぉ、お袋はもう家に帰っちゃってさ。」



 話しかけてきたのは、40歳半ばほどの男性、現マスターの吉沢晴彦さんであった、昔は奈良の街を盗んだバイクで走り出すほどの悪だったらしいが、今となってはその面影もなく、5年ほど前に父親の吉沢保さんが倒れて以来、このカフェを引き継ぎ、今では近所でも評判の二枚目マスターとなっていた。



 「ごめんなさい!お昼時に来ても座れないかもと思っちゃって……あ、これおみやげです。」


 彼女は、沖縄土産のさーたーあんだぎーと、紅芋タルトをカウンターに置くと、

(せりちゃんのおみやげコーナー)と書かれた奥の戸棚に、シーサー人形を飾った。


 「その棚も随分とにぎやかになったよねぇ、あ、親父、上の階にいるよ、メニューはいつものでいいよね?」



 「うん、いつもので!ありがとう晴彦さん。」



 彼女は、二階への階段を駆け上がると、一番奥の座敷へと向かった。



 二階の窓からは、十字路が見え、多くの車が行き交っているのが見える、それを、コーヒーを片手にぼんやりと、老人が眺めていた。


 前マスターの保さんであった。



 「おじいちゃん!ただいま!」


 

 彼女は満面の笑みでいそいそと老人の前に着席した。



 「やぁ、せりちゃんおかえり。さっきまでばあさんも待ってたんだけど、なんでも見たいドラマがあるとかで先に帰っちゃったよ。」



 「明日も来るから、そのときでいいよ。それよりも!おじいちゃんに早く見てもらいたいものがあるんだって!!!」


 

 彼女は、バックをごそごそと漁ると、石を一つ取り出した。保さんはその石を手に取ると、ほほぉ~と言いながらまんべんなく見渡した。


 

 「いやぁ~せりちゃん、わかってきたねぇ。いい石だよ。実に趣がある。」



 「でしょ?形といい色合いといい、その石を見てると何故かこのカフェのこと思い出しちゃって。どことなく古風というか……それでいて凛としているような……」



 彼女と老人は、ふむふむ、ほうほう、と石談義に花を咲かせた。



 「俺にはいしっころにしか見えないけどなぁ。はい、和風A定食にすももスカッシュね。あと新メニューの杏仁豆腐。」



 彼女は待ってましたと言わんばかりに、手を合わせ、「いただきます」というと、デザートの杏仁豆腐から手を出した。



 「晴彦さんは料理もおいしいし、コーヒーも抜群だし二枚目なんだけど……この石の趣が判らないんじゃぁなぁ。」


 

 「趣ねぇ、店の内装は好きだよ。親父は変人だけど、いい趣味してると思うよ。でもあんたらの石のことは俺にはさっぱりだなぁ。親父の変人っぷりについていけるのは、せりちゃんくらいだよ。」



 「わしとせりちゃんは親友なんだよ。同じ価値観を共有できる、初めての親友さ。お前が入ってくる余地などありゃしないさ。」



 保さんはニカっと笑うと、晴彦さんにコーヒーのお替りを催促した。



 「どうだい、お仕事の方は、あちこち飛び回ってるけど、もう慣れたかい?」



 「うん。お姉ちゃんも一緒だから、知らない土地でもさみしくないし。でも、もう手伝いじゃなくて独り立ちしろって言われちゃった。」



 「もう二年になるからねぇ、そろそろ、そういう時期なのかもしれないね。」



 私の仕事は、いわゆる姉のゴーストライターである。とはいっても、私は見習いというだけで、姉の名を借りてこっそり雑誌に掲載さしてもらっている身だ。姉のあまり乗り気でない特集や一コーナーを書かせてもらっている。元々物書きの仕事を目指したのも姉の影響だった。


 

 私の姉、芹沢 明日香は大学生にして、すでに有名なカリスマライターだった。その独創的な切り口や歯に衣着せぬ物言い、そしてなにより、一切の正体を明かさない謎のスタイルは、多方面の編集者の心臓を見事射抜き。記事の依頼どころか、姉本人の正体を追う!などという特集が組まれたこともあった。姉の仕事は、基本メールと電話のみで行われていた、編集の方と直接会うことはなく、どうしても必要な時には、代理人という名目で毎回どこかで雇ってきた男の人があっていたらしい。


 「お姉ちゃん、結局、今の彼氏さんと結婚するんだって。だからあんたとの時間を作ってる暇はありません!ってさ」



 私はすももスカッシュを飲み干すと、はぁっと深いため息をついた。



 「せりちゃんはどうなの?お付き合いしてる人とかいないの?」



 おじいちゃんはにやりと笑うと、興味津々という顔で私の返答を待っていた。



 「いやぁそれが全然……。だって!この石の趣が判るような男がいないんだもん!私はこのカフェのような、古風でユニークで、それでいて一途な男の人がいいんだけどなぁ。あと優しくて私より背が高ければいうことなし。」



 「贅沢だなぁせりちゃんは、こりゃ旦那探しにも苦労するだろうなぁ」


 

 「こう、衝撃的な出会いを私は待ってるんですよ。ズドンと胸を打つような、これって贅沢かなぁ」



 「まぁせいりちゃんはまだまだ若いんだから、焦らずゆっくりやればいいよ、いろんな出会いを経験すればいいのさ」



 カフェの窓からは夕日がゆっくりと山に吸い込まれていくのが見えた。



 まだまだ若い。今年26を迎える私にはなんとも複雑な言葉に聞こえ、またひとつ深いため息をついてしまった。


 



 


 

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