第2話〔2〕根付きの子
初仕事といっても、モモがまかされたことといえば荷運びやぞうきんがけくらいのもので、何もむずかしいことはなかった。
目立った失敗もなくこの日を終え、彼女は他の3人の見ならいメイドたちと同じ部屋で眠りについた。
相部屋で、しかも二段ベッドで寝るなんてことも、モモにとっては初めての体験だ。
目がさえて寝付けそうにないと思われた夜も、心地よい疲労感から案外すぐにまどろむことができた。
翌日を難なくこなし、そのまた次の日となって、いよいよリリィという人物がやって来る段になった。
この日ばかりは老いも若いもみんなそわそわした様子で、朝も早くから客を迎え入れる準備にいそしんでいた。
ルナ「モモ~、コレご主人サマの部屋まで届けてきてにゃ」
モモ「わかった」
作業部屋の前を通りかかった時、モモは部屋から出てきたルナに呼び止められた。
言い付かって彼女から受け取ったのは、何さつかの新聞と何通かの手紙のたば。
見ならいメイド3日目にしてこれはなかなかの大役なのではないか、などと勝手に思いこんでモモは、それらをとても大事に両手にかかえ、ひとつたりとも落とさぬように、しかし急きこみがちに廊下を行った。
まるで重要な使命でも帯びているような気でいたが、実際のところはアステルに会う口実ができて少しうれしかったのだ。
というのも、彼の手を離れてからは、彼とほとんど言葉も交わせずにいたから。
昨日などは、馬車に乗って出かけてゆく姿を一目見ただけだ。
あれからずっと今の今まで会えずにいるのだから、胸の高鳴りらしきに急かされて知らず知らず足早となってしまうのも、仕方のないことだった。
やがて城主の部屋の前まで到着し、乱れぎみな呼吸を整える。
荷物を片腕にかかえ直して、教わった通りにノックというものをしてみる。
【コツン、コツン】
声『……どうぞ』
彼の声を待ってから慣れぬ手つきでノブを回す。
なかなか重厚なドアを小さな肩まで使って半分まで開けたところで、大人の手が伸びてきた。
アステル「モモだったのか、ご苦労さま」
あるじが荷を取り上げてくれたので、モモはドアを開けきることに集注できた。
持ち上げられてゆく新聞に見た顔があったので、思わず。
モモ「あっ、オオカミさん!」
アステル「……ん?」
こちらがそれを指さすと、持っていた物ごと裏返して記事を確かめるアステル。
そこにはオオカミの亜人の白黒の写真が載っていたのだった。
アステル「ああ、これはオオカミベーカリー&カフェのオオカミさんじゃないよ。
どこか別の街のオオカミさんだ。
うん、どうやら街なかで急に野性化して暴れてしまったらしい。
ケガをした人や死んだ人もいるみたいだね」
彼が記事を読み下している間に、モモは後ろ手にゆっくりとドアを閉めた。
モモ「やせー化?」
アステル「亜人の……その、つまり……人間ではない部分が急にコントロールできなくなって、周りの人を襲ったりすることがあって、問題になってるんだ」
モモ「パンのオオカミさんも?」
アステル「いいや、あの人は大丈夫だよ」
調子に乗ってついつい質問ぜめをしてしまったが、それでも主人の最後の即答に、納得しきれず考えこむモモ。
着替えの途中らしかったアステルは、受け取った物をテーブルの上へ置きまとめ、鏡に向かってスカーフカラーを結び始めて返答を続ける。
アステル「オオカミさんも、ルナも、見習いの子どもたちも、亜人なら誰でもこういうことが起こってしまう可能性があるんだよ。
でも怖がることはない。
食事のとり方や精神的なケアやお薬によってある程度コントロールできるし、電磁波を利用した治療法も確立しつつあるからね。
それに、野性化する時は必ず前兆というのがある。
例えば、気分が悪くなったり、体形が変わったりするんだ。
大切なのは、正しい知識を手に入れて、充分な準備をすること。
そして、この城にはその充分な準備がととのっている。
だから大丈夫、安心して」
モモ「……うん」
結び上がったスカーフカラーを鏡で確認して、彼が笑顔をよこしたので、こちらも笑顔になってうなずき返した。
亜人という言葉自体は少なからず耳にしたことがあったが、その実態のところは正直ほとんど知らなかった。
それほど多くの亜人と知り合ってきたわけではないモモにとっては、今の話もピンと来ていない部分のほうが多い。
そういった理由で、モモはいつか自分もやせー化をして、他人を傷付けてしまうのではないかとまで思いおよんで少し心配になった。
そういえば、自分が体調を崩した時などは、母がよく特製スープを作ってくれたものだ。
まだ家にいた頃の遠い記憶をふと呼び起こして、あの時やせー化しなくて本当によかったとさえ思って胸をなで下ろすモモであった。
来客の用意が大詰めを迎え、リリィという少女がほろ付きのガソリン車に乗ってこの城にやって来たのは、正午になる少し前だった。
モモは前庭に面した廊下の窓からその到着の様子をながめていたのだが、開かれた表門の向こうに停車したオートモービルを取り囲む、出迎え役の者たちが何やら作業を始め、けっこうな大仕事となっているようだった。
車の後部にくくり付けられていたものを3人がかりで取り外し、運転手と城のメイドたちが手伝って少女をそれへ移し替えていた。
どうやら少女は、足が悪いらしい。
役目を終えた運転手が再び車にもどって走り去ってゆくと、あとには車イスに乗った白い服の彼女だけが残されていた。
その車イスを手押しする役を担ったのは、ルナだ。
大きな荷物などは昨日のうちにすでに運びこまれてあったので、他のメイドたちが引き受けた少女の手荷物はごく小量だった。
数人のメイドにかいがいしく付き添われて前庭をやって来る少女の姿を見とどけると、モモは自分も出迎えに加わるべきではないかと思い立って玄関ホールへと向かった。
デイジー「モモ、ここからならよく見れるのよ」
吹き抜けになった広間の2階部分にたどり着くと、早くも隅のほうを陣取っていた見ならいメイドの3人を見つけた。
玄関口をななめ横から見下ろせる手すりのすき間に、しゃがみこむかっこうで顔を引っ付ける彼女らの隣へ、小走りですべりこむモモ。
他のメイドたちも、2人3人連れ立ってそれぞれの場所で物見を始めている。
ポピー「もう来る~?」
ジャスミン「き……来た……」
やがて玄関の大扉がゆっくりと開かれた。
ルナに手押しされて、車イスの少女が現れる。
赤むらさき色の髪をピンク色のリボンで一つ結びにした、飾り気ありげな女の子。
沈んだ輝きの深みどり色の瞳は、つぶらながら挑みかかってきそうな目つき。
緊張のためか眉間にしわが一本浮かんで、ここから見ると何か怒ってでもいるような面持ちだ。
真っ白のカジュアルドレスは、高価そうでいて車イスに座って収まるくらいには長々しくはない丈。
ひじ掛けをぎゅっとにぎりつける左右の手は、肩口まである黒手袋がはめられ、スカートのすそとピンクのカッターシューズとの間にのぞく足も、黒いくつ下が白い肌を隠していた。
少女がホールの中央まで入ってきた所でひとまず止まって、館の中をぐるりと見回す。
こちらとも一瞬だけ目が合ったが、どうにも苦手なまなざしだ。
最後にふてぶてしい態度で、気に入らないと言いたげにその少女がフンッと鼻息をひとつ飛ばしたのを、モモは見逃さなかった。
アステル「やあ、リリィ」
リリィ「はっ……!」
それがどうだろう、一階の奥向きからやって来たアステルを認めるやいなや、ころりと笑顔になって彼女はそのまま立ち上がってしまったのだ。
リリィ「お兄さまっ!」
アステル「あぶない……っ」
勢いあまって飛び上がりそうになった少女を、すばやく3歩駆け寄って抱き止めるアステル。
足板を踏み出したために車イスがぎしりと暴れ、ルナをしたたかおどろかせた。
リリィ「アステルお兄さま!
この日が来るのを、ずっと待っておりました。
ああ、うれしい……とても」
アステル「大きく……なったね。
私ではもう、かかえられないよ、ふふふ。
いらっしゃい、かわいいリリィ……」
彼女の突然の行動は、モモをも、そしておそらく他のメイドたちをもおどろかせた。
リリィ「リリィを、あの家から救い出してくださったこと、ホントに感謝しています。
ああ……お兄さまと一緒に暮らせるなんて、夢のようだわ。
ありがとう……」
少女はさらに、アステルにキスをしようとしたが、身長差があったおかげでその唇は彼の唇までとどかず、せいぜい首すじに触れるのがせいいっぱいだったようだ。
アステル「さあ、君の部屋に案内しよう、車イスにもどって。
ルナ、私が代わろう」
ルナ「にゃ……」
少女を車イスに座らせて、ルナの代わりに手押しハンドルをみずからにぎるアステル。
急に明るくなった少女を取り囲んで、アステルたちの一団は、廊下の奥のほうを目指して移動を開始した。
立ち上がれるくらい足が何ともないのに、どうして車イスなんかに乗っているのだろう。
かき
リリィという少女に悪い印象を持ったのはモモだけではなかったようで、それが証拠に彼女とアステルの話し声が充分に消えてからは、ホールじゅうが悪口らしい声でかすかに騒々しくなった。
「なぁに?
あの子、かわいいこぶっちゃってさ」
「いるよねー、ああいう感じで気を引こうとする子」
「いくらアステル様の親族だからって、甘えすぎなんじゃないの?」
みんなは一応小声にとどめてはいたが、それでもしっかりと聞き取れる程度の声で口々にリリィをののしっていた。
ジャスミン「…………」
モモ「…………」
モモは隣のジャスミンと期待外れ顔で見交わして陰口のひとつもたたいてやろうとしたが、こんな時につぶやくべき言葉はあいにくと持ち合わせておらず、結局だまりこむしかなかった。
ポピー「ふゎぁ~、行ったぁ~?」
それまでうつむいていたらしいポピーが、とても眠たそうに顔を上げて片目をこすりつつ言ったので、モモはとうとう何も言えずじまいで、せいぜい短いため息を吐き出しておくのがせきの山だった。
デイジー「ポピー、お昼寝はごはん食べてからなのよ」
今にも夢の中へ旅立ってしまいそうな年少のポピーに気付いたデイジーが、彼女を食堂まで送りとどけようと立ち上がる。
飛べない羽根が垂れ下がった背中に手を回し、かいがいしく連れ立って階段を降り始める年中のデイジー。
来訪者に興味が失せると、モモも立ち上がって3人と一緒に食堂へ向かうことにした。
そのキレイな4枚の羽根を見て、ふと思い出したのは朝のアステルの言葉だ。
ポピーもデイジーも、あるいはジャスミンも、いつかやせー化をして人を襲ったりするのだろうか。
こんなに大人しそうな3人なのに、本当にそんなことがあるのだろうか。
モモはどうにも納得しきれず、考えれば考えるほど心がしおれてきそうになったので、こんな議論は早々に切り上げて今日のお昼ごはんのこんだてを予想することに注力しようと試みた。
広間の正面の壁ぎわに設置された大きな振り子時計が、正午の鐘を打ち始めたところだった。
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