第2話〔5〕幼花の決意

 

 

 

 

 

 どれくらいの時間が経った頃だろう。

 

【コンコン……】

 

【カチャ……】

 

戸口からの小さな音で、ベッドの端に顔をうずめて眠ってしまっていたモモは、ぼんやりと目を開けた。

 

 窓の外はすっかり暗く、一本だけ残った燭台の火明ほあかりも、明滅して消えかかっている。

 

頭をもたげてそちらのほうをうかがってみれば、半開きのドアから半身だけをのぞかせる青年の姿があった。

 

 

モモ「……アステルさま」

 

 

アステル「モモ、おいで……食事にしよう」

 

 

 手招きされてモモは、リリィのほうもうかがってみる。

 

暗がりで寝顔はよく確認できなかったが、すやすやとしたおだやかな寝息は聞き取れた。

 

 片目をこすりつつゆっくりスツールを立つと、モモは静かに部屋を出た。

 

帰ってきたばかりらしいジャケット姿のアステルに連れられ、向かった先はダイニングルーム。

 

初めてこの城にやって来た時に、ごはんを食べた所だ。

 

 前回はニアとルナが部屋のすみにひかえていたが、今回は城主と2人きりで、食事は一人分しか用意されていなかった。

  

 そういえば、お腹もすいている。

 

モモは深く考えずに着席したが、向かいの席の主人の分の食事が見当たらなかったので、豪勢な晩ごはんにどうにも手を付けづらかった。

 

 

アステル「どうぞ、食べて」

 

 

モモ「……うん」

 

 

 にこやかにうながされたので、モモは遠慮がちにスープスプーンを取り上げて食べ始める。

 

コンソメスープを一口すすると、食欲を呼びさます味と香りがのどをすべり降りた。

 

 

アステル「リリィを看てくれて、ありがとう」

 

 

モモ「…………」

 

 

 モモはいったん、スプーンをテーブルへもどした。

 

 

モモ「ケガ……してた……」

 

 

アステル「……そうか、見たのか」

 

 

 その一言で、何を言いたいのかをくみ取ってくれたらしい。

 

こんなことを聞くのは、あまり良いことではないのかもしれないけれど、リリィの傷だらけの手足を思い出してみれば、やはり問わずにはおけなかった。

 

 彼はおだやかに、そして真剣な顔で語り始めた。

 

 

アステル「あの子は、亜人なんだ。

プテロナラクニスっていう、めずらしい亜人だ」

 

 

モモ「プテ……ナ……?」

 

 

アステル「プテロナラクニス……翼を持った巨大なクモの亜人だよ。

以前、野性化の話をしたね、おぼえてる?」

 

 

モモ「おぼえてる……」

 

 

アステル「それと同じように、“変異”と言って、野性化とともに体の形が大きく変わっちゃうこともあるんだ。

リリィのあれは、その前ぶれ……。

成長するにつれて体内にたまった亜人の部分が、おさえきれず肌を割ってあふれて来ている」

 

 

モモ「……リリィ、しんじゃうの……?」

 

 

アステル「……いや、死なせたりはしない。

変異だって、止めてみせる。

実は今、知り合いのお医者さんと一緒に、治療法を開発しているところなんだ。

でも、時間がかかっていてね……もう少しでできるんだけど……」

 

 

モモ「…………」

 

 

 そこまで話すと、どちらも言葉を切った。

 

モモはまたスプーンを取り上げて二口目のスープを口に含み、ゆっくり飲み下しながら考えていた。

 

 自分が何をすべきか、何ができるか、何をしたいのか……。

 

 思い浮かんだのは、一つの言葉だった。

 

 

モモ「アステルさま、ぼく、コマヅカイになれるかな?」

 

 

アステル「ああ、なれるかなれないかで言うと、その答えはすでに出ている。

君には充分その素質があるよ。

だってもう証明したじゃないか」

 

 

モモ「えっ……?」

 

 

 意外なことを言われたので、モモは物問いたげな顔にきょとんとした目を添えて返すしかできなかった。

 

 

アステル「初めて君がここへやって来た時、あったでしょ?

君はあずかったお金を、ちゃんと届けてくれた。

お腹をすかせていたにもかかわらず、一時間もの道のりを走って、オオカミベーカリー&カフェから託されたおつりを、無事に私の手もとまで届けてくれた。

それこそメイドの仕事ぶりだったじゃないか。

だから君は、小間使いにだってきっとなれるさ」

 

 

モモ「…………」

 

 

 考えもしなかった。

 

あれはただ、母に教わった通りに行動してみただけで、メイドになりたいという理由などからではなかったのに。

 

 

アステル「それに、今日だって、君は立派にメイドの義務を果たしてくれたよ」

 

 

 彼のその言葉は、とても心強かった。

 

母にほめられた時のように、胸の奥が熱くなってゆく。

 

不思議な感覚だ。

 

 母はもういないのに、母がそこにいる感じがした。

 

 だからこそモモは、心の中に芽吹いた小さな決意を、素直に打ち明けることができたのだ。

 

 

モモ「ぼく……アステルさまのやくに立ちたいって思ったから。

お母さんがね、しんせつにされたらおれいをしなさいって言ってたから。

ぼく、なりたい!

リリィのコマヅカイに、なりたい!」

 

 

 思わず声を大きくしてしまったが、アステルはおだやかな笑みを崩さず、見つめ返すのみだった。

 

 

アステル「…………うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌々朝よくよくあさ、モモは少し早起きして二段ベッドを抜け出すと、他の3人を起こさぬよう静かに着替えをすませた。

 

洗いたてのエプロンドレスにホワイトブリムをかぶって、胸のリボンのゆがみを鏡で正す。

 

 朝の身支度をととのえると一人寝室を出て、向かうは彼女の部屋だ。

 

静まり返った廊下を進み、そのドアの前までたどり着くとさっそくノックをした。

 

【コツン……コツン……】

 

 

モモ「しつれいします」

 

 

【ガチャ……】

 

 許可を待たずに明るい声で開扉する。

 

 入室すると、起きがけのリリィがひどい顔でベッドに座っているのが見えた。

 

 

モモ「リリィさま、おはようございます」

 

 

リリィ「あなた……いったい、え?」

 

 

 むすっとした目つきで何かを言われる前に、モモはつかつかと歩み寄ってリリィのおでこに手を触れる。

 

彼女は面食らって固まったが、熱はすっかり引いたみたいだ。

 

髪は乱れきって、寝巻きもしわだらけだったので、ともかくモモは衣装ダンスのほうへ向かった。

 

 

リリィ「ちょっ、と……」

 

 

モモ「おきれる?リリィさま。

どの服にする?」

 

 

 中を開けて衣装を確かめにかかると、リリィはしぶしぶといった口調でぼそりとつぶやく。

 

 

リリィ「赤の……ワンピース」

 

 

モモ「これ?」

 

 

 希望通りのものを手に取って、きびきびとした足取りで持ってゆくモモ。

 

ベッドの上で着替えさせ、くつをはかせて車イスの用意。

 

 小忙しく少女をそこへ乗せ替えて姿見の前まで移動したところで、ゆったりと髪をとかす作業に移った。

 

 

リリィ「何のつもり……?」

 

 

 鏡の中のリリィが、ふてぶてしい顔で聞いてくる。

 

 

モモ「アステルさまにたのんで、ぼく、リリィさまのコマヅカイにしてもらったの。

でも、まだ見ならいだから、かんたんなことしかできないけど……。

よろしくね」

 

 

リリィ「…………フン」

 

 

 以前のような調子で鼻息を飛ばしたのかと思ったが、彼女の顔はとてもおだやかだった。

 

 

リリィ「仕方がないわね……」

 

 

 ブラシで髪をすいたあとのやり方が分からなかったので、髪留めで髪をたばねる所まで彼女にまかせた。

 

一つ結びの少女になってリリィはやや皮肉っぽく、しかし全く嫌みのない顔を浮かべて告げる。

 

 

リリィ「いいわ。

リリィが“人間でいる間”は、あなたをやとってあげる。

よろしくね、モモ」

 

 

モモ「…………」

 

 

 彼女の言葉を聞いて、心の底から笑顔をするモモ。

 

テーブルに出してあったリリィのリボンを手に取って、さっそくこの日の仕事を始めるのだった。

 

 

 

 

 

── つづく ──

 

 

 

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