第6話〔8〕芽ぐむ季節

 

 

 

 

 

 翌日の新聞で東方の空軍基地が壊滅したことが報じられた。

 

3日後の新聞でなぞの巨竜の話が取りざたされ、

10日後の新聞でアレンビー家が取りつぶされることが明らかとなった。

 

ナーシサス・アレンビーが功名心にかられて無実のメルヴィル家を爆撃するという暴挙が露見したためだ。

 

彼はどうやら生きていて、軍法会議にかけられたらしいが、その後どうなったのかまでは知らされなかった。

 

 空爆を受けたメルヴィル城のほうは相当に手ひどくやられていて、修繕が完了するのに数年はかかるだろうという話だ。

 

負傷者は少なくなかったが、死者が出なかったのは幸いであった。

 

 一度は亜人に変異したリリィも、完全とはいかないまでも人の姿で帰還を遂げていた。

 

彼女は2ヵ月の療養期間を終えて、充分健康と言える状態まで回復したのだ。

 

 心配なのはアステルだ。

 

あの満月の夜、リリィをかかえてメルヴィル城へ帰り着いた彼は凍死しかけていて、その直後に意識不明となった。

 

城仕えのメイドたちは、あるじを死なせまいと懸命に看護にあたったが、結局パレンバーグ伯爵の持つ施設への長期入院を余儀なくされた。

 

ジーンデコーダーの反射光を浴び続けたために、彼の体は相当のダメージを負ってもいたのだ。

 

あるじが遠くに行ってしまうことに皆が不安がったが、先生を信じて任せるしかない。

 

 こうしてメルヴィル城は、この年の冬を城主のいない状態で越えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 モモはその日の朝早く、ベッドを起き出してエプロンドレスに着替え、城の前庭へひとり向かった。

 

今日はかなりあたたかいので、夏用のメイド服でも快適だ。

 

胸もとにあるリボンがたまご色に変わり、彼女は見習いメイドの“年中”になっていた。

 

 居館の通用口から出て様々の春花が咲きにおう前庭に着く。

 

じょうろで早朝の水やりをしていたアイビーに適当な花をもらえないかと問いかけたところ、香りのよいものを数本手折たおって渡してくれた。

 

 礼を言ってその場をあとにし、モモは次の目的地を目指す。

 

居館をぐるりと回りこんでゆくと、途中でニアと行き合った。

 

 

ニア「あら、モモ。

あなたも来たの?」

 

 

モモ「うん…………ニアは?」

 

 

ニア「ええ、わたくしは

 

 

モモ「……アステルさまの、お父さんとお母さん?」

 

 

ニア「ええ、そうよ」

 

 

 ニアも、白い花を2輪、とても大事そうに両手で持っていた。

 

彼女も、目的地は同じのようだった。

 

 ふと、ニアがこちらを振り向いて立ち止まったので、モモは何か用事でも言い付けられるのではないかと思って立ち止まった。

 

 

ニア「モモ、背が伸びたんじゃない?」

 

 

モモ「うん、ベッドのはしっこに足がとどくようになった」

 

 

ニア「そう、もう11歳だものね」

 

 

 そこまで話すと、ニアは物思いにふけっている顔でモモの目の奥のほうを見つめてきた。

 

言ったあとで、“11歳”とだけ、彼女はくちびるをかすかに動かしていた。

 

 少しの間をおいて、2人は再び歩き出す。

 

 

ニア「今度、身長を測ってみましょう。

ベッドも替え時みたいだしね」

 

 

モモ「うん……」

 

 

 ニアがどこかうれしそうに提案したので、モモはあまり得意げに見られないようひかえめにうなずいて彼女のあとについていった。

 

 

ニア「あなたも、お母様の所ね?」

 

 

モモ「うん」

 

 

 到着したのはメルヴィル城の一画にある墓地。

 

木格子の白い柵に囲まれた芝生張りの共同墓地だ。

 

ニアを先頭にして踏み入ると、2人はいくつもの墓碑が整然と並ぶ中を奥へと進んでいった。

 

 城壁側に寄り添うように立つ2つの碑が、アステルの両親のものだった。

 

ニアが墓前に花を手向たむけ、もろひざをついて十字を切ってからこうべを垂れる。

 

モモは物慣れぬ動作ではあったがニアにならってそれらを行い、2人いっしょに祈りを捧げた。

 

 アステルの両親の話はほとんど聞かなかったが、ニアはずいぶん長い間“黙祷”していた。

 

 そこでのことを終えると、ニアはモモのほうの母の墓までついて来てくれた。

 

モモは持ってきた花を全て墓前に供え、先ほどと同じ手順でともにお参りをした。

 

 この碑の下にモモの母が眠っている。

 

彼女がまだ生きていたら、今の自分をどう思うだろうと、モモは墓前にひざまずいたまま静かに亡き母をしのんでいた。

 

 ここに来て一年。

 

背も伸びたし、字もたくさん書けるようになったし、いろいろなことができるようになった。

 

アステルや城のみんなの役に立てるよう、せいいっぱいメイドの仕事をこなしている自分を、母はほめてくれるだろうか。

 

まだ低い位置にある太陽の光を受けて、墓石はただひっそりと輝くだけだった。

 

 そうして墓参りを終え、2人は墓地をあとにした。

 

居館に入ってニアと別れ、モモはみんなの部屋を目指して廊下を行った。

 

 

ルナ「モモ~、ほらコレ」

 

 

モモ「ハッ……持っていくの?」

 

 

 作業部屋の前を通りかかった時、中から出てきたルナに呼び止められた。

 

彼女がさし出してきたのは、新聞と手紙のたば。

 

あの日以来、ずっと中断していた城主へのとどけ物だった。

 

 

ルナ「予定では今日、お帰りになるそうだにゃ。

まあ、あくまで予定だけどにゃ」

 

 

モモ「うん……今日だといいな……」

 

 

 実は、パレンバーグ先生の所へ行ったアステルは、始めリリィと同じ2ヵ月で退院する予定だった。

 

しかし容態がかんばしくないらしく、それは果たされていなかった。

 

その後もたびたび退院の話が持ち上がるのだが、結局毎回当日になって先伸ばしという事態になってしまうのだった。

 

 あの夜、ニアの乗った複葉機が飛行場にもどってきた。

 

彼女はあわてた様子で間もなくアステルたちもお帰りになるという知らせをメルヴィル城にもたらした。

 

そこでモモたちは、地下室でそれまで行っていた作業をやめ、ぬい上がった分の毛布をみんなで持ち出し、飛行場へ急いだ。

 

力尽きつつあるらしい竜を、それで受け止めようとしたのだ。

 

 かがり火がたかれ、ヒース代わりの毛布をやわらかく積もった雪の上に設置して、彼らを待った。

 

モモはたいまつをかかえて先頭に立った。

 

 しばらくして、高空たかぞらに奇妙な光がきらめき、夜空からが降ってきた。

 

夜やみにまぎれそうなくらい深い紫色をした星形の花だった。

 

 モモは他の誰よりも先にそれがアステルの開いたパラシュートだということに気付いた。

 

モモは懸命にたいまつを振り、声をはげまして彼の名を呼んだ。

 

そうして血まみれのリリィをかかえたアステルは、何とか毛布の上に着地して一命を取りとめたのだった。

 

 彼もリリィも、とても危ない状態だった。

 

すぐさま城仕えのメイドたちにかかえられて城内へと運ばれていったが、モモが見たアステルの姿は、それが最後だ。

 

城主がかつぎこまれた医務室は立ち入り禁止となり、2日後にはパレンバーグ先生の医療施設へ移されたのだから。

 

 結局、それっきりだった。

 

 

ルナ「きっと大丈夫にゃ」

 

 

 とどけ物を受け取って、不安な顔になるモモに、ルナが言った。

 

 

ルナ「先生がおっしゃってたにゃ。

アステルサマはもうずいぶん回復されたって。

だから、今日は期待できるのにゃ♪」

 

 

モモ「うん……」

 

 

 モモはこちらに気づかって力説するルナに笑みを返しておいて、長廊下を歩き出した。

 

城主の部屋へ向かう足取りは、軽かった。

 

 

リリィ「モモ」

 

 

モモ「リリィさま」

 

 

 階段の上がり口で、モモは呼び止められる。

 

後ろから呼び止めてきたのは、コマヅカイとしての主人である、リリィ。

 

彼女はうす黄色のカジュアルドレスを身にまとい、同じ色のカッターシューズをはいて、

 

 2ヵ月の治療の末、彼女は自分の足で立てるようにもなっていたのだ。

 

亜人の部分が消滅し、人間の少女になったからだと聞いた。

 

 そしておどろくことに、赤むらさき色をしていた髪もまた、うす紅がかった白となっていた。

 

 

リリィ「アステルお兄さまの部屋に行くの?」

 

 

モモ「はい、おとどけ物をとどけにまいります」

 

 

リリィ「そう。

リリィも、いっしょに行くわ」

 

 

 彼女のあわやかな草葉色の瞳がふわりと笑った。

 

さくら色の髪をしたモモと2人並ぶと、まるで姉妹のようにも見られそうだ。

 

 モモはもう彼女のために車イスを押す必要がなくなった。

 

アステルが命をかけて守ろうとした女の子は、ここで人の子として平穏無事に生きていたのだった。

 

 階段を昇って最上階。

 

城主の部屋の前までたどり着いて、モモはそのドアをノックする。

 

【コンコン……】

 

 

モモ「モモでございます」

 

 

声『あっ、開いてる……』

 

 

 返事があったので、少しはっとさせられた。

 

もうずいぶんと物慣れた動作で開扉して入室すると、室内には3人の友の姿があった。

 

声を返したのは多分、一番手前にいたジャスミンだ。

 

 

ジャスミン「モモ、ご苦労さま……」

 

 

モモ「おそうじしてるの?」

 

 

 ハーフオーク族のジャスミンはもう見習いではない。

 

リボンの代わりに赤い飾りヒモを胸もとにつけた大人用のエプロンドレスを着ていて、9歳という幼さで城仕えだった。

 

もっとも、外仕えに出されるまでには、さらにあと何年かこの城で修行しなければならないという話だ。

 

 2つも年下なのに、すでに彼女のほうが背が高かった。

 

ジャスミンはあとの2人の見ならいメイドとともにそうじを始めるところだったらしい。

 

 

デイジー「モモ、今テーブルの上、ふくのね」

 

 

モモ「うん、おねがいね」

 

 

 ゴブリン族のデイジーは年長だ。

 

8歳となった彼女は、みどり色のリボンを胸につけている。

 

モモは気付かなかったのだが、ひたいの左右に生えている角が1年で2mm伸びたと最近、本人がうれしそうに話していた。

 

 デイジーがかたくしぼったぞうきんでテーブルをふいたあとで、モモは持ってきた荷物をそこへまとめて置いた。

 

 

ポピー「モモ~、リボンおなじ~、ふゎ~……」

 

 

モモ「うん、おなじだよ」

 

 

 キレイな羽根を背中から生やしたピクシー族のポピーが、横合いから近付いて声をかけてきた。

 

7歳の彼女はモモと同じ年中でたまご色のリボンをしていたが、至極眠たげな目は相変わらずだ。

 

 

リリィ「あなたたち、どうしてここに?

朝ごはん食べた?」

 

 

ジャスミン「モモが早くに出ていって、わたしたちも何だかじっとしていられなくて……。

リリィさま、ミセス・ウェブスターから聞いたのだけど、アステルさま、お帰りになる?」

 

 

リリィ「ああ、ええ、予定では今日の午前中だって言ってたわ」

 

 

 ジャスミンが気をもんで問いかけると、リリィは分別ふんべつらしい口前で答えていた。

 

 

デイジー「でも、もう3ヵ月もお帰りになってないのね……」

 

 

リリィ「だ……大丈夫よ。

パレンバーグ先生だって、おっしゃってたんだから。

アステルお兄さまは、もうすっかり元気だって」

 

 

ポピー「アステルさまのおすがた、見た~?」

 

 

リリィ「それは……そうだけど…………」

 

 

 デイジーとポピーにまで詰め寄られて、リリィも不安を隠しきれなくなってきた。

 

 

ジャスミン「アステルさま、帰ってこなかったら…………」

 

 

 ジャスミンの心配性も健在だ。

 

彼女がぽつりとこぼした言葉で、皆しおしおとうな垂れて押し黙ってしまった。

 

 不安なのは誰も同じだった。

 

このままあるじがお帰りにならなかったら、どうなるのだろう。

 

城主のいないメルヴィル城は。

 

この城に暮らすメイドたちは。

 

アステルのために外仕えをしているメイドたちは。

 

 みんなは、彼という存在でつながっている。

 

彼がいなくなり、城がなくなったとなれば、多くのメイドたちが住む所をなくし、仕事をなくし、途方に暮れるだろう。

 

何より、全てのメルヴィル家のメイドたちの心のよりどころとなっているアステルがいなくなるということは、この世のどんな不幸せよりも不幸なことだった。

 

 しかし、モモはすでに知っていた。

 

 

モモ「ぼく、

 

 

 あるじを信じることを。

 

彼のメイドとして、アステルさまという主人を信じる、その意味を。

 

 

モモ「だって、今までだってそうだったから」

 

 

 うす暗い地下水道から心細い思いをして街中へ抜け出した時も、

リリィのコマヅカイになるかどうか迷った時も、

見知らぬ土地で家畜のように売り飛ばされそうになった時も、

いつだって彼は味方だった。

 

 “怖いことは何ひとつ起こらない”

 

ちょうど1年前に、彼が母の墓の前で約束してくれた言葉が思い出される。

 

本当にその通りだった。

 

彼に守られている事実を知っていたから、

あばれ馬が現れても、

やせー化した獣人に襲われそうになっても、

空から爆弾が降ってきても、

ちっとも怖くなんかなかった。

 

 彼はすでに証明していたのだ。

 

、と。

 

 

モモ「アステルさまは、きっとお帰りになるよ。

絶対……」

 

 

みんな「…………」

 

 

 伏し目になっていたみんなが顔を上げ、きらきらした瞳をこちらにさし向ける。

 

 

デイジー「そうね……」

 

 

ジャスミン「うん……」

 

 

リリィ「ええ、もちろんよ」

 

 

ポピー「ふゎぅ……」

 

 

 デイジーとジャスミンが納得したようにうなずき、リリィが当然と言いたげな顔で受け合い、ポピーが眠たげにあくび混じりの返事をよこした。

 

 

モモ「ねっ」

 

 

 モモがにこやかな笑みを浮かべると、みんなも同じように顔をほころばせた。

 

 モモはふと気付く。

 

果たして1年前、こんなにも当たり前のように、笑顔をすることがあっただろうか。

 

あの頃は今日明日を生きのびることだけに必死で、暗い顔ばかりしていた気がする。

 

 今、とても自然に笑顔になれた自分に気付いてモモは、何だか不思議な気持ちになった。

 

それはとてもあたたかくて、やさしくて、ふわりとした気持ちだった。

 

 南向きの大窓から、たくさんの陽の光が射しこむ。

 

光は城主の部屋を包みこみ、幼子たちを明るくやわらかく輝かせていた。

 

 

 

 

 

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