第2話〔4〕病葉をかかえて
とうとうリリィは、その日ずっと自分の部屋を出なかった。
夜遅くに帰ってきたアステルでさえ、彼女の食事をとどけてすぐに追い返されたというくらいだ。
城仕えのメイドたちはもうリリィと接しあぐねて、用事の有る無しにかかわらず彼女に近付くことを避けようとまで思い始めているようだった。
翌朝となってモモは、城主へのとどけ物をかかえてアステルの寝室をたずねる。
うれしいことに、この新聞と手紙のたばを持っていくという仕事は、自分の日課として定着しつつあった。
【コツン……コツン……】
アステル『入って……』
【カチャ……】
モモ「しつれいします……」
ノックをしてからドアを開けて入室する一連の動作もようやくこなれてきた。
部屋に入ってドアを閉め、テーブルの所まで歩いていって持っていた物をそこへ載せる工程も、だいぶメイドとしてさまになっている。
朝一番の仕事をやり遂げて、何かお声をかけてもらえるのではないかと期待して、自信に満ちた顔でモモはあるじのほうへ向き直ったが、彼はこちらを見ていなかった。
それどころか、いつものシャツ姿で出窓の下枠に片ももを引っかけるように腰かけて、あまり彼らしくなく気だるげに外をながめているのだった。
元気のないアステルの様子にモモまで心を暗くして、むしろこちらから声をかけるべきではないかと思ったが、どのような言葉をかけるべきかが分からない。
モモ「…………」
アステル「……ん?」
不安の色を宿したこちらの視線に気付いてあるじが、憂いを含んだままのまなざしをふと返してくる。
モモ「あ……えっと」
アステル「ふふ……」
何か話さなければならないと急くあまり、最初の言葉が出ないモモに、アステルは察したように笑みを浮かべた。
彼は窓辺を離れると、テーブルへ置いた物の中から手紙だけを取り上げてあて名を読み始める。
アステル「リリィが、迷惑をかけてしまっているようだね。
ごめんね」
モモ「アステル……さまが、あやまることない」
アステル「……うん」
話題はやはり、車イスの少女のこととなった。
アステルは今度は、ひかえめに笑う。
モモ「メイドにならないかって、言われた。
リリィのメイドに……お金あげるからって」
アステル「そう、そんなことがあったのか」
モモ「でも、ぼくまだ見ならいだから、ならないって言ったけど……」
アステル「……そうだったのか」
2日前のことを思い出して打ち明けてはみたが、会話はなかなか続かなかった。
アステルが最後の手紙を確認し終えると、しばらくどちらも沈黙し合った。
モモは彼が手紙をテーブルにもどす手もとばかりを、ただ立ってながめているしかできなかった。
アステル「君がもし、本当のメイドだったとしたら、あの子の小間使いを引き受けていたかい?」
モモ「…………」
不意の問いかけに顔を上げてみると、まっすぐに見つめ返すあるじの、おだやかなまなざしがあった。
モモ「…………分からない」
アステル「……そっか」
考えた末にかぶりを振りつつ半端な答えを返してしまったが、彼はそれでも納得したように目を伏せてうなずく。
アステル「私は今日も城を空ける。
東のほうで大口の取り引きがまとまりそうなのでね。
うまくいけば、明日からしばらく遠出をせずにすみそうなんだ。
もし君が嫌でなければ、モモ、今日だけリリィのことを、君にたのんでもいいかな。
どうやらあの子、君のことを気に入っているらしいんだよ」
モモ「えっ……?」
意外な言葉が飛び出したので、モモは思わずおどろき顔になって聞き返した。
てっきり自分は、あの人に嫌われているものと思っていたのに。
モモ「……ぼくのことを?」
アステル「ああ、ピンク色の髪の女の子の話をずっとしていたのでね。
“あの子がほしい”、ってね」
モモ「…………」
正直、考えてもなかった。
コマヅカイというものがどのような仕事なのかも知らなかったし、それに見ならいメイドとして3年間は修行をしないと本当のメイドにはなれないと聞いていたので、今回のこの件は自分には全く関係のないことだとばかり思いこんでいたのだ。
モモ「でも……、分からない」
アステル「……そっか」
モモは当惑するばかりでちゃんとした返事ができなかったが、それでもアステルはやさしくほほ笑んでうなずくだけだった。
その後、大した会話もできずにモモはあるじの部屋をあとにした。
彼は普段通りに朝の支度をととのえて食事をすませると、ニアと数人のともをしたがえて馬車に乗りこみ出かけていった。
どうにもこの日はやる気になれず、モモは重い体を引きずるようにして、午前の仕事にとりかかるのだった。
昼食を終えると、見ならいメイドは城仕えの
リボンの色ごとに違ったことを教わるのだが、それが終わるとだいたい午後の3時を少し過ぎた頃となる。
ここでモモはふと思い立って、リリィの部屋をたずねてみることにした。
今日はまだ姿を見ていなかったし、他のメイドも彼女のことを一度も話題にしなかったので、どうにも気になって仕方がなかったのだ。
一応、城主から直々にたのまれたわけでもあったし、コマヅカイとして本当に自分をやとう気があるのか今一度聞いてみたいという理由からでもあった。
調理場にお菓子をもらいに行こうというデイジーたちの誘いを何とか断って、とにかくモモはリリィの部屋の前までやって来たのである。
【コツン……コツン……】
声『んんん~……』
手ぶらで来てしまったが、何かお土産でも持ってきたほうが良かったかな、などと思案しつつドアをノックして入室の許可を待つ。
返ってきたのは、それかどうかも分からないほどかすかなうめき声のみ。
モモ「リリィ……」
【カチャ……】
待ちそびれてノブに手をかけてみると、ドアは軽く開いた。
中の者をびっくりさせないように、そのままそろそろと開扉する。
モモ「リリィ、前のおはなしだけど……」
一歩踏み入ると、すぐに甘い香りが鼻を突いてきた。
ゆっくりドアを閉め、部屋の中をぐるりと見回してみる。
イスやテーブルの上にも開きかけのチェストにもたくさんの高価そうな服が山積みとなっており、毛足の長いじゅうたんの上には脱ぎ捨てられた黒い手袋と黒い長くつ下、さらには下着まで散乱していた。
午後の陽がカーテンを通して射しこむ窓辺に、置かれたビンは香水というものだろうか、それにしてもパン屋の裏手に行った時よりもずっと甘ったるい香りだ。
乗り手のいない車イスがぽつりと置いてあるだけだったので、天蓋付きのベッドで寝ているリリィを見つけるまで、何かあったのではないかと心配をしてしまった。
モモ「リリィ……えっと、コマヅカイって……その。
……リリィ?」
彼女を呼びかけて近付いていく間に、どうやら本当に様子がおかしいらしいことに気付いた。
モモは首を伸ばすようにして、薄手の掛け
モモ「リリィ……?」
リリィ「んー、おかあさま……きょうは……たべたくないの」
モモ「ハッ……!」
そんなものを見るつもりはなかったのだが、寝言だろうかこちらを人違いして寝返りをうった拍子に掛け布がずれて、彼女の手足があらわになったのだ。
何をどのようにすればそんな風になるのか。
たとえば、冬の寒い日に水仕事をすれば、しも焼けを起こして肌がぼろぼろになるだろう。
道ばたで転んでひざをすりむいた時などは、砂と血がにじんでひどい傷口になったこともある。
しかしリリィは、それ以上のひどい傷を、手足のくまなく負っていたのだった。
モモはまたしても、背すじが凍りつく思いをした。
やけどのあとらしきものが肌の至る所に赤々と浮き出ていて、手足にそって途切れ途切れにミミズ腫れが走り、切ったものともすったものともつかない細かい傷が、手指足指の先のほうまで確認できた。
これはただごとではないと知り、モモは構えてベッドのすぐそばまでそっと近寄る。
リリィ「はぁ……はぁ……はぁ……」
とても苦しそうに息をする、リリィの寝顔があった。
モモ「…………」
モモはさらに胸さわぎをおぼえ、いつか母がそうしてくれたように、自分の手を彼女のおでこにひたとあてがう。
リボンを解いた赤むらさき色の長い髪は乱れて、汗でほほに張り付いていた。
熱い。
手の平から伝わる熱を感じとって、モモはひとつのことを確信した。
リリィ「な……何……?」
気だるそうに首をもたげて生白い顔をこちらにさし向けるリリィ。
意識がはっきりしたらしい彼女と目が合って、その顔が苦痛とおどろきにゆがむさまをモモは油断してながめてしまった。
リリィ「なに勝手に入って来てるのよ!
……出てけっ!」
激したリリィの、右手の平が飛んでくる。
モモ「あっ!」
【ガタン!】
【バサバサバサ……ッ】
胸を軽く押されただけだと思ったが、思いのほか腕力が乗っていたらしい。
モモはそのまま後ろのテーブルにぶつかって、盛大に倒れてしまった。
周りの衣装が追い討ちとばかりに頭の上から降ってくる。
リリィ「ヒッ……!」
こちらを押したリリィのほうが、おどろいて悲鳴を上げた。
モモは尻もちをついた体勢で衣装だまりの中から頭だけをのぞかせ、しばらく声も出さず考えていた。
派手やかだったのは音だけで、痛みなどはほとんどない。
そんなことよりも、自分が今すべきことを考えるほうが先決だ。
こちらを心配そうにうかがうリリィの、
リリィ「さ……さっさと出ていきなさいよ!」
突き飛ばした見ならいメイドにケガがないことを悟ったのだろう、リリィはまた険しい顔にもどってふとんの中へと逃げこんだ。
リリィ「も~……!」
頭まですっぽりとかぶった掛け布からもれた少女の声は、とてもつらそうで、弱々しくて、まるで仔ヤギのようだった。
モモは言い知れぬ気持ちになって立ち上がると、体にくっついた服を払いつつ駆け足で部屋を出る。
【ガチャッ】
アイビー「きゃっ!」
急くあまり、勢いをつけてドアを開けると、前を通り過ぎようとしていたらしいメイドをさっそく驚かせてしまった。
モモ「ごめんなさいっ」
危うくぶつかりそうになって、ひとまず落ち着いてドアを閉める。
それでも次に歩き出す頃には、何かに急き立てられたみたいに早足とならざるを得なかった。
向かう先は調理場だ。
メイドたちの行き交う長廊下を用心しつつ駆け抜けて、曲がり角を横すべりしながら曲がってゆく。
食堂から入って厨房へのドアに飛びつくと、モモは両手を使ってノブを回し開扉した。
モモ「はあっ……はあっ……はあっ」
デイジー「モモ、やっと来たのね。
あんたの分も取っておいたのよ」
激しい呼吸をくり返しながら調理場へ踏み入ると、調理台で何かスプーンを使って食べていた3人を見つける。
モモ「デイジー、プロテアさんは?」
プロテア「うん?
アタシゃココだよ、何かあったのかい?」
都合よく横合いからその人が現れて返事をくれたので、モモはすかさずそちらへ向きなおる。
そうして左右のにぎりこぶしに力をこめて、ずっと上のほうにある料理長の顔に向かって懸命に訴えた。
モモ「プロテアさん!
チキンスープ作って!」
プロテア「チキンスープ?
晩ゴハンはスープでいいのかい?」
モモ「ちがうのっ。
今すぐ、作ってほしいの!
ぼくが食べるのじゃなくて、リリィが食べるの、おねがいっ!」
プロテア「リリィ様が?」
デイジー「……?」
こちらの言葉に、料理長だけでなく、見ならいメイドの3人も気になるといった様子でモモをながめ始めた。
モモ「そう、リリィさまに食べてもらうの。
だって、ぼくのお母さんがね、ぼくがカゼをひいた時は、いつもチキンスープ作ってくれたから!
だから、リリィもそれを食べれば、おでこがあついの、きっとなおるから。
…………あっ!!」
口早に言い終えたところで、大事なことに気が付いて声を上げる。
場にいた者が皆、何事かと肩をびくつかせた。
プロテア「ど、どうしたんだい?」
こちらの必死な顔を、小腰をかがめてのぞきこんだ料理長が、ひどく心配そうな声で問いかけてきた。
うっかりしていた。
こんな肝心なことを忘れていたなんて。
モモは自分のふがいなさにみるみる元気を無くして、急に悲しくなって答えた。
モモ「ど、どうしよう……ぼく。
お金、持ってない……」
プロテア「…………え?」
こちらの深刻な顔に、不意を食らったような声をもらす料理長。
モモ「お金、今は持ってないけど……でも、
いつかぜったい、ぜったい持ってくるから!
いっぱいおしごとしてお金もらってくるから、おねがいプロテアさん!
チキンスープ、作って!」
プロテア「…………」
モモは涙目になりながらも懸命にたのみこんだが、プロテアはきょとんとした顔を浮かべるだけだった。
プロテア「ぶっ……、あは、あっはっはっはっは!」
モモ「……っ?」
どういうわけか急にふき出して、反り身になってまで豪快に笑い声を上げる料理長の姿に、今度はモモのほうがびくついてしまう。
プロテア「あっはっはっはっは、はぁー。
お金なんて必要ないよ、面白いコだねぇ。
そうかい、あのコ、風邪引いてたのかい、まだ春先だってのに、すずしいカッコをしてたもんねぇ。
どうりで朝も昼も食べなかったわけだよ」
モモ「……お金、いらない……?」
プロテア「もちろん、いらないよ。
分かった、そういうコトなら、まかせておくれ。
チキンスープだね、すぐに作って、リリィ様のお部屋まで持っていくからね」
モモ「……!
ありがとうプロテアさん!」
たのもしげに胸をたたいて、食材置き場のほうへ向かった料理長に、モモは明るい顔になって礼を告げた。
約束を取りつけ終えて、こちらもすぐさま走り出す。
デイジー「ちょっとモモ、リリィさまの部屋、行くの?」
モモ「ううん、その前にふとんをもらって来なきゃ……」
言い切る前に調理場を飛び出したが、おどろいたことにデイジーたち3人が、背中を包帯で隠したポピーまでも、あとを追って駆けてくる。
みんなはこれから何をするのか理解している顔だったので、モモは何も言わずにそのまま走り続けた。
それから4人は、病人を看護するための支度に方々をめぐった。
ミセス・ウェブスターに運よくはち合い、事情を話してどこから何を持ち出せばいいのかを教えてもらった。
リネン室や作業部屋をおとずれ、ふとんやタオル、水を入れた洗面器等々をかき集める。
そうして荷物をかかえて再び病人の部屋まで帰ってくると、あおむけになってベッドで寝ているリリィを見つけた。
モモはさっそく、その見るからにすずしげな薄い掛け布の上から、調達してきた厚手のかけぶとんをかけた。
リリィ「はぁ……はぁ……な、によ。
出てけって、言ったのに……はぁ」
モモ「しずかにしてなきゃ、ダメ!」
とてもつらそうに起き上がろうとするリリィを、モモが強気な口調で制してベッドに押しもどす。
乱れた寝具を手早くととのえ、両手が空いたところですかさずテーブル周りの物の片付けに取りかかる。
デイジーとポピーが窓を開けてくれたので、甘い香りとほこりっぽさで息苦しかった部屋が大分ましになった。
ブラウスやスカートは簡単にたたんで、ドレスやワンピースなどはジャスミンと2人がかりでやっつけて、ひとまずチェストの中へ。
テーブルの上をふき払い、荷物をそこへ設置する。
都合のよい大きさのタオルを水にひたして軽くしぼり、リリィのひたいにそっと乗せる。
リリィ「はぁ……はぁ……はぁ」
先ほどよりずっと苦しそうに呼吸をくり返す少女を、モモは不安に見つめた。
リリィ「……はぁ、はぁ、ごめん……なさい……」
また寝言だろうか、それとも起きていての言葉なのか、どちらとも判別しにくい声で言うリリィ。
リリィ「……ごめんなさい、まくらなんか投げて、ごめんなさい。
……はぁ……はぁ」
そのセリフを、ポピーはジャスミンとともに床に散らばっていたアクセサリーを拾い上げながら聞いていた。
やがて部屋の片付けが完了すると、見ならいメイドたちはモモを残してすみやかに退室していった。
この間にモモは、機転を利かせてリリィに手袋とくつ下をはかせ、さらに寝巻きをも着せた。
またしばらくして料理長みずからがチキンスープを持ってきてくれたが、リリィは半分しか食べられなかった。
2人きりになってからは、モモはリリィにずっと付きっきりで、彼女の看病を続けた。
ぬれタオルをしぼりなおし、寝返りによって乱れたふとんを正し、片時も目を離さずに、懸命に彼女の世話をしたのだった。
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