◆第3話 逃げ帰ったネコメイド

第3話〔1〕夢見る月見草

 

 

 

 

 

 それは今から、10年も前のこと。

 

 母に連れられて彼女は、エーヴリー家で開かれた豪勢なパーティーに出席した。

 

6才だったその少女にとっては、エーヴリー伯爵夫人の誕生日などこれっぽっちも興味がなく、まっ昼間から始まったお祭り騒ぎに早くも飽きが来ていた。

 

腹さえ満たしてしまえば、歌や音楽などネコの耳には雑音と同じことだったのだ。

 

 少女、名をルナ・オエノセラ・グリフィズという。

 

 父を早々に亡くし、再婚相手探しに熱心な母に連れ回されて、少々うんざりしていたのがこの頃だ。

 

当時からルナは、気が多く楽天家の母に似て、良くも悪くも自由奔放な性格だった。

 

ミミやヒゲやシッポといったネコの特徴も、あます所なく母から受け継いだもの。

 

困ったことに、それが原因で彼女はしばしば、本物のネコとケンカをしてしまうことがあった。

 

 今回の不幸はといえば、ここエーヴリー家の庭にいたのがただの飼いネコではなく、“まっ黒い放し飼いジャガー”だったということだ。

 

パーティー会場を抜け出し、独りきりで広大な庭園を散策していたルナの前に突じょ現れた黒い影。

 

 自身と同じ大きさのそいつとはち合わせをしたネコの亜人の少女は、ほとんど本能的に身の危険を感じて身構える。

 

何の因果か、手足をさらした少々大人びてうわついた黄色いドレスを半ば無理やりに着せられた上に、こんな所でナワバリ争いなどをするはめになるなんて。

 

 しかしルナは、それがどんな種類のものであれ、獣がとても危険なものであるとすでに学んでいたのだ。

 

 たとえ飼い慣らされたネコであっても、

草をむだけのヒツジやウシであっても、

馬車につながれたウマであってさえも、

何かの拍子、飼い主やその客人にキバをむくことだってある。

 

 まして自分はネコの亜人。

 

その気はなくとも、相手にとってはテリトリーを荒らす敵でしかないのだろうから、ここで不用意に背中を向けることはできなかった。

 

もし、一歩でも引き足をさらしたならば、一足飛いっそくとびにツメが飛んでくるはず。

 

 

ジャガー「フ────ッ」

 

 

 相手からの威嚇を受け、ルナは仕方なく応戦体勢に入った。

 

と言ってもこちらはただのネコの亜人。

 

見せつけるべきキバもするどいツメも持ち合わせておらず、にらみで牽制しつつ腰を低く構えてそれらしくよそおっておくのがせいいっぱいだ。

 

 両者は次第に本気になってにらみ合い、そのまま円を描くようにしてじりじりと間合いを詰めていった。

 

互いの気が高ぶって限界に達し、今しも飛びかかろうとした、その時。

 

 

少年「うわあああああっ!!」

 

 

 あまり気合いの感じられそうにないおたけびを上げて、何者かがルナの前に駆けこんできた。

 

【ザンッ!!】

 

さらに手に持っていた剣らしきをそこへ向けて振り下ろしたので、ルナもジャガーも面食らって後ろへ飛びのいた。

 

 何事かとうかがってみると、濃い紫色の髪をした少年。

 

彼はとても切羽詰まった様子でみずから斬りつけた地面の裂け目をにらみつけて、荒々しい呼吸をくり返していた。

 

 見たところ、同じくらいの年ごろか、盛装をしていたのでおそらく彼も招待客の一人で、パーティー会場を抜け出してきたのだろう。

 

黒くきらきらした瞳がこちらに向けられ、そして向こうの獣を向いた。

 

 これはもしかすると敵が増えただけなのではないかと心配したが、双方を確認すると彼は、すぐさま身構えを変えてジャガーのほうをにらみつけにかかった。

 

どうやらこちらを味方と認識してくれたようだったのはうれしかったが、それでも戦意を失わぬらしいジャガーには油断はできない。

 

 

ジャガー「フシャ──!!」

 

 

【カァァン!】

 

 

少年「ああっ!!」

 

 

 武器を見せつける少年のほうへ的を変え、ジャガーが臆せず飛びかかる。

 

というよりも、自分に向けられていたやいばがしゃくに障って、片前足のツメでたたき払った、というほうが正しい。

 

 相手も見抜いていたのだ。

 

その少年がどうも弱腰で、あまり強そうにないことを。

 

 獣に襲われていた女の子を勇ましく助けに入ったまではよかったが、このあとのことをほとんど何も考えていなかったのだろう。

 

ほっそりとした腕と貧弱そうな肩が小刻みに震えているのがルナにも分かった。

 

 だが、彼は男の子。

 

今さらあとには退けぬといった様子で、勇猛果敢に得物を振り回し、半分すてばちまじりになりながらも敵方てきがたへ打ちかかった。

 

 

少年「おおぉおぉおぉ!!」

 

 

【パコ────ン!】

 

 

ジャガー「フニ゛ャッッ!!」

 

 

 不慣れそうに両手で持った剣を、大きく左右に振りつつ彼が向かっていったところ、ジャガーのその横っ面に刃の横っ腹がヒットした。

 

おおよそまぐれなのではあったのだろうが、とにかく敵は快音とともにのけぞるように飛んでゆき、背後にあった立ち木の幹にぶつかって、その下草へと脳天から落ちたのだった。

 

 これは効いたであろうと思ったが、ジャガーはすぐさま起き上がってこちらへ向き直ったので、少年もルナも同じようにあわてて身構え直す。

 

ただ相手も相当の痛みはおぼえたらしく、瞬間襲いかかってくる動作を示しておきながら直後に体を反転させ、木々の間を一目散に逃げ出していったのである。

 

 危険が去って、2人はひとまずほっとして胸をなで下ろす。

 

落ち着いて考えてみれば、ルナはまだその少年とひと言も言葉を交わしてすらいなかった。

 

おぼつかない立ち回りではあったものの勇者めかしく危機を救ってくれたその少年に、幼いルナは大いに興奮して声をかけた。

 

 

ルナ「すごい、けん!」

 

 

少年「ああ、うん、父上のショートソードなんだ。

私はアステル」

 

 

ルナ「アタシ、ルナだよっ」

 

 

 これが、彼との初めての出会い。

 

 

アステル「ふふふ、まだ手がふるえてる……」

 

 

 彼はそう言って、たどたどしい手つきで剣をさやに納めた。

 

 

ルナ「アタシも……。

アンタが走ってきたとき、てきがふえちゃったのかなって、すこし心配したよ。

たすけてくれて、ありがとう」

 

 

 正直なところ、ルナは彼を目にした瞬間から、その大人びた風貌に、勇ましくも優しげな物腰に、どうやらひかれ始めていたのだ。

 

 

アステル「ああ、だって、

ジャガーよりネコのほうがすきだから」

 

 

 だからこそ、この言葉は当時の彼女の胸を、矢のごとく射抜くのに充分だった。

 

 

ルナ「えっ!?」

 

 

アステル「えっ!?」

 

 

 こちらが両ミミをぴょこんとそばだてて大げさに聞き返したものだから、あちらも予想外といった顔で目を丸くして驚いた。

 

 “ジャガーよりネコがすき”

 

 今の今聞き取ったセリフが、ルナの脳内で甘い刺激をともなってくり返される。

 

 “ネコがすき”

 

 それはつまり……。

 

 

ルナ「アタシ、ネコだよ!

ミミだってあるし、シッポだってついてるし!」

 

 

 たちまち気をよくして、人でない部分をアピールするネコの亜人の少女。

 

 

ルナ「なき声だって出せるよ!

にゃあぁ♪」

 

 

 彼のまわりを、ネコの手まねで跳ねまわる。

 

 

ルナ「にゃああぁ♪

にゃ────ぁ♪」

 

 

アステル「ふふふ♪」

 

 

 彼が笑うと、ルナもますます楽しい気分になった。

 

 

ルナ「にゃ──ぁ♪

にゃ~~ぁ♪」

 

 

 鳴けば鳴くほど本物のネコに近くなってゆくのが、ルナ自身にも分かって変におもしろかった。

 

 

ルナ「にゃああああぁ♪」

 

 

 この日はとても忘れられない日となった。

 

彼もルナもまだ子どもで、主従のちぎりを交わすことになるとはみじんも思っていなかった頃の想い出。

 

 それからしばらくして、彼がメルヴィル家の人間だと知ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ルナ「にゃぁぁぁぁ……」

 

 

 16歳の彼女は、自室のベッドの上で、自分ののどから出た鳴き声によって目を覚ました。

 

心地のよい夢で起きてみれば、日も昇りかけの朝早く。

 

眠気はまだ少し取り置いて、目をこすりつつ、生あくびを吐き出しつつベッドを抜け出す。

 

 まずは起きがけの気だるさをぬぐって、寝巻きをぬぎ払ってから身仕度の開始だ。

 

下着姿で顔を洗って髪とシッポをブラシでとかし、パーラーメイド用のエプロンドレスの装着にとりかかる。

 

 鳴らない鈴のついた首輪から始めて、パニエでふくらませたスカート、フリルのついたミニエプロンの順にこなれた動作で身につけてゆく。

 

白いニーハイソックスと手首飾りのリストバンドをそれぞれ手足に通して、最後に王冠形のホワイトブリムを頭にかずければ完了。

 

 

ルナ「よしっ!」

 

 

 姿見で頭の先からつま先までを確認し終え、意気揚々と向かった先は、戸口ではなく窓だった。

 

南向きのそこを押し開けば、すずやかな風が彼女のほほをさっそくなでつける。

 

 ここは3階。

 

目指すは上階の城主の寝室。

 

 

ルナ「んしょっ」

 

 

 目もくらむような高さをものともせず外へ飛び出して、彼女は出窓のひさしを伝い、壁のわずかなでっぱりをつかみ下がり、およそ足場になり得ない建物の装飾部分を軽やかに蹴り上がってメルヴィル城の居館を攻略していった。

 

 それはまさしくネコの身ごなし。

 

 

ルナ「にゃっ、にょっ、ほっ、と」

 

 

 難無く目的地であるバルコニーにたどり着いたネコの亜人の少女は、鍵のかかっていないテラス窓を静かに引き開けてその部屋の中へと侵入した。

 

室内へすべり込んだルナは、入ってきた窓をゆっくり閉めると、朝の静けさにつつまれたまだ暗い寝室を見回した。

 

豪奢なチェスト、天蓋付きのベッド、踏み心地のよい厚手のじゅうたん。

 

一面の壁に飾られた武具の中には、幼かりし日のアステルが腰にたずさえていたショートソードも。

 

 変わりない部屋の様子を簡単に確かめると、ルナはベッドへもぐり込んだ。

 

もぐり込んですぐに広くてあたたかい彼の背中を見つけた。

 

 これはほとんど毎朝のこと。

 

自分の好きなものに自分のにおいを付けずにはいられない、ある種のネコの習性というものだ。

 

このことはもちろんアステルもよく理解してくれていたので、特に注意をされたり、いちいち追い出されたりもしない。

 

城主の邪魔さえしなければ、ルナは毎朝ここでこうして添い寝をしてさしあげることができた。

 

 あるじの背に自分のひたいをひたとあてがい、手足を丸めて両目を閉じる。

 

互いの体温が羽毛ぶとんの中でほどよく混じり合う頃、ルナは取り置いていた眠気を使ってまどろんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女が少年と再会することになったのは、彼女が亜人小学校を卒業したあとだった。

 

幸いなことに、あの黒いジャガーを飼っていた家、エーヴリー家の3つ年上の令嬢とは友人となり、その令嬢“プリムラ・エーヴリー”の紹介によって、ルナはメルヴィル家へ仕える運びとなった。

 

プリムラもまた、メルヴィル家で見習いメイドをしていたのだった。

 

 この時、ルナ12歳。

 

一方のアステルは13歳で、彼はすでにメルヴィル城と多くの臣下、そして子爵というくらいを有していた。

 

 希望に胸をふくらませ、メルヴィル城へ入城したルナではあったが、想い人との劇的な再会、とはいかなかった。

 

なぜならば、彼と会わなかった6年間のうちに、彼は祖父と両親の3人もを失っていて、悲しみのふちに立たされていたからだ。

 

ひどく思い詰めた顔のアステルをあたりにしたルナは残念ながら、あの日幼子おさなごどうしでむつまやかに過ごしたようには彼と接することができなかった。

 

 だからこそルナは、彼に気に入られようと懸命に仕事をこなしてゆく。

 

彼が望むであろうことは全てそのようにした。

 

メイドの仕事以外にも何か勧められれば、それがどんなことでも受け入れやり遂げた。

 

城主を護衛するための体術や護身術などはデイム・ルーディから教わった。

 

乗馬も彼女から手ほどきを受け、みるみる上達していった。

 

 大帝だいてい本国から払い下げられたという銃座付きの複葉機が2機、メルヴィル城の飛行船の発着場に現れた時はさすがに尻ごみをしたが、それもまたニアとともに操縦方法を学んだ。

 

いざとなればその後席にアステルを乗せて、国外脱出だってできる。

 

 全ては城主のためだった。

 

彼の悲しみを少しでも取りのぞいてさしあげたかったから。

 

そして成ろうことなら、ずっとそばに置いていただきたかったから。

 

 これらルナの願いも一助となり得たであろう、アステルは悲しみを乗り越え城主として成長していったのだった。

 

16歳となった今でも、ルナは城仕えとして働いている。

 

 彼もきっと、こちらの想いをくみ取ってくれているはずなのだ。

 

最初はアステルにめとってもらうのだと息まいていたプリムラも、結局一年ほど前に外仕えに行ってしまったのだから。

 

だから自分はこの城を離れることはない。

 

 本当に……?

 

 しかし、とルナは思う。

 

例えば、来訪した貴族がたわむれに指名をすれば、自分も例外なく差し出されてしまうのではないか。

 

メルヴィル家の飼いネコとして安穏あんのんとした日々を送っていても、時々ふと、まだ見ぬ外仕えの主人を想像してみたりすると、やはり不安で仕方なかった。

 

 

 

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