第3話〔2〕帰り咲くは春告花

 

 

 

 

 

 リリィの世話役をモモたちがつとめ出してからひと月あまり。

 

春も半ばにさしかかり、気難しかった車イスの姫もずいぶんと城のメイドたちにうちとけていた。

 

 初めアステルばかりに甘えきりだった彼女は、自分も亜人であることをみずから明かしてから、まるで憑き物が落ちたようにまるくなった。

 

おかげでメルヴィル城はかつての平穏を取りもどし、すっかり平和な日々が続いていたのである。

 

 不穏な馬車がやって来たのは、そんなある日の昼下がりだった。

 

表門に停まったその馬車から一人の女性が降りたのを、ルナは居館の尖塔から遠目に見下ろしていた。

 

 旅行カバンを左右の手にそれぞれさげて、前庭をやって来るその女性にいくらかの気がかりを覚え、ルナはついと立ち上がってとんがり屋根を飛び降りる。

 

軽やかな身ごなしで館の壁に取り付き、開かれた窓から屋内へすべり込んで長廊下を早足ぎみに歩き出す。

 

 2階から玄関ホールへたどり着くと、開け放たれた大扉の向こうからちょうどその人物がやって来るところだった。

 

彼女の顔を認めて、懐かしさにおのずと声がもれる。

 

 

ルナ「…………プリムラ」

 

 

 来訪者はプリムラ・エーヴリー。

 

誰あろう、ルナにメルヴィル家を紹介したその人だった。

 

 ルナは黒毛だったが、プリムラは白毛のミミとシッポを持っていた。

 

つまりは彼女も、ネコの亜人なのだ。

 

 身長は向こうのほうがわずかに高く、細作り。

 

イエローゴールドの長い髪をなびかせて、すました目もとはちっとも変わっていない。

 

枯れ葉色の旅着をまとっていて、どうにもおだやかな雰囲気がしなかった。

 

 里帰りや城詣しろもうでにはまだ早いはずだ。

 

これは何かあったのではないかとルナは直感して一階への階段を駆け降りようとしたが、しかし二歩と進んだ所で立ち止まった。

 

一階の奥向きから現れたアステルをプリムラが認めると、彼女がその場にカバンを放り出し、彼へと駆け出したからだ。

 

 

プリムラ「アステルさまっ!」

 

 

 ちょうど通りすがったか、あるいは不意の来訪者を物見から知らされたか、とにかく城主がそこへやって来た。

 

さらにあろうことか、プリムラはそのまま彼に駆け寄って抱きついてしまったのである。

 

 

ルナ「にゃっ!?」

 

 

アステル「…………っ!?

プリムラ……?」

 

 

プリムラ「アステルさま、あたい……飛び出してきちまった。

あっちにはもう、もどりたくないよ……!」

 

 

アステル「…………」

 

 

 勝ち気な口調が残るまま、たおやかに訴えたネコの亜人の女性。

 

困惑ぎみに抱きとめる城主。

 

そのかたわらでにわかに驚き顔になるニア。

 

同じように驚いて視線を向ける周囲のメイドたち。

 

 場にいた者が皆注目する中で、アステルはやさしくプリムラのかぶりを抱きしめ返しておだやかに言った。

 

 

アステル「おかえりプリムラ、疲れただろう。

ゆっくり休むといいよ」

 

 

 城主の言葉で事情を察したのか、皆の顔が次第に心配そうな色を宿していった。

 

ルナも全てを理解したわけではないが、旅行カバンを2つ引っさげて彼女が単身逃げこむように帰ってくるなど、よっぽどのことだ。

 

 サーキュラー階段の手すりに手をかけ、ルナは抱き合う男女の姿を不安に見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝となると、外仕えのネコメイドが仕事を放棄してメルヴィル城へ立ちもどってきたという話が早くも城じゅうに広まっていた。

 

当の本人はというと、この日からさっそく城仕えに復帰したらしく、メイド服を着てグレートホールに顔を見せていた。

 

 他のメイドたちの好奇の目にさらされ、容赦のない質問ぜめを今まさに受けているところだ。

 

 

リリィ「そんなにイヤな人だったの?

あなたの仕えた人って……」

 

 

 8人がけのテーブルの端の席に座ったプリムラに、車イスを横付けして気づかわしげに問いかけるリリィ。

 

 

ルナ「たしか、パレンバーグ伯爵サマだったかにゃ?」

 

 

 プリムラの隣のイスに、ポピーを抱っこしたかっこうで座ったルナが、代わりに答えておく。

 

 

リリィ「それってもしかして、ムスリカ・パレンバーグ先生のこと!?

とても有名なお医者さまよ、リリィも診てもらってるもの……」

 

 

プリムラ「ムスリカさまは、とってもいいお人だよ。

あたいが仕えたのは、そのご子息……」

 

 

 リリィがとんでもないと言いたげに声を上げたので、プリムラはあわてて否定した。

 

車イスの周りの見習いたちが、声を低めて話に加わる。

 

 

モモ「ゴシソクって?」

 

 

デイジー「息子っていう意味なのね」

 

 

ジャスミン「じ……じゃあ、そのご子息が、ひ……ひどい人だった、とか?」

 

 

 ジャスミンが深刻そうに聞いたので、その場にいたメイドたちも余計に不安そうな顔になった。

 

 

ポピー「……ふゎ」

 

 

 ピクシー族の少女ばかりは、ルナのひざの上で眠たげにあくびをするのみ。

 

 

プリムラ「そ……そうなんだよ。

事あるごとに胸はもんでくるわ、おしりは触ってくるわ、

ベッドに、も……もぐり込んできちまったことだってあったんだから」

 

 

ルナ「それって……よばい!?」

 

 

 かなり衝撃的な告白を彼女が動揺した様子で吐き出すと、取り巻きから小さな悲鳴がもれた。

 

 ない話ではなかった。

 

実際に見たというわけではないが、メイドたちの間でそういったうわさはいくつか聞かれていた。

 

ルナはいやらしくゆるみきった顔の男性を思い浮かべて、そいつが自分へと手を伸ばし迫ってくる場面を想像してみて、ぞっとなった。

 

 城仕えのメイドたちが一様に不安がるのは、明日は我が身かもしれないと恐怖しているからだ。

 

 

ルナ「じゃあ、その息子がイヤで逃げてきたってコトかにゃ?」

 

 

プリムラ「……ええ、まぁ、そんな所だったり……」

 

 

 こちらが投げかけた最終的な質問には、プリムラはなぜか目を背けて煮えきらない返事をよこした。

 

あまり思い出したくないといった面持ちだったので、ルナは本格的にに入ったポピーの背をとんとんしつつ、それ以上の質問を引っこめる。

 

以前より小ぶりな羽根となったピクシー族の見習いメイドは、とても幸せそうな寝顔でルナに体をあずけていた。

 

 

プリムラ「さて、と、そろそろ始めるかな。

ハウスメイドは久しぶりだから、アイビーに色々教えてもらわないと……」

 

 

 そうつぶやいて立ち上がると、プリムラは軽く伸びをすませてグレートホールを出ていった。

 

彼女が去ったあとも、この重々しくなった空気はなかなか晴れそうになかった。

 

 

リリィ「パレンバーグ先生にご子息がいたなんて……」

 

 

ルナ「会ったコトはないのかにゃ?」

 

 

リリィ「いいえ……先生が診察にいらっしゃる時は助手を2人お連れになるだけだし、先生のお家にも行ったことがなかったから……」

 

 

ジャスミン「ど……どうしよう……わたしがお仕えしたご主人さまが、とんでもなく、ひ……ひどい方だったら……」

 

 

リリィ「ばかね、そういう時のためにこの城があるんじゃないの。

主人が気に入らなかったら、帰ってくればいいのよ、あの人……プリムラみたいに」

 

 

 引っ込み思案のジャスミンがさらに暗くなるようなことをこぼしたので、リリィが物知り顔になって言った。

 

それでもリリィは、気重きおもそうにまゆをひそめてから続ける。

 

 

リリィ「世の中にはひどい大人もたくさんいるのよ。

安いお金でこき使ったり、純情をもてあそんだり……。

だからそんな大人にだまされないようメイドが安心して働くために、事前に相手を確かめて外仕えの主人を選んでいるんじゃない。

アステルお兄さまがね!」

 

 

 彼女はこぶしに力をこめて、いずれ外仕えとして巣立っていくであろう城仕えのメイドたちをめ回して、最後のひと言を特に強くして言い切った。

 

 リリィの言う通りだ。

 

ただでさえ、世間は亜人に冷たい。

 

だからこそ城仕えのメイドが他家へ勤めに出される時には、アステルが先方をよく見極めているのだ。

 

めったにはないことだが、それでも外仕えの主人が実は素行の悪い人物だったということがある。

 

今回はそれがプリムラの身に起こってしまったというだけのことだ。

 

 それにしても、あの気丈なプリムラが逃げ出してしまうほどのひどい主人とは、いったいどのような人物なのだろう。

 

話を聞くうちルナも興味をいだいたが、それが判明することになるのは割と早かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日の正午すぎ、一隻の飛行船がメルヴィル城へやって来た。

 

ローレル山脈を越えて突然現れた白い飛行船は、ヘビが巻きついた杖の家紋を気嚢きのうに描いていた。

 

医療の分野で名を馳せる、名門パレンバーグ家のものだ。

 

 ルナはまた、居館の尖塔からそれを確認したのだが、胸さわぎを覚えずにはいられない。

 

乗っているのは父のほうか、子息のほうか、あるいはそのどちらも……。

 

いずれにしても、プリムラを連れもどしに来たのだとすれば、全くもってゆゆしい事態であった。

 

 ルナは意識するより先に体が動いていた。

 

例によってメルヴィル城を駆け下り、地上に降り立って向かった場所は城と山の間の平野に設置された飛行場。

 

飛行船の発着場はレシプロ機の滑走路横に並設されてあるのだが、すでに十数人の人手が物々しく待機しているという状態であった。

 

 

ルナ「デイム・ルーディ!」

 

 

デイム・ルーディ「ルナか。

下がっていろ、危ないぞ」

 

 

 月毛の馬にまたがって指揮をとっていた城兵長を呼びかけて、ルナも一団の後方へ駆けつけた。

 

出迎え組には城兵らを始め、飛行場番や城仕えのメイドの中から手の空いていた者が駆り集められたらしい。

 

 

ルナ「誰が乗っているのかにゃ?」

 

 

デイム・ルーディ「あれか?

連絡では、パレンバーグ伯爵の御曹子おんぞうしと聞いているが……」

 

 

ルナ「!?」

 

 

 最悪の答えが返ってきた。

 

こんなにすぐに渦中の人物が乗り込んでくるなんて。

 

はるか頭上から押さえつけてくるように浮かぶ大きな船体を見上げて、ルナはずきずきと胸がしめつけられる感覚に襲われた。

 

 こちらの気も知らずに、飛行船はどんどん高度を下げてくる。

 

 

デイム・ルーディ「係留用意!」

 

 

 城兵長の号令で、鎧を着けた者と作業服を着込んだ者とが分担して所定の位置に散ってゆく。

 

この飛行船は客船級ではないにしろ、全長50mほどはある中型船だ。

 

 

デイム・ルーディ「係留!」

 

 

 船体からが垂らされてから地面のくいに係留するのにも小骨が折れる。

 

やがてゴンドラの底が地に着き、船尾のプロペラが順に停止してゆくと、ようやっと係留作業が完了した。

 

 

ルナ「…………」

 

 

 ルナは歓迎係のメイドたちが整列する後ろで、立派な飛行船を遠まきにながめつつ思案していた。

 

もし力尽くでプリムラを連れていこうという腹積もりであるなら、ここで追い返してしまうべきなのではないか。

 

いや、逃げ出したメイドを早ばやと追いかけてくるようなず太い神経の持ち主ならば、何か刃物でも振りかざすといった無茶をしないとも限らない。

 

 様々な考えがルナの頭をかき乱す中、ゴンドラのハッチが開いていよいよ人が出てきた。

 

最初に降りた男性2人はどちらも同じ黒のスーツ姿だったので、すぐにお付きの者であろうと見分けがついた。

 

 問題はそのあとに出てきた人物だった。

 

 

プリムラ「……ダリアさま」

 

 

 いつの間にそこへ立っていたのだろう。

 

気付くとルナの背後でプリムラが、草原に降り着いた飛行船を不安げにながめていた。

 

思わずつぶやいた名は、くだんの主人のものか。

 

彼女の向こう側から、やって来るアステルとニアの姿も見えた。

 

 

ルナ「にゃっ!?

じゃあ、あの人が……!?」

 

 

 ルナはもう一度飛行船のゴンドラに視線をもどして、かの者を確かめてみた。

 

ルナと他のメイドたちが驚くのも無理はない。

 

従者の手を借りて地に降り立ったのは、モモと同じくらいの上背の、茶色いスーツを大人げに着なした男の子だったのだから。

 

 

ルナ「えええっ!?」

 

 

 これにはルナも、心底面食らった。

 

思わず、“まだ子どもじゃない!”と大声を上げてしまいそうになったのを、とっさに口をふさいでとどまった。

 

 あまり子どもらしくなくきっちりとセットされたブロンド、うたがわしげに細められた青い瞳は、リリィ以上にふてぶてしい印象だ。

 

まゆも口もとも不服そうにひん曲がっていたが、背すじだけは育ち良さそうに伸ばしている。

 

普段からそのようなかっこうなのかは知れないが、赤い柄物のネクタイをしめていっぱしの会社員を気取っていたものの、赤りんごのようなまるいほっぺは対照的にかわいげがあった。

 

 その少年が、パレンバーグ伯爵の子息であり、プリムラの仕えていた主人であるらしい、ダリア・パレンバーグ。

 

プリムラの話しぶりから、徹底的にいやらしくだらしない男性を想像していたルナにとっては、ずいぶんと拍子抜けだった。

 

 少年はさっそく肩を怒らせてこちらへ歩いてくる。

 

他のメイドたちが深々とおじぎをする中、ルナは思わず身構えたが、彼はルナを、そしてプリムラをも素通りしてゆくのだった。

 

 

ダリア「ししゃく!」

 

 

アステル「やあ、ダリア。

久しぶりだね」

 

 

ダリア「メイドが一人、やめてしまった。

代わりのメイドを紹介していただきたい!」

 

 

 ダリアという少年はたいそう偉ぶって城主を呼ばわり、何とも勝手な要求を突きつけた。

 

ルナは振り向いて、あまりにな振る舞いの彼に文句のひとつも言ってやろうとした。

 

が、通り過ぎていった少年に背を向けたまま悲痛そうな表情で唇をかむプリムラの姿が目の前にあって、だめだった。

 

 結局、一人でつかつかとメルヴィル城へ歩いてゆくダリアを追って、アステルらとともに移動を開始するほかなかった。

 

 

 

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