幕間 いばら姫

 無数に枝分かれした、いばらの蔓が崖を駆けのぼる。


 さながら血管だけで動く巨人の手のような蔓に引き上げられ、“長命将軍ロンジェ・ヴィテ”ポラックは崖の上へと舞い戻った。


「はぁ……、はあっ! くそっ」

 肺の奥から空気をしぼりだして、吼える。


 ヴラマンクと名乗った少年王に眠らされそうになったとき、もう1人の小さな“魔風士ゼフィール”の力をわずかに振り切って、ポラックは植生界面エクスクルシフを鼻先に展開した。崖から落ちる途中、枝に触れた痛みで目を覚ましていなければ、今ごろ生きてはいない。


 ──そのごく一瞬に夢で見たのは、自分と交わった幾人かの男たちのことだった。


 生まれ育ったのは、寒く鬱屈とした小さな宿場町。凍える町で、男も女も寄り添うようにして生き、自然と体を重ねた。


 メルロ族は戦いを主な任務とする。ポラックが最初に体を預けた男も、必ず帰ってくると言い残してサングリアルとの戦に旅立った。


 戦死ではなかった。

 彼は行軍中の飢えによって死に、葬られることもなく道端に打ち捨てられたという。


 胸の奥の果てしない凍えを忘れるように、それから、幾人もの男たちと体を重ねた。


 せめて戦って死にたいと、男たちは言った。


 体が満足なうちの死であれば、“屍人モール”として国の役に立つこともできる。だが、飢えて憔悴しきった体では、例え“屍人モール”となっても満足に剣を振るうことも出来ない──。


「くそ、あいつら!」

 呪詛の声を上げるポラックの真上に、長い影が落ちた。


「よう、生きてたか。ポラック・メルロ」


 ポラックを覗き込む長身の男は真っ黒に焼けた顔をした美丈夫だ。大陸の南方から入ってきた渡来人を祖先に持つ、ムーア族のクアシバである。


「──あぁ、なんとかね」

 ポラックに手を貸しながら、クアシバ・ムーアは哄笑した。


「ざまぁねぇな、ポラック。策に溺れやがって。やっぱり、はなっからオレ様の“華印フルール”で王都を襲撃していりゃあ、こんな失態はなかったんじゃねぇのか?」


 偉そうに説教するクアシバは、〈操舵の宿り木フルール・ド・ギー〉の“魔風士ゼフィール”である。戦のなかった97年の間に、新たに任命された新米の“長命将軍ロンジェ・ヴィテ”だった。苛立ちが募っていたところをからまれ、ポラックはとたんに不機嫌になる。


「50歳も年下のガキが、生意気なんだよ。不用意に敵陣の奥深くまで切り込んで、万が一の場合はどうするつもりなのさ」


「それが弱腰だっつうんだ。オレ様の“華印フルール”なら敵陣深くだろうが充分に戦える」


「お前、“魔風士ゼフィール”の訓練を始めてから4か月のくせに。運び屋に徹するって言うから連れてきてやったんだ。ずいぶんと偉そうじゃないか?」


「ふん。オレ様の技はもう完成している。見てみろ、15体もの“王樹竜アルブル・ドラゴン”と千を超える“妖華獣フルール・ベート”が支配下なんだぞ。オレ様のほうがあんたよりよっぽど役に立つんじゃねぇか?」


「“魔風士ゼフィール”の技はそんな単純じゃねぇんだよ。自惚れんな」

「無様な失態をさらした人間に言われたくないね」


「……やるか、お前」


 たたみかけるように言われて、ポラックの怒りは沸点に達した。


(殺さなきゃいい)


 いかに多く“半神華フルール・ピュイサン”の末裔を従えようとも、それを操る“魔風士ゼフィール”は無力な人間に過ぎない。ポラックの“華印フルール”なら、生意気な口を簡単に封じることも出来る──。


「おやめなさい、2人とも」

 自分の背後にいばらの槍を隠していたところで、別の声がかかった。


 ──現れたのは死神のように青白い肌をした長身の青年である。


「エグジリ……」

 ポラックが青年の名前をつぶやく。


 バスチーユ族出身のエグジリ・バスチーユは、ポラックに陰鬱な細い目を向けた。


「ポラック。陛下に無断で兵を出し、さらには、我がダンセイニにとって何よりも大事な、あなた自身の命まで危険にさらしたのです。少しはしおらしくしたらどうです?」


 ポラックは、200歳は年上であろう“長命将軍ロンジェ・ヴィテ”の最古参に食ってかかった。


「ふんだ。メルロ族は前衛と斥候を任された氏族だよ。氏族の使命を守って、文句を言われる筋合いはないね」


 ダンセイニは各氏族が使命遂行のために独自の裁量権を認められている。ポラックが氏族の使命である斥候を買って出たならば、国王さえ文句を言えぬのが掟であった。

 だが、にらみ返すポラックの目に、クアシバに対したときの勢いはない。


(気味が悪いんだよな、こいつ)


 強がるポラックに不気味な微笑みを見せるエグジリは、ダンセイニにおいて、断罪と懲罰を任されたバスチーユ族である。

 海運と建築を任されているムーア族や、戦いを主な役割とするメルロ族とは、その性格がまるで違う。


「なんたって、97年も力を封じられて、いい加減、鬱憤がたまっていたんだ。真っ先にメルロ族であるアタシの力が戻ったのは、アタシに先陣を切れっていうことだったのさ」


 まだ力が戻っていない“魔風士ゼフィール”も多くいるなかで、自分の力が真っ先に戻ったのは氏族の使命を果たすためだとポラックは信じている。


「ふむ……」

 細いあごに手をあてて、エグジリが考えるような仕草をした。


 サングリアルへの侵攻に関しては文句を言われる筋合いはないが、ポラックが今しがた、クアシバにしようとしたことはダンセイニにおいても重罪である。

 最古参の“魔風士ゼフィール”エグジリは、噂によれば“長命将軍ロンジェ・ヴィテ”の中でも、もっとも不吉な力を使うという。──ポラックの背中を冷や汗が伝った。


「むろん、あなたの性格はリュード陛下もご存知でしょう。そうでなければ、あなたが勝手に城から持ち出した“風の種ヴァン・グレイン”を飲ませたところで、新たな“屍人モール”を増やすことは出来はしませんからね。──ですが、あなたはどうにもツメが甘いところがある。せっかくクアシバの助力があるのです。少しは役に立てたらどうです?」


 エグジリの表情が和らいだのを見て、ポラックは密かに安堵した。

「あ、ああ。分かったよ。協力する。無茶はしない」


「──分かっているでしょうね。ダンセイニの“華印フルール”は、すべて〈ラ・モール〉が伸ばした根に片足を囚われているのです。私たち“魔風士ゼフィール”は1人1人が〈ラ・モール〉から“華印フルール”を守る砦なのですよ」


「わ、分かってるって」

 またしても説教されそうになったポラックは、エグジリの言葉を慌ててさえぎった。

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