第5話〔3〕二輪の邂逅

 

 

 

 

 

モモ「いやっ、いやぁっ!

いーやっ!」

 

 

男「大人しくしなさい」

 

 

 モモはあせっていた。

 

2人の男に捕まって連れられて来たのは、屋敷の中の奥のほう。

 

 大男に両手と首根っこを捕まれてあがきが取れない。

 

連れこまれた先に何があるのかを少女は予想できなかったが、アステルたちが怒り顔で待ち構えている場面などを想像すると、平静ではいられなくなるのだ。

 

 

男「開けますよ、待っていなさい」

 

 

 一つのドアの前までやって来ると、先頭を行っていたステッキ持ちの男が胸ポケットから鍵たばを取り出す。

 

ドアには2つの錠前がぶらさがっており、それを2つともその鍵で解いていった。

 

【……カチッ、……カチッ、ガチャ】

 

 錠前が外されドアが開かれると、男は一度室内を確認してからこちらをふり向いた。

 

 

男「さあ、入るのです」

 

 

モモ「あっ!」

 

 

 半ば引きずるように押し出され、最後は突き飛ばすようにして室内へ投げこまれたので、モモはじゅうたんの上へ突っ伏してしまった。

 

【バタンッ……カチッ、カチ】

 

投げこまれてすぐにドアが閉められ、抜け目なく鍵がかかる音がする。

 

 

男『おかしらさんを呼んできます。

あなたはここで見張っていなさい』

 

 

 向こう側から男の声があり、一人分の足音が遠ざかっていった。

 

 

モモ「……はぁ、……はぁ、……はぁ」

 

 

 静かになると、途端に乱れきっていた自分の呼吸がきわ立って聞こえるようになった。

 

息をととのえつつモモは、その場へ座ったかっこうで部屋を見回してみる。

 

メルヴィル城の見習いメイドたちの部屋よりせまいかもしれなかったが、家具がほとんどないために広く感じる。

 

 すみに設置された質素なベッドに目が至り、その上にいる者を今ようやく見つけてはっとなった。

 

 

女「あなた、もしかしてアステルさまの……?」

 

 

モモ「えっ……!?」

 

 

 とても気弱そうな声で話しかけてきたその女は、黄色い飾りヒモを胸もとに結ぶ黒いワンピースを着てベッドに座っていた。

 

どうやらそれはエプロンドレスのエプロンの下に着る服らしく、かたわらのナイトテーブルに折りたたまれてあるのが脱いだエプロンということらしい。

 

 おそらくこの人も、メイドをしているのだろう。

 

背中まである長髪は銀色をしていたが、途中から毛先にいくほど金色になっていた。

 

横に突き出た両耳は、何か亜人の特徴か。

 

大きな瞳はオレンジで、びんの底ほどもあるまん丸い丸メガネをかけていた。

 

 

モモ(……まるめがねの……)

 

 

女「わたしはマリー、あなたは……?」

 

 

モモ「ぼく……モモ。

まるめがねの、マリー?」

 

 

 リリィの部屋でデイジーたちが話していたことを思い出し、モモはふと問いかけてみた。

 

 

マリー「……!

じゃあ、そうなのね?

あなたも、アステルさまのメイドなのね?

なつかしい、その見習い服……。

いったい、どうしてここへ?」

 

 

モモ「えっと……アステルさまの馬車に乗ってきて、それで……それで」

 

 

マリー「アステルさまがいらっしゃったのね!?

ああっ、やっぱり……!

アステルさま……来て下さった、来て下さった!」

 

 

 こちらの説明が終わらぬうちに、マリーがベッドを降りて、こちらの目の前へやって来た。

 

モモの正面に座った彼女の、あどけなげな顔立ちがぱっと笑顔になった。

 

 

マリー「もうすぐここまで助けにいらして下さるのね!」

 

 

モモ「……たすけ、に?」

 

 

マリー「……え?」

 

 

 モモのひと言に、ふと固まるマリー。

 

 

マリー「え、えっと……わたしを救出しにいらっしゃったのではないの?

アステルさまは、今どこに?」

 

 

モモ「たぶん、パーティー……。

ぼくは馬車のトランクにかくれてこっそり来ただけだから、ぼくがここにいることは、アステルさまは知らない」

 

 

マリー「…………」

 

 

 こちらの事情を明かすうちに、マリーから笑顔が消えていった。

 

話し終わっても彼女は、両目をぱちぱちするだけでほとんど反応がない。

 

 

マリー「…………そう」

 

 

 ようやく返ってきた応答は、彼女の落胆した様子が見て取れるものだった。

 

 そもそも、マリーというのは外仕えに出たメイドではなかったか。

 

それが助けを求めているというのがいまいちよく分からない。

 

 モモにとっても、この奇妙な出会いは簡単に理解しきれそうにもなかった。

 

 

モモ「マリーは……」

 

 

【カチッ……カチッ……ガチャ】

 

 こちらからの質問は、ドアが開かれる音にさえぎられてしまった。

 

2人はじゅうたんに座ったまま戸口に注目する。

 

 おしはかってみるに、開扉して入ってきたのは、男が“おかしらさん”と呼んでいた人物らしかった。

 

そのかしらの後ろにさっきの男たちがひかえていることからも間違いなさそうだ。

 

 

かしら「…………」

 

 

 彼が一歩踏み入ってモモのほうをにらみ下ろしてきた。

 

みるみる顔面がひきつって、最後には苦草にがくさをかみつぶしたようなとても不快そうな表情に変わっていった。

 

 

かしら「イゴール……このガキを、

どこから連れてきただと……?」

 

 

 かしらは背後にいるステッキの男を、“イゴール”と呼んだ。

 

 

イゴール「裏庭で何かかぎ回っていたようなので、メルヴィルのガキに知らされる前に捕まえておいたまで、ですよ」

 

 

かしら「…………」

 

 

【ガッ……!】

 

 

イゴール「ぶっ……!?」

 

 

 かしらは無言でふり向き、イゴールを蹴飛ばした。

 

男は向こうの壁に背を打ちつけてから倒れ伏す。

 

手から投げ出されたステッキがからからと床を転がった。

 

 

かしら「ストロンツォ!!

こいつはメルヴィールのメイドじゃねーか!」

 

 

モモ「ヒッ……!」

 

 

 こちらを指さしつつ、イゴールに向けて怒鳴るかしらにおどろいて、モモは小さく悲鳴を上げた。

 

すぐにマリーに頭をいだかれる。

 

 

かしら「全く、何てことをしてくれたんだ。

今ごろあのガキは、このガキがいなくなって大騒ぎしてるぞ。

せっかくこんな片田舎まで出張ってきて、上玉を手に入れたと思ったっていうのに……!

何でこんなに早く感付かれたんだ?」

 

 

マリー「アステルさまはここにこの子がいることをまだご存じではありません。

わたしどもをこのままお帰し下さいませ。

わたしを奴隷商に引き渡そうとしたことは決して口外いたしませんから、どうかお願いでございます、さま!」

 

 

モモ(!?)

 

 

 逆上して声を張り上げるかしらに、マリーが切々と訴えた。

 

その訴えの中に相当に聞き過ごしがたい言葉が含まれていたので、モモはむしろ彼女のほうにおどろいていた。

 

 それでは、このかしらこそがマリーの外仕え先の主人、ファウネルだというのか。

 

黒いスーツの壮年の男性。

 

ぼさぼさの黒髪でぎらついた黒い目。

 

紳士の風体をしていても、悪人のかんろくが隠しきれていないような、こんな男が。

 

 

ファウネル「うるさい……。

うるさい、うるさい!」

 

 

 彼は怒りのほこ先をマリーに向けた。

 

 

ファウネル「“商品”は黙っていろ!

最低でも300万フラウで売り飛ばしてやるからな!」

 

 

 すごい剣幕で言い立てるファウネルと、なおも訴え続けるような目でにらみ返すマリー。

 

両者はしばらく見据え合っていたが、向こうが先に異国の言葉で何か吐き捨ててから後ろをふり返った。

 

 

ファウネル「まあいい。

ヤツらはイゴール、お前の家へ向かった。

お前が留守だと分かるまで時間は稼げるだろうが、しかし今すぐこいつを運び出すのは危険が大きい。

様子を見てヤツらの気配がないようであれば夜のうちに馬車を出せ。

こっちのガキは、そうだな……、

しておけ」

 

 

【バタン……カチッ、カチ】

 

 部下の2人に指示をしながら、ファウネルはドアを閉めて行ってしまった。

 

彼らの足音が消えるまで待って、いだいていたこちらの頭を、マリーは放した。

 

 モモは不安にマリーの顔を見上げたが、彼女は少しも暗い面持ちをしていない。

 

 

マリー「大丈夫。

わたしたちにはアステルさまがついてる。

もうここまでいらして下さったんだから、すぐに助けに来て下さるわ」

 

 

モモ「…………」

 

 

 マリーは夢を見るような目をしてひそやかに語ったが、モモは未だことの重大さを把握しきれず返すべき言葉が見つからなかった。

 

 こちらの案じ顔を気づかって、マリーが手をにぎってくる。

 

丸メガネ越しのやわらかなまなざしは、不安に凍りついた心をやわらげてくれそうで心強かった。

 

 

マリー「あなた、メルヴィル城にはいつ来たの?」

 

 

モモ「……ことしの春に……」

 

 

マリー「そう、じゃあわたしが外仕えに出たすぐあとにアステルさまにお仕えしたのね。

お仕事にはもう慣れた?」

 

 

モモ「うん。

でもぼく、見ならいだけど、リリィさまのコマヅカイだから……」

 

 

マリー「リリィさまって、アステルさまのいとこの?」

 

 

モモ「そう」

 

 

マリー「まあ、そうだったの。

お城でのお話、もっと聞かせてちょうだい」

 

 

 マリーの声は、聞くほどに耳に心地よく、おだやかだった。

 

彼女と言葉を交わすうちに、どことも知れない屋敷の一室に閉じこめられたことも忘れてしまいそうになる。

 

もしかしたらここは本当はもうメルヴィル城で、自分の知らない間にもどってきていたのではないかとさえ錯覚させられるほどに。

 

 

モモ「リリィさまは車イスだけど、ぼくとかジャスミンがうしろからおす役なの……」

 

 

 それからモモはメルヴィル城での様々な出来事をマリーに話して聞かせた。

 

初めてメイド服を着た日のこと。

 

リリィと出会った日のこと。

 

飛行船を間近で見た日のこと。

 

おしゃれをして街へ出かけた日のこと。

 

 話していたらいつの間にか不安など消えうせていて、代わりに眠気がわいてきた。

 

うとうとし始めたこちらを気づかってマリーが手をさし伸べてくれたので、モモは彼女のひざの上にかぶりをあずけることができた。

 

 まだまだ話し足りないことばかりであったが、横になってしまうといよいよ眠気はピークに達する。

 

今日は色々あって少々疲れた。

 

モモはまぶたの重みにわずかの時間を耐えたが、両目が閉じるとすとんと深い眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

イゴール「起きなさい、出発の時間です」

 

 

 ついさっき、寝に入った感覚だ。

 

男の声に起こされたものの、起きがけの気だるさからはそれなりの時間が経っていることがうかがえる。

 

彼女がかけてくれたのであろう毛布にくるまって、マリーの腕の中でモモは目覚めたのだった。

 

 気付くとドアが開いていて、すぐそばにイゴールと大男が立っていた。

 

モモの意識はまだはっきりとせず、窓の一つもないこの部屋では、夜なのか、もう朝なのかも分からない。

 

そろそろと起き出すメイドの2人に、イゴールはどちらにもをはめていった。

 

 立たされ、ひと息つく間もなく連れ出され、廊下を歩かされる。

 

モモもマリーも、抵抗する気力はなく、無言のまま男たちにしたがった。

 

 木戸を開けて外へ出て初めて、真夜中であることが確認できた。

 

細い路地に用意されていた2頭立てのおり馬車。

 

そのオリの中に2人もろとも押しこまれ、またしても頑丈そうな錠前をかけられてしまった。

 

 ここまで来ると、家畜か罪人のようなあつかいではないか。

 

モモは思っていきどおり、ふと、自分は本当に家畜のようにあつかわれているのではないかと思い至った。

 

一匹いくらかで売り買いされる、ぶたやにわとりのように。

 

 

イゴール「騒ぐとこの杖でのどを突き刺してしゃべれなくしてしまいますよ、それがいやなら大人しくしていなさい」

 

 

 イゴールが鉄格子のすき間から杖の先を刺し入れつつおどしてきた。

 

彼がこちらを交互ににらみつけてから杖を引き抜くと、頭上から雨覆あまおおいがかぶせられる。

 

それが四方をすっぽりおおったので、夜空を含めた外からの景色は完全にさえぎられてしまった。

 

 

イゴール「南門は見張られています。

東門から街を出て、それから南に向かいましょう」

 

 

 御者に指示して、自らも御者台に飛び乗ったらしいイゴール。

 

檻馬車は少々乱暴に発進した。

 

 

モモ「……これから、どこに?」

 

 

マリー「…………」

 

 

 不安感からどうしようもなく下腹の辺りがしめつけられ、心配になって問いかけてみたが、マリーはだまって手かせのついた腕でこちらを抱きしめるだけだった。

 

 おそらくそういうことなのだ。

 

今、ようやくモモは理解した。

 

 どれい商という言葉ははっきりとは知らなかったが、自分たちはこれからどこかへ売られてゆくのだろう。

 

そうして、うしやうまのように荷車を引かされるのかもしれない。

 

あるいは、切り分けられて食べられてしまうのかもしれない。

 

 どうしてこんなことになってしまったのだろうかと、いくら自分に問いかけてみても納得のいく答えは得られなかった。

 

もはや考える元気もなくし、マリーの胸に顔をうずめて目を閉じる。

 

【ガタッ……ガタガタッ】

 

 車輪の音に混じって、馬車の後部で何か物音がした。

 

おぼろに目を開け、マリーの腕越しにそちらをうかがってみる。

 

 

モモ「……!」

 

 

 何事かと目をこらしてみれば、雨おおいの端をわずかにまくって、ひょこりとけものの頭が2つ、こちらをのぞきこんでいた。

 

暗がりであったのでりんかくから判断するしかなかったが、それはキツネとクマの亜人の子どもらしかった。

 

 

キツネ「なぁんだ……食いもんじゃねぇのか」

 

 

クマ「ちぇっ……ざぁんねん」

 

 

マリー「あっ…………」

 

 

 子たちはオリの中を確認するとそのように言い捨て、雨おおいをもどしてすぐさま行ってしまった。

 

マリーが御者に気付かれないよう声をかけようとしたが、間に合わなかった。

 

 気配が完全に消えてから考えてみれば、今の2人は市門の外で暮らしていた浮浪児たちではなかったか。

 

こんな夜ふけにおおいのかかった荷馬車が通ったので、食べ物が積まれているのではないかと踏んで中をのぞきに来たのだろう。

 

もしかしたら助かる機会を逃してしまったのではないかと、後悔がじわりと胸の辺りに広がった。

 

 モモたちはついには交わす言葉もなくなり、強く抱き合ったまま馬車に揺られてゆくより仕方なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルナがアステルらとともにメルヴィル城へ帰り着いたのは、結局翌朝となってしまった。

 

一行はあれからマリーがいるというイゴール・ブラマンテの屋敷を訪ねてみたのだが、何せ電話も引かれていない離れた土地、馬車で3時間ほどもの道のりだ。

 

夜遅くに門戸もんこをたたきはしたが、家主は留守をしていて、その上マリーにまで会えずじまいで、せん方なく引き返してきた。

 

 これはいよいよ事故や事件の可能性もあるのではないか、一度メルヴィル城へもどって体勢をととのえるべきだとアステルは考えたのだった。

 

そうして居城へ帰って従者らに小休止をとらせ、この日あらためてファウネル邸へ出向いていってバルビエーリ・ファウネルを問いただそうと算段づけた。

 

 ルナが仮眠から目を覚まし、身仕舞いをととのえてあるじのもとへ急ぐと、彼はリリィの部屋にいた。

 

 

アステル「ど……どういうこと……?」

 

 

リリィ「ごめんなさい……ごめんなさいお兄さま……。

リリィがいけないの……」

 

 

 開いていた戸口に立って室内をのぞき込むと、スツールに腰かけてけげんな顔を浮かべるアステルと、ベッドに横たわったまま許しをこうリリィの姿があった。

 

両手で泣き顔をおおってしきりに詫び言をくり返す足なえの少女を認めてルナは、何事かと驚いて手前にいたニアへそっと詰め寄った。

 

 

ルナ「何があったのにゃ?」

 

 

ニア「ルナ……、実は昨日、街へ出かけた時に、馬車のトランクにモモが乗っていたらしいの……」

 

 

ルナ「モモが……!?」

 

 

 聞けば、リリィがパーティー会場をのぞいて来るようにモモに命令をしたということだった。

 

入れ知恵をして馬車のトランクにひそませたらしいのだが、それが今朝もどった箱馬車の、どこを探しても彼女の姿が見当たらなかった。

 

 その後、見習いメイドたちに城じゅうを見て回らせたが、昼時を過ぎてもモモは見つからず、リリィはついに城主に全てのことのいきさつを明かしたというわけだ。

 

 

リリィ「リリィがばかなことを言わなければ、こんなことにならなかったのに……。

きっと今ごろ、街で迷子になっているのよ、あの子……」

 

 

アステル「…………」

 

 

 自分の前髪をくしゃりとにぎりつけて大声を押し殺して泣くリリィに、やさしく触れるアステル。

 

 

アステル「モモなら大丈夫。

あの子は以前、あの街に住んでいたんだ。

ここへの道のりも知っている。

もうすぐしたら、きっと帰ってくるよ」

 

 

リリィ「うん……うん…………」

 

 

 リリィを力付け、最後にアステルは彼女の頭を軽くなでてから立ち上がった。

 

部屋を出るまでは彼はおだやかな顔を崩さなかったが、3人廊下へ出てニアがドアを閉めた途端に険しい顔に変わる。

 

 

アステル「ニア、ルナ、昼食はすませたかい?」

 

 

ニア「はい」

 

 

ルナ「問題ないにゃ……!」

 

 

 あるじの静かな問いかけに、2人の従者が力強く返事をする。

 

急き込みがちに歩き出す彼に続いて、ルナとニアも長廊下を行った。

 

 

アステル「そうだ、そもそもおかしかったんだ。

私がもっと早く気付いていれば……こんな事態にはならなかったのに。

バルビエーリ・ファウネル、美術商、シルバーエルフ……」

 

 

 アステルは心の中で何かをたぐり寄せるみたいに、それらの言葉をつぶやいた。

 

 

ルナ「アステル……サマ」

 

 

ニア「アステル様……」

 

 

 ルナは疑問形の混じった呼びかけだったが、ニアのほうはあるじの意図を理解した上での呼びかけらしかった。

 

一度だけこちらを振り向いてうなずき、彼は続ける。

 

 

アステル「たぶんね、おそらく……。

エルフ族は不老長寿であるために、コレクターたちの間で高値で取り引きされることがあると聞く」

 

 

ルナ「にゃっ……!?

人身売買っ?」

 

 

 ルナは思わず声を上げた。

 

 

アステル「うん、昨日の展覧パーティーも、もしかしたらただの絵画だけというわけではなかったのかも……」

 

 

 そういえば、と、ルナも昨夜のことを思い出してみる。

 

ファウネル邸のパーティー会場で貴族の男に口説かれそうになったが、あれはネコの亜人を商品と勘違いして、声をかけてきただけだったのではないか。

 

 

ニア「しかし、マリーにエルフ喘息があったことまでは気が回らなかったのでございましょう」

 

 

アステル「今思えば、あれはマリーからの救難信号だったんだ。

エルフェドリンをファウネルに買いしめさせれば、他のエルフが困る。

そしてそのことは、私の耳にも入るだろうと……」

 

 

ニア「いかがなさいますか、ご主人様」

 

 

アステル「とは言え、これはただの推理にすぎないし、ちゃんとした証拠があるわけでもない。

たとえ彼が本当に人身売買を行っていたとしても、手紙などという小道具まで用意するような男だ。

正面から問い詰めても、うまくかわされるだろう……。

マリーが今、どこにいるかを何とか突き止められないものか。

それから、モモ……悪い予感が当たらなければいいのだけど……」

 

 

 長廊下を進んでゆくと、玄関ホールの中央に一人のメイドが立っているのが見えた。

 

こちらに向かって深くおじぎをしていて、あるじが近付く間に上げられたその顔を認めて、3人とも驚いた。

 

 

アステル「カトレア……!?」

 

 

カトレア「お久しぶりでございます、アステル様」

 

 

 はっとして彼女を呼びかけるアステルと、角度のきつい目つきの無表情で呼び返すカトレア。

 

オルブライト公爵のもとへ外仕えに出たはずの彼女が、とうとつにそこへ現れたので、ルナはまた何かあったのではないかと身構えてしまう。

 

カトレアのそばまで歩いていって、アステルもまた不安げな顔で問いかけた。

 

 

アステル「いったい、どうしたの?」

 

 

カトレア「オルブライト様から言伝てをあずかってまいりました。

昨夜遅くに2人の少女を乗せた荷馬車が、街を出るところを目撃した者がいたそうでございます」

 

 

ニア「!」

 

 

ルナ「!」

 

 

アステル「……くわしく聞かせて」

 

 

カトレア「その者たちが申すには、荷台が檻のようになっていて、おおいがかぶせられてあったということでございます。

その中に、一人はとがり耳の亜人、もう一人は真っ赤な目をした赤毛らしき幼い子どもが閉じ込められていたとの話でございました」

 

 

アステル「まさか……」

 

 

 まさか、赤毛の子どもというのはモモのことではないか。

 

とがり耳の亜人というのも、マリーで間違いはなさそうだが……。

 

 ルナもカトレアの話を聞くうちに都合の良い憶測が次々頭に浮かんだが、それらを否定する要素はなかった。

 

 

カトレア「かねてからオルブライト様は、領内で起きていた美術品の盗難事件や亜人の誘拐事件を調査されておりました。

バルビエーリ・ファウネルに、目を付けていらっしゃったのでございます。

今夕にも、彼の邸宅に踏み入る手はずとなっております」

 

 

アステル「では、やはり……亜人オークション……」

 

 

 ひたいに手を当て、自らの発言に恐怖しているらしい城主の導き出した答えは、納得のいくものだった。

 

 

カトレア「はい、アステル様。

場所はここから南、“ヴィトラス”でございます。

オルブライト様がすでにその近くの飛行場へご連絡をされております」

 

 

アステル「……ああ」

 

 

 オルブライト公爵は手回しのいい方だった。

 

アステルがこの話を聞いて複葉機を飛ばすであろうことを見越していたのだ。

 

彼は思わず、思わぬ福音ふくいんをもたらした彼女に抱きついていた。

 

 

アステル「ありがとう……閣下には、あとで私からお礼を言っておこう……」

 

 

カトレア「……っ」

 

 

 ひしと抱きしめられて棒立ちのカトレアが、その両目を少女のように見開いて輝かせていたのを、ルナは見逃さなかった。

 

彼女を放すと、城主はさっそく後ろを振り向き、今来たばかりの長廊下をもどり始める。

 

 

カトレア「ワタクシも一緒に。

そのために、ワタクシがつかわされたのでございます」

 

 

アステル「うん、よろしくね」

 

 

 急ぎ足になって進むアステルに、カトレアを含めた3人のメイドが従った。

 

 

アステル「ルナ、飛行服に着替えて、飛行場へ。

少し長いフライトになるよ」

 

 

ルナ「了解にゃ!」

 

 

アステル「ニアも、操縦だ。

それと、デイム・ルーディに街へおもむいて、オルブライト公爵を助けるように伝えておいて」

 

 

ニア「かしこまりました。

カトレア、あなたの飛行服を用意するわ、わたくしと来て」

 

 

 階段の所であわただしく4人が散ってゆく。

 

状況は急展開の様相をていした。

 

しかし、カトレアが来てくれなかったら、2人の少女を救えなかったのかもしれないのだ。

 

 まだ間に合うのだとすれば、何をおいても急がねばならない。

 

実際にそうと決まったわけではなかったが、そのヴィトラスという地で開催されるらしい亜人オークションで、どこの誰とも知れない者に売り飛ばされてしまってからでは、探し出せる可能性は無いに等しいのだから。

 

ただし、陸軍将官を務めるオルブライト公爵が動いているとなれば、事態は極めて確定的であり、極めて深刻であった。

 

 ルナは自室に直行し、メイド服を脱ぎ払ってチェストから月かげ色の飛行服を取り出した。

 

女でネコミミシッポの飛行士なんて、そうはいないだろう。

 

ルナはこういう時のために複葉機の操縦をもおぼえたのだった。

 

 飛行服を着用し、飛行帽を手にして、準備が万端整うと、彼女は飛行場へ向かった。

 

 

 

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