雨傘 / Major Sixth - The Living Thing

 二三六九年六月某日

 

 

「いつの間に少女趣味に目覚めたんだ、隼」

「どう見たらこれが俺のに見えんだよ、視力大丈夫かハゲ」

「因果関係はともかく、視力が悪いことは認めてやるよ」

 中央隔壁を出て、果てしない荒野を行く、いつもの仕事。助手席に座って軽口を叩くのも、いつものハゲでグラサンの『何でも屋』。全身これ機械仕掛けの変人シスルは、目を覆うミラーシェードを指先で持ち上げて、露骨な苦笑いを浮かべてみせる。

「で、どうしたんだ、これ」

 これ、というのは助手席の足下に突っこまれた傘のことに違いない。黒地に白いレースがあしらわれた、ちいさな雨傘。どう見ても、三十路男が使うもんじゃねえ。

 咥えた煙草の煙を一つ飲み込んで、仕方なしに答える。

「こいつも、仕事といや仕事かな。蟻んこに頼まれたんだよ。持ち主に返してくれってな」

「蟻んこって、アンソニーか?」

「そう。あの、馬鹿でかい図体の最新兵器様さ」

「兵器というか、工事現場で重機として働いているのはよく見かけるが」

「塔の最新鋭の六脚戦車でも、アルバイトでもしなきゃ生きていけない世の中なんだろ」

「世知辛いなあ」

 もちろんお互い冗談なんだが、事実、工事現場で粛々と与えられた仕事をこなす自律式戦車の姿を見てしまうと、ちょっと塔の『最新兵器』の扱いに関して色々と思いを巡らせたくもなる。

「しかし、どうして彼がこんな傘を?」

 こいつの疑問はもっともだ。戦車が傘、なんて馬鹿馬鹿しいにもほどがある。それでも、そんな馬鹿馬鹿しい出来事が実際に起きているのだから、世の中ってのはわからない。

「借りたんだと。境界地区の女の子に」

 ほう、と言うシスルの表情は相変わらず白けたもんだが、こいつの作り物の顔は、感情を直接表現するには如何せん不器用にすぎる。だから、表情に出ていなかったとしても、実際には相当興味があるんだろう。目で見てわからなくとも、一段高くなった音を聞けば、すぐにわかる。

「何がどうして、と聞いてもいいのかな?」

「正式な仕事じゃなし、問題ないぜ。ま、大した話じゃねえんだけどな」

 思い返してみれば、本当に、大した話ではないんだが。

 あの日、何故か俺の目の前に突然現れた、蟻型戦車のことを、思い出す。

 

 

 俺は統治機関鳥の塔認可の『運送屋』であり、つまり顧客からの信頼を得やすい代わりに、塔からの依頼はそう簡単に断るわけにはいかない。

 そんなわけで、その日も俺は塔に招かれ、お得意様である、とある博士の厄介な依頼を抱えてげんなりしていた。あの博士の人使いの荒さはどうにかならないだろうか。これがビジネスだけの相手であれば上手く言い訳をでっち上げて依頼を突っ返すことも出来なくもないんだが、恩を売られてしまっているだけに、断るに断れない。

 絶対に厄介事を持ち込んでくるだろう、小さな箱を懐に隠して。塔の地下にある車庫に繋がるエレベーターを降りた俺の目の前に、「それ」はいた。

 何というか、「それ」は一瞬見ただけでは「それ」としか形容できなかった。

 もう少し具体的に観察すれば、「それ」が巨大な蟻だということはわかるのだが、それがわかったところでどうしろというのか。

 黒光りする殻に覆われた身体は、昆虫の特徴を踏まえて綺麗に頭、胸、腹に別れていて、それぞれが滑らかな曲面を描いている。そして、そのうち胴部から生えた六本の脚が、巨体をしっかりと支えていた。目はレンズになっているのだろう、きゅい、と小さな音を立てて俺を見つめて、思った以上に滑らかな動きで頭を下げた。

「突然失礼します、フジミ・ハヤトさんでよろしいでしょうか」

 突如として耳に入ってくる、男とも女ともつかない声。一体どこから声を出してるのかわからないが、それは確かに、目の前の蟻から放たれていた。見かけの恐ろしさに似合わない、妙に穏やかな声に、俺は思わず正直に頷いてしまった。

 すると、巨大蟻は「申し遅れました」とあくまで丁寧に言葉を紡いだ。

「私、自律式六脚戦車AB0063-D、通称『アンソニー』と申します。こちらが名刺になります」

 顎の辺りからするりと二本のマニピュレータが伸び、俺の目の前に差し出される。その先端には、塔の連中が持つのと全く変わらない、羽のマークが刻印された名刺が握られていた。手にとって見てみたところ、環境改善班、環境適応班共同開発の自律式六脚戦車AB0063-D、という文字が刻まれていた。もちろん、『アンソニー』という見かけに似合わぬ愛称も。

 塔の上層部が、高性能の人工知能を搭載した戦車を開発しているという噂は聞いていたから、これが噂の戦車様なのだろう。確かに、滑らかな動きといい、妙に人間臭い喋り方といい、金と人の力が相当注ぎ込まれた代物であるに違いない。

 受け取った名刺をためつすがめつしていると、蟻――アンソニー氏は言いづらそうに切り出した。

「実は、裾の町に詳しい『運送屋』であるフジミさんに、一つ、お願いしたいことがあって参りました」

「お願い? 仕事の依頼なら、研究所か軍の窓口を通してくれよ」

 この蟻の所属が研究所か軍なのかはわからないが、普通、塔からの依頼は決まった窓口を通して請けることになっている。時々、お得意様みたいな例外もあるが、出来れば例外は少ないに越したことはない。

 しかし、アンソニーは少しだけ困ったような声音になって、首を小さく横に振る。

「いえ、依頼は依頼なのですが、極めて個人的な依頼でして、《鳥の塔》とは関係がないもので」

「個人的な依頼、なあ」

 正直、乗り気になれないのは確かだった。何しろ相手は、存在自体が塔の重要機密と言っても差し支えない最新兵器様だ。変に関わり合いになって、俺が厄介事に巻き込まれるのはごめんだ。ただでさえ、厄介事を持ち込むお得意様から、厄介事の種を預かってるってのに。

 とはいえ、わざわざ俺をご指名してきたのだから、何も聞かずに追い払うのも悪いかもしれない。……というのは単なる建前で、本音を言うならば、無碍に扱った瞬間に豹変して襲い掛かってこられたりしたらたまらないじゃないか。どんなに紳士的でも、怖いものは怖いのだ。

「あー、請けられるかはわからねえけど、話くらいは聞くぜ。手短に頼む」

 何しろ、この巨大蟻、車庫の一部をすっかり塞いじまってるんだ。今は車庫から出ようとする車も無いからいいが、相当邪魔臭い。アンソニーもそれには気づいていたようで、辺りをきょろきょろ見渡してから言った。

「こちらを、持ち主に返してほしいのです」

 一度体の内側に仕舞われていたマニピュレータが再び伸びる。その先端には、白いレースに縁取られた、黒い雨傘が引っかかっていた。

「……傘?」

「はい。二週間ほど前、道路工事の任務により、境界地区へ赴いていたのですが」

「道路工事……」

 工事現場に突如として現れる巨大蟻、という噂はあちこちで耳にしていたが、それも事実だったらしい。本当にいいのか、最新鋭の戦車を便利な重機扱いして。塔の感覚は未だによくわからない。

 アンソニーは、俺の戸惑いも意に介さず、よく通る声で続ける。

「工事中に雨に降られてしまいまして。私自身は雨天行動可能とはいえ、他の作業員が雨を避けて一時工事を中断したため、邪魔にならないよう、工事現場の端で待機しておりました」

 まあ、当然の成り行きだろう。こいつは屋外の活動を想定された戦車様なのだから、雨なんてものともしないのだろうが、普通の人間は雨に晒されることに耐えられない。雨に少し触れただけでも、毒素の割合によっちゃ命に関わりかねないこのご時勢、賢明な判断ではあるだろう。

 工事現場の端で、足を折って大人しく待機している蟻の姿を想像すると、ちょっと微笑ましいものもあるが。

「その時、付近に住んでいると思われる民間人の少女が通りがかり、私に傘を貸してくださったのです。私だけ雨に晒されているのはかわいそうだから、と言って」

「貸すって、その娘はどうしたんだよ」

 自分の傘を貸してしまったら、自分が雨に降られることになる。それもわからないような馬鹿なガキだったのか、と思ったが、どうもそうではなかったらしく、アンソニーは音もなく首を横に振った。

「雨に降られている家族を迎えに行く途中だったのか、一回り大きな傘を持っていましたから、彼女が雨に晒される心配はありませんでした。もちろん、私には雨傘など不要ですから、丁重にお断りはしたのです」

「それでも、押し付けられたのか」

「ええ、まあ」

 これが人間なら、薄く苦笑いを浮かべていたに違いない。蟻をそのまま模した顔に表情なんざなかったが、穏やかな声と、チェロを思わせる柔らかな弦の音からも、それは容易に読み取れた。

 そう、人殺しの兵器とは思えないくらい、柔らかな音色をしていたと思い出す。少しの雑音も混じっていない、少しの音のずれもない、心地よく鼓膜を震わすAの音。

 そんな音色を、傘を渡したガキも聞きつけたんだろうか。十中八九、単なる好奇心だろうが、つい、そんなことを考えちまう程度には、目の前の兵器様の音色にすっかり感心していたんだ。

「しかし、あの任務以来境界地区まで赴く機会がなく、傘を借りたままになってしまいました。このままでは、傘を貸してくれた彼女も困ると思い、この傘を彼女の元まで届けていただきたいのです」

「なるほど。一応は塔の最新兵器だもんな、任務がねえと外に出るのは難しいわな」

「そうなのです。どうか、お願いできないでしょうか」

 再び、深々と頭を下げられてしまって、俺は参ってしまった。出来れば、塔関連の連中からプライベートな依頼は受けたくないのだ。厄介事の種を量産する趣味は俺にはない。

 けれど、その時の俺は血迷ってたんだろう、がりがりと頭を掻きながらこう答えていた。

「ま、いいぜ。境界地区なら、仕事で回ることにもなりそうだからな」

「本当ですか?」

 ああ、きっと嬉しそうに笑ったんだろうな、と。そんなことを思う。

 どこまでも、どこまでも、澄んだ音色。俺がどこかで忘れちまってた音を奏でながら、蟻は、そっと雨傘を俺に渡した。手に微かに触れたマニピュレータに、もちろん人並みの温度はなかったけれど、不思議と温かかかった。単純に、内部で熱されていただけだと思うが。

「お願いいたします。それで、依頼に対する報酬の方ですが」

「ああ、別に金はいいよ。どうせ仕事のついでだ。それに、お前、自由に使える金なんて持ってねえだろ」

「え、ええ、仰るとおりなのですが、しかし」

「何、塔の最新兵器様に直々に仕事を依頼された、なんて貴重な経験ができただけで十分だ」

 何よりも、俺は目の前の蟻の形をした兵器が奏でる音色を、気に入ってしまった。ただ、それだけだった。それを、こいつに伝えたところで理解してもらえるとも思っていなかったから、言葉にはしなかったが。

 アンソニーも、それ以上食い下がってはこなかった。しばしの沈黙の後、マニピュレータを顎の下に戻し、前脚を器用に揃えて、音もなく頭を下げた。

「ありがとうございます、フジミさん」

 

 

「……で、結局傘の持ち主は見つかったのか」

「すぐにな。受け取った場所はわかってたし、ガキの写真も貰ってたし」

 片手で携帯端末のスイッチを入れ、あの日アンソニーから受け取った該当の写真を呼び出す。端末の上に立体的に浮かび上がるのは、片手に大きな傘を提げ、灰色のレインコートに身を包んだ、何の変哲もないガキんちょの姿。

 ただし、俺は、シスルが投げかけてきた問いに、正しく答えていない。

 そして、あえて答えなくても、このハゲは俺の意図を正しく汲み取る。

「それでも、会えなかったんだな」

「ああ。俺が仕事を請ける前日に、流行り病で死んでた」

 言って、端末の電源を落とす。浮かび上がっていたガキの姿も、ふっと掻き消える。

 こういうことも、この国で運びの仕事をしてりゃよくあることだ。そして、仕事柄か、それとも生死の境界線を経験してしまった故か、俺以上に人の生き死にに淡白なシスルは、大した感慨もなさそうに「残念だな」とだけ言って、淡々と更なる問いを投げかけてくる。

「この傘、どうするんだ?」

「どうすっか悩んでんだよ。その場合については、取り決めてなかったしな」

 普通の依頼ならば、受け取り先が不在の場合の取り決めも交わすのだが、何しろイレギュラーな仕事だったもんで、当たり前のことを失念していたのだ。

「アンソニーに突っ返そうにも、会えるかどうかもわからんしな」

「なら、私が預かっておこうか」

「お前が使うのか?」

「まさか」

 それとも見たいのか、と言われて俺は全力で首を横に振った。何が悲しくて、ハゲでグラサンで色気も何もあったもんじゃないマネキン野郎が、レースのついた少女趣味の傘を差してる姿を目撃しなければならんのか。それなら、あの巨大蟻がマニピュレータで傘をちょこんと掲げていた方がまだ可愛らしい。

「仕事柄、アンソニーに会うことも多いから。その時にでも事情を話して、どうしたいか聞いてくるよ」

「そうか。悪いな、頼む」

「精々彼と争い合う羽目にならないことを祈っておくさ」

「争う確率の方が、圧倒的に高いんじゃねえか」

「そりゃあな」

 くつくつと、おかしそうにシスルはつくりものの横顔で笑う。

 シスルは、塔の認可を受けている俺とは正反対に、大きな声では言えない組織を後ろ盾に持つ『何でも屋』だ。その性質上、どうしても塔側の連中とは対立しがちになる。このハゲ自身は、どの勢力にも寄ろうとしない極めて中立的……もとい俺とどっこいどっこいの「無関心」な野郎なんだが。

「ただ、彼は塔が組んだ人工知能とは思えないくらい良識的だからな。仕事上争うことはあれど、話くらいは聞いてくれそうだ」

 その言葉に、俺は一瞬ものすごい違和感を覚えて。それから、すぐに違和感の正体に気づいてしまって、息を飲む。

「どうした、隼?」

 シスルが、不思議そうに問いかけてくる。その声と被さって、聞きなれた、ダブルリードのCの音色が聞こえる。そう、聞こえて当然だ、目の前の奴は機械仕掛けの身体をしていても、あくまで脳味噌は生身で、つまり「人間」なのだから。

 だが、それならば。

「あの蟻、人工知能なんかじゃねえぞ」

「何?」

「音が、聞こえてたからな」

 俺の耳は、人の気配や思考を固有の音として認識する。だが、脳味噌を持つシスルの音色が読み取れて、電子回路で思考する神楽から音色が伝わってこない以上、この聴力には決定的な線引きが存在している。

 その線引きの意味を知っているシスルは、ちいさく息を飲んだ。

「彼も、私と同じだというのか」

 シスルの声は、硬かった。それはそうだろう、こいつは裾の町、否、終末の国唯一と言われる、脳味噌以外のほぼ全てを機械仕掛けのつくりもので補っている人間だ。塔の研究者が寄り集まっても、現時点では不可能といわれる、完全人型全身義体。その、唯一の成功例がこの変人なのだ。

 だが、俺の耳がいかれてなければ、あの蟻もこいつ同様に、脳味噌だけを蟻型六脚戦車に詰め込んだ、ある種の義体に違いない。

「だが、ウィンに言わせれば、人の脳で『人間』以外の形を動かすのは極めて難しい、という話だったが……」

「仕組みは俺にもわかんねえよ。俺にわかるのはただ一つ」

 広がる荒野を眺めながら、静かに佇む巨大な蟻の姿を思い出す。

 そして、目には見えない弦が奏でる、Aの音色を思い出す。

「奴が、とびきりいい音を奏でるってことだけさ」

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