死闘


 地面に落ちた騎士の腕を“屍人モール”たちが蹴飛ばしていく。


 腹から臓物をこぼし、顔中を涙と鼻水まみれにして、この惨劇から逃れようと足を引きずる騎士がいる。

 馬が動くたびに、皮1枚でつながった頭が、今にも千切れそうに弾む騎士がいる。


 800人の騎士たちが、成す術なくやられていった。


「ルイ、アテネイを連れて逃げろ! ペギランは騎士をまとめて南を突破するんだ!」

 そう叫ぶが、あまりの事態に冷静に動ける者はいなかった。


 デグレ隊を押しのけて逃走を図った騎士もいるにはいたが、剣で斬りつけても全く動じない相手に動揺しているうちに、片っ端から切り殺されていく。


王樹竜アルブル・ドラゴン”は“屍人モール”の軍をその背に乗せたまま、断崖に前脚をかけてよじ登り始めた。


 最初の“王樹竜アルブル・ドラゴン”が崖の上に姿を現すと、騎士たちの恐慌に拍車がかかる。


 ──その時、ヴラマンクの眼前でちりちりと火花が散った。

「みんな、逃げろ。いかづちが降るぞ!」


 その言葉を正しく理解できた者はいったいどれだけいたのか。

 極低温の霧中で、微細な氷塵がこすれて帯電し、竜の口と犠牲者たちを結ぶ道となる。


 刹那──、


 光の蛇が、空間を焼いた。


 真っ白にけぶる崖の上に、金色のいかづちがほとばしる。

 哀れな騎士がまとっていた鎖かたびらや鱗鎧は落雷でどろどろに溶けて、その全身を静かに焼いていった。むき出しの顔を赤黒く炭化させ、騎士が次々と倒れていく。


 それは人の『魂』と呼ばれるモノが竜の口に吸い込まれていくさまにも見え、どこか荘厳で敬虔な気持ちを呼び起こさせた。

 ──もっとも、渦中の騎士たちにとっては、それどころではないだろうが。


 3匹目の“王樹竜アルブル・ドラゴン”が這い上がってくるまで、騎士たちはただ、逃げ惑うだけだった。


「サングリアルの騎士たち! 1か所に集まれ!」

 ようやく──、ようやく、ペギランが号令を発する。


「ペギラン、右だ! そこを抜けろ!」


「ふふーん、遅いよ」

 ポラックが豊満な胸を震わせて、楽しそうに笑った。


 ヴラマンクの叫びもむなしく、“王樹竜アルブル・ドラゴン”から降りてきた“屍人モール”の大軍勢が、騎士たちの退路を塞ぐ。

 デグレの部下だった“屍人モール”たちは“王樹竜アルブル・ドラゴン”のいかづちで体を焦がしながらも動き回り、赤熱した剣でかつての仲間たちに斬りかかっていた。


「王さまっ、あれっ!」

 ペギランとは反対のほうからルイの悲鳴が上がる。


 ルイが指差す先で、全身に植物の蔦が巻きついた狼や、額から木の枝を1本生やした獅子が騎士たちに襲いかかっていた。


「あれは……、“妖華獣フルール・ベート”か! あんなやつらまで……」

 1本枝の獅子が咆哮を放つと、正面にいた騎士の全身は、まるで見えない刃に切り刻まれたように、細切れになって地面を赤黒く濡らした。


「ぐ、“栄光の鎧グロワ・アミュール”!」


 戦乱の喧騒にかき消されながら、か細い声が術の名前を叫んでいた。

 竜の吐いた霧に隠れて見えなかったが、よく見れば、戦場のそこかしこに宙を舞う蜘蛛の糸のような、きらめく銀の風が吹いている。アテネイはずっと“華印フルール”を使い続けていたのだ。


「さっきは建物に隠れて見えなかったけど、あの子が“魔風士ゼフィール”なんだね」

 となりに立つポラックが楽しそうに声を震わせる。その声に不穏なものを感じた。


「ルイ! ペギラン! アテネイを守れ!」


 アテネイと2人しがみつくように馬にまたがっていたルイが、その声に反応した。腰に下げていた剣を鞘から抜こうとして、腕の長さが足りずにつっかえる。

「あれ、あの剣……」


 ポラックが疑問の声を上げたとき、ヴラマンクのもとに駆けてくる騎影があった。


「陛下!」


 ペギランが槍を突き出してぶつかってくる。デグレは間一髪その攻撃をかわし、小さく口笛を吹いた。


「ペギラン! 俺はいい! 騎士たちを逃がせ!」

「陛下! 陛下にあの竜を眠らせてもらわないと、無理です!」

 その言葉にハッとする。


 死者にはヴラマンクの〈眠りの薫衣草フルール・ド・ラヴァンド〉は効かないが、生きたまま操られているという“王樹竜アルブル・ドラゴン”になら、効くかもしれない。


「デグレ卿! 申し訳ありませんが、陛下を返していただきます!」

 ペギランはいったん馬を下がらせると、助走をつけて、デグレに突撃した。


「いいのかね? 王に当たるぞ」

 そう言って、デグレはヴラマンクの体を前にぐいっと突き出す。ポラックはヴラマンクの右手をつかんだまま、反対側へと避けた。


 デグレが体を引く。

 すると、ペギランもそれに合わせて馬の進路を調整した。


(よし、ちゃんと馬を操れている!)

 訓練の成果が表れていることに、状況を忘れて興奮する。


 デグレは「ちっ」と舌打ちをすると、腰に下げた剣を抜き、ヴラマンクの首筋に当てた。

 ──それまで両腕で押さえつけられていたが、剣を抜いたことで片腕が空く。

 ヴラマンクはデグレの腕をつかみ、思いっきり足を振り上げて、頭上にあるデグレのあごを蹴りあげた!

 そのまま足でデグレのあごを押し、腕からするりと体を抜く。


 次の瞬間、地響きを立てて迫るペギランの槍が、デグレの胸の中央を貫いた!


「ぐおおおお!」

 デグレは雄叫びをあげ、胸から槍を生やしたままはるか後方へと引きずられていく。


「おっと、逃がさないよ!」

 まだポラックに右手をつかまれていた。


 逃れようとして、もみあい、その場を転がる。しかし、崖の手前でついに押さえこまれた。ポラックは倒れたヴラマンクに馬乗りになると、手にした剣を首筋に突きつける。


「このまま殺しちゃおっか!」


 ぎょろりと目を見開き、ポラックは凄惨な笑みを浮かべた。


 その肩を白い手が掴む。

「あ……ん?」


 白い手の主はアテネイだった。

「なんだ、ガキ。あんたごときがアタシの“華印フルール”を封じられると思ってんの?」


 ヴラマンクに向けていた剣で、ポラックがアテネイを振り払おうとした、その時──、今度は剣を持つ腕に、ルイがしがみついた。


「くそ、なんだお前ら!」

 3人が崖の上で取っ組みあいを始める。


 アテネイが白い顔を真っ赤にしてポラックの左肩にしがみついている。アテネイが白い顔を真っ赤にしてポラックの左肩にしがみついている。


「ちっ、光れ、光れよ、〈鉄棘のいばらフルール・デピーヌ〉よぉお!」

 ポラックが叫ぶが、首にかかった“華印フルール”はかすかに明滅するのみ。アテネイが、ポラックの“華印フルール”の力を相殺しているのだ。


「離せよ、お前ら!」

 髪を振り乱し、“長命将軍ロンジェ・ヴィテ”が絶叫する。その鼻先に、薄紫に輝く風の渦が現れた。


「──終わりだ、愚かムスメ」

 ポラックの顔に人差し指を突きつけ、宣告する。


「やっ……、あ……!」

 ヴラマンクが“寝台の恍惚プティ・モール”を圧縮して放つと、ポラックは空ろな目で、その場にひざをついた。


 首を傾け、口の端からよだれを垂れ流すポラックを、後ろの崖へと押しやる。

 ──“長命将軍ロンジェ・ヴィテ”の体はゆっくりと倒れ、崖の下へと落ちていった。


「海の底で永遠に眠っていろ」

 自分と同じく長い時を生きてきたはずの“長命将軍ロンジェ・ヴィテ”に、数瞬だけ黙祷を捧げる。主を失った馬にまたがり、アテネイをルイに預けた。


「サングリアルの騎士たち! 俺に続け! 包囲を抜けるぞ!」

 声を張り上げ、剣を高々とかかげる。危機はまだ去ってはいなかった──。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る