ガスコーニュ城前庭


 ヴラマンクたちは難民の間を一人ずつ回っていくことにした。


 まず、ルイが難民の一人に声をかける。

 難民たちは聖輪教せいりんきょうの祭りでも始まったのかと、目を白黒させていた。


「お体、悪いところはありませんか? 体調のほうは?」

 ルイの言葉に涙を流して喜ぶ者も大勢いた。


 根が信じやすい国民性なのだろう。それに、扮装の効果も大きい。ルイの美しさは力だ。幼いアテネイではこうはいかない。


「生きるということはすべてが戦いです。勇気をもって、立ち向かってください」


 その言葉を合図に、となりに立つアテネイが目立たないようにつぶやく。

「……く、“勇気の鐘クラージュ・ベル”……」

 すると、白銀色の風がルイの持つ向日葵の杖の先から吹いて、人々の心に小さな勇気の種を植えつけていく。


 まだ戦争の話はしないでおいた。司祭らに難癖をつけられないためであり、民の心情をおもんぱかったためでもある。


 流れとしては、そんなところだった。

 ある程度一緒に回ったところで、年配陣は別行動を始めた。ヴラマンクとペギラン、パルダヤンの三人は近隣の諸侯たちに、騎士と、出来る限り多くの義勇兵を募ってもらえるよう、文書をしたため、または実際に交渉しに行く係だった。


       †   †   †


 初日が終わり、マントノン邸の食堂でその日の成果を話しあう。


 ルイからは予想していなかった嬉しい報告があった。

 10人、20人と続けていくうちに、決して老司祭のような意見が多数派なのではないということが分かってきたという。

 特に、王都の襲撃ですべてを失った難民の多くは、ダンセイニに復讐を遂げたいと言っているらしい。──だが、そのやり方が分からない、と。ヴラマンクたちが国のために奔走していることにも、気づく者はいるらしい。この報告は全員の士気を高めてくれた。


 2日目からは、ルイたちに対する司祭一派の妨害が始まった。


「ルイさん。神の姿を騙って民をたばかる不届きものに成り下がったのですか」

「いいえ、水やりさま。ボクの信仰は今も揺るぎませぬ」

「では、即刻、神の姿を真似るのはやめることです」

「水やりさま、ボクは難民のみんなに勇気を与えたいだけなのです」


「勇気ですって? そう言って罪のない民を戦いへと追い立てようというのですか」


「いいえ。生きていくためにはいかなる場面でも勇気が必要です。今くじけそうな民のため、ボクたちは生きる勇気を与えたいのです」


 老司祭に反論した時のルイの言葉は、本人ではなくアテネイから細かく報告が上がっている。その報告を受けて、ヴラマンクは司祭の発言の裏に焦りの色を読み取った。


(愚かジジイめ。自分の予想と外れて困惑しているらしい。人間、自分にひどい仕打ちをした相手に潔く降伏しようなんて、あきらめのいいやつはそうそういない)


 心の中で老司祭に説教し、すぐ、自分が熱くなっていると気づいて苦笑する。


 翌日からは、具体的に復讐を煽っていくように決めた。

 ルイの周りには、戦いたい、自分も何かの役に立ちたいと願う男たちが護衛を務めてくれるようになり、人が集まるにしたがい、ルイ一派とでも言うべき集団が形成され始めた。


 4日目、5日目にはルイ一派は加速度的に大きくなってゆき、戦うべきかどうか迷っていた層からも、集団の大きさにつられて、ルイ一派に入ろうという者たちが増えてきた。

 司祭らが最後まで高潔だったのは、ヴラマンクたちにとっては幸運だった。集団の力関係が逆転しそうなとき、多くの場合において、勢いで押されている旧勢力は新勢力の要人を暴力によって排斥しようとする。そういう光景をヴラマンクは何度も見てきた。


 排斥しようにも、ルイ一派の護衛が城の周りを守っていたため、手を出せなかった可能性もあるが──、司祭たちが暴力によって意見を通そうとすることは最後までなかった。


(みんな、自分にも戦う力はあるんだと心の底では信じてる。品のいいやつには野蛮と言われようが、復讐を遂げたいと思うやつらは必ずいるんだ。みんながみんな自分のように品のいい人間だけだとは思わないこったな)


 ヴラマンクたちは決戦の日をルイが聖女の扮装を初めてから7日目と決めた。ファラジに馬を用立ててもらうことになる可能性を考えても、それが限度だろう。いまだ、支払いの目途は立っていなかったが、まずは国内をまとめるのが先決である。


       †   †   †


 7日目の夕方、西日が差すガスコーニュ城の前庭でヴラマンクは決起集会を開いた。


「諸君、俺が諸君らの王ヴラマンクである!」

 そう宣言すると、集まった民から失笑のような声が漏れる。


「知ってるよー!」「今日もがんばりなさるねぇ」「小さい」「小さくて見えない」


 いくつか看過できない意見も交じっていたが、おおむね、好意的な反応だった。

 ヴラマンクはいくつかの意見を空耳と判断し、ペギランに合図を出す。


 ペギランの合図で重い太鼓の音が前庭に響き始めた。どん……、どん……、と一定の間隔でひたすら鳴り続ける太鼓の音色は、ゆっくりと人々の判断力をにぶらせていく。


 今日の集会の目的はまだ態度を決めかねている民を味方につけることだ。

 前庭に入った人間はぎゅうぎゅうにつめて3千人ほど。彼らには家に戻って、または酒場で、他の民を誘ってもらわねばならない。


 難民8千人と、ガスコーニュに元から住む民が1万人、それから近隣の都市や農村から噂を聞きつけて集まった数百の民のうち、義勇兵として志願した人間はまだ1000人ほどだ。──せめて、この数が倍に増えなければ、ダンセイニとは戦えない。そもそも戦闘の訓練を施されていない民だ。数がいなければ話にならない。


 ヴラマンクは“寝台の恍惚プティ・モール”の力を込めた風を、効力を調節して民の間に流した。適度な眠気もまた、正常な判断力をにぶらせる。

 自分の民をたぶらかすようなことは、最後まで気が引けたのだが、戦争など綺麗事ばかりでは出来ない。使えるものは最大限に使う覚悟は、ルイの提案を聞いたときに決めていた。


「諸君。サングリアルは痛んだ。憎きダンセイニの手によって」

 静かに話し始める。


「しかし、諸君らの手には力がある。反撃の力が。奪われたものを取り戻す力が。悲しみを、乗り越える力が」

 声を風に乗せ、多少響きやすいようにしていた。これも熟練の技のひとつである。


「この国には君たちの力が必要だ。自分に何ができるか、不安な者も多いだろう。出来ることなどないかも知れない。それでもいい。運用を考えるのはこっちの仕事だからな!」

 にやりと笑ってみせると、民の間からもどっと笑いが起きた。


 ──そのとき、人垣が後ろから割れていく。

 司祭が率いる一派が来たのだ。叩きだそうとした衛兵を止め、場所を開けるように言う。


「どうされた、水やりどの」

「……この邪悪な集会を即刻、中止なさい」

「それは聞けない頼みだなぁ」


 にべもないヴラマンクに、司祭は声を荒げた。

「戦争など、愛の神クロリスを冒涜する行いですぞ!」


「いいや、神学の解釈の違いだろ? 俺はこの身を神に捧げている」


 なおも言いつのろうとする司祭に、ヴラマンクは「おい、じいさん」と声をかけた。失礼な物言いに、老司祭が鼻白む。


「自分たちが平和な余生を過ごしたいからって、若者にまで、その選択を押しつけたりしないこったな。もちろん、若者たちはあなた方と違って愚かだが、自分の運命を自分で選ぶ権利があり、その力がある」


「破門! 破門です!」


 司祭が叫んだ。

 するとヴラマンクは手を打ち、司祭に向かって宣言する。


「破門、結構。こちらからも言うことがある。──我、ヴラマンク・プレシーは貴族評議会に認められた権限によって、汝ら聖輪教せいりんきょうをサングリアル国教から外すものとする!」

 その言葉を聞いた民の間に動揺が広がった。


「しかし! ──しかし、だ。クロリスに対する信仰の拠り所を、民から奪ってしまうのは忍びない。よって我、サングリアル国王ヴラマンク・プレシーは、正クロリス教会の発足、並びに、国教としての承認を宣言するものである!」


 動揺は極限に達した。これはただ老司祭たちを追い出すのとはわけが違った。老司祭はまがりなりにも、聖輪教せいりんきょうの司祭である。ヴラマンクの宣言は聖都・ハイセンティアに弓引くものと捉えられても不思議ではない。


「みんな聞け!」


 拳をかかげ、声を上げる。

 民の視線が一斉にヴラマンクに注がれた。ヴラマンクは民が静まるのを待ち、──力強い声で話し始める。


「怒りは何も生み出さないという。そうだろう。だが、怒りがあるから生きられるやつがいるのも、また事実だ。もちろん、何にでもいかったり、ケンカを売っているようなやつは、単なる愚かヤロウだけどな。


 人生で恐れるべきことは『誇り』を失うことだ。誇りがあるからこそ、人は生きていける。誇りを失ったまま、いからず生きていくのは簡単だ。しかし、それは隷属の道だ。自分の人生じゃない。怒りに囚われちゃいけない。だが、誇りを守るためなら、人はいかっていい」


 集まったすべての民が、ヴラマンクの言葉に揺さぶられていた。


「誇りを守るためには、勇気がいる。──俺はサングリアルの民は、みな、勇気ある国民だと信じている。不当な暴力に屈せず、立ち向かえるだけの勇気を持つ民だと。忘れているなら、俺が思い出させよう。横暴にあらがい、拳を突き上げるための、勇気を!」


 ヴラマンクが拳を突き上げた瞬間──、割れんばかりの歓声が会場にとどろいた。


 アテネイが民衆に“勇気の鐘クラージュ・ベル”をかけているのが見える。アテネイにうなずいて見せ、もう一度、力強く、拳を天に突きつけて叫んだ。


「勇気を!」


 より一層、歓声が大きくなる。

 その歓声がヴラマンクの演説によるものなのか、それとも、アテネイの華印フルールによるものなのか、今となってはどうでもいい。


(これで、戦える!)

 そう確信した。


「一時はどうなることかと思いましたが……、うまく行きましたね」

 ルイが壇上を下りたヴラマンクの汗をぬぐう。残すはファラジへの支払いの問題だけだった。


(最後は、金、かぁ)


 この時代に目覚めてから常に立ちふさがる問題に、ヴラマンクは頭を抱える──。

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