第4話 ソファーの下 その4

 食事を済ませ、店を後にした私は、奈良は興福寺五重塔の近くにある、猿沢池のほとりへと腰を落とした。



 平日とあれど、観光客や住民の憩いの場として賑わう猿沢池は、その水面に柳と五重塔を映し出し、なんとも美しく揺らめいていた。



 私は、大学にはいってからというもの、事あるごとに猿沢池へと足を運んだ。私と,この池には妙な縁があったからである。最初にして唯一の友人の寝屋氏や、オカルトサークルへ入会するきっかけをくれた森吉嬢、悩みがあるときに解決へと道位びいてくれる人たちまで、この池に来るたびに、そういった出会いに恵まれてきた、今回の件に関しても何か解決の糸口でも、と赴いてみたのだが、妙な雨雲が山の方から近づいてくるのが見え、重い腰を上げざるをえなかった。




 しかしながら、あの家に帰る気には中々なれないのも事実である。私は最後のあがきと、猿沢池を一周したのだが、見えるのは池の中でうごめぐ大量の亀のみであった。観光客の投げ入れた鹿せんべいに、我先にと群がる大量の亀に、どこからともなく「アメージング!!」と歓声が上がっていた。



 そのときである、一匹のとてつもない巨大亀が、鼻先のみを水面に出し、他の亀を押しのけバクン!!!と餌をほうばった。



 「あれは、森吉嬢の言っていた巨大亀!!」



 鼻先だけで他の亀と同じ大きさはあろう巨大亀は、たまに鼻先のみを水面に突き出し、けっしてその全体像を見せる事はなかった、私は池間際まで駆け寄ると、巨大亀が水底へとゆっくり沈んでいく様をじっくり観察しながら、森吉嬢との最初の出会いを思い出していた。



 大学一回生の頃、九州から奈良の大学へと進学した私は、観光がてらと、この猿沢池へと訪れていた。その日も、今日と同じく、山の方から雨雲が降りてきており、しかたなく早々に帰宅しようとしていたときのことである。池の際で、ビデオカメラを回しながら、談笑する二人の女性が目に止まった、そのうちの一人が、言わずもがな、森吉嬢である。もう一人の女性は、彼女と同じオカルトサークルに所属していた、一つ上の先輩の速水さんであった。実際には、目に止まったのは速水さんの方であり、森吉嬢に関しては、耳に止まった、といった方が正確である。森吉嬢は花の女子大学生のような嬉々とした表情で、オカルトや奈良の都市伝説、心霊について熱く語っていた、当時の私は「都会の女性とは恐ろしいものだ」と身震いしたものであった。



 それはさておき、速水さんに関しては、そのすらっとした体型や大人の落ち着きを見せる顔立ちに、私の胸はいとも簡単に撃ち抜かれてしまった、女性経験皆無、田舎の片隅でひっそりと暮らしてきた私にとって、森吉嬢のとんちんかんな話に、時折笑顔を見せながら、相槌をうつ彼女は、猿沢池の女神のように映り、こんな女性と恋仲になれたなら、きっと楽しい大学生活になるのだろうと、意味のない妄想をめぐらせていた。



 速水さんの回していたビデオカメラには、私の通う大学名のあとに、オカルト部備品、と書かれたテープが貼られており、彼女たちが、同じ大学に通う女子学生なのであろうことが予想できた。



 私は、考えた。今まで女性と話すことなど皆無だった中学、高校時代、それなのに自分から、あなたに一目惚れしました、このあとお茶でもどうですか?などと気軽に話しかけることなど不可能である。しかし、今話しかけなくては、今後彼女と知り合える機会は来ないかもしれない。私でも、思わず話しかけてしまえるようなきっかけさえあれば……




 そのときである。



 森吉嬢が「きた!!!!」と叫び声をあげながら水面を指差すと、その方向に、いままで見たこともないような巨大亀の鼻先が水面に現れたのである。その影は、他の亀達の十倍はあろうかというものであり、私は水際まで駆け寄ると、そのでかさに亜然としていた。



 しばらく、あっけにとられて、水面を見ていたのだが、ふと、横に気配を感じ振り向くと、カメラを回す速水さんが興奮冷めやらぬ表情で立っていた。



 

 心臓は跳ね上がり、手汗がじっとりと手のひらを濡らした。



 私は、今しかない!という思いと同時に、彼女に話しかけていた。たわいのない、本当にたわいのない会話であった。




 「か……亀を探していたんですか?」




 彼女はハッと我に返ったような表情をすると私の方を向いた、一瞬戸惑ったそぶりを見せたが、その顔はすぐ笑顔に変わった。



 「そうなんです。そこにいる森吉さんが、この池に こんっな大きな亀がいるっていうから、私信じられなくて、それで今日は一緒にその巨大亀の正体を見つけてやろうって」



 彼女はクスクス笑いながら楽しそうに話した。初対面の、それも急に話しかけてきた人間にこうも笑顔をふりまけるものなのか、と改めて感心した。




 「あ……僕は矢島といいます!ビデオカメラに、その、大学名が見えたので、もしかしたら同じ大学の方なのかなと思いまして。」




 「あぁ、同じ大学の方だったんですね!私達、大学のオカルトサークルなんです。もし興味あったら一度サークル室に顔だしてくださいね、今会員少なくて少し寂しいので。」




 彼女は続いて 「速水雪と申します。」と一礼すると、にっこりと微笑みカバンからオカルトサークル新会員歓迎!と書かれた紙を取り出し、私に押し付けた。




 その後は、森吉嬢にナンパだ、不純だと散々こき下ろされたのち、無理やり腕を引かれる形で、オカルトサークルへの門を叩くことになったのだが、私にとっては、速水さんとよりお近づきになれるきっかけを作ってくれた森吉嬢には、当時それなりに感謝の念を覚えたものであった。



 しかしながら、森吉嬢と付き合っていくうちに、その感謝の念も、どこへやらと消えていった、入会当初から森吉嬢と組まされていた私は、ことあるごとにコキ使われ、苦汁を舐めることもしばしばであった。



 どうやら、彼女には師と仰ぐ人がいるらしく、あったことはないが、メールでやり取りをしているらしい、今現在の彼女の犯罪すれすれの調査や行動力もその師の教えを教訓とし、実行しているからであり、まったくもって傍迷惑な師であることは否めない。



 その師は、その界隈では美白さんと呼ばれていた、雑誌の投稿や特集などに度々コラムが掲載されており、オカルト界の新星として、知る人ぞ知るひとであった。森吉嬢はどんな経緯からかは知らないが、その師とのコンタクトに成功し、連絡をとりあう仲となったのだ。



 そのこともあってか、一時期は森吉嬢の助手として馬車馬のごとく働かされていた私も、その連絡先を特別に教えてもらっており、なんどか連絡をとりあったことがあった。




 できれば、あまり頼りたくない人物ではあるのだが、事が自分の身に起こった事となれば、背に腹は変えられないというものだろう。




 私は、猿沢池の巨大亀に向けて一礼すると、携帯を取り出し、すぐさま美白さんに事情と解決法をご教授いただきたい旨のメールを送った。




 

 

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