第5話〔4〕星花の声

 

 

 

 

 

 飛行場番のガウラが、機首の右側にある差し込み口に、クランク棒を差し込んでそれを回し始める。

 

内部のフライホイールの回転するうなりが最大限に達するまで待って、ルナは操縦席から声を上げた。

 

 

ルナ「コンタクト!」

 

 

 クランク棒を引き抜き、すみやかに待避したガウラを確認してスターターの結合レバーを引く。

 

【バババ……バババババ】

 

エンジンが始動し、2枚羽まいばねのプロペラが勢いよく回り始める。

 

 ニアが操縦する1号機も同様にエンジンを始動させると、たちまち格納庫内がけたたましい音と風でいっぱいになった。

 

 

ガウラ「後席に煙幕銃を積んであります。

後ろに向けて撃って下さい。

尾翼に当てないように」

 

 

 ルナの後ろに座るアステルに、クランク棒を持ったままのガウラが叫んだ。

 

メイドたち3人は飛行服を着用し、アステルはショートソードを腰にたずさえたローブ姿。

 

前方を行く1号機にはニアとカトレアが乗り、2号機にはルナとアステルが乗っている。

 

 複座式の複葉機、ビフロスト・ファイター。

 

定員数は一機につき2人だったが、もともとあった兵装は全て取り払われてあるため、旅先で少女が1人ずつ増えたとしてもメルヴィル城までは余裕でもつ計算だ。

 

2機は格納庫を出て、地上走行タキシングによって滑走路へ入ってゆく。

 

 まずは1号機の発進。

 

スタート位置についたニアの機は、“発進よし”の合図を受けてプロペラの回転数が上がり、前進し始める。

 

滑走路をまっすぐ走って離陸速度に達したところで離陸。

 

1号機が空を駆け昇って充分に高度を取ったのを見届けたあとで、今度は2号機の発進だ。

 

 ルナは機首をスタート位置に持ってくると、スロットルレバーを押し込んで同じようにプロペラの回転数を上げていった。

 

生まれる音と風が増し、すさまじい勢いで後ろへ流れてゆく。

 

機体が前に滑り出し、加速して滑走路を滑走してゆく。

 

尾部が持ち上がり、操縦桿をゆっくり手前に引いてゆくと、ルナの2号機もふわりと地面を離れた。

 

 離陸してただちに高度を取り、前方をゆく1号機の後方につく。

 

高空に上がった2機は、大きく左へ旋回し街の直上を通過して南へ針路をとった。

 

 ヴィトラスまでは馬車なら半日かかる距離。

 

レシプロ飛行機ならほんの1時間程度。

 

2人の女の子を乗せたという荷馬車がいつ頃出発したのかは分からなかったが、今夜開かれるオークションにはどうにか間に合うだろう。

 

 もしかしたら情報が誤っていて、場所が違うなどということもあり得る。

 

あるいはそもそも、誰も街から出ていない可能性だって否定できない。

 

ファウネル邸のほうは公爵とデイム・ルーディに任せるとして、ルナたちの目下の急務はヴィトラスへ飛んで、いち早く少女たちの姿を見つけ出すことだった。

 

 陽が西に傾きかかり、透き通った青空が眼界に広がる。

 

カーキ色をした厳めしい機影の複葉機たちは、波なす丘々のずっと向こうを目指して飛んでゆくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 小休止もままならないまま、およそ半日をかけてモモたちは知らない土地へと運ばれてきた。

 

途中でマリーに異変があり、小びんに入った錠剤を一つぶ服用するという出来事が起こったが、結局、逃げ出す機会にはめぐまれなかった。

 

もっとも、マリーが言うには、むやみに逃げて追いかけ回されるより、このまま大人しく助けを待っていたほうがはるかに安全で確実とのことだ。

 

 その考えには、幼い見習いメイドも賛成できた。

 

モモ自身、オオカミベーカリーで獣人に襲われた際、たのもしい2人の姉メイドに助けられたことだってあったのだから。

 

だから今回も、何も心配する必要などない。

 

モモは無理にでも恐ろしいことを考えないようにしなければ、すぐに大声を張り上げて泣き出してしまいそうで仕方がなかった。

 

 揺れる檻馬車のオリの中は極めて乗り心地が悪く、ながめるべき景色も全くないため、目的地に着く頃には2人とも気力をそがれてぐったりしていた。

 

長旅の末ようやく馬車が停まる。

 

雨おおいが半分まくり上げられ、格子越しに汚らしい男の顔がのぞく。

 

【カチャカチャ……キィィ……】

 

 

イゴール「出るのです……」

 

 

 オリの鍵を開けて指図する彼にも、ほぼ半日ぶっ通しで御者台に張り付いていた疲れが表れていた。

 

モモとマリーは暗い面持ちで見交わし合って、手かせで自由のきかない両腕でそろそろとオリを出た。

 

 どこか大きな建物が密集した中の人影の絶えた一角。

 

見上げれば高い壁にさえぎられてわずかにのぞく夕暮れの空。

 

 見ならいメイド服が汚れとしわだらけになって、ずいぶんと硬く感じる。

 

久しぶりの地面は踏みごたえがなく、自分の体が浮いているような感覚だ。

 

 

イゴール「早く来なさい」

 

 

 イゴールにせかされて、マリーが気だるげに歩き出す。

 

モモは彼女のすぐ後ろをついていった。

 

そこからは常に、2人の前後に男たちが位置取る形となった。

 

 馬車停めの近くの、かなり大きな建物の通用口を開けて入る。

 

うす暗い通路を行き、一つの部屋の戸口までたどり着く。

 

先頭のイゴールがドアを開けて中を確かめ、言う。

 

 

イゴール「テーブルにあなたたちの衣装を用意させておきました。

いいですか、次に来るまでに着替えてなかったら……、わたしがそのメイド服をひんむくことになりますからね。

いいですね……」

 

 

 言いつつポケットから鍵たばを取り出して、こちらの手かせを外してゆくイゴール。

 

そのまま鍵たばをかせとともに大男に託し、念を入れて言い付けた。

 

 

イゴール「しっかり閉じこめておきなさい。

わたしはオーナーと話があります」

 

 

 引き継ぎをすませ、イゴールは通路の奥を目指して行ってしまった。

 

ステッキの先が床を打つコツコツという音がしつこく残って遠ざかる。

 

 

大男「入れ……」

 

 

 任意の鍵をのぞかせたかっこうで鍵たばを手に持ち、今度は大男が指図をしてきた。

 

モモたちが通された部屋もまた、前回の部屋と同じように窓のない、テーブル1つイス2つの簡素な所だった。

 

【バタン……ガチャリ】

 

 鍵をさされて閉じこめられ、大男の足音が去ってゆく。

 

2人は静かになってからもしばらく呆然と立ち尽くした。

 

これからどうなってしまうのかをモモは問いかけたかったが、声を出すことも疲れていてやめておいた。

 

 やがてマリーがテーブルに近付いていって、水差しからコップに水を注ぎ始める。

 

 

マリー「食べておきましょう。

逃げる時にお腹が減っていてはいけないから……」

 

 

 テーブルの上には、食べ物も用意されていた。

 

イスに腰かけ、皿に盛られてあった白パンをそれぞれの腹に納める。

 

空腹感がやわらぐと、気が少し落ち着いた。

 

 

マリー「……さあ、着替えておきましょう。

大丈夫、すぐにアステルさまが迎えに来てくださるわ、絶対に……」

 

 

モモ「うん……」

 

 

 もう何度目だろう、そのセリフを聞くのは。

 

もちろんモモは、一日経っても帰って来ない見ならいメイドをあるじが疑問に思わないなんて思っていない。

 

しかし本当に助けに来るのであれば、もう姿を見せていてもいい頃ではないか。

 

こちらの行方が分からず、途方に暮れているのではないか。

 

悪い考えばかりが、とめどなかった。

 

 イスを立って丸メガネをかけたまま黒いワンピースを脱ぎ出したマリーに続いて、モモも着ていた物を脱ぎにかかる。

 

着替えておけとあてがわれた服は、ひどく生地きじの薄い薄べに色のチュニックだった。

 

マリーがまずそれをまとうと、ずいぶんとすずしげなかっこうになった。

 

体の線がよく分かり、白い上下の下着まで明らか。

 

細い首と細い腕があらわになっていて、きれいな素肌の彼女はまるで精巧に作られたお人形のようだ。

 

 サイズがぴったりのマリーと違って、モモのほうのチュニックはスカートのすそが床を引きずるほどの長さとなってしまった。

 

おそらく同じ物を2つ用意していただけのことだったらしい。

 

無駄に余った部分は折り返して適当なスカートたけにしておく。

 

 マリーに着替えをほどこしてもらっているうちに、みんなのことが頭に浮かんできた。

 

ポピーやデイジーやジャスミンは、今頃どうしているだろう。

 

リリィは起き伏しに苦労をしてはいないだろうか。

 

料理長の作った料理が恋しかった。

 

メルヴィル城のみんなに会いたかった。

 

 アステルさまに、会いたかった。

 

 

マリー「ハッ……」

 

 

モモ「…………」

 

 

 自分でも知らない間に、目の前の者に抱きついていた。

 

両目を閉じて、彼女の胸の中に顔をうずめていた。

 

マリーはふわふわとしてあたたかい。

 

 

マリー「…………」

 

 

 彼女もまた、両腕を回してこちらをきつく抱きしめ返した。

 

そうしていると、全部が無かったことになりそうで、いくぶんかマシだった。

 

【ガチャガチャ……ギィィ……】

 

 ドアの錠前が外される音におどろかされる。

 

開扉して入ってきたのはイゴールだった。

 

 

イゴール「立ちなさい」

 

 

 指図されてモモを放し立ち上がるマリー。

 

 

イゴール「靴を脱いで裸足になりなさい、2人とも」

 

 

 そのようにする少女たち。

 

イゴールはマリーの顔を熱心に確かめると、ステッキを持たないほうの手を持ち上げた。

 

そうして彼女のメガネをすっとつかんで取り上げる。

 

 

イゴール「……ああ」

 

 

【カシャン……パン、パキィン】

 

 取り上げたメガネを床に落とし、彼はステッキの先でそのレンズの片方を何度も突き割った。

 

 

イゴール「ないほうがいいですね。

どうせこれから、目など見えなくてもいい人生を送ることになるのですから」

 

 

 不気味な笑みを浮かべる男を、マリーはオレンジの瞳にするどいを宿らせてにらみつけていた。

 

その顔は整っていて、丸メガネをかけていた時とはずいぶんと違った印象だ。

 

彼女はとても、美しかった。

 

 

イゴール「手かせを付けなさい!」

 

 

 イゴールが振り返りつつ声を上げると、外にひかえていた4人の大男たちが部屋を出てゆくイゴールに代わってぞろぞろと入室してくる。

 

少々乱暴に手かせをはめられたモモとマリーは、今度は大男たちに四方を囲まれて部屋を出た。

 

 5人分のくつ音に混じり、ぺたぺたと素足を鳴らして冷たい通路を歩かされる。

 

ものものしい警備の中をにぎやかな人声のするほうへ。

 

そこかしこに立つ黒スーツの男たちは皆、大小の機関銃をたずさえているらしかった。

 

 一つの戸口に突き当たり、ドアが開かれてくぐり入ると、大勢の人のざわめきがじかに耳に届いた。

 

どうやらそこは舞台裏のようだった。

 

2人は舞台そでまで誘導され、そこで止められた。

 

 イゴールが一人舞台上へ出てゆくと、さわがしかった人声が静まる。

 

 

イゴール「紳士淑女の皆さん!

さて、次にお見せいたしますのは、今宵の目玉商品。

世にもめずらしい亜人の美姫びき、シルバーエルフ……の姉妹です!」

 

 

大男「行け……」

 

 

 イゴールの口上が始まり、モモの後ろにいた大男がこちらの背中を押し出した。

 

マリーとともに舞台の中央へ歩いてゆく。

 

【オオオ……】

 

2人が姿を現すと、観客席からどよめきが起こった。

 

 

イゴール「そこへ座りなさい」

 

 

 そこには赤い布張りの台が設置されてあった。

 

本来は美術品をのせてながめるための物なのだろう、命令されてモモたちは、両手をつなぎ合ってそこへ腰かけた。

 

 不安にくもる顔で周りを見渡してみれば、2階席まである屋内小劇場のような所だ。

 

ちょうどヒースブルグの街の映画館ほどの広さがある。

 

 少しおどろいたのは、観客席をうめ尽くしていたのが仮面や色メガネを着けた人たちばかりで、まぎれこんだイゴールの部下らしき黒スーツの男たちをのぞけば、素顔をさらした者が誰一人いなかったことだ。

 

もっとも、向こう側はこちら側よりもずっと暗くて、一人一人の風貌ふうぼうをつぶさには確認できなかったが。

 

 

イゴール「いかがでしょう、これほど美しくまだ幼いエルフはそうそうお目にかかれません。

しかも、“”も!」

 

 

 モモはイゴールが何を言っているのかを理解できず、弁に熱を帯びてゆく彼がだんだん怖くなってきた。

 

 

イゴール「彼女たちはこの美貌のまま数百年はもちますよ。

寝室につないで飼うもよし。

解剖して不老長寿の秘密を解き明かすもよし」

 

 

 イゴールは舞台上をおもむろに歩きつつ熱弁を続け、ふと立ち止まって客席をながめる。

 

 

イゴール「ひと思いに花を散らしてしまうもよし…………」

 

 

 そのセリフを、彼は吐き気のするような下品で野蛮げな声音で言った。

 

 

イゴール「“で方”は、お買い上げいただいたあなた次第です。

さあ……!

100万フラウから始めましょう!!」

 

 

【ダンッダンッダンッ】

 

 こぶしを突き上げて客席をあおり、オークショニアとなった彼は開始の合図として、ステッキで舞台の床を景気よく打ち鳴らした。

 

途端に、場内が血気を帯びた声であふれ返った。

 

 

「150万!」

 

 

「170万!」

 

 

「180万!」

 

 

 飛び交い始めた数字はどんどんつり上がってゆき、すぐさま200、300と越えていった。

 

 

「320!」

 

 

「350!」

 

 

「400万!」

 

 

【オオッ!!】

 

 一番大きい位が増えるごとに、内蔵をえぐられるようなどよめきがわき起こる。

 

場内は異様な熱気につつまれていたが、汚らしい声々こえごえにモモは嫌悪感を募らせて、苦々しい顔をするしかなかった。

 

 ふと横のマリーを見てみると、彼女のほうは全くしおれた顔をしていなかった。

 

それどころか背すじをぴんと伸ばして、観客席の後ろの壁にある出入り口の辺りを一心に見据えていたのだった。

 

 モモはまたしても、マリーにはっとさせられた。

 

彼女は信じきっていたのだ。

 

今しもアステルがあの扉を打ち破って現れ、男どもを蹴散けちらして自分たちを救い出してくれるであろうことを。

 

 しかし、こちらの手をにぎったマリーの手は、恐怖で震えていた。

 

もしかしたら、と、モモは考えてしまう。

 

もしかしたら、このまま誰かに2人とも売り払われて家畜のように一生を過ごさなければならないのではないか。

 

 幼子の想像力ではそれがどのようなものなのかを想像することは難しかったが、もう二度と、アステルたちに会えなくなってしまうということだけは分かった。

 

 

「500万……!!」

 

 

【オオオオオ!!】

 

 額の叫び合いは、いよいよ大詰めを迎えた。

 

 

「510!」

 

 

「520!」

 

 

「5ひゃく2じゅう……5万!」

 

 

 数字の上昇はゆるやかになり、声を出す人も限られてきた。

 

 

イゴール「525万……他にありませんか?」

 

 

「528万!」

 

 

イゴール「528万!

他には……?」

 

 

 それが最終的な数字だったのだろう。

 

イゴールが見渡して問いかけても、声は返って来なかった。

 

どうやらそこで決着がつきそうだ。

 

 マリーもさすがに不安のほうがまさってきたか、出入口を見据えたままに眉がくもり始める。

 

彼女の顔色の変化を敏感にうかがい取ってモモまで、泣き出してしまいそうになった。

 

 

イゴール「他にありませんね……?

ありませんね……?

それでは、528万フラウで……」

 

 

 額を言い上げ、落札の合図を打ち鳴らそうとステッキを持ち上げるイゴール。

 

 その時、

 

 

声「1000万フラウ!」

 

 

マリー「ハッ!」

 

 

モモ「ハッ!」

 

 

【オオッ!!】

 

 不意に飛び出したひとつの声に、マリーとモモと客席がほぼ同時に驚き声を発した。

 

ただし、モモとマリーの2人だけは

 

 

イゴール「今……何と……?」

 

 

声「1000万フラウだ。

その子たちには、それ以上の価値がある」

 

 

 イゴールが問い返すと、客席の中央付近に座っていた、フードを深くかぶったローブ姿の男性がはっきりと答えた。

 

モモの視線は彼の席に釘付けとなった。

 

今この場所で、この場面で一番聞きたかった声。

 

聞いただけで、たちまち胸があたたかくなってゆく声。

 

 モモたちは思わず立ち上がっていた。

 

つなぐ両手と合わさる声に力をこめて、そして呼んでいた。

 

 

2人「っ!!」

 

 

 視線の先の彼がゆらりと立ち上がり、フードを後ろへ振り払う。

 

深むらさき色の髪がさらりと揺れて、夜色の瞳を備える青年のかんばせがあらわになった。

 

 

アステル「ふふ……」

 

 

 彼が不敵に笑うと、場内に今までと違う困惑のどよめきが起こった。

 

 

イゴール「ア……アステル……ですと?

あのアステル・メルヴィルですと!?」

 

 

アステル「私をご存じのようですね、それなら話が早い。

その子たちは返してもらおう!」

 

 

ニア「ヤッ!」

 

 

ルナ「にゃ──っ!」

 

 

 モモとマリーの両横に、なじみの声が飛行士の格好をして降ってくる。

 

5mほどはある高さの舞台天井から舞台上にさっそうと着地したのは、ニアとルナだった。

 

彼女らの手には何かこぶし大の石でも発射しそうな武骨な形の銃砲がにぎられていた。

 

 

モモ「ルナ、ニア!」

 

 

ニア「2人とも、身を低くしていなさい」

 

 

ルナ「ケムリを吸っちゃうにゃ!」

 

 

 声をかけておいて、その銃を構えて引き金を引く2人。

 

【ピシュッ……バァン!】

 

【ピシュッ……バァン!】

 

 銃口から本当につぶてのような弾体が射出され、それぞれ向こうの壁の左右のすみにぶち当たって破裂する。

 

2つの爆発音とともに生じた白いけむりは、たちまち観客席の半分をおおい隠した。

 

 観客たちがそろって悲鳴を上げ、席を蹴って逃げ出し始めたので、場内は一気に混乱してしまった。

 

 

イゴール「ええい、何をしているのです!

そいつらを殺しなさい!

今すぐ!」

 

 

 逃げまどう人々の叫び声に混じって、舞台の端からイゴールが怒号を上げた。

 

客席に座っていた大男の一人がすくと立ち上がってこちらに機関銃を向ける。

 

銃口はルナのほうをにらんでいたが、その引き金が引かれる直前にきらりとやいばがひらめき、彼の手の甲からぱっと鮮血が広がって発砲が阻止された。

 

 

大男「ぎゃああっ!!」

 

 

 機関銃を取り落とし、自らも傷口を押さえてころげ回る大男。

 

ルナを凶弾から救ったのは、彼の2つ隣の席にいたアステルだった。

 

アステルは短めの剣を右手に持ち、地をう大男にその切っ先を差し付けていた。

 

 アステルの背後でまた別の男がふところからピストルを取り出したようだが、そいつは誰か飛行服を着た女性に手刀を食らって気絶していた。

 

ルナやニアと同じかっこうであったので、うす赤むらさき色の髪をしたその人も味方ということらしい。

 

 

イゴール「おのれっ、おのれぇ!!」

 

 

 ステッキを振り回して激高し、イゴールがニアへと打ちかかってきたが、彼女は軽やかに身をひるがえして彼の攻撃をかわしていた。

 

 

ニア「ハ──ッ!」

 

 

【ズドンッ!】

 

 

イゴール「がっっ!!」

 

 

 気合とともに、ニアはこぶしをイゴールの腹にたたきこみ、彼を来た方向へと豪快に弾き返す。

 

人つぶてとなって飛んでゆくイゴールは、最終的に舞台の下まで落下して見えなくなった。

 

 

ルナ「にゃっ!」

 

 

 舞台の下手しもてから、今度はヒースブルグからモモたちと一緒だった大男がルナを目がけて突進してくる。

 

しかしルナもまた、軽やかに上空へ飛び上がり、とんぼを切って着地ざまに男の後頭部をしたたか踏みつける。

 

 

大男「ふごぁっ!!」

 

 

 そのままそいつの顔面を舞台の床へと豪快に叩きつけて意識をつぶしていた。

 

【ジャラリ……】

 

 

ルナ「にゃっ……と♪」

 

 

 地に伏す大男の腰もとからのぞいた鍵たばを、ついでに彼女は抜け目なく没収した。

 

 

ルナ「最後に一発、お見舞いしておくにゃ!」

 

 

 そう言うと、銃を真ん中で折って詰めていた物を取り捨て、ポケットから新たに取り出した物を代わりに詰めこむルナ。

 

ニアも同じように装填し終え、折った銃をかしゃりともとにもどすと、両者はそれをに構えて撃ち上げた。

 

【ピシュピシュッ……パバァァン!!】

 

 観客席の左右の壁に着弾して破裂し、だめ押しとばかりにもうもうとした白煙をまき散らす。

 

もはや場内はくまなく白く染め上げられ、3歩先の物も見分けがつかなくなった。

 

 

ルナ「さ、モモ、シオドキにゃ♪」

 

 

モモ「あっ……」

 

 

 耳もとで声をかけられて、モモはルナに抱き上げられた。

 

とっさに手かせのはまったままの腕をたたんで、ルナが抱えやすい体勢をとっておく。

 

けむりの向こうで銃声と剣戟けんげきの響きが続いていたが、舞台上でのことが片付いた4人はすみやかに舞台裏へとはけていった。

 

 入ってきた扉を開けて通路へ出てみると、2人のしわざだろうか大の大人たちが皆床に倒れ伏している。

 

モモたちの知らない間にここを通って侵入してきたのだろうから、それは当然のことだ。

 

おかげで全くすんなりと脱出することができた。

 

 通用口の扉を蹴り開けてまっ暗な馬車停めへなだれ出る。

 

【ジリリリリリリリ──】

 

建物内の警報ベルが鳴り始めた。

 

横合いからあわてた様子で駆けつけてきた警備員たちは、とっさに駆け出したニアのえじきとなった。

 

 

ニア「ヤッ!」

 

 

【ゴッ、バキッ!】

 

 

警備員「ぎゃっ!」

 

 

 華麗なたいさばきで突きや蹴りをくり出し、弾切れの銃砲以外に武器を帯びぬ身で、彼女はたちまち4人の男たちをのしていった。

 

 

警備員「ぐはっ!」

 

 

【ドシャアァ!!】

 

 最後の一人を豪脚で蹴り上げると、そいつは硬い地面に落下して背中を打ちつけ、案の定気を失った。

 

外にいた者が片付けば、あとはさっさとずらかるのみ。

 

 

ニア「マリー、わたくしの背に……」

 

 

マリー「は……はいっ」

 

 

 敷地の端の高い壁を前にして、ニアがマリーをおんぶする。

 

 

ルナ「ソレッ!」

 

 

モモ「わっ」

 

 

 準備が整うとモモを胸にいだいたルナを先頭に、2人は壁を飛び越え始めた。

 

向こう側へ脱してせまい道に降り立ってからは、どこをどのように駆け抜けたのかは分からない。

 

とにかく駆けた末に大通りまで出てゆくと、今度は道端に停まっていた車の荷台に乗りこんだ。

 

 軍人が乗るような大きなガソリン車で、荷台にはがかけられている。

 

アステルの姿が見当たらなかったので少し不安になったが、車は構わず発進してしまった。

 

 

ルナ「はっ……はっ……はっ……。

ニャフフ」

 

 

 肩で息をするルナが、手に持っていた鍵たばをみんなに見せる。

 

 

ルナ「モモ、腕を出すにゃ。

どれか合うかにゃ~」

 

 

 彼女がそれらしい鍵を、こちらの手首にはまった手かせの鍵穴にさしこんでくる。

 

【カチャリ……】

 

 

ルナ「ニァッタリ~♪」

 

 

 かせが外れて腕が楽になった。

 

 

モモ「ありがとう……」

 

 

ルナ「にゃ♪

ニア~、たぶんソッチにも合うにゃ」

 

 

ニア「貸して」

 

 

 ルナはそれを、ニアのほうにも手渡した。

 

【カチャッ……】

 

 

マリー「ありがとう……ありがとう」

 

 

 2人のかせが外れて、ようやくモモは助かったことを実感した。

 

心臓は未だ早鐘を打ち、手指の先はわずかに震えが残っていたが、檻馬車のオリの中に詰めこまれていた時に比べれば全く何の問題もなかった。

 

 味方だという亜人の軍人の運転で、4人のメイドたちが乗った車は、真夜中の街をどこかへ向かって走っていった。

 

 

 

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