小説 花乙女たちの帝園

ひうぜ

◆第1話 メルヴィル家の帝園

第1話〔1〕── 序 ──

 

  

 

 

 花咲きめる早春の、すがやかな朝。

 

 遠くのほうで時計塔が時を告げ、単葉機が一機、プロペラの音を響かせて澄んだ青空を横切ってゆく。

 

うららかな陽に照らし出され、レンガ造りの家々が立ち並ぶ向こうの街の姿をも、この大きな窓からのぞむことができる。

 

 高台にあって雄大な山脈を背びょうぶにして立つ、メルヴィル家の居城。

 

その一室で、現当主アステルを幼い見習いメイドたちが囲んで、彼に身支度をほどこしている最中だった。

 

 

ニア「1分経過……」

 

 

 手前にひかえて少女らを監督するのは、懐中時計を手にした見習いではないメイドのニア。

 

長身でいて細身、わた雪のようにすべらかでいて健康的な色みの肌。

 

長いスカート丈のエプロンドレス、レースをあしらったホワイトブリムに、白いサテンのロンググローブ。

 

首すじまでの髪は薄むらさき色をしてつややか。

 

アンダーリムのスクエアグラスからのぞく深い青の瞳が、しとやかな母親のようにゆかしく輝く。

 

 豊かな胸の胸もとに結ばれた紫の飾りヒモは、ただ主人のみにつかえる専属メイドである印だった。

 

 

ニア「2分経過……」

 

 

 彼女が時計の針を目の端で確かめて声を発する。

 

四角いスツールにじっと座った青年の周りでいそいそと動き回る3人の見習いメイドたちが、いっそういそいそと動きを早める。

 

 しかし、あるじに着替えをほどこす少女らは、完全には人の姿をしていなかった。

 

 

ジャスミン「アステルさま、う……上をお向きください」

 

 

 豚の耳をしたハーフオーク族の少女は、シャツのスカーフカラーを結ぶのに懸命で、主人にキスをしてしまいそうな勢い。

 

 

デイジー「ジャスミン、ふんでるのよっ」

 

 

 小さな角がひたいに2つ、ゴブリン族の少女は、スカートのフリルを踏まれながらズボンの用意。

 

 

ポピー「アステルさま~、おぐしをおなおしいたします~」

 

 

 透明の、飛べない羽根を背中に生やしたピクシー族の少女は、とても眠たそうな顔をして主人の後ろからくしを当てる。

 

つまり少女たちは、皆いずれかの亜人ということだった。

 

 

ニア「3分経過……」

 

 

 シャツがあらかた片付いて主人が立ち上がると、少女たちは踏み台がなければ彼の肩にも手が届かないほどの身長差となる。

 

ズボンをはかせてベルトをしめ、ベストとジャケットを羽織らせて、最後におのおのほこりを払うと、青年は紳士らしい立派な出で立ちとなった。

 

 アステル・メルヴィル子爵。

 

 暗紫色の髪は両耳を隠す程度の長さ、漆黒の瞳はおだやかな輝きをたたえ、目もとも口もとも大人らしい落ち着きとすずやかさを有している。

 

亜人ではなく人であり、細作りの体と顔は血色もよく、堂々とした立ち姿。

 

 17歳という若さで彼は、この城のあるじだった。

 

 

ルナ「にゃ~~~~♪」

 

 

 天蓋てんがい付きのベッドでネコのように丸寝をしていたネコ耳メイドのルナが、南側にある大窓に向かって大あくびをすませたところで、着替えが終了。

 

 

ニア「3分50秒、まずまずね。

あまり時間をかけてしまってはご主人さまがお風邪を召されてしまいます。

さらに早くできるよう、次もがんばりましょうね」

 

 

少女たち「は──い!」

 

 

 ニアが懐中時計を懐中へ仕舞いながら教師めかして言うと、あるじの脇に整列した3人の見習いメイドたちは、気を付けの姿勢で元気よく返事をした。

 

 

ニア「では、午前のお仕事を始めてちょうだい」

 

 

少女たち「は──い♪」

 

 

 ドアの前から退しりぞきつつニアがうながすと、再び元気よく返事をして部屋を出てゆく少女たち。

 

退室する際も3人きれいに列を作って、しずしずとした足取りを崩さないのは、教育係の苦労のたまものだ。

 

 

少女たち「しつれいしました」

 

 

【カチャン……】

 

 かわいらしい3人の声とともにドアが閉められると、途端にこらえきれずあふれ出た笑い声と活発な足音が遠ざかってゆく。

 

 

アステル「ふふふ……♪」

 

 

 幼さゆえの詰めの甘さに、仕方もないといった様子でニアはアステルと苦笑いを浮かべ合った。

 

 

ルナ「にゃぁぁ……っ」

 

 

 静かになった室内で、ネコメイドだけがふかふかの布団の上で気持ちよさそうに伸びをしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 例えるならば、20世紀初頭のヨーロッパ。

 

 産業革命を経て巨大に成長した“大帝皇国だいていこうこく”は、事実上、世界のおよそ半分を支配するに至った。

 

交信は手紙と電話によって行われ、

馬車とオートモービルが同じ道に行き交い、

蒸気船と蒸気機関車が街々を結び、

レシプロ飛行機の登場で大空をも手に入れようとしていた時代。

 

 ただし、世界は人のみではなかった。

 

 ネコの耳やしっぽを生やした者、

犬の頭をした者、

何か動物の特徴を持って生まれた者から、

エルフやハーフリング、ピクシー、ゴブリン、

果ては幻の獣の化身といった者まで。

 

太古より亜人と呼ばれる存在が、人類とともに歴史を築いてきたのだった。

 

 これは、亜人をメイドとして教育し、貴族たちに派遣することをなりわいとするメルヴィル家の当主、アステル・メルヴィル子爵と、その居城メルヴィル城に暮らす花乙女たちの物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 城の表門に、2頭立ての箱馬車が差し回された。

 

御者をつとめる女性も、鎧を着けたヒョウ顔の亜人。

 

10人ほどの城仕しろづかえのメイドが立ち並ぶ中、ニアはアステルに続いて馬車へ乗り込んだ。

 

 

メイドたち「いってらっしゃいませ、ご主人さま」

 

 

ルナ「いってらっしゃいにゃ~♪」

 

 

 他のメイドたちが深々とおじぎをし、ネコ耳メイドのルナが満面の笑みでひらひらと手を振った。

 

ニアの向かいのアステルが、楽しげな面持ちになって車窓越しに彼女らへうなずいてみせる。

 

 

御者「ヤッ!」

 

 

 御者が軽くむちを入れる声がすると、馬車は街へと続く石畳の道をゆっくりと進み始めた。

 

 

 

 

 

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