◆第6話 帝園に咲く花々

第6話〔1〕招かれざる冬花

 

 

 

 

 

 まっさらな冬が降りてくる。

 

 一日増しに風が冷たくなり、およそ一年ぶりの初雪を経て、ヒースブルグはきびしい季節を迎えた。

 

雪雲が常に空をおおう。

 

ローレル山脈が白々と根雪をかぶる。

 

草花が深雪みゆきの下で息をひそめる。

 

あらゆるものが白につつまれ、鳴りを静め、制止するまっさらな冬。

 

 メルヴィル城でも、それはもれなく訪れた。

 

メイドたちのエプロンドレスは見習いから年かさに至るまで、そでやスカート丈の長い冬用に替わった。

 

城兵たちの甲冑も下に皮革ひかくが仕込まれた幾分かあたたかいものに替わった。

 

眠る時は厚手のふとんが必要であったし、暖を取るためのまきがとても重要なものとなった。

 

 そうして、年の瀬をあわただしく過ごし、新年を何事もなく迎える。

 

城主アステル・メルヴィル子爵は、18歳になっていた。

 

彼の飛行場に誰のものとも知れぬ1機の単葉機が降り着いたのは、年明けの忙しさがやわらぐ1月も下旬のことだ。

 

 アステルは主塔の執務室の窓から招いた覚えのない客人を確認したのだが、ことわりもなくその滑走路に侵入してきたのは血のように赤い戦闘機だった。

 

駐機場を少し外れて停止したその機から降りて、さっそく飛行場番たちと口論になる飛行士を遠く見下ろし、これはまずいことになりそうだと予感した。

 

どこかで見たことがある飛行士だとも思ったが、それを確かめる意味でも、自ら出迎えるべきではないかと考えをめぐらせたのだ。

 

 部屋を出て廊下をしばらく行くと、案の定神妙な面持ちのニアがやって来るところだった。

 

 

ニア「アステル様……!」

 

 

アステル「お客さんかな?」

 

 

ニア「ナーシサス・アレンビー子爵でございます」

 

 

アステル「……!」

 

 

 こちらを呼びかける彼女の用向きに見当をつけて問いかけてみると、少し意外な答えが返ってきた。

 

 

アステル「まさか、本当に……?」

 

 

ニア「はい、連絡もなく飛行場へ着陸して、城主に謁見えっけんを願い出ております……」

 

 

アステル「……分かった。

私が行こう」

 

 

ニア「かしこまりました……」

 

 

 ニアはすぐさまくびすを返して、来た道をもどっていった。

 

とは言ったものの、アステルはガウンを羽織った部屋着のままであったので、ひとまず居室へ寄ってジャケットに着替えることにした。

 

 ナーシサス・アレンビーといえば東方の地を治めるアレンビー侯爵の嫡男ちゃくなん

 

去年の春にオルブライト公爵邸で一度だけ対面したが、今になっていったいどのような用向きか。

 

 身なりを整えてから1階の裏口へ向かうと、長廊下の突き当たりにあるドアが開いてその人物が入ってくる姿を見つけた。

 

 

メイド「お待ち下さいませ、お待ち下さいませ……!

ご主人様の許可がなければ、中へはご案内できません!」

 

 

アレンビー「心配はいりません。

メルヴィル殿とお話をしに来ただけですよ。

話が終われば帰りますから」

 

 

 彼はメイドに止め立てされつつ居館に踏み入ってきた。

 

外にもまだ2人のメイドがひかえていたが、彼女たちは勝手放題に振る舞うアレンビーに途方に暮れている様子だった。

 

 

アステル「大尉!」

 

 

アレンビー「ああ、メルヴィル子爵殿!

お久しぶりです、オルブライト公爵家でお会いして以来でしたか」

 

 

アステル「今日はいったい、どうされましたか……?」

 

 

 こちらから呼び上げて近くまで行くと、アレンビー大尉は少々わざとらしく驚いて白々しいあいさつをよこした。

 

アステルは最後までアレンビーを引き止めようとしていたメイドたちに合図を送って解散させておく。

 

メイドたちはおじぎをひとつして持ち場へもどっていった。

 

 

アレンビー「いやあ、突然訪ねたことはお詫びします。

もっとも、何か対策を講じられてしまいそうだったので、予告などをするわけにもいきませんでしたがね、フヒヒッ」

 

 

 このしゃっくりのような薄ら笑い、変わっていない。

 

ナーシサス・アレンビーという男は初めて会った時から、自分とは相いれない存在だと感じていた。

 

 背は彼のほうが高く、砂けむり色のフライトジャケットの上からでも、割と筋肉質なのが分かる。

 

目測では三十路というところか、まっ白い長髪と目縁まぶちの黒い三白眼には若者ではないひねたかんろくが備わっていた。

 

常に困りごとをかかえているような笑い顔も健在であるようだ。

 

【カシャン……カシャン……】

 

 背後から甲冑を鳴らしてやって来るデイム・ルーディの姿を、アステルはちらりとだけ肩越しに確認しておく。

 

城兵長はあるじのすぐ後ろにひかえた。

 

 

アステル「対策とは、どういう意味でしょう……」

 

 

アレンビー「ああ、そうなのですよ。

実はこの数ヵ月、我々はメルヴィル家について色々と調べていましてね……」

 

 

 ワニの亜人の出現に気後きおくれした様子もなく、アレンビー大尉は低回ぎみに語り始めた。

 

 

アレンビー「地道な調査活動の結果、ある重要な情報を手に入れたのでね、今日はキミを問い詰めに参上した次第なのですよ……いや全く」

 

 

アステル「…………」

 

 

アレンビー「おや、顔色が変わりましたねぇ……フヒヒッ」

 

 

 話についてゆけず、仕掛けられた小当たりにアステルは何の後ろ暗いこともなく内心ぎくりとしてしまった。

 

相手のペースに飲まれてはいけないと油断のない顔で取り澄まして、おだやかな声音で返す。

 

 

アステル「申し訳ないが、あなたが何をしたいのかがよく分からない。

いったいどのような情報があれば、他家の飛行場に無断で侵入できるとおっしゃるのでしょう」

 

 

アレンビー「ほう、あくまでシラを切るおつもりですか。

それもいいでしょう……つまり!」

 

 

 大尉は大層らしい物言いでこちらに詰め寄り、さっと身をかわして長廊下を歩き出した。

 

城兵長が腰の物に手をかけたので、アステルは無言のまま彼女を制する。

 

白髪はくはつが波立つほどに、アレンビーの足取りは自信に満ちていた。

 

 

アレンビー「ボクが最初に耳にしたのは、キミが隣国から大型の発電装置を購入したらしいといううわさだったのですよ。

これはまあ、すぐに調べがつきました。

……が、どうにも不思議ですね。

この城では、いまだに薪やローソクが使われているみたいだ、庶民の間でもすでに電灯が普及しているというのに……」

 

 

 言いながら彼は、開け放たれていた戸口から部屋の中をのぞき見、暖炉の前で燭台などを拭き込んでいた2人のハウスメイドを指さした。

 

メイドたちが何事かと見返る。

 

 

アステル「この城は古い……電灯を設けるにも工事がむずかしいというだけのことです」

 

 

 不毛な問答を強いる彼の真意が見えてこない。

 

非礼じみた質問にこちらもさすがにいら立ちを含む声音で答えたが、アレンビーは止まらなかった。

 

 

アレンビー「ところで、これを見て下さい」

 

 

 相手が急にふところに手を差し入れたので、またデイム・ルーディが反射的に身構える。

 

彼がフライトジャケットの内ポケットから取り出したのは、ちょっとした辞典ほどの大きさの何かの機械だった。

 

 

アレンビー「安心して下さい。

ただの“線量計”ですよ」

 

 

アステル「……!」

 

 

 そこで初めて、アステルははっとさせられた。

 

そんな物まで用意をしてきているとは、正直思っていなかったからだ。

 

 

アレンビー「いやぁ、ボクもこういった機械にはうといほうなのですがね、何でもこれを使うと……」

 

 

【カチッ……】

 

 

アレンビー「あ、ほらっ」

 

 

 アレンビーはその線量計の側面にあるスイッチを押してから、盤面を自慢げに見せつけてくる。

 

小腰をかがめた城兵長とともにアステルがのぞき込んでみると、おうぎ型の目もり窓の中で細い針がひくひくと左右に振れていた。

 

 

アレンビー「ね、反応している。

要するに、ここは“”という意味です……フヒッ」

 

 

アステル「これは放射能ではなく“放射線”をはかる機械だ。

放射線なら自然界にも普通に存在している……!」

 

 

 平静を心がけていたアステルも、これには思わず怒気をこめて反論してしまった。

 

 

アレンビー「ふむ、“”をご存じでしたか。

平穏無事に暮らしている国民であればまず耳にする機会のない放射線や放射能という言葉を知っているということは、なるほど、ではやはり、そういうことなのですね……?」

 

 

アステル「くっ……」

 

 

 あまりにも強引な彼の言いがかりに、アステルはさらに言い返そうとしたが、これ以上話がこじれてしまうことを怖れて言いとどまった。

 

どうもアレンビーは誘導尋問でこちらをおとしめたいらしい。

 

 

アステル「あなたが何を言いたいのか、さっぱり分からない」

 

 

アレンビー「はっきり申し上げたほうがいいかな?

たとえば、“新型爆弾”とか……フヒヒ……」

 

 

アステル「し……新型爆弾っ!?」

 

 

 突拍子もない言葉に、アステルは戦慄を覚えた。

 

 

アステル「ではつまり、私がを隠し持っていると……!?」

 

 

アレンビー「と申しているのです。

聞いた話では、物質の素となる物、とても小さな物だそうですが、それ自体を爆発させるとすさまじい破壊力になるのだとか。

“原子爆弾”と言いましたか、10t爆弾1000個分の威力です。

ですが、これは爆発すると放射線という有害な光が放たれ、開発中にもそれは起こるのです。

そんな危ない代物を、子爵の身分であるキミが持つべきではない。

女王陛下に差し出したほうが身のためですよ」

 

 

アステル「なっ……」

 

 

 得意げに見当違いの推論をぶち上げるアレンビーのせいで、アステルはこみ上げる激情を抑えるのに懸命であった。

 

怒りにまかせて怒鳴りつけたかった。

 

この無礼で傲慢きわまりない男の鼻先に人差し指をさしつけて、城兵長のを見せつけてやりたかった。

 

 しかしアステルには、強気に出られない理由もあった。

 

 

アステル「……言いがかりはやめていただきたい。

そんな物は作ってもいないし、持ってもいない。

だいたい、爆弾など開発して、どうしようというのです」

 

 

アレンビー「動機ならいくつか考えられますが、大帝本国では今、“メイド税の引き上げ”を検討し始めているのだとか。

もし増税ということにでもなれば、数百人もの使用人をかかえるメルヴィル家はもとより、メイド派遣業まで立ちゆかなくなってしまうのではありませんか?

しかし、原子爆弾という強大な武器があれば、独立戦争を仕かけることもできるでしょう。

あるいは免税を要求して、本国の民を事実上人質にとることだって可能です。

キミの所有する複葉機に爆弾をつり下げて、首都の上空を飛んで見せるだけでいいのですから。

ただのメイド風情にビフの操縦をさせていることが、今までずっとに落ちなかったのですよ……フヒヒッ」

 

 

アステル「全てあなたの妄想だ。

勘違いもはなはだしい……」

 

 

アレンビー「キミこそ、勘違いをしているのかもしれない」

 

 

 語り歩く間じゅう、常に左右をうかがって何か弱みとなりそうな物はないかと目をぎらつかせていたアレンビーだったが、とうとう玄関ホールまでたどり着いて立ち止まった。

 

視察の成果も見込めないと判断したらしい彼は、線量計を持たぬほうの手でこちらを指さして言い放つ。

 

 

アレンビー「キミが思っているより“それ”は危険な代物です。

ある科学者の見立てでは、一度ドカンとやっただけで地殻が割れたり、地球上の空気が残らず燃え尽きてしまったりするだろうということです。

後ろめたいことが一切ないというのであれば、我々の監査を受け入れると約束しなさい。

この城のどこかで良からぬことをくわだてていないのなら、身の潔白を証明すべきです」

 

 

アステル「か……監査など必要ない。

私がメイドに対して行なっていることは全て、女王陛下も知っている」

 

 

アレンビー「ならばなおさら……、ん?」

 

 

 ますます熱の入るアレンビーは、四方から向けられる多くの視線にふと気付いて言葉を切った。

 

開かれた大扉や吹き抜けになった2階の手すりにずらりと並び立っていた城仕えのメイドたち。

 

 今までの子爵どうしの会話もしっかりと聞かれていたはずだ。

 

殺気立った皆の顔つきに臆したのだろうか、アレンビーはひたいにあぶら汗をにじませて彼女たちを睨め回していた。

 

 

アレンビー「おやおや、皆さんおそろいで。

まるでボクのことが目障りで仕方ないと言いたそうな顔ばかりですね。

見たところ、荒事を好みそうな種族の亜人もいるようだ。

ボクの口を封じようとでも考えているのではありませんか……?」

 

 

アステル「まさか、貴方にはすみやかにお引き取り願いたいと思っているだけですよ」

 

 

アレンビー「……フヒヒッ」

 

 

 ひと通り見回したあと、アレンビーは真顔になってこちらを正視し、次に底気味悪い顔でにたりと笑った。

 

 そうして、持っていた線量計のスイッチを切ると、それを再びふところへ片付ける。

 

 

アレンビー「いいでしょう。

ここはひとまず、帰ることにします。

ですが、すぐにもどってきますよ。

キミが何かをたくらんでいるらしい事実だけは判明したのでね。

フヒヒ……」

 

 

 最後に狙いを定め終えたような目つきで笑みを浮かべ、彼は今来た長廊下を引き返し始めた。

 

 

アステル「デイム・ルーディ、飛行場まで送ってさしあげて」

 

 

デイム・ルーディ「御意……」

 

 

 すんなりと帰ってゆくアレンビーに、念のため城兵長をつけておく。

 

途中で彼が地下への下り階段を見つけた時はアステルも内心ひやりとしたが、デイム・ルーディにせかされる形で結局何事もなく通り過ぎていった。

 

 胸をなで下ろし、こちらも執務にもどろうと歩き出してサーキュラー階段の手すりに手をかけたところで、何だかひどく疲れてしまった。

 

階段の一段目に足をかけておいて、2歩目が重くて踏み出せない。

 

 それにしてもナーシサス・アレンビーは全くもって油断のならない男であった。

 

彼との対話がこれほど疲れるものだとは思っていなかったし、彼をこのまま帰してしまうのも不安で仕方がない。

 

“すぐにもどってきますよ”

 

その言葉が不気味な余韻となってアステルの脳裏に居座っていた。

 

 

ルナ「アステルサマ……」

 

 

 玄関ホールに集合したメイドの半数は持ち場へ散っていったが、その場にとどまっている者も少なくなかった。

 

彼女らを代表してあるじを呼びかけたのはルナだった。

 

 アレンビーは去ったものの、彼がこの城にもたらした不安要素は、意外にも大きいらしい。

 

ことのてんまつを目撃していただろう者はまゆをひそめて心配そうにこちらをうかがっていたし、ひそひそと落ち着かない話し声も聞こえる。

 

 

アステル「大丈夫、心配することはないよ……」

 

 

ルナ「…………」

 

 

 そばにいる彼女にやさしく声をかけても、物問いたげな顔であるじを見つめ返すのみのルナ。

 

もしかしたら、これは思ってもみなかったのだが、皆が不安がっているのは不意の客人ではなく、むしろ城主のほうなのではないかとアステルはふと気付いた。

 

戦闘機に乗って突然やって来た飛行服姿の軍人が、線量計などという機械を片手に古城ふるじろの主人を問い詰めていたのだから、これがただ事ではないと思わない者はいないのだ。

 

 新型爆弾などではないにしろ、実際アステルには従者にも隠している事がらならあった。

 

それこそが、彼がアレンビーに対して強気に出られない理由。

 

できることなら混乱は避けたいところではあったが、このまま不安が広がって、いらぬ衝突が起こってしまう前に打ち明けておいたほうが得策なのかもしれない。

 

 

アステル「さぁみんな、午後にパレンバーグ先生がお見えになる。

歓迎の準備をおこたりないようにね」

 

 

 気持ちを切り替え、空元気まじりにアステルは皆に言った。

 

いずれにしても、“研究”は今日完成する予定だ。

 

 

 

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