反逆

 ヴラマンクはペギランを伴ってガスコーニュの町を見回りに出た。


 道ばたに座り込んでいる民は、王たるヴラマンクが近づいても顔をあげようともしない。それほどに疲れているのだ。

 マントノンと交渉し、難民たちへの炊き出しを頼んである。戦争の被害を受けていないガスコーニュはまだまだ余力があり、快諾してもらえたのだが……。


「例え口までメシを持ってきても、飲みこむのまで手伝ってやらないといけないぞ」


 炊き出しに並ぶ民がいる一方で、手に持たされたパンを口に運ぶことさえせず、ただ座って死を待っているだけの者もいる。


「民はみな憔悴しきっています……。この様子で、ダンセイニに逆襲など、出来るんでしょうか……」


「そうは言ってもなぁ……。急いで軍を編成し直して、対抗策を考えないと。今度こそ完璧に滅ぼされて、属国にされちまうぞ」


 アスール村の迎撃戦に参加した騎士の中には、騎士資格を返上する者も多い。せっかく助かった命を散らしたくはないのだろう。軍の再編のめどはまるで立っていなかった。


「おい、ばあさん。食わないと死ぬぞ」

 ヴラマンクは道ばたに座る老婆に近寄って声をかける。気づかって声をかけたのだが、返ってきた反応は思いもよらないものだった。


「お、お恨み申し上げます、陛下……。あなた様がお起きにならなければ、このような不幸は起こりませんでした。娘を、娘と孫を、返してください。あなた様が起きたせいで、私の娘と孫は死んだのです」

 地の底から響くような声で老婆がヴラマンクを呪う。


 道理にかなわない訴えだと、一笑に付すことが、ヴラマンクには出来なかった。


 ヴラマンクとリュードの間には“華印フルール”を通じた『つながり』がある。リュードが目覚めたのは、自分が目を覚ましたせいだ、とも言えるのだ。


「おばあさん。つまらない迷信に惑わされて、陛下をわずらわせないよう……」

 ペギランが老婆を説得する。


 もちろん、リュードが目覚めたのはヴラマンクの責任ではない。

 ヴラマンクとて、自分が眠ることで、リュードを眠らせ続けておくことが出来ると分かっていたならそうしたし、今だって出来ればそうしたいと思っている。


 だが、ジュールとの戦いの後も、わずか一か月で目が覚めてしまった。それはつまり、リュードの力が日に日に増しているということだろう。


「ペギラン、いいんだ。……なぁ、婆さん、あんただけでも養生してくれ」


 かすれた笛のように高く細い嗚咽をもらす老婆を置き、二人は再び歩き始める。ヴラマンクは今以上にひどい時代を生きてきた。考えうる最善策を取って、それでも、運に助けられた面が多々ある。──だが、その認識を民にまで求めるのは酷というものだ。


「あれを見てみろ、ペギラン」


 ヴラマンクの指差した先に、一組の親子の姿が見える。乳飲み子が、先ほどからぴくりとも動かない母親の乳を吸っていた。


「あれは、もしや──」

 ペギランがうっと口を押さえる。


 王都が襲われたとき、怪我をしたのかも知れない。

 火傷があったのかも知れない。


 いや、例えそうでなくとも、


「怪我でなくても人は死ぬ。飢えや疲れ、病でな」

 母親の胸は、呼吸によるかすかな動きもない。乳飲み子の命も長くはないだろう。


「これを見れば、あんなふうに言われるのも、無理はないのかもな」


 ヴラマンクの独り言は聞こえなかったかのように、ペギランが叫ぶ。

「何をしてるんですか、陛下! あの子を助けないと!」


「あぁ、そうだな」

 ヴラマンクはペギランが乳飲み子に駆け寄るのを止めはしなかった。赤ん坊をすべて助けて回ることは出来ない。百年近くもの間、戦い続けてきたヴラマンクは、孤児に情けをかけることはない。


 しかし、今はペギランの好きなようにさせておいた。


(俺は戦いすぎて、普通の感覚がマヒしているのかもな)

 目にした全員を助けるなど、そんなふうには考えられない。そんなふうに考えられるほどに若くはない。

 ──それはもしかしたら、まだ若いペギランのような者の役目なのだ。今、ヴラマンクが探していたのは死にゆく者ではない。戦える者だ。老人でも子供でもいい、剣を持って戦える者をヴラマンクは探していた。


       †   †   †


「王さま、水やりさまが、お話を、と」

 見回り中のヴラマンクとペギランのもとに、教会に祈りを捧げに行ったはずのルイが、民の一団を引き連れて向かってくる。

 一団を率いていたのはジュールとの戦いの時もヴラマンクを破門しようとした、王都の老司祭だった。


「なんだ? また俺を破門しに来たのか?」


「いえ、そうではありません」


 老身ながらかくしゃくとした司祭はひざに手をつき、ヴラマンクに目線をあわせた。チビ扱いされているようで癪に障るが、実際にチビなのだから仕方がない。


「この者たちと共に、王に陳情しに参ったのです」


「……分かった。聞こう」


「ダンセイニに降伏しましょう。サングリアルがダンセイニの属国に下りさえすれば、庶民にこれ以上、犠牲が出ることはありません」


 老司祭から発せられた言葉に、ヴラマンクは耳を疑った。

 何のために今まで戦ってきたと思っているのか。アスール村の迎撃戦で散っていった騎士たちは、一体、何のために死んだというのか。


 ──すべてはこの国を、国と民を守るためだ。


 だが、その思いは司祭には通じていなかったらしい。ジュール卿の反乱のときはまだ司祭の気持ちも理解できた。しかし──、


「この惨劇を見て下さい。戦いを選ばなければ、民の死はありませんでした」


「後ろにいる者たちは? お前たちもそう思うのか?」

 ヴラマンクが水を向けると、司祭の後ろに立つ者たちもうめくように同意した。


 むろん、多数派の意見が必ずしも正しいわけではないことをヴラマンクは知っている。

「そうか。お前たちがそう思うんなら、その考え方を否定はしない。だが、そう考えない者もいる。そういうやつらのためにも、俺は戦う」


 議論の余地すらない訴えだった。だが、老司祭は食い下がる。


「待って下さいますかな? あなた様がいくさを選べば、戦のためにとばっちりを食う者がいるということもお考え下さい。戦いたくないと思う者と、戦うべきと思う者。どちらが多いか決を採ったのですか? 採っていないのなら、なぜ、あなた様が戦を選べるのです? あなた様にどういう権限があり、戦を選択するというのでしょう?」


「……権限など。俺は王だ。それだけじゃ不服か?」


「では、民はあなた様の所有物なのでしょうか? 王侯貴族の言いなりになり、命を散らせとおっしゃるのでしょうか? あなた様は自分の権力を保持したいためだけに、民を犠牲にしようとしているのではありますまいか。ダンセイニに下れば、あなた様は王ではいられないどころか、殺されてしまうかも知れませんからね」


 元々、民は貴族の所有物である。

 少なくとも、97年前であれば、それが主流の考え方であった。

 ヴラマンクは、そうではなく、民にも自由な意志と権利があってしかるべきという、当時としては進歩的な考え方の持ち主であったのだが──。


 司祭が言った言葉に、後ろについてきていた十数名ほどの町民たちが賛同する。


「そ、そうだ、そうだ」「こんな子供が」「俺たちの命を何だと思ってる」


 それは、ヴラマンクの経験したことのない種類の反逆だった。

「この国は契約によって成り立っている。俺は国中の貴族たちと、日々の糧を献上させる代わりに、貴族たちの領土、ひいてはお前たち領民を守るという契約を交わしている」


「では、その契約を今この場で破棄することは出来ますでしょうか」


「それにはまず、お前らの領主に頼むべきだな。部下の部下は部下じゃない。俺とお前たちは直接の契約関係にない」

 ヴラマンクは淡々と、理詰めで説明していった。


 しかし、司祭たちは納得しない。

「あなたの話を聞いてると、自分の保身にしか目がないようですな」


「……なんでそうなる?」


 問いに対する答えが返る前に、司祭の後ろにいた者たちが騒ぎ始めた。

「このチビ、俺たちを煙に巻こうとしてやがる!」

「難しいことを言って俺たちを戦わせるつもりだ!」

「自分の地位の安泰のために!」「許せるのか!」「こんなガキには任せておけん!」


 以前のように石が飛んでこないのは司祭が制止しているからだろう。しかし、一度タガが外れれば、何が起きてもおかしくはない雰囲気だった。


「王さま、もう少し言いようというものが、ございますでしょう!?」

 ルイが慌てて、司祭とヴラマンクの間に割って入る。


「こんな下らない話を聞いている間に俺は一人でも多く戦士を集めなければならない」

 こういった手合いは例え頭を下げて頼んでみせたところで増長するだけだ。初めから相手の意見を受け入れるつもりなどないのである。


「下らないだなどと。ちゃんと理解してもらえるよう、心を尽くして説明を……」


 しかし、ルイはまだ話せば分かると思っているらしい。人を説得するために必要なのは『正当性』などではないことを、まだ若い侍従卿じじゅうきょうは知らないようだった。人を説得するときに必要なのは相手の『聞く耳』であり、その『聞く耳』を持たせるための根回しか、圧力か、はたまた人柄か、話を聞いてもいいと思わせる『何か』だった。何を言っているかが問題なのではない。誰が言っているかが重要なのだ。


「無駄だ、ルイ。それより、今は本当に時間が惜しい。今日は鍛冶屋に払う金を借りにいかなきゃならないし、場合によっては鍛冶屋に頭を下げることになるかも知れない」


「そんな……っ」

 ルイが抗議する。


 そのとき、遠くから駆けてくる者がいた。アテネイだ。

「おーさま、こんなところにいた……っ!」


「どうした?」


「馬を売りたいってお客さんが来てるから、おーさまを呼んで来いって、父ちゃんが」

 ヴラマンクは非難の声を上げる司祭たちを無視して、アテネイの後についていった。

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