第6話〔2〕陽光と姫百合

 

 

 

 

 

 正午を少し過ぎて、今度は歓迎すべき客人たちが2台のガソリン車に乗ってメルヴィル城へやって来た。

 

パレンバーグ父子とプリムラ、それから2人の従者。

 

積もった雪に浅いわだちを刻みつつ正門から進入し、彼らは前庭のすみに車を停めて降車した。

 

 午前中にちらついていた小雪は今は止み、風もいくぶんか落ち着いてはいたが、空をおおった雪雲のせいで夕暮れ時のように暗い。

 

パレンバーグ一家は出迎え役のメイドたちに付き添われて、アステルの待つ居館の玄関口までやって来た。

 

 

ムスリカ「やあ、アステル君、今日はよろしく」

 

 

アステル「ようこそ、お越し下さいました」

 

 

 先頭のムスリカ・パレンバーグ伯爵と握手を交わす。

 

彼の後ろにりんとしてひかえるプリムラがエプロンドレスを着ている以外は、皆それぞれ色違いのコートを着用していた。

 

それはムスリカの子、ダリアも変わらなかった。

 

 

ダリア「アステル・メルヴィルししゃく。

おひさしぶりです」

 

 

アステル「やあ……ダリア、元気そうだ……ね?」

 

 

 ごく自然に彼ともあいさつを交わしたものの、アステルはダリアの口ぶりに少々違和感をおぼえた。

 

 

ダリア「こんにちは、レディ……かみがキレイですね」

 

 

モモ「…………」

 

 

 ダリアは今度は近くにいたモモへもきざっぽく声をかけ、彼女を軽く困惑させていた。

 

いったいこの数ヵ月の間に何があったのか、子どもらしく威勢のよかったはずの男の子の変わりようにちょっとした衝撃を受ける。

 

 

ダリア「ルナ、毛並みがいいですね」

 

 

ルナ「にゃんか……別人みたいだにゃ」

 

 

ムスリカ「はっはっは、プリムラのおかげでダリアはすっかり真面目な子に育ってしまった」

 

 

 さらにネコの亜人の尻尾にまで言いおよぶダリアを、父がほこらしげにながめて笑っていた。

 

すぐそばのプリムラは背すじをぴんと伸ばしたまま伏し目になって、口もとをかすかにゆるめる程度だった。

 

 

ルナ「プリムラすごいにゃ……!」

 

 

ダリア「ふんっ、おれももう9才だしな。

いつまでも甘えてばかりではだめなんだ」

 

 

 急に愛想笑いを取りやめて、ダリアは腕を組みつつもとの彼らしい言葉を吐き出した。

 

かしこ立てに立ち回ることに疲れたのだろうか、性根のところでは全く変わっていないらしいことが分かってアステルたちはむしろ安心した。

 

 

ルナ「ニャハハ……ι

やっぱり前のまんまだったにゃ……♪」

 

 

 あきれ気味の顔になって、ルナがぼそりとつぶやいた。

 

 

アステル「さあ、中へどうぞ。

あたたかい物も用意してありますので」

 

 

ムスリカ「先にリリィの容態を診てもいいかな?」

 

 

アステル「もちろんです……ぜひとも」

 

 

 アステルがうながすと、一行は冷たい風の吹き込み始めた玄関ホールをあとにした。

 

正直、すぐにでもリリィの部屋へ案内したかったので、パレンバーグ先生の言葉はありがたかった。

 

 長廊下を行く時も、自然と足早になる。

 

従妹いもうとの部屋の前へ到着すると、一人のメイドが水の入った洗面器をかかえて退室するところだった。

 

会釈をして去ってゆく彼女と入れ違って、アステルたちが入室する。

 

 

アステル「リリィ、パレンバーグ先生が来て下さったよ」

 

 

 声をかけてみるが、反応はない。

 

リリィはベッドでぐったりしていて、返事をすることもままならないのだ。

 

 

ムスリカ「悪いのかい?」

 

 

城医者「あまり……かんばしくないですね。

変異が始まって、熱も上がってきています」

 

 

 ムスリカも心配そうに問いかけると、少女のかたわらの丸イスに座っていた城医者のクィンシーがこちらを振り向いて答えた。

 

彼女は白ヘビの亜人で、頭髪がない代わりに頭部から何本ものヘビの胴体が垂れ下がって長髪の体を成している。

 

その内の一本だけがヘビの頭になっていて、まるで本人とは別の意思を持っているかのように動いていた。

 

真っ白のすべらかな肌に医者らしい白衣を着けていて、真っ赤な瞳と真っ赤なヘビの眼が同じ高さでこちらに向けられていた。

 

 

ムスリカ「診させてもらってもいいかな?」

 

 

リリィ「先生……」

 

 

 ムスリカが着ていたコートを脱ぎつつベッドの向こう側へ回り込むと、作業をしていた3人のハウスメイドがそのコートをあずかってから邪魔にならぬ位置へ退いた。

 

 

プリムラ「ダリアさま、お茶をいただきにまいりましょう。

こちらへ……」

 

 

ダリア「うん……」

 

 

 プリムラはダリアと従者を連れて入室せずに去ってゆく。

 

ドアが閉められると、部屋の中にはニアとルナと見習いたち、そしてハウスメイドたち、リリィの世話役としてのメイドのみが残った。

 

 

城医者「リリィ様、腕をお持ちします。

横向けになって、背中を見てもらいましょう」

 

 

 中腰になった城医者が手伝って、肩までかけぶとんをかぶって寝ていたリリィが気だるげに横向きになる。

 

ベッドがぎしぎしと鳴った。

 

 この少女の体には、巨大なクモ1匹分の体重が内包されている。

 

去年の暮れに100kgを越えそうになってから測っていないが、常識では考えられないほどの重さとなっていて、手足を動かすこともできない。

 

それゆえに、今日まで彼女はベッドに張り付けとなり、彼女の体を支えきれなくなった車イスも壁ぎわで眠り続けているという有り様だったのだ。

 

 

ムスリカ「……あぁ……」

 

 

 それを見た瞬間、ムスリカは悲痛そうな声をもらした。

 

アステルはベッドのフットボード側に立って、先生が触診する様子を静かに見守った。

 

 リリィの背中にはわずかな亀裂が生じていて、そこからクモの足先が8本、放射状にのぞいている。

 

まだ手の平大のものだったが、間もなくこのクモ足は長々と背を突きやぶって体外へ抜け出し、この子を殺すだろう。

 

ふとんからあらわになった彼女自身の手足も、みずみずしくやわらかな肌から黒々とした虫の肉がぶつぶつと浮かんでいた。

 

 彼女の兄、マルタゴンが4歳でその命を終えたことを考えれば、12歳となったリリィは充分長く生きのびてくれたと言えよう。

 

しかし結局、変異そのものは避けられなかった。

 

 

モモ「リリィさま、どうなっちゃうの……?」

 

 

デイジー「…………」

 

 

 モモがぽつりとつぶやいた。

 

アステルが見返ってみると、見習いたちが不安げな顔でリリィのほうを見、城仕えのメイドたちが問いかけのまなざしで城主のほうを注視していた。

 

ルナもまた、朝に見せた物問いたげな顔を浮かべている。

 

 もしタイミングというものがあるのなら、今なのだろう。

 

 

アステル「ルナも、みんなも、聞いてほしい。

とても大切な話だ」

 

 

 彼は従者たちを見回して切り出した。

 

 

アステル「私たちは2年ほど前から、亜人に関する秘密の研究を行っていた。

全てはリリィの治療のためだった。

結論から言うと、電磁波を利用して彼女の中にある亜人の遺伝子だけを断ち切ってしまおうとしたんだ」

 

 

ルナ「デンジハ?」

 

 

モモ「イデンシ?」

 

 

 口々に、疑問の声を上げる彼女たち。

 

アステルは少々説明を急ぎすぎたとはたと気付いて、次の言葉を言いかけたところでかたまってしまった。

 

 

ムスリカ「口で説明するのは難しいね……。

うまくできるか分からないが、私から話そう」

 

 

 リリィをベッドに直し、かけぶとんをただしてから、放射線医学の権威であるパレンバーグ先生が続きを引き受けてくれた。

 

 

ムスリカ「まずは“遺伝子”のことから始めよう。

人間に限らず生物は皆、遺伝子を体内に持っている。

それは言わば、生物の設計図のようなものだ。

顕微鏡で見なければならないほど小さなもので、具体的に言うと、二重らせん構造をした細長い物質だ。

そうだな、たとえばちょうど縄ばしごの上下をつかんでぐいっとひねったような形をしている」

 

 

 アステルの前まで進み出たムスリカは、メイドたちに向かって見えない縄ばしごを使い両手でそれを表していた。

 

 

ムスリカ「このはしごの段の部分は4種類あって、その並び方によって生物の構造を遺伝情報として記録しているのだよ。

みんなの顔の形や髪の色が違うのは、この遺伝子に書き込まれた内容がそれぞれ違うからなんだ」

 

 

 皆は互いを見交わして、感銘の声をもらしたり、小さくうなずいたりした。

 

 

ムスリカ「次に、“電磁波”の話をしよう。

これは要するに、光のことだ。

光を周波数的に強くしてゆくと、赤外線、可視光線、紫外線といったようにその性質も変わってゆく。

極端に強くすると、X線や放射線というものになる。

こうなると、浴びただけで人体に影響をおよぼすようにもなる。

とても危険だ。

たとえば、“遺伝子の結合”を切断してしまうほどに……」

 

 

 その一文を彼が強調して言うと、幼子以外のメイドたちがはっとした顔を浮かべる。

 

 

ムスリカ「これを思い付いたのはアステル君だ。

実に斬新なアイデアだったよ。

つまり、電磁波の力を利用して、

”することは可能か。

答えはYESだった。

研究を重ねてゆくうちに、亜人の遺伝情報は人間のそれよりも結び付きが弱いらしいことが分かったんだよ。

ほんのごくわずかな違いだが、人と獣が完全に混ざり合えるわけではないという意味だ。

まあ、私がしたことといえば、研究に必要な機材と技術を提供しただけなのだがね」

 

 

アステル「先生には感謝しています」

 

 

 講義を終えてムスリカが、アステルに継ぎ端をよこした。

 

 

アステル「この城の地下で行っていたのは、

どれくらいの強さで、どれくらいの長さで、どんなパターンで、

電磁波を当てれば亜人の遺伝情報のみを破壊できるか、

その実験のくり返しだった。

周波数がほんの少しずれただけで効果がなかったり、強く当てすぎて人間の遺伝情報まで傷付けてしまうということもあった。

加えて、作用するのは遺伝子だけではないから、最悪の場合、正常な細胞がガン化してしまう恐れもある。

ひと筋なわではいかなかったけど、2年かけてようやく実用段階にまでこぎつけたというわけだ」

 

 

 ルナを始めとするほとんどの者がむずかしい顔をしていたが、アステルは構わず続けた。

 

今は、新型爆弾などというものを作っているのではないことを、理解してくれるだけでいい。

 

 

アステル「携行式放射光発生装置、

“ジーンデコーダー”と名付けた。

今日、先生が最後の仕上げをして下さる。

早ければ今夜、それを使ってリリィの変異をくい止め、彼女を人間にすることができる。

けど、この話は絶対に秘密にしなければならない。

ジーンデコーダーはそれ自体もとても危険な物だけど、それ以上に政治的にすごく危険な代物なんだ」

 

 

 アステルは以前、ムスリカから受けた忠告を思い出しながら言った。

 

 

アステル「亜人を人間にする機械。

そんなものが亜人の存在を否定する純血派の人間に渡ってしまったら、大変なことになる……」

 

 

ルナ「ソ……ソレは……、ソレを使えば、

アタシも人間になれるって、コトかにゃ……?」

 

 

 ルナの発言はアステルにとって、一番恐れていた質問だった。

 

 

アステル「ルナ……ああ、私は……その目的で研究を続けてきたわけではないんだ……」

 

 

 ブラウンのつぶらな瞳にかすかな期待を宿して見つめてくるネコの亜人の少女には、申し訳もない気持ちになる。

 

それでもアステルは、亜人のメイドを擁するメルヴィル家の当主として、告げなければならなかった。

 

 

アステル「ジーンデコーダーは、リリィを人間にしたあと、壊すつもりだ。

亜人たちを受け入れる立場の私が、あれを保有すべきではないんだ。

いらぬ誤解を生むもとにもなるし、実際、あらぬ嫌疑けんぎをかけられて新設軍の大尉に監査を受け入れろとまで迫られている。

でもリリィは、12歳なんだ。

みんなと違って、彼女の亜人は彼女自身を殺そうとしている。

ジーンデコーダーはリリィを救うことができるかもしれない、唯一の希望なんだ」

 

 

ルナ「ア……アタシ、いらないコト言っちゃったにゃ……。

ごめんなさいにゃ……」

 

 

 理解を求めて訴えたアステルに、心底決まりが悪そうにあやまったルナ。

 

アステルは気にしないでという意をこめて首を横に振っておく。

 

 

アステル「いいんだよ……分かってくれるなら」

 

 

 彼女たちのように、説明して納得してくれる人種であったならば、どれほど良かっただろうか。

 

パレンバーグ先生から提供された医療機器を動かすために、隣国から大型の発電装置を購入したのは事実だった。

 

ジーンデコーダーの開発中に微量の放射線がもれてしまっていることも本当だ。

 

よりによって研究が完成しようという日に押しかけられてしまったが、ことを好む者たちにかぎつけられるのはもはや起こり得る事態だった。

 

 たとえアレンビー大尉に兵器開発の疑いをかけられようとも、

たとえ不随ふずいの少女を実験台にしようとしていても、

たとえそれが大変な賭けだったとしても、

アステルは何としても成し遂げなければならなかったのだ。

 

 幼き日に、少女と交わした約束を果たすために…………。

 

 

 

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