写真機 / Minor Seventh - Follow His Phantasmagoria

 二三六九年二月某日

 

 

 そいつには、深く関わるなと誰かさんが言った。

 俺だって、いい女以外と関係を持つのはごめんだと、誰かさんに答えた。

 

 なのに俺は今、何故か「そいつ」を横に乗せて、終わった世界の荒野を走っている。

 そいつは、女みたいな顔をした優男だ。柔らかそうな黒髪に、眼鏡越しにもわかる長い睫毛に縁取られた大きな目、顔立ちから判断するに東洋系。海も陸地も旧時代からまるっきり変わってしまったこの国では、もはや洋の東西もないだろう、と主張する奴もいるが、何だかんだで旧時代の価値観ってのは根強いもんだ。

 軍用の外套に身を包んだそいつの横顔は、どきりとするほど端整で、正直いつ変な気を起こしてしまうかと内心びくついている。俺はいい女にしか興味は無い。興味はないはずなんだ。

「実は、ですね」

 ぽつり、と。形のよい唇からこぼれた声が、俺の妄想よりずっと低かったことで、何とか現実に引き戻される。

「私、首都の外に出るの、これが初めてなんです」

「そうなのか? 噂を聞く限り、監視を騙くらかしてでも外に飛び出してく、はた迷惑な悪ガキだと思ってたが」

「酷い噂もあったものです」

 くつくつと、優男はおかしそうに笑う。

「違うのか?」

「いえ、九割がた合ってます。それでも、外に出られる機会は今まで無かったんです。隔壁の向こうは、こんなに広いのですね……」

 俺の経験上、初めて外に出た奴は大体同じことを言う。ただ、こいつがそんなありきたりな感想を抱く、という点は興味深かった。あり方からして俺とは全く違う生物であるこいつまでもが、と言うべきか。

 柔らかな物腰に似合わぬ、硝子を引っかくような不愉快な音を頭の隅で聞きながら、上着のポケットから煙草を取り出す。そういえばライターはどこにやっただろう。もう片方のポケットを探っていると、横から何かが差し出された。

 見れば、黒地に銀の意匠が施された、使い古されたライターだった。俺は思わず前に伸びる道からそいつに視線を向けて、問うていた。

「……お前も、吸うの?」

「ええ、時々」

「似合わねえな」

 素直な感想を吐き出して紫煙を吸いこむ。決して美味いとは言えない香りを確かめながら、どうしてこんな奇妙な道中になったのかを、思い出してみる。

 

 

「フジミ・ハヤトさんですね?」

 はじまりは、馴染みの酒場に響いた、よく通る声だった。

 よどみも訛りもない、お手本どおりの共通語。《鳥の塔》の上層に住むいけ好かない貴族を彷彿とさせる声の主は、知った顔だった。黒髪に眼鏡、薄汚れた浮浪者然とした格好ながら、妙に垢抜けた空気を纏った優男。

 とはいえ、そいつと会話を交わしたことがあったわけじゃない。純粋に、俺たちのようなちょっと後ろ暗い業界では有名な奴だから、人相も知っていた、というだけの話。

 そして、出来ることならば、関わり合いになりたくない野郎でもあった。

「廃品街の散歩者が何の用だよ? 仕事か?」

 そういう事情もあって、つい言葉がきつくなったことは認める。だが、そもそも俺は男相手には大体こんな感じだ。それを知ってか知らずか、優男はにこにこと人好きのする笑みを浮かべて頷き、俺の横を指して「座ってよいですか?」と問うてきた。

 男をはべらせる趣味は無いのだが、仕事の話なら仕方ない。渋々頷いて、そいつの同席を許す。

 優男は、慣れた様子でマスターを呼び止め、何故かグラス一杯の水を頼んだ。酒場なんだから酒を飲めよ、という俺に対して「酔えないのでいいです」と答えた変わり者は、二、三、俺のくだらない茶々に応じた後、仕事の話を切り出した。

「……実は、フジミさんに、私が外に出るためのご協力をお願いしたいのです」

 その瞬間に俺が抱いた嫌な感情は、間違いなく表情に出ていたのだろう。そいつの笑顔も、苦笑に変わったから。

 ――だが、たまにこういう勘違いした奴がいるのだ。

 俺は《鳥の塔》認可の『運送屋』で、つまり、ものを運ぶのが仕事だ。相当やばいものでなければ、隔壁から他の隔壁へと、塔とは無関係のものを運ぶことも黙認されている。

 ただ、これだけは、理解しておいてもらわなければならない。

「俺は、基本的にナマモノは運ばないぞ」

 基本的に、というのは、塔からの依頼であれば断れないからだ。だが、逆に塔からの正式な依頼でなければ、ナマモノ――人を運ぶことは、時に罪に問われる。ある家族の夜逃げを手伝おうとした同業者が、翌日隔壁の染みになってた、なんて話は日常茶飯事だ。

 そんな危険を冒すくらいなら、別の仕事を選ぶ。塔の認可、という肩書きは時に邪魔なこともあるが、塔からの直接の仕事も請けられ、顧客からの信用を得やすいという意味では極めて有用だ。要は、一つの仕事を断った程度で、俺の生活が立ち行かなくなるということには、なりえない。

 故に、ナマモノを運ぶだけの仕事だ、というなら速攻で断ってやろうと思っていた……のだが。

 優男は、俺がそう言うのを見越していたのか、意を得たりとばかりににっこり微笑み、片手に提げていた鞄から何かを取り出してカウンターの上に置いた。

「フジミさんが、物品専門の『運送屋』であることは存じております。ですから、フジミさんにはこれを運んでほしいのです」

「……はあ。これを運ぶだけでいいのか」

 これ、というのはカウンターの上に鎮座する黒くて四角いものを指した言葉だ。俺もこの仕事を始めて長いが、フィルムに像を焼き付けるタイプのアナクロな写真機は、初めてお目にかかる。こんなものを製造している物好きが、まだこの世にいるってことが驚きだ。

「それで」

「まだ何かあんのか」

「私を、護衛として雇ってください」

 そう来たか。

 俺は渋面を作りながらも、上手い条件だと、内心で認めざるを得なかった。

 エリック・オルグレン。それが外周のあちこちで見かけられるこの優男の偽名であることは、外周で少し危ない仕事を請け負う連中の間じゃ常識だ。『廃品街の散歩者』という二つ名通り、家無しが廃品を寄せ集めて作った外周の一区画『廃品街』にちょくちょく出没する、素性不明の浮浪者……ということに、なっている。

 なっている、というのは、それがあくまで『仮の姿』であることも広く知れ渡っているからだ。

 そして、こいつの本当の姿は、外周どころか中央隔壁の住人なら、まず知らない奴はいないだろう。

 ――外周治安維持部隊隊長、ヒース・ガーランド。

 ガーランド、と聞けば、塔関係者ならばまず《鳥の塔》産人造人間を思い浮かべるだろう。《大人災》後のいかれた環境に適応するために、遺伝情報を徹底的に弄くられて造られた、フラスコの中の新人類。

 その一人として数えられ、かつこの町で最も名の知られた存在が、この『第四番』のガーランドだ。ガーランド・ファミリーの存在がろくすっぽ知られていない外周では、ガーランドといえばこいつ一人を指すと思っている輩も少なくない。

 物腰こそ穏やかで、親しみの持てる好青年に見えるが、こいつは相当の厄介者として知られている。

 本来ガーランド・ファミリーと呼ばれる人造人間は、生まれた時から塔への忠誠を叩き込まれて育つのだとか。奴の次に有名であろう『討伐者』こと『第三番』ホリィ・ガーランドがいい例だ。俺は噂でしか知らないが、《鳥の塔》にたてつく勢力をナイフ一本でことごとく惨殺したという『討伐者』。戦場でその姿を見て、生きて帰った奴はいないらしい。故に、ホリィの名前だけが一人歩きしていて、かの人物が実在したかどうかも怪しまれていたりもするが、それはそれ。

 とにかく、ガーランドと呼ばれる一族は、その存在をもって塔に貢献する連中だ……と思っていた時期が俺にもあったのだ。

 この優男が、現在進行形でそのイメージを盛大にぶち壊しているのだが。

「……護衛、なあ」

 俺はとんとん、とカウンターを指で叩き、写真機とヒース・ガーランド――本来はエリックと呼ぶべきなのだろうが、もはや公然の秘密なので内心ではそう定義づけた――を交互に見やる。

「まあ、お前の腕なら、護衛としては十分か。何しろ超人様だもんな」

「ホリィと一緒にされちゃ困りますけどね。私、何せ素行不良だったもので、今になって訓練不足を痛感しています」

 それでも、生半可な連中では、こいつに太刀打ちできないはずだ。その程度にはヒース・ガーランドの実力も知れ渡っている。

 ヒース・ガーランドは、『討伐者』と呼ばれ畏怖されたホリィ・ガーランドと違い、裾の町外周の治安維持という閑職に進んで就いた、正真正銘の変わり者だ。しかも、その理由が「塔から出来る限り離れたかったから」だとまことしやかに噂されている辺り、塔の狗としてどうなんだ。

 とはいえ、悪辣を極めた旧隊長の首を切って隊長に就任した後は、外周の住民を第一に考え、事件となればすぐに出動するフットワークの軽さを見せている。近頃では活動が住民にも受け入れられ、地に落ちていた治安維持部隊の心象は随分改善されてきている。

 今まで名の知れていたガーランドとはまた違う意味で「優秀」ではあるのだ。この男は。

 ただし、事情通によれば、その行動のほとんどはこいつの独断専行、時には塔の命令を真っ向から無視しての行動であるらしい。

 そもそも、外周どころか塔の外で活動すること自体が、塔の命令に反しているという話もある。何しろ、ヒース・ガーランドが隊長に就任するずっと以前から、エリック・オルグレンを名乗るガキが外周をふらついていたというのだから……こいつの存在がどれだけ塔の頭痛の種だったのかは、窺い知れるというものだ。

 こいつがただの放蕩貴族であれば、塔もそこまで頭を悩ませることはなかっただろう。だが、人造人間ガーランドの肩書きを持ち、それだけの実力と権力を握っているだけに、塔としては見て見ぬふりもできない。厄介にもほどがある。

 その厄介者を前に、俺は正直どうすべきか悩んでいた。道中の安全は保証されるといえ、こいつの望みを叶えるということは、塔の意向に反する可能性がある。というか、俺のような半民間の『運送屋』に依頼を持ちかけてくる時点でほぼ確定だろう。

 もちろんガーランドも阿呆ではないから、俺が躊躇する理由は見通していたに違いない。写真機を手に持って、こう付け加えた。

「ご安心ください、目的を果たせばすぐに帰りますし、その間に何が起ころうとも、フジミさんにはご迷惑がかからないよう取り計らっておりますので」

「……信じていいのか、それ」

「こればかりは、信じていただくしかありませんね」

 ガーランドは苦笑した。確かに、どう取り計らっているのか証明しろといわれて証明するのも難しいだろう。おそらく、人に言えないような根回しを相当やってのけているだろうから。

 それに、そこまで言うなら、少しばかり乗ってやろうかという気分になっていた。

 何よりも、気になったのだ。塔きっての変人ヒース・ガーランドが、首都の外に何を求めているのか。

 その時、誰かさんの「ヒース・ガーランドには深く関わるな」という声が、一瞬頭の中をよぎったが……気のせいだと、思うことにした。

 

 

 かくして、俺は問題児を連れて隔壁の外へと繰り出した。守衛の目を誤魔化すのに苦労するかと思いきや、守衛はガーランドの姿を認めながらあっさりと通してくれた。既に根回しは済んでいたのだろう。用意周到なことだ。

 すっかり短くなってしまった煙草の、最後の煙を惜しむように吐き出して。吸殻を灰皿に押し込もうとしたが、灰皿は既に吸殻で溢れかけていた。捨ててくるのを忘れたのは不覚だ。

「……それにしても、第十七隔壁に、何の用なんだ?」

 何とか吸殻を灰皿に収めて、じっと窓の外を見つめているガーランドに問う。ガーランドは、こちらを振り向いて、穏やかに微笑みながら答えた。

「実験施設の写真を撮りたいのです」

「実験施設、なあ。確かにあの隔壁は、随分と妙な研究をしてたって聞くが」

 隔壁は、《鳥の塔》が国の各地に建造した人類の居住区……ではあるが、実はもう一つの顔を持つ。

 それは、実験場としての側面だ。

 塔は、旧時代の常識が通用しないこの世界で、どう人類が生き延びていくかを模索し続けている。今横に座っているガーランドも、そういう研究の末に生み出された環境適応型人造生命なわけだ。

 そして、過酷な環境下で人類が身を寄せ合う隔壁は、塔にとっては貴重な実験施設なのだ。

 隔壁内の人間は、俺のような隔壁間を渡り歩く仕事をしていない限り、隔壁の外に出ることは皆無と言っていい。故に、己の隔壁が、塔によってどのような形に「仕立て上げられて」いても、それが奴らにとっては当たり前で、他の隔壁との差異や異様な空気に気づくことはない。

 ガーランドが目指す第十七隔壁は、その最たるものだったといえよう。

 俺も、その隔壁が『楽園』と呼ばれていた頃に一度足を運んだことはあるが……あれは、どう見ても異常だった。ガーランドも、外の世界を知らないとはいえ、塔である程度の情報を仕入れてはいたのだろう、淡々と言った。

「汚染された土壌はすっかり浄化され、自然からとうに失われた花が咲き乱れ、食物にも水にも困らない。まさしく、絵に描いたような『楽園』だったと聞きます。しかし」

 しかし。

 かつて『楽園』と呼ばれた、その隔壁は。

「数年前、第十七隔壁は謎の崩壊を遂げた。謎、と言いますが、その原因は塔が隠蔽しているだけで……因果関係は、既に明らかであると見られます」

「見られる、ってことは、詳細は知らないのか」

「我々ガーランドは『特別』ではありますが、そう『偉い』わけじゃありません。エリートとして扱われていても、塔の全てを知る立場にはなりえないのですよ」

「そりゃそうか。ガーランドってのは、あくまで実験体のブランドでしかねえもんな」

「ええ。優秀ですよー、美味しいですよーって焼印を押された家畜みたいなもんです」

 綺麗な顔して怖いことを言う。確かにブランド、って言葉自体、本来はそういう意味なんだが。

「私個人は、家畜プレイに甘んじる趣味もないですが」

「『プレイ』は余計だろ」

 見かけと物腰で騙されかけていたが、本当に試験管生まれ塔育ちの無菌培養エリート様なのかこいつ。言葉の端々が怪しいんだが、それ一体どこで覚えてきたんだ。

 俺のツッコミにも全く動じた様子はなく、ガーランドは横顔に酷薄な笑みを浮かべ、どこまでも淡々と告げる。

「私は、塔の『隠せば無いものと同じ』という体質が、物心ついた時から嫌いでしてね。気づけば、己で確かめなければ気が済まない性質になってまして。これも、その一環ですね」

 言って、両手の間に収まっていた写真機を撫でる。

「そりゃ、塔からも目つけられるわけだ」

「近頃は色々煩くて嫌になっちゃいますよ。お仕事は好きなんですけどねえ」

 この場合の「お仕事」とは、治安維持部隊のことだろう。近頃の部隊の働きぶりを肌で感じる限り、その言葉に嘘は無いはずだ。態度こそ剣呑なところはあるが、根は生真面目な野郎ではあるらしい。

 むしろ、真面目だからこそ……塔の体質が、肌に合わなかったのかもしれん。

 ガーランドは、それ以上己の目的について語らずに、再び視線を窓の外に逃がした。

「そういえば、フジミさん」

「あん?」

「もう、ピアノは弾かれないのですか?」

 一瞬、手から力が抜けた。反射的に、視線を前から横に座る野郎に向けてしまう。どうせ、前から来る車なんていないから、大事はないが……そいつは、あくまでしれっとした風に横を向いていた。

「……どこまで調べてやがる」

「依頼する相手を選ぶには、最低限その方の背景に関する情報が必要かと考えておりますゆえ。不快に思われたら申し訳ありません」

 つまり、俺の経歴も大方は理解されているってことか。

 本当に真面目な野郎だ。くそったれなほどに。手袋越しに、ハンドルを握る力を強める。強まった、という事実が指先から伝わってきて、俺を安堵させてくれる。

 誰かさんが、ヒース・ガーランドに関わるなって言った理由が、ここに来てやっとわかった気がした。

 こいつは、味方であるうちはいいが、決して敵に回しちゃならねえタイプだ。そして、敵や味方というカテゴリに含みたくなければ、そもそも関わらないことが一番だ。きっと、そういうことなのだろう。どこかの誰かさんは、本当によくこの野郎を研究してやがる。

 だが――もはや手遅れだな。

 思いながら、二本目の煙草を咥える。

 すると、ガーランドはライターを差し出す代わりに、手を出した。

「……高いぞ」

「構いませんよ」

 口寂しいんですよね、と言ってガーランドは艶やかに微笑む。本当に、これが女だったら押し倒して唇を塞いでやるんだが。ライターと交換でなけなしの煙草を一本渡しながら、そんな不毛なことを考えずにはいられなかった。

 

 

 首都から第十七隔壁まではそれなりの距離があり、故に、いくつかの隔壁を経由する必要がある。

 流石の俺でも、夜通し車を走らせたくはない。夜に明かりを焚けば、寄ってくるのは図鑑にも載ってない突然変異の獣と、金目当ての夜盗だ。いちいちそんな危険を冒してたら、いくら命があっても足らん。特に今回は急ぎの仕事ってわけでもないんだから、尚更だ。

 夜になる前に、最寄りの隔壁に立ち寄って、宿を取る。俺の記憶が正しければ、そこまで物騒な隔壁でもなかったはずだから、隔壁内では別行動でよいだろう、とガーランドに提案した。

「迷子になってもぴぃぴぃ泣かないで、自力で宿に戻ってこいよ」

「あっはは、流石にそんな歳じゃないですよー」

 愉快そうに笑ったガーランドは、そのままふらりと商店街の方に歩いていった。長身にそれなりの体格をしているから、人ごみの中でも目立つかと思いきや、あっさりと人波に紛れて消えてしまった。これも人造人間様の一種の特殊能力かもしれない。

 かく言う俺が向かう場所はもちろん決まっている。仕事以外のプライベートな部分をどうこう言われる筋合いはない。あの野郎なら、おそらくどうこうも言わないだろうが。

 かくして、野郎との二人旅で完全に枯渇していた心の安らぎを取り戻し、危ういところに向かいかけていた欲望の始末も済ませた頃には、すっかり世界は闇に包まれ、頼りない街灯と、この時間が稼ぎ時となる店の明かりだけが隔壁内を照らしていた。

 頭の隅に響くノイズも、ほとんど途絶えている。時折、甲高い音が遠くから響くこともあるが、そのくらいだ。たまにはこういう静寂も悪くない。中央隔壁の夜は、どうにも騒がしすぎるから。

 ゆらゆらと宿に帰り着くと、ガーランドはちいさな灯りの下で何かを書き付けているところで、俺の存在に気づくとふと顔を上げた。眼鏡は外していて、黒い双眸――と言っても、これはコンタクトレンズの色らしい――を縁取る睫毛の長さが、余計に目に付く。

「お帰りなさい。よい夜をお過ごしだったようですね」

「まあな。お前は何してんだ?」

「聞き込みの結果を、記録していたのです」

「こんなところに来てまで仕事か。ご苦労なこったな」

「いえ、これは仕事というより……趣味、みたいなものです。自己満足というか。この旅自体もそうですが」

 ガーランドは困ったような顔で笑う。その表情が妙に引っかかって、思わず問うていた。

「……何を、調べてんだ?」

 問うてから、しまったなと思う。本来、俺の役目は運ぶことだ。俺自身が危険な目に遭うようなことがないように最低限の話は聞くが、そうでない限り、依頼人の事情に口出しはすべきではない、というのが一般認識だ。仕事は仕事でしかない以上、余計な情報はそれこそノイズのようなもんだ。

 ただ、写真機を連れたこいつの探索行の目的は、全くわかっていない。その疑問を晴らそうと思うのは……きっと、間違っていないと自分に言い聞かせる。

 ガーランドは、俺と手元の紙束とを見比べて、それから長い睫毛を持つ瞼を少しだけ伏せて言った。

「フジミさんは……ホリィをご存知ですか。私の、双子の兄です」

「『討伐者』ホリィ・ガーランド? あれだろ、塔に対する反乱分子を残らず殺しつくしたっていう」

「ええ。では、少しだけ質問を変えます。実際に、見たことはありますか?」

「いや、ねえな。正直、噂ばっかりが一人歩きしてるだろ、あれ」

「そうですね。誰に聞いても、同じような答えになります。ホリィを見知っている者は、我々ガーランド・ファミリーと塔の関係者以外にほとんどいないと言っていい」

 そこで、一度ガーランドは言葉を切った。しん、という静寂が薄暗い部屋に落ちる。その中で、ただ、ガーランドの放つ不愉快な高音だけがじりじりと俺の頭を浸食する。

 やがて、ぽつり、と。声が落とされた。

「ホリィの存在は、そのほとんどが塔に蓄積された無機質な記録でしかない。誰かの『記憶』では、無いのです。だから」

 口元は笑っているのに、全く感情の感じられない瞳をした、つくりものの男はこう言った。

「私は、ホリィの足跡を知りたい。塔の記録とは違う、私の知らないホリィの記憶を、知りたいのです」

 何故だろう。その言葉に、背筋が凍る。

 それを表す上手い言葉がなかなか浮かばなかったが、ああ、あれだ。

「ストーカーみたいだな。気色悪ぃ」

「はは、そうかもしれませんね。私、元々は諜報部でしたし、ストーキングならお手の物です」

 それに、と。ガーランドは目を細めた。

「死人が、今更ストーカーを怖れることもないでしょう」

 一瞬、聞き間違えたのかと思った。だが、それ以外に聞き間違えようがあるだろうか。

「……ホリィ・ガーランドは、死んでるのか?」

 そんなの初耳だ。確かに近頃噂をとんと聞かなくなったが、死んだという発表も聞いてはいない。単純に俺が知らないだけか、それとも。

 ガーランドは、そんな俺の戸惑いを的確に受け止めてみせた。他の連中からも同じような反応をされたことがあるのかもしれない。よどみない口調で、言う。

「公式には発表されておりませんが、四年ほど前に」

「四年前……って、十五、六ってとこか?」

 噂でしか知らない『討伐者』の正確な年齢なんか知るはずもないが、この男の双子だというのだから、ガーランドの年齢から逆算するならそのくらいのはずだ。そもそも、ガーランドの年齢が見た目どおりでないというなら、その限りではないが……。

 とはいえ、「そう考えていただいて結構です」というガーランドの言葉で俺の見立てがそう間違ってなかったことは証明された。証明されたところで、何となく重苦しいものが胸につかえたような感覚に囚われるだけだったが。

 そのくらいの歳で死ぬガキなんざ、山といる。別に、『討伐者』様が特別ってわけじゃない。それが……今まさに目の前で遠い目をしている男の、関係者でなければ。

「本当に、これからだったのです。何もかもが。なのに……ままならないものです」

 俺は、ホリィ・ガーランドを知らない。顔も、声も、奏でる音も。だから、そいつがどんな奴だったのか、想像することもできない。きっと、目の前の男と同じ顔をしているのだろうな、と思うくらいで。

 だから、それ以上深入りするのは避けて、質問を変える。

「で、何か情報はあったのか」

「はい。彼は、以前確かにここを訪れていたようです。とはいえ、滞在期間はさほど長くなかったみたいですね」

「……第十七隔壁に向かうのも、ホリィ・ガーランドの足跡を追うためか」

「そういうことです。私の調査が正しければ」

 ぱたん、とファイルを閉じて。ガーランドは静かに、言った。

「件の隔壁の崩壊に、ホリィが関与しているはずなので」

 

 

「おや、あの時の兵隊くんじゃないか」

 目的地に最も近い第十六隔壁で――突然、声をかけてくる輩がいた。

 ぼうっと道を歩いていたガーランドは「ふぇっ」という間抜けな声を上げて振り向いた。俺ものんびりとそちらに目をやると、真っ白な髭を生やした爺さんが、軍用外套を羽織ったガーランドを見上げていた。

 爺さんは、眼鏡の下でちいさな目をぱちくりさせてガーランドの姿を確かめ、それから激しく瞬きして首を横に振った。

「ああ、すまない、人違いかな」

 そりゃあ人違いに決まってる。首都から一歩も出たことがないガーランドが、辺境の爺さんに顔を知られているはずもない。

 ガーランドも、その言葉にやっと我に返ったようだったが、代わりにいつになく真剣みを帯びた面持ちで、爺さんに向き合った。

「それは……私とよく似た、赤い目の少年でしょうか」

「そうそう。兎みたいな目をした、綺麗な男の子だよ。親戚かい?」

「はい。私の兄だと思います」

 兄――『討伐者』ホリィ・ガーランドか。ガーランドが第十七隔壁に向かうまでの町々で『討伐者』の足跡を追っているのはわかっていたが、実際にそいつがここにいた、という話を直接聞くのは初めてだ。

 兵隊らしからぬ柔らかな物腰のガーランドに安堵したのか、爺さんは「そうかい」と穏やかな表情を浮かべる。

「彼は今も首都で働いているのかい? それに、あの時の女の子も、向こうで元気でやっているかな」

 その問いに、ガーランドは動じることもなく、笑みすら浮かべて「はい」と答えた。ホリィ・ガーランドが死んでいるという事実は、あえて語る理由もないということだろう。代わりに、ごく自然に爺さんを道の脇に導きながら、世間話でもする風に言葉を重ねていく。

「兄がこの町に訪れた時は、随分大変だったようですね」

「そう、第十七隔壁の崩壊で、難民が大勢詰め掛けてな。ああ……私はここの医者なんだが、怪我人が大勢いた中でも、君のお兄さんが連れてた子は酷い怪我を負ってて、正直、治療が間に合ったのが奇跡のような状態だった」

 連れてた子、ということは、ホリィ・ガーランドがここに訪れた時、一人ではなく最低でももう一人、娘を連れて旅をしていたということか。しかも、爺さんの口ぶりからするに、その娘は兵隊ではない。兵隊が、民間人の娘を連れている状況なんて――しかも、その兵隊っていうのが、かの『討伐者』だなんて――正直、想像しがたい。

 同時に、「どこかで聞いた話だ」と、思いもしたけれど。

 そして、ガーランドは既にその情報を知っていたのかもしれない。爺さんの言葉に合わせて、動揺一つ見せずに的確に相槌を打っている。

 ただ。

「君のお兄さんは、その子が峠を越えるまで、泣きながら横についていたよ。朝も夜も、眠ることなくずっとだ」

 そこに話が及んだところで、ガーランドが、

「……ホリィ」

 と囁いた掠れ声だけは、やけにはっきりと耳に届いた。

 医者の爺さんは、ガーランドに促されるまま、色んなことを語ってみせた。ガーランドが聞いてもいなかったことまで。

 どうにせよ俺にとっては何の意味もない話だったから、右から左に抜けるだけで、頭に入るはずもない。

 その中で何となく把握できたことをまとめてみると、第十七隔壁が崩壊した当時、ホリィ・ガーランドは旅の途中であり、仲間の兵隊一人と、民間人の娘一人を連れて旅をしていた。また爺さんは、ホリィが塔に反抗する者を殺戮する人間兵器であったことは、知らないようだった。『討伐者』の高名も、ガーランド・ファミリーの存在も、一歩首都を出ればその程度の知名度だ。

 だから、爺さんの中で、ホリィは何ら特別なところのない、赤い瞳の少年兵でしかない。そして、一人の少女のために涙を流すことのできる、心優しい子供という認識のようだった。

 何故、ホリィが少女を連れて第十七隔壁から逃れてきたのか。少女が大怪我を負ったのか。それは爺さんの話からはわからなかった。だが、第十七隔壁の崩壊とそれらが結びついている……と、ガーランドが考えているのは、ほぼ間違いないだろう。

 結局、爺さんの話からわかることなんて、そのくらいだ。だが、ガーランドはどんなに細かいことでも聞き出してやろう、とばかりに爺さんの話に喰らい付いている。一体何がこいつをそんなに夢中にさせるのか、俺にはさっぱり理解できない。

 爺さんもガーランドに乗せられて喋るがままだったが、ふと、言葉を切ってガーランドに問い返す。

「しかし……この辺は、君のお兄さんから聞いていないのかい?」

「ええ、実は当時のこと、兄はほとんど語ってくれなくて」

 悲しい出来事だったそうですから、とガーランドは整った眉をハの字にした。悲しいことを思い出させてしまったならすみません、と付け加えもして。

 爺さんは、そんなガーランドの言葉に重々しく頷き、言った。

「そうだな、あの事故ではあまりに多くの命が失われた。うちの診療所に来た患者の中には、一命は取り留めたが絶望に囚われて自死に走る者もいたよ。今でも、あの事件を引きずっている元十七隔壁の住人は決して少なくない」

「……まだ、第十七隔壁の事故は過去ではないのですね。この町では」

「その通りだよ、兵隊さん」

 ガーランドは押し黙り、町を囲む隔壁に視線を投げた。隔壁の向こうなど、流石の超人ガーランド様でも見通すことはできないだろうが、見通そうとしていたものは、たった一つだろう。

 この短い旅の目的地、第十七隔壁。

「兄は……あの場所で、何を見たのでしょう」

「それは私にもわからない。第十七隔壁の住人に話を聞いても、どうも支離滅裂でな。跡地に確かめに行った者もいるようだが、芳しい成果はないようだ」

 塔は何か掴んでいるのだろうか、という爺さんの問いに、ガーランドは首を横に降る。上は何か知っているかもしれないが、自分は何も知らない、と付け加えてみせる辺りは妙に正直だ。

 沈痛な面持ちで頷いた爺さんは、腕に嵌めた時計を見て、ふと苦笑を浮かべる。

「ああ……随分長話をしてしまったな」

「いえ。貴重なお話を聞かせていただけて、よかったです。ありがとうございました」

 そんな爺さんに対して、ガーランドはにっこりと笑って一つ手を叩いた。

「そうだ、もう一つだけ、お願いがあるのですが」

「何だい?」

 ガーランドは、肩から提げていた黒い写真機を持ち上げて示す。

「写真を一枚、撮らせていただいてもよろしいでしょうか」

 それは、任務の一貫か何かなのか、と訝しげな顔をする爺さんに対し、そんな大層なものではありません、とガーランドは笑顔で首を振った。

「こんな離れた地で、兄を知る人に出会えた記念として」

 無邪気に写真機を構えるガーランドは、玩具を与えられた子供の顔をしていた。ころころと印象の変わる奴だ。得体が知れない、とも言う。

 爺さんは突然のガーランドの申し出に戸惑いを浮かべていたが、やがて写真機の前に立つ。

 そこで、ガーランドは思い出したように、少し離れた場所で煙草をふかしていた俺を振り向いて、小首を傾げて言った。

「フジミさんも入りませんか?」

「関係ねえだろ、俺は」

 それに、俺は写真ってやつが大嫌いなんだ。

 

 

 翌日。

 明け方から第十六隔壁を発ち、物好きで命知らずな金持ちが利用する、とんでもなく高い金をぼったくる装甲バスや、塔からの物資を運ぶ車と時々すれ違いながら、第十七隔壁にたどり着こうとしていた。

 不意に、どこまでも続くと思われた灰色の世界の向こうに、ぽつりと何かが生まれる。

「……あれが」

 勝手に俺の煙草を吸いながら、手元のファイルを見ていたガーランドが、煙と共に言葉を吐き出す。

 徐々に近づいてくるそれは、巨大な隔壁。だが、今まで訪れたどの隔壁とも違うのは、隔壁全体が巨大なドームに覆われていること、そしてドームのほとんどが壊れて崩れ落ち、その間からよくわからないものが突き出して、奇怪なシルエットを浮かび上がらせていることだ。

 ガーランドが煙草を吸殻でいっぱいになった灰皿に押し付け、写真機を手に取る。……第十六隔壁で吸殻を捨てたはずが、既にこの量になっているのは、俺じゃなくてガーランドのせいだ。そろそろ煙草代を割り増し請求しても許されるだろう。

 そんな俺の思惑など知らず、ガーランドは窓を開けて身を乗り出す。その時、無造作に横に除けたファイルから、何かが零れ落ちたのを、視界の端で捉える。

 それは――写真だ。煤けた、一枚の写真。

 写った像を何気なく眺めて、思わず呼吸が止まる。

 写っていたのは、三つの影。一つは、目を変な機械で覆っている、ガーランドとよく似た、だがずっと幼い顔をした兵隊。もう一つは、肌の黒い、長身の女。やはり兵隊だ。実のところ、この女は見たことがある。今は塔を降りてフリーの傭兵をやっていたはずだ。

 最後にもう一つ。屈託無く笑う娘。微かに色を混ぜた白い髪、触れれば折れてしまいそうなやせっぽちの体。片目を覆う医療用の眼帯が、やけに鮮やかで。

 そして俺は、この娘を知っている。兵隊に連れられて、辺境から首都へ向かった娘。そう、そうだ、どこかで聞いた話だと思っていた。俺は、この娘が首都に向かったことを知っている。首都に辿り着いたことも知っている。声も、音も、知らないまま、ただ、ただ、知識として……。

 風の音と共に、かしゃりという音が数回響いた。我に返ってそちらを見ると、ガーランドが写真機を構えて、シャッターを押したところだった、ようだ。もう一つ、軽い音が響く。

「撮れたのか?」

 窓から身を乗り出したままのガーランドに聞いてみると、ガーランドは頭を引っ込めて肩を竦めた。

「さあ。デジタルじゃありませんから、現像しないとわかりませんね」

「何でんな不便な写真機持ってきたんだよ」

「私は、形から入る主義でして」

「そうかい」

 答えにもなっていない答えを聞き流す。

 ガーランドは、一旦写真機を膝の上に下ろして……それから、ファイルから零れ落ちた写真に、目を移した。

「見ましたか」

「見た。そいつが、ホリィ・ガーランドか」

「はい」

 ガーランドは、写真をファイルに戻し、視線を窓の外に逃がして言った。

「――ここが滅びた、日」

 ぽつり、と。窓から入り込む冷たい空気に、言葉が流されていく。ただ、その後に続いた言葉は、やけにはっきりと聞き取ることができた。

「ホリィは十四歳で、当時から優秀な『討伐者』で、しかし、父は彼が心無い殺戮兵器となることを望んではいませんでした。父は……我々ガーランドを、人類繁栄のための実験体と割り切るには優しすぎましてね」

 父、というのはガーランド・ファミリーの開発者にして遺伝情報のベースとなっている、ハルト・ガーランドのことだろう。俺も一度見たことあるが、研究員とはとても思えない、マッシブなおっさんだ。元々は歴戦の兵隊だった、という噂もあるが、真相は知らない。

 ただ、塔に出入りするようになればわかるが、塔の研究員って奴の大半は頭の螺子が数本すっ飛んでいる。そんな連中の中で、ハルト・ガーランドは極めて真っ当な精神の持ち主だ。あまりに真っ当すぎて、周りの連中のぶっ飛びっぷりに胃を痛めているとかいう噂には事欠かない。

 そのハルトが、「息子」の一人であるホリィに妙な情を寄せても不思議ではないのかもしれない。

「そこで、父はホリィに一つの任務を下しました。辺境に住む、一人の少女を《鳥の塔》まで護送するように、と」

「……護送?」

「はい。ホリィにとっては初めての、己の戦闘技術を求められない任務であったと思います。何故、その任務がホリィに与えられたのかは、私は知りませんが……ホリィは当時の相棒と二人で辺境に向かい、少女を連れて首都を目指していました」

 その途中で、ホリィたち三人は第十七隔壁に立ち寄ったのだと、いう。

「その時の第十七隔壁はまさしく楽園だったと、ホリィは言っていました。しかし、それは、必ず見えない犠牲を伴うものであって、いつか、必ず破綻するものであったとも」

 開きっぱなしの窓から外を眺めるガーランドの表情は、知れない。その声がどうして、こうもはっきりと俺の耳に届くのかも、わからない。俺がおかしな聴覚を持っているということもあるが、それ以上に――ガーランドの声が、特別よく響くのだということだけは、何となく、わかったけれど。

「その犠牲が何であったのか、ホリィがどう隔壁の崩壊に関わったのかは、決して私に語ってはくれませんでした。ただ、その崩壊に関する一連の事件を通し……護送すべき少女が瀕死の重傷を負ったことで、ホリィは己を責めていました。ずっと、ずっと。首都に戻り、少女の傷が、すっかり癒えてからも。私は、その時まで、そんなホリィを一度も見たことがありませんでした」

 人らしい心など持ち得ずに、ただナイフだけを手にしていたというホリィ・ガーランド。その殺戮兵器が、一人の少女を思い、己を責めていたのだと、いう。

「そう……帰ってきたホリィは、まるで別人でした。致命的に欠けていた他者への共感を身につけ、人と同じように怒り、泣き、そして笑うことを覚えていた。その点では、父さんの試みは成功したと言えるでしょう」

 ざあ、と。一際大きく風が吹き、灰交じりの砂が窓から入り込んでくる。だが、それすらもものともせず、もう一度身を乗り出してシャッターを切ったガーランドはきっぱりと言い切った。

「しかし、それ故にホリィは死んだ」

「……どういう意味だ?」

「ボーイ・ミーツ・ガールから始まった物語は、どちらかの欠落、もしくは双方の欠落で幕を閉じるものです。つまりは、そういうことです」

「意味わかんねえよ」

「わからなくて、いいです。多分、わからない方が……いいです」

 ガーランドは写真機を下ろし、窓を閉めた。

 何となく、釈然としない心持ちで、意識を前方に戻す。

 既に、第十七隔壁はすぐそこに迫っていた。崩壊した隔壁から伸びるオブジェは、まるで、一個の「樹」のようであった。終末の国から失われて久しい、自然から生み出された造形が、地面に大きな影を落としている。

 それを見上げて、ガーランドはぽつりと呟いた。

「……滅びてもなお、美しいものは美しいのですね」

 美しい。

 確かに、そうなのかもしれない。

 人の息吹が感じられなくとも、命の音色が聞こえなくとも、ただ佇んでいる「それ」には見るものを圧倒させる何があった。

 かつて門であっただろう場所にまで車を寄せて、停める。

 とにかく……これで、俺の片道分の仕事は終わりだ。

「ついたぞ。第十七隔壁、楽園の跡地だ」

 確かに写真機は第十七隔壁にたどり着いた。その後、運んだものがどうなるかは、俺が知ったことではない。結果的に、首都に運びなおすことになるのだろうが、そこに至るまでの経緯は、正直、どうだっていいのだ。

「……ありがとうございます、フジミさん」

 一礼したガーランドは、ふわり、と音もなく車を飛び降りて門に向き合う。

 何も語らぬ第十七隔壁。その全てを捉えるように、旧い写真機を構え。

「ホリィ。あなたは、今も己を責めているのかもしれませんが……」

 かつてそこに立ったであろう一人の兵隊と同じ姿をした男は、どこにもいない誰かに向かって、言った。

「あなたは、確かにクジョウ・スズランを救ったのですよ」

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