第1話〔2〕若木と老い木
メルヴィル城を出て、ローレル山脈を右手に眺めつつほど無く行くと、長大な
ここヒースブルグの大半を治める、スターチス・オルブライト公爵の領地だ。
わだちの刻まれた石畳が森林地帯を抜け切ると、簡素な小屋が無秩序に居並ぶ貧民区にさしかかる。
急速にさかえる街には方々から人が集まってくるために、増え過ぎて中に収まり切れなくなった貧しい者たちが、こうして市壁の外にスラムを形成しているのだった。
アステル「前の戦争の影響か、難民は増える一方だね……」
ニア「ここはオルブライト様が正しく治めていらっしゃいますから、皆、公爵をたよってやって来るのでございましょう」
外をながめて憂鬱そうにあるじが言ったので、ニアは訪問先を話題にのぼせて返事をした。
沿道に、人の子と混じってキツネやクマの頭をした亜人の子たちが、あまりきれいとは言えない服を着て遊び回っていた。
ふと、立ち木の影にいた一人の男の子らしき者と目が合った。
ボタンのとれたチョッキも、サスペンダーで吊るしたズボンも汚れがひどく、土まみれのキャスケットを目深にかぶって、こちらをにらみつけるような印象深い真っ赤な瞳だったが、おそらく人の子であろう。
もしかすると、主人のほうを見ていたのかもしれなかったが、それ以上のことを見分ける前に車窓の端へ消えていった。
ここを通る時、主人はいつも沈みがちな顔になる。
たとえすでに何人ものスラム出身者を、みずからの城に見習いメイドとして迎え入れ、立派なメイドに育て上げた実績があったとしても、それは今でも変わらなかった。
先の戦争が落とした影が、いっそう彼の心を暗くしていることを、常にそばにいるニアが一番よく感じているのだった。
やがて馬車は開け放ちの市門をくぐり入って、街の中流区へとやって来る。
市壁の中の道はしっかり舗装されてあり、荷車や駅馬車や蒸気自動車などといった乗り物が多く行き交っていた。
人々の身なりもいくぶん小ぎれいで、外のすさんでいた光景がまるでうそのようだ。
大橋の手前の、河ぞいにあるオオカミベーカリー&カフェの前を通過する時、オオカミ頭をしたエプロン姿の店主と、垂れたウサギ耳の店員がこちらを見つけて軽く会釈をしてきた。
アステル「帰りに寄ってみよう」
ニア「かしこまりました」
そうつぶやいてあるじが、窓の外へほほ笑みを返したので、ニアも同様に窓の外へ会釈を返した。
大橋を渡り、どっしりとしたレンガ造りの屋敷が連なる富裕区を進む。
中でもひときわ大きく、街の奥の広大な土地にそびえる石造りの屋敷が、今回の目的地だった。
領主スターチス・オルブライト公爵の邸宅だ。
重厚で屈強で荘厳な建物は、大小合わせて
その向こう側に飛行場をも設置されていたはずなので、見た目よりもまだ広大だった。
たどり着くと表門から進入し、来客用の玄関口の前まで馬車を走らせる。
一人のメイドがおじぎをして出迎えていた。
御者が馬をくり、馬車がゆっくり停まると、アステルを先頭にして2人は降車した。
アステル「やあ、カトレア」
カトレア「アステル様、ニア様、お待ちしておりました」
カトレアがここに勤め始めて2年になるだろうか、彼女もかつてはメルヴィル家で見習いメイドをしていた。
薄赤むらさき色の短髪に、ニアと同じ深い青の瞳。
角度のきつい目つきながら笑うとかわいいのに、笑うのは苦手と言っていた。
ニアとアステルほどの長身で、二十歳を過ぎてなまめかしげな体形に大人の魅力が感じられる。
そのカトレアに案内されて、2人は屋敷の中へと入っていった。
カトレア「あるじは今、アレンビー子爵と面会中でございます。
こちらでございます」
おもむきのある
【コンコン……】
カトレア「カトレアでございます」
声『入りたまえ』
彼女が上品にドアをノックすると、中から公爵らしき声がした。
カトレア「メルヴィル様をお連れいたしました」
オルブライト「おお、アステル君、よく来てくれたな、入ってくれ」
彼女がおじぎをしつつ脇へひかえたので、アステルとニアはすみやかに入室した。
ニアの背後でカトレアが静かにドアを閉めると、アステルは公爵の差し出した手を受け止めに進み出た。
アステル「お久しぶりです、閣下」
オルブライト「ああ、久しぶりだな、まあかけてくれたまえ。
2人とも元気そうじゃないか」
アステル「ありがとうございます」
主人が握手を交わした相手、オルブライト公爵もまた、人の形を成してはいなかった。
つんと立ち上がった2つの耳、大きく突き出た鼻と口、その頭部は、人間味のある狼犬だったのだ。
体毛はふさふさのしっぽの先まで青みがかった灰色だったが、ひたいにかかる頭髪とほどよくたくわえられたあごひげの部分には、初老の色がうかがえる。
かんろくのある瞳は赤、みけんに走ったななめの傷あとは、先の戦争で負ったもの。
それが陸軍の軍装を着て、2mを越える上背で立っていたので、彼の穏やかな人柄を知らぬ者は、ことごとく怪物か何かと勘違いするだろう。
人狼、スターチス・オルブライト公爵は、領主であり、そして陸軍将官でもあった。
男「これはこれは、メルヴィル家のご当主さま。
聞いてはいましたが、まさかこれほど若いとは……」
オルブライト「紹介しよう、ナーシサス・アレンビー子爵殿だ」
アレンビー「初めまして、アステル・メルヴィル子爵どの……。
フヒヒッ」
かたわらのアームソファに座っていた男性は、あまり気のないあいさつに、まるでしゃっくりのような奇妙な薄ら笑いを付け加えて言った。
公爵とは違うデザインの軍服を着ていて、余裕ありげに組んだ脚の長さを見ても、そこそこの長身であろうことがうかがえる。
壮年期を間近にひかえた若者のようではありながら、背中まである長髪は驚くほど白い。
目ぶちの黒い
アステル「初めまして、ナーシサス・アレンビー子爵。
アレンビー家といえば東方の地を治める名家でしたか、私の思い違いでなければ……」
アレンビー「いや、そのとおりです、メルヴィルどの。
遠くからではあるが、キミの城も、キミの臣下が複葉機を2機飛ばしている姿も、ボクの所から見えますよ、フヒヒッ」
アステルが差し出した手を、アレンビーはつかもうとしなかった。
彼はそればかりか、聞いてもいないことまでしゃべり出し、おかげでニアのあるじは
生まれつきなのか常に困ったような笑顔を浮かべるアレンビーを、おうへいで無粋な男だとニアは思った。
アステルが下手側にあったもう一つのアームソファに腰かけ、ニアがそのかたわらへ立つと、カトレアがテーブルの銀盆にかがみこむ。
カトレア「ただいま、新しいお茶をお持ちいたします」
無駄のない動作でテーブルの上のものをさげたカトレアは、そのまま静かにドアを開け閉めして退室していった。
オルブライト「アステル君は実に優秀なメイドをあずけてくれる。
もう30人ほど世話になったかな、彼女もアステル君の紹介だったのだよ」
執務机のへりに尻を乗せ、毛におおわれた大きな手で、ドアのほうを指し示して公爵が言う。
もう一方の手は、腰にはいた豪華なこしらえの軍刀の柄頭に置き所が定められていた。
アステル「もしかして、何かお話の邪魔をしてしまったのではないでしょうか?」
オルブライト「いやいやいや、話というほどのことではないよ。
彼はあいさつに寄ってくれたのだ、飛行隊設立の任を受けてな」
アレンビー「そのとおりなのです、実はボク、ナーシサス・アレンビーはこのほど結成された空軍部隊の大尉に任命されたのですよ。
その上で、飛行部隊を編成し、領空防衛線をすみやかに構築せよと、クイーン・ローザ直々のお達しなのでして。
……まあ、実際に命を受けたのは、ボクの上官でもある父君なのですが、フヒヒッ」
アステル「では、大尉は飛行機乗りということでしょうか?」
アレンビー「ああ、そのとおりです。
ここへも単葉機で参った次第で、オートモービルで6時間かかる距離もひとっ飛びですよ。
いやぁ、それにしても公爵の飛行場は広々としていてとても良い」
オルブライト「はっはっは、世辞を言っても解放はできんよ。
そもそも飛行船の発着場として設置したにすぎん土地だ、飛行場といっても要はただの原っぱだからな。
それに、君はあまり我々のことをこころよく思ってはおらんそうじゃないか。
獣人の私にたのみごとをするなど、君にとっても気の進まない話ではないのかね?」
底意も開けっ広げに言うアレンビーを、公爵は腕を組んでいかにも乗り気なげにあしらっていた。
話の内容から察するに、どうやらアレンビーはここオルブライト家の飛行場を、軍事基地として解放するよう公爵に迫っているようだ。
アレンビー「おやおや、心外ですねぇ。
違いますよ、違います、公爵は勘違いをされている。
確かにボクは“純血派”ということになりますがね。
しかしだからといって、“亜人たちをこの世から消してしまえ!”と声高に主張している過激派とは違いますよ。
別に亜人の存在を否定したりはしません、ボクはただ、純粋な人間こそが全ての種族の
どのような種族も、人間がベースになっているわけですしね。
だからこそ純粋な人間であるボクは、ボク自身の力で成功をおさめ、亜人たちを打ち負かすことが使命だと思っているのですよ」
アステル「なるほど、それは立派な考えですね」
アレンビー「なにをおっしゃいます、メルヴィル殿。
ボクよりキミのほうがずっと立派だと、ボクは思っているのに……。
聞けば、母君の代からもう千人以上も亜人のメイドを輩出されているそうではないですか。
危険で野蛮な亜人を調教して人並み以上の仕事をこなす労働力として貴族の方々に売りさばく。
それを人間であるキミがやっているのだから、純血冥利に尽きるというものでしょう……フヒヒッ」
オルブライト「アレンビー君、言いすぎであろう……」
アレンビーという男の見過ごしがたい発言に、ニアが今にも振り上げそうな自分の手を強くにぎりつけて制すると同時に、公爵がにらみをきかせてアレンビーのそれ以上の放言を制止してくれた。
アステル「まあ、確かに一部で私は“ぜげん”や“奴隷商人”などと陰口をたたかれているようではありますが……」
対して主人のほうは、まるで意に介していない様子で答える。
アステル「私はみんなを、奴隷や売り物と思ったことなど一度もありません。
言うなれば、私と彼女たちは、王と臣下、社長と社員、師と弟子、教師と生徒といった関係に似ている。
主従とは本来、そういうものだと思っています。
アレンビー子爵、貴方も、女王陛下という、従うにあたいするあるじに、従っている兵士ではありませんか?」
アレンビー「……ふむ、なるほど」
アステルの言葉に、明らかに面白くないといった面持ちでうなずいたアレンビー。
オルブライト「ともかく、アステル君を侮辱することは許さんぞ、たとえ君にその気がなくてもなアレンビー君。
飛行場には今のところ、滑走路を敷く予定はない。
今日のところは帰ってくれたまえ」
アレンビー「……いいでしょう。
今日はもともと、あいさつに来ただけですしね」
威圧ぎみになって公爵がさとすと、アレンビーはあきらめのついたように再び困った笑い顔になって席を立った。
アレンビー「ですが、これだけははっきりお伝えしなければなりません。
次に戦争が起これば、戦場は確実に空へと移行するでしょう。
銃や爆弾を持って地を這う陸軍はもはや主役ではなくなるのです。
そうなれば、否応なしに空軍の助けが必要になる。
領地を失ってからでは遅いのですよ。
それではまた来ます……フヒヒッ」
たたみかけるように言って、最後にずいぶんと得意げな声音になっていとまを告げると、彼は部屋の戸口へ向かってゆく。
【コンコン……】
アレンビーがドアのノブに手をかける直前に誰かが向こうからノックをして来た。
そのまま彼がドアを開けてみると、ティーセットの乗った銀盆を持ったカトレアがそこに立っていた。
カトレア「アレンビー様、お帰りですか?」
アレンビー「ああ、おいしいお茶をありがとう。
見送りは遠慮しますよ」
進路をゆずった彼女をすっと
両手のふさがったカトレアのために、彼女が入室したあとでニアがドアを閉める役を担う。
新しく
香りたつ茶の注がれたティーカップが配され、双方のメイドがそれぞれ邪魔にならぬ位置にひかえると、それまでアレンビーが使っていたアームソファへ深く腰をおろして話し始める公爵。
オルブライト「さてそれでは、商談に入ろう。
先に連絡したとおり、屋敷の増築が完了したのでな、また10人ほど使用人をたのみたいのだ」
アステル「いつもありがとうございます」
それから2人は、必要とする使用人の職種や派遣する時期等々をことこまかに話し合った。
いくらかの談笑をはさみつつ、商談がまとまるともう、正午の鐘が鳴っていた。
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